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5日目

 Heisei 2112 - 8/19 (Fri) - 16:07 – Rain


「と、いうわけで。美術の評価は4ですよ~」

 何が『というわけで』なのかはさて置き、紫音はミミ先生に呼ばれ、今は使われていない保健室へと呼ばれて、回転する背の無いイスに座っていた。

 旧保健室。此処はいわゆる、ミミ先生の城である。ミミ先生自体は美術の教師で、階の違う美術室での、一教師としての仕事もある。だが、担任としての仕事やプライベートに分類される仕事などは、殆どこちらでする事が多い。

 紫音が呼び出されたのは、ミミ先生の担任としてのお仕事、人生相談のようなものである。先生曰く悪い子の説教でも呼び出される生徒はいるが、紫音の場合は、少し違う。

「最近はどうですか~? 病気が悪化したとか~、お友達とケンカしたとか~、無いですか~?」

「無いですよ、ミミ先生。確かに、最近は寝る事が増えたけど、それ以外は足した問題が無いし。あまり、不便な事は無いです。むしろ、起きている時絶好調ですよ。それに『発作』も起きていませんから」

「・・・・そうですか~」

 この人も、藤黄と同じく、笑顔を絶やさない人だ。そう、紫音は考えている。

 よほどシリアスな場面でなければ、この人は笑みを崩さないだろう。

「あ~、今、変な事でも考えましたか~?」

 などと考えていたが、ムッとした表情になって、その考えはすぐにリセットされた。

「と、言いますと?」

 ミミ先生はゆっくり移動しながら、温かく、甘い香りの紅茶が入った、白くて丸みのあるティーポットを用意している。お湯でティーカップを温めながら、紫音の問に答えようと、数秒間だけ悩む素振りを見せ、それから小さな口を開いた。

「私が他の人よりおちびさんとか~、先生に見えないとかですかね~?」

「・・・・先生、それってどちらも同じ意味だと思いますよ」

 そして、どちらも先生自身の悩みですよね。そう言うと、ミミ先生は紫音から目を逸らし、黙り込んでしまった。ひどく落ち込ませてしまったようだ。

 ミミ先生は、小さな頃からこの問題に直面していた。弟さんがいるそうだが、彼は、彼女とは12歳も年が離れている故に、まだ高校1年生だ。なのに、既に教師と間違われるほど落ち着いた雰囲気をかもし出しているらしく、それが彼女のコンプレックスを悪化させているらしい。

 ちなみに、ミミ先生の弟は、高校に入ってすぐにカフェでバイトを始めたそうだ。

「ふぅ。落ち込むのも疲れるので、紅茶でも飲みましょうか」

「あ、砂糖要らないです」

「そうですか~。・・・・そう言えば~、いつも紫音君はクッキーを造って持って来てくれますよね~。いつも美味しいクッキーをありがとうございます~」

「え、あ、いえ。こちらこそ、食べてもらえて嬉しいです」

 語尾が伸びるミミ先生の口調としては、急な話題転換。だが美実先生のゆっくりとした口調のおかげで、すぐに対応する事が出来た。紫音はホッとしながら、何かを用意するミミ先生を眺め見る。

 そして紅茶とは違う、別の甘い香りに、何を用意しているのかが分かった。

「それ、先生が作ったのでしょうか?」

「はい~。何か、何処と無く落ち込んでいそうな紫音君にプレゼントですよ~。紫音君みたいに上手く作れなかったとは思いますが~、どうぞ~♪」

 丸い、シンプルな形のクッキー。中にはハート型もあり、チョコレート味とプレーン、ストロベリーと、素人とは思えない出来栄えだ。

 そして、体は小さいが、こういうところが「先生だなぁ」と感じる部分。

 生徒が、しかも『隠す事が上手い』紫音が、必至に隠していた感情を読み取ってしまうとは。

 だが、何故落ち込んでいるのかまでは、さすがに分からないようだった。

 しかし、落ち込んでいるという事を気付かれただけで、紫音はとても驚いた。

 そしてそのショックは、手に持っていたクッキーを床に落としてしまうほどだった。

「・・・・紫音君~、どうかしましたか~?」

「いえ、何でも・・・・」

「・・・・」

「・・・・」

 ミミ先生は、その場に漂う重苦しい雰囲気に、少々の戸惑いを覚える。相談に乗って空気を明るくしようと思って発した言葉が、逆に空気を重くしてしまったのだ。

 27歳の教師、というのは、まだまだ若い先生だ。失敗が少なくなってきたぐらいの教師だ。定年間近の教師に比べれば、まだまだ自分が定まっていない教師だ。それでもミミ先生は若いなりにがんばって、生徒の相談に乗ってきた。

 人生経験というものでは、ミミ先生もまだまだ足りない。だが、それでも、受験後の生徒の気持ちならば今の自分でも分かっているつもりだった。それ故に、自分が思っていた答えが返ってこなければ、まだまだ若いミミ先生が戸惑ってしまうのも無理はない。そして。

「・・・・そういえば」

「な、何でしょうか~?」

 その戸惑っている最中に、話し掛けられるとは、まったくもって思っていない。

「先生は養護学級の、臨時講師をしていらっしゃるとか。本当ですか?」

「移りたくなりましたか~?」

「いえ。ですが、弟はほぼ間違いなく養護学級のまま進学するでしょうから、その時は、頼みます」

 やけにかしこまった話し方で、紫音は座ったまま、深々と頭を下げた。ミミ先生は一瞬だけ目を丸くしてから、紫音を物悲しげな表情で見つめた。両手でティーカップを持ち、その手と口に小さく力を込め、それから、その口を開いた。

「それは、紫音君がするべき事ではないですか?」

 ・・・・それは、いつもの語尾を延ばした口調ではなく、真剣そのものの喋り方だった。

「・・・・そう、ですよね。すみません」

 その口調に、笑みを返し、しかし悲しそうに、ミミ先生から目を逸らす紫音。

「・・・・」

「・・・・」


 完全に黙り込んでしまった紫音に、ミミ先生は優しく微笑んだ。

「このクッキー。さっきは紫音君に負けるって言いましたけど~、結構美味しいと思いますよ~。とりあえず~・・・・ ―― 自分では、美味しいと思うのですが」


「兄さん、最近元気が無いって本当? 大丈夫?」

 ソファで寝そべる紫音の横で、しゃがみ込んだ錬夏が訊ねた。

「錬夏、それ、何処で聞いた?」

 顔と一緒に体も錬夏へ向けて、紫音も訊ねた。

 錬夏は風呂に入った後で、髪が少し濡れて、髪の跳ね方が紫音とは違う。それどころか、カチューシャで前髪が顔に掛からないようにされていた。ただ、一部だけ長い髪は、ちゃんとまとめられている。

「何処でって・・・・ミミ先生からのメールだよ。兄さんの担任だって聞いて、メルアド交換しておいた」

「あぁ、そう」

 素っ気無い返事の後、紫音は大きく欠伸をしながら、再び体を天井へと向けた。その様子を見て、錬夏は心配そうな表情になった。

「ついさっきまで寝ていたよね、兄さん。まだ、眠い? 夜、寝られる?」

「あぁ。寝られる。大丈夫だよ、錬夏」

 紫音は半分も開かない目をこすりながら、錬夏に微笑みかけた。それを見て錬夏が安心するかと言えば、また別の話ではあるが。

「・・・・じゃ、寝る前に1つだけ、イイ?」

「何」

「うん。あのね、さっき寝ていた兄さんの写真を撮って」

(・・・・ん?)

「藤黄さんに送っちゃった」

「何してんのお前?! ってか、いつメルアド交換したのお前等?!」

 眠るどころか、紫音は勢い良く起き上がった。

「っ、あぁ~・・・・今頃大爆笑してんだろ、藤黄~・・・・」

「あ、あはは、ごめん、兄さん」

 紫音はソファに座り直して、顔を上に向け、額に手を当てた。錬夏の苦笑を聞きながら、錬夏が嘘をつくような性格の持ち主ではない故に、嘘ではない事に少々の絶望を抱いてしまう。

「あ~、もう。目が覚めたから、ちゃんと自分の部屋で寝るわ」

(・・・・ここで夜を明かすつもりだったのかなぁ)


 萩徒家は、周りにある一戸建てよりも広い。父親と母親が医療関係の職、しかも一方はお金持ちの次男だった為、普通よりは広い家に、紫音は住んでいる。

 紫音は、階段を上ってすぐ目の前の部屋だ。萩徒姓の人間は、どうにも生まれつきの障がいを持っているようで、紫音も例外ではない。ただ障がいと言っても、軽いものから重いものまで様々。病気の時もあれば体質の時もある。

 紫音は、病気の類。ナルコレプシーの亜種、と診断された。ナルコレプシーは、脳の情報伝達物質系異常によって起こるもので、急に眠くなってしまうという症状がある。

 普通は抗生物質が効くはずだが、紫音の場合、これが効かない。その上、全く別の症状まで出てしまうのが問題なのである。

 それは『ふとしたタイミングで体内の糖度が急激に下がる』という症状だ。ブドウ糖は筋肉を動かす時に必要なエネルギー源というのは、一般に知られている。それが無くなれば、自身が動く事が出来なくなってしまうのである。

 不幸中の幸いなのは、急激に失う糖度がどのくらいなのか決まっている事、彼が糖分を非常に吸収しやすい体質という事だ。普段から糖分を大量に摂っておけば、発作が起こっても平気な時があるのだ。

 面白いことに、彼は太らない体質らしく、発作があまり起こらなかった時はあまり心配する部分が無い、というのも、不幸中の幸いである。

 ただ、発作が連続で起こる時もある。その場合、早急に対処しなければ、死にいたる可能性があるのだ。だからこそ、寝ている間に何かが起こった時のために、両親の部屋が隣、彩芽達の部屋も近くにあるという場所に、紫音の部屋がある。

「・・・・今日は何も無かったなー」

 その日の印象に残った場面は、シリアスムードになったミミ先生との会話だった。それ以外は特に変わった事が無い、極めて普通の日常だった。

 白亜と茜は、いつもどり紫音との会話を楽しみつつ、新しく出来た友達とも話していた。それは喜ばしい事だが、少し寂しくもあった。

 ・・・・噂をすれば、というやつだ。

 紫音が真っ暗な部屋の中で、ベッドに辿り着いた頃。ECTからお気に入りの曲が流れ出した。

 それはメールの着信音で、それは、茜からのものだった。


『紫音へ

     最近、3人だけで遊ぶ事が極端に減っている気がします

なので、明日、土曜日の午前9時30分に、公園で待ち合わせしませんか?

一緒に、久しぶりに、町探検でもしませんか?

お返事、待っています』


 目が覚めたとはいえ、元々眠かった紫音は、メールを見た後、糸が切れたようにベッドへとダイブした。それから、返信を書く。


『分かった。公園だな?』


 それだけ書いて、送って、眠ってしまった。


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