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4日目 2

「此処?」

「此処」

 入口付近に咲く大輪の向日葵。

 壁の内側で青々と茂る木々。

 少しだけ汚れた薄い水色の壁。

 黒い鉄製の格子扉。

 この場所が ―― 養護学級。

「何か、自然がいっぱいだ。もう少し寂れた感とか、おどろおどろしい雰囲気とかがあると思った」

 暑い日差しの中、養護学級の周りはほんの少しだけ涼しい空気が流れていた。そのおかげか、養護学級の建物を、藤黄達はその場で眺めていられた。この少しでも涼しい空気が無ければ、わずか数秒で学級の中へとお邪魔していただろう。

 もっとも、涼しい空気だけでなく、水色の爽やかな雰囲気が、ある種の錯覚を起こさせていた、というのもあるかもしれないが。

「もしそうだったら、親御さんから電話が多数寄せられていただろうね」

「あー・・・・モンスターペアレント的な?」

「いや、むしろ・・・・」

 養護学級は、体に障がいを持って生まれた者が集う場所。古かったり空気の悪い場所であったりすれば、問題があるとして、抗議の電話から手紙からわんさか来るだろう。故に、モンスターではなく、

「ヒューマンペアレント」

である。

 藤黄は「あぁ・・・・」と納得したように呟くと、キョロキョロと辺りを見渡し始めた。

「で、噂の弟君。何処かなぁ」

 藤黄はワクワクしながら紫音に訊ねた。紫音よりも若干低い背の高さ、元気な少年のイメージが強い短パンの所為で、後ろ姿がまるっきり小さな子供にしか見えないというのは秘密だ。

「何と無く、その辺の木陰で涼んでいると思うけど」

 表へ出そうだった笑いを堪えて、紫音は涼しげな陰を作る、学級敷地内にある木々の方へ目線を向けた。格子付きの門は開いており、葉と葉がこすれ合う音以外は至って静かな場所。人の気配が全くしない学級の敷地内へと、2人は足を踏み出した。


 ふわり、と優しい風が吹く。その風が、2人の頭を撫で、過ぎ去った。過ぎ去る前に、木々の青々とした葉を揺らし、さざめかせた。

 ・・・・紫音によく似た漆黒の髪。風に揺れる鈴の音。音に合わせて踊る長い髪。

 静寂に包まれた木陰。―― そこに、彼はいた。

 真っ白に塗られた木製のテーブル。

 そこに腕で枕を作って、気持ち良さそうに寝ている少年。

「錬夏」

 紫音が優しく呼びかけると、錬夏の耳が小さく動いた。

「んぅ・・・・?」

 ゆっくりと頭を上げて、半分も開かない目をしばたたかせる。それから、おもむろに辺りを見渡した。そして2つの人影の内、一つを見て、その口を開く。

「・・・・あー、兄さんだー・・・・」

 目をこすりつつ、顔全体に笑みを広げて、錬夏は小さく手を振った。紫音と同じ、前も後ろも遊んでいる髪。涼しい木陰で暗いはずのその空間が、一瞬、輝いて見えた。

 錬夏は両腕を空に向けて伸ばし、それから立ち上がって、フラフラしながら紫音達の元へと歩いて来た。テーブルから紫音達のいる場所までは5mほどあり、錬夏は寝ぼけ眼のまま、1m以内までやってくる。

「待ったか?」

「ん~ん、大丈夫。でも、うぅ、寝ちゃったぁ・・・・。少し前まで、入口のところで待っていたのだけれど。さすがに同じ所に1時間も立っていたら疲れちゃって」

 「えへへ」と、更に磨きをかけたような笑みを向ける。

 その笑顔が急に藤黄に向けられた時、藤黄が笑顔のまま硬直してしまった。

「じー・・・・っ」

「・・・・?」

 見つめる。

「じぃー・・・・っ」

「・・・・あの?」

 ただ見つめる。

「じぃいー・・・・っ」

「・・・・えぇっとぉ」

 まだ見つめる。

「じいぃいいーーー・・・・っ」

「・・・・」

 蛇に睨まれた蛙。という言葉があるが、その小規模バージョンのような場面。目を見開いて、睨むでもなく、ただ、藤黄を見つめる錬夏。

 2つ年の離れた藤黄と錬夏。この場合、錬夏が蛇で藤黄が蛙である。目の前にいる紫音がそこにいないかのように、錬夏はとにかく藤黄の全身を舐めるように見つめる。上から下、などではなく、まんべんなく、『藤黄そのもの』を見る。

「・・・・あの、何かな、錬夏君」

 その視線に耐えられなくなった藤黄は、自分から問を投げかけた。その時滲み始めていた汗は暑さの所為か、はたまた思い空気から逃げたいと強く願った為に出た冷や汗か。

「・・・・ぃ」

「は?」

 返答したのであろうその消え入りそうな声に、藤黄は首を傾げる。聞こえなかったのだ。

「か、かせ、てくだ、さい」

「はい?」

 今度ははっきりと聞こえた。しかし、文の切る所がおかしく、イマイチ、何を言っているのか分からなかったために、もう一度、藤黄は首をかしげた。


「・・・・描かせてください。貴方を」


 画家を目指す主人公が、ヒロインに言うような台詞。

 爛々と輝く眼で、しかもいつの間にか顔と顔の距離が30cm程まで近付いている、下から目線のシーンと言えば、少女マンガのヒロインがするようなものだ。

 それを、主人公であり、ヒロイン(?)でもあり、しかし脇役がやる、という場面に、思わず『私』は、声を出して笑ってしまった。


 勿論『私』というのは・・・・『語り部』である。



「♪ ♪♪ ♪♪♪」

 白い大き目の布製バッグから取り出された、A4サイズのスケッチブックに、同じくバッグから取り出された鉛筆や消しゴム。

 錬夏は鼻歌を口ずさみながら、椅子に座って、楽しそうにデッサンをしていた。

(ねぇ、紫音)

(何)

(僕達、いつまでこのポーズをしていなきゃならないのかなぁ。さすがに疲れてきちゃった)

(ただ笑顔で立っているだけだろ。もうちょっとだけ辛抱しろ)

 そこだけ、時間が止まったようだった。風も吹かなければ何の音も無い。強いて言うならば、命を授かった者の生理的な震えと、錬夏のデッサンによる、鉛筆と紙がこすれあう音ぐらいのものだ。

 木の下で、紫音は微笑を浮かべながら。藤黄はいつもどおりの笑顔を浮かべながら佇んでいる。―― というポーズを、10分ほど、少しも動かずに続けていた。

 人は立っているだけで体力を消耗する。それは『2本足で立つ』という行動が、実は、とんでもない力を必要とする行為だからである。地球上で地表に生きる生物の中で、四足歩行や飛ぶ選択をして生きるものが多いにも拘らず、人間だけが、常に立って、歩く事の出来る生命体である。

 例えば、犬を2本足で立たせても一生そのままというわけではない。それは、人間と骨格からして違うためであり、現時点でヒトよりも長く2足歩行をする種族は存在しないだろう。

 自身の体重を4つの支えに分配する多くの生物と違って、2つの支えに全体重を預ける。その立っている状態から歩き始めれば別だが、じっとそのまま動かない、というのは、実は信じられないほどの労力を必要とする行為である。

 紫音達は噂やどこかで聞いた事のある程度でしかない情報を、脳裏で何度も読み返した。

「・・・・終了です!」

「「ほっ・・・・」」

「えへへ。次は細かくしていってー・・・・と、でー、その次は色付けだけです!」

 完全に目を覚ましたらしい錬夏が、満面の笑みの中でも最高級の笑みを2人に向ける。スケッチブックをぶんぶんと上下に振り、楽しげに跳ねた。

 真っ白な半袖のワイシャツと、水色と紺色のチェック模様が入ったスラックス。ワイシャツの裾はスラックスの中に入っており、袖は少しまくられて、ボタンで留められている。靴は白地に赤い線が入った物で、運動が出来そうなイメージがあった。

「今日中に仕上げないと。ね、兄さん」

「あぁ、そうだな。早めに帰るか」

 紫音は錬夏の頭を撫でた。

「何で今日中なの?」

 と、藤黄が聞くと、紫音は驚いた様子で藤黄を見つめる。

「・・・・紫音。僕、エスパーじゃないよ。ただ単に、勘が鋭いだけの人間だよ」

「あ・・・・、そうだった!」

「僕を何だと思っているのさ・・・・」

 それまで勘だけで的確な解答を導き出していた、という事は驚くべき事柄である。しかしそれを当然のように感じてしまった人間にとっては、藤黄の発言は驚愕するに値するものだった。そして紫音は、その当然だと思っていた内の1人だったのだ。

 それは、スケッチブックと筆記用具をしまう錬夏の横での、平和な日常、そのワンシーンだった。


「着替えとか、大丈夫だったのか?」

「? ワイシャツと下着の替えは持って行ったよ」

「あ、そう。なら良いケド」

 学校のある町の中心から東。古い町並みの商店街。新しい町並みの大通り。町の東側は、あらゆる店が、所狭しに立ち並ぶエリアである。

 その古い町並みと新しい町並みとの間。それが、藤黄と出会った『普通の町並み』とも呼ばれ場所。新しい店があるわけではなく、古い商的な店があるわけでもない、商店街としては静かで、落ち着いた雰囲気のある道。

「通称中央通ゾーン、だっけ? やっぱり此処、好きだなぁ」

「藤黄が住む事になる場所だしな。良かったじゃん」

「えへへ」

 人だけが通る古い商店街と、片道3車線の道路がある商店街。それを合わせた、古くも新しくも無い道を3人は歩いていた。

 時計の針は12時を過ぎており、そろそろ昼食を採れと、お腹の虫が騒ぎ出す。

「・・・・14時には父さんが迎えに来るらしいから、その前にいろいろ見て回りたいなぁ」

「そか・・・・じゃ、お昼ご飯を食べるついでに、その類の店を見て回る、っていうのはどう?」

「あ、それ良いね」

 会ってから一度も、寝る時でさえも崩さなかった笑顔を向けてくる藤黄。感心を通り越して気持ち悪いとさえ感じていた紫音だが、それこそが藤黄の良い所である事を知っているので、自然と自分も笑みを零していた。

 その2人を交互に見つめつつ、錬夏は耳をピクピクと動かした。まるで、兎が危険を察知した時のような仕草だが、危険を感じ取ったわけではない。それは、その笑みからは一目瞭然だった。

「僕、僕、良いお店聞きました! 今朝先生が噂していました!」

「じゃ、錬夏君情報のお店に行ってみようか」

「はい! こっちです!」

 藤黄と張り合っているようにも見える満面の笑み。紫音は、この2人が揃う時、どんな時でも、その場の空気が変わってしまう・・・・そんな予感がした。


 ―― その後の事は 何も覚えていない

     ただ『楽しかった』事と 藤黄さんの事を覚えている

     双子の妹である彩芽は覚えられないのに・・・・ 酷い話だよね

     ただ この時思った事がもう1つ

     頭の中で何度も何度も繰り返されて 忘れられない言葉

     証拠は無いのに 確証に近い感覚を覚える何か


     ―― 僕の記憶障害は 病気とかの所為じゃなくて ・・・・


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