3日目 1
Heisei 2112 - 8/17 (Sat) - 09:22 – fine
「あー・・・・暇だ」
体感温度が既に30度を越える中、紫音は帽子もフードも被らずに、雲1つ無い快晴の空の下、散歩していた。彼の独り言から分かるように、何か用事があって、その用事のために外へ出たわけではない。
では、何故出たのか?
彼は先日、某友人に「用事がある」と言っておきながら、実は大した用事も無く、そもそも用事というのも、日がな一日寝て過ごすというものだった。しかし、さすがに寝る事自体に飽きを覚えてしまい、こうして外に出てみた、と。そういう事だ。
一歩、外へ出た瞬間。紫音のためだけに快適な温度と湿度を保たれていた屋内とは、全く別の空気が紫音の体を覆った。
太陽に熱されたアスファルトに、風の無い蒸した大気。何処からとも無く聞こえてくる蝉の声に苛立ちを覚えつつ、ただゆっくり、その足を進め始めたのである。
結果は・・・・このとおり。既に持ってきたペットボトルの中身は飲み干され、しばらくは日陰の無い道を、ただ延々と歩くだけ。家に戻るのも、次の日陰へ行くのも、同じくらいの距離なのだ。
帰っても暇なだけ。暑くても、少なくとも人がいる場所へ行けば、ある程度何らかの暇つぶしが出来るだろう、という考えの下、ただただ歩く。
もっとも、そんな事を考えている内に辿り着く距離ではあったのだが。
「あー・・・・」
某電気系統の量販店。大きなビル群に囲まれた、比較的新しい大通り。その隣にある、比較的古い町並みの残った商店街の道。
今紫音がいるのは、その境目である。
大通りの片道4車線という道路や、人の通る場所が車1,5つ分の道に比べれば、片道2車線で人の通る道も自動車1台が通れないほど狭い(要は普通としか言えない道幅)のだ。
逆に、商店街から見れば、そもそも車が通る事を殆ど計算に入れず、とりあえず車が2台通れる幅はあるものの、人が埋め尽くして自転車で通るのも危なっかしい道に比べれば、いくらか広いといえるだろう。
大通りの事をニューロードエリアと呼ぶのに対し、商店街の方はストリートエリア。そして、今現在紫音のいる古いとも新しいとも言えない道を『中央通エリア』と呼ぶ。他にもこの青桐町を分けるエリア名はあるが、それはひとまず置いておこう。
「あぁ~・・・・涼しい」
某店舗の中は涼しかった。さすが、クーラーや扇風機を売っているだけあって、涼しいを通り越して、最早寒いとさえ言いたくなるぐらいだ。
「・・・・出るか」
その寒さは、紫音の敵だったらしかった。
とはいえ、外は外で灼熱地獄だ。ひとまず、何か飲み物を買わなければ始まらないだろう。だが近くにある自動販売機は、この炎天下の中、ジュースの冷たさを保っているのだろうか。
「うぅ・・・・。や、うん。それが仕事みたいなものだし、大丈夫か」
黄色い自動販売機の前でひたすら悩んだ末に、黄色い自動販売機のケース、その右端に見つけた、青白い飲み物へ四川を定めた。紫音はこの炎天下の中履いていた、くるぶし丈で深緑色のズボンの、ポケットの中にある小さい頃から使っている藤色の財布を取り出した。
取り出した、が、その口を開く事は無かった。
「あれ? 紫音? 紫音じゃない?」
「え・・・・」
財布の口に手をかけたところでかけられた声。聞き覚えのある、やけに懐かしいと感じる声。若干ゆっくりとした、それ以外には大した特徴の無い声。
紫音が振り返ると、そこには、白い前開きのパーカーを着て、そのフードを被っている、紫音から見て左に行こうとしたのであろう、その余韻がある体躯があった。
『彼』は驚いた様子で紫音の事を見つめていた。炎天下の中、珍しく吹いた涼しい風が『彼』のパーカーの裾を翻す。チャックの金具がチャリチャリと音を立てた。
黒い半ズボンに水色のシャツ。その上に半袖の白いパーカーを着た『彼』は、数秒ほどその場で硬直していた。しかし紫音の足先から頭の上まで舐めるように見ると、パーカーの所為で大部分が隠された顔の口元がかろうじて、段々と笑みを浮かべ始めた。
「やっぱり紫音だ!」
「その声、まさかとは思うけど・・・・とぅわぁっ?!」
紫音が名を呼ぼうとした瞬間、物凄い勢いで『彼』―時貞 藤黄―が跳び付いてきた。ふんわりとした甘い香りが、紫音の鼻を撫でる。
パーカーのフードが外れ、その先にある見事な金髪が、太陽の光を反射してキラキラと輝いた。
「わあぁ、わああぁ。まさか会えるとは思っていなかったよ、紫音」
「ちょ、藤黄、熱い。それと、目が回る・・・・っ!」
藤黄は紫音にしがみつくと、クルクル、くるくる、おまけにもう1つクルクルと、その場を回り始めた。しがみつかれている所為で、当然の事ながら紫音もその場で回っている。更に、この炎天下の中、人と人が触れ合うという行為がどれだけ熱いものなのか、彼等は身をもって知った。
「・・・・ごめん、紫音」
「い、いや。大丈夫」
近くの日陰に入って、紫音は某電気量販店の白い壁に手を付きながら、藤黄はやけに小奇麗な地面に座り込んで、それぞれ上がった息を整える。
「藤黄、飲み物、買う?」
「え、どこで」
紫音は先程自分の飲み物を買おうとしていた、店の近くにある黄色い自動販売機へと目をやる。しかし、藤黄はほんの少し考えて、ハッと思いついた仕草をとった。
「ねぇ、さっき良いお店見つけたから、そっちで。ゆっくり話せるだろうし、どう?」
「良いお店?」
「うん。卯の花っていう名前の」
「あぁ、あの洋菓子店」
卯の花。どう聞いても和菓子を売っている店のように聞こえる店名だが、ショートケーキやタルトやプリンなど、スイーツと呼ぶ物の殆どが揃っている。あまり人気とは行かないが、美味しいケーキが売られているのだ。そんな卯の花は、今年の冬には無くなってしまう。
紫音は、店の前に『最後の夏! 値引きセール実施中!』と書いてある旗が出ていたのを思い出す。事情を知らない人は何故最後の夏なのか、想像に妄想を絡ませる事だろう。
「さっきっていつの事だよ。あれ、そっちの道側には無いよな?」
「こっちにも色々事情があるのさー。聞いてくれる・・・・?」
座っていた藤黄が紫音に顔を近付け、右が蒼で左が翠の目を潤ませながら、下から目線の攻撃を仕掛けてきた。一体何処でそんな手法を覚えたのか、かわいい女の子が使えば大抵の男はイチコロ、の男の部分を、女に変えても使えるような、そんな雰囲気だ。
もっとも、紫音はそんな『大抵』には入らないのだが。
「はいはい、卯の花で聞くよ。聞きますよ。どうせ帰ってもやる事無いし」
その言葉を聞くや否や、藤黄は潤ませていた目を2、3回瞬きして元に戻した。そしてすぐさまクルリとその場で一回転して、後ろで手を組む。
「あれでしょ? どうせ家に帰ってもゲームとか無いし暇だな~って事で寝てみるけれども、さすがに寝る事にすら飽きを感じて、そもそも今外にいるのもその理由だし、でも暑くて暑くてもう帰ろうか悩んだ末にここまで来て帰る方が時間かかりそうだなーとか考えている内に僕に会ったとか!」
「・・・・」
「あ、あれっ。当たっちゃいました・・・・?」
藤黄は2回瞬きをした。そして夏には嬉しい冷たい風と、夏は来て欲しくない重い空気が押し寄せ、紫音達は黙り込んだ。
と、同時に、2人は路地裏で噴き出してしまった。
しばらくぶりの再会だから、というのもあるのだろう。互いに互いを確かめ、そして『予想通り過ぎる行動』を互いにとってしまえば、これ以上に愉快な話は無かった。
例えるならば、素直で単純な友人がこれから言おうとしている事を当てようと思って、あえて意外性のある台詞を選んだところ、何故かその台詞を友人が話したために、思わず失笑してしまった、という事。
これは意外性のてんでないお決まりのパターンだったが、2人が笑い出すには十分な材料が揃えられていた。紫音は、1回呼吸を整え、それから藤黄に話しかける。
「はー。相変わらず、勘が良いな、藤黄。本当、相変わらずだ。・・・・変わらない奴は尊敬するよ」
「ん、あれ、褒められた? ねえ、僕今褒められた?」
「さぁなー?」
笑顔の2人は歩き出す。とりあえず、洋菓子店『卯の花』へ向けて。
「うん、ここはクリームが美味しいお店だね」
「そうなのか? よく分からないけど」
藤黄はショートケーキとモンブラン。紫音はオレンジタルトとチーズケーキを頬張りつつ、互いの世間話に花を咲かせていた。
藤黄は、この青桐町のある島、虹尾島の中でも最南端にある黄波町から来ている。今日来ているのは父親の仕事のついで、らしい。
「どうりで。俺の方は『学校の誕生日』だから良いとして、何で平日の昼にお前がいるのか分からなかったからな、藤黄」
「父さんの仕事を手伝うって事で欠席届を出したら、こっちに来て下見をするって話になったからさ」
「下見って?」
紫音が首を傾げると、藤黄はほんの少しだけ白い生クリームの付いた銀色のフォークを、店の奥の方へと向けた。紫音達がいるのは、出入口と窓のある南側ではなく、そこから離れた北側のテーブル。卯の花ではケーキを買う場所と食べる場所が分かれており、藤黄は買う場所の奥、キッチンを指していた。
ちなみに、外にもベランダという形で食べる事の出来る場所はあるのだが、さすがにこの炎天下で、外で食べたいと言う物好きはいないだろう。いるとしても、アイスなどの冷たい物を頼んだ人ぐらいだ。
「で、何の下見?」
「えぇと、紫音なら知っていると思うけど、ここ、冬には無くなるでしょ?」
「あぁ、うん」
卯の花は、味に定評はあるものの、客足が一向に増えないという問題を抱え、今年の冬には無くなってしまう。紫音は、他の町にいる藤黄が知っている事に驚いた。
「何でこの店が無くなるって知ってんの? 店先の旗だけじゃ分からないよな」
「だから、卯の花じゃなくて、別のお店がここに出来るって話だよ」
「・・・・あ、まさか」
紫音は藤黄から漂ってきた、店内に広がるものとは少々毛色の違う甘い香りで思い出す。藤黄はとある店の跡取りである事を。
「そ、ここ、今年の冬には僕の父さんが経営する『ジョーヌ』になる、ってわけ」
「じゃ、こっちの中学に通うのか?!」
「そういう事。あ、そうだ。紫音と見た目が超似ている友達も、こっちに来るって言っていたよ」
「へぇ・・・・」
紫音は耳の先端をピクリと動かしたが、それ以外は特に意味ありげな行動をとらなかった。紫音と見た目が似ている、藤黄の友人。藤黄のほんの少しつりあがった目が紫音を見つめる。その顔には、絶えず笑みが浮かべられ、まるで紫音の僅かな動きを予測していたかのように、その笑みは怪しげに変わった。
藤黄はモンブランの上に乗せられたマロングラッセを、紫音の皿に移す。何も言わなかったが「食べても良いよ」という意味である事はすぐに分かった。
「どう、最近の調子は。病気の進行具合とか」
「病気というか、これは体質に近いって。藤黄も病気というより、体質だろ?」
紫音は藤黄の問に問で返す。タルトの乗せられた皿のマロングラッセを、フォークの上へと器用に移して口に運びながら。
「どちらかと言えば、ね。確かにそうだ。僕の心臓の弱さは、ね。けれど、紫音のそれには、ちゃんとした『ナルコレプシー』っていう病名があるじゃない」
藤黄は「あはは」と笑うと、口は笑みを保ったまま、目だけを真剣にし、顔の前で手を組んで口を隠す。その目は、はぐらかされて聞けなかった答えを待っている。
紫音は、綺麗になった皿を眺めつつ、何も入っていない口の中をもごもごと動かす。それから、藤黄から目をそらした。
・・・・明らかに、何かを隠している。
その紫音の態度に、
「まったく、萩徒 紫音という人間は、どうしてそう嘘をつくのが下手なのかな」
短く、白い腕を伸ばし、紫音の頭の上へ乗せ、
「下手なくせに、いつも平気で嘘をつくよね」
左右で色の違う目で見つめると、
「で、君のついた嘘が、どの程度重大な事柄なのか、明らかになるのはいつも手遅れの時だ」
その日で一番甘いと思われる香りが、紫音の鼻を撫でた。
「・・・・本当、手がかかる人だよ、君は」
紫音が見たアナログ時計の針は『AM11:49』を指していた。
けれども、彼が次に目を開けた時、時計の針は・・・・。
藤黄君も結構重要です。




