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2日目 2

「――ふあぁ・・・・」

「ちょっと紫音! 聞いているの? ・・・・それで、僕の説明を聞いたみんなが感心してくれてさ。何か僕のイメージってクールとか無愛想っぽいとかだったらしくてさぁ」

「あ、私もそうですね。何か、もっと大人しそうで高貴そうなイメージだったって言われてしまいました。へ、変でしょうか?」

 茜はその疑問を、後ろで大きく欠伸をしていた紫音に投げかけた。なげかけられた紫音の方は、眠気眼をこすりつつ、小さく首を横に振る。

「良かったぁ・・・・」

 一見すると無反応に近いぐらいに小さな動きだったのだが、茜はしっかりと動きを捉えていた。

 そんなホッと胸を撫で下ろす茜の隣で、白亜は何か言いたげにソワソワしている。視線を茜と紫音へ交互に移し、落ち着かない様子を「気付いてください」とでも言わんばかりに見せてくる。

 ほんの一瞬、紫音はその、あからさまな白亜の態度に呆れ、無視しようとしてしまった事は、当然の事ながら、彼等には秘密だ。

「何、白亜」

「あ、うん。えぇと、明日って休み、でしょ? それで、予定の事なんだけど・・・・」

 明日。つまり、8月19日は、青桐高校の創立記念日(通称学校の誕生日)で、高校生は全員休み。各々自由に過ごす事の出来る日だが、茜と白亜は特にこれと言ってする事は無く、普通の休日も、放課後でも、休みであれば紫音と共に過ごす。・・・・というのが、それまでのパターンだった。

 紫音はいつもどおりの言葉が出てくるかと思いながら、白亜の言葉の続きを待つ。

 しかし、白亜からは、いつもどおりとは言えない言葉が飛び出してきた。

「実は、明日、今日知り合った・・・・あぁ、いや、友達? と、過ごす事になって、さ。一緒にいられなくなっちゃって・・・・」

 白亜は顔を赤くしながら、小さく言った。その赤さが、まだほんの少し高い空にある夕日から零れた光のものか、それともはくあの顔が本当に真っ赤になっているのか分からないぐらいに、赤かった。

 紫音は驚いた。白亜の顔の赤さにではなく、白亜の発言に。小学生の頃から、決して両親や茜と紫音以外の人間という人間に近付こうともしなかった白亜が、他の人間と会うどころか、一日を過ごすと言っているのだ。白亜は決して一日過ごすと言っていないが、白亜の事だ、午前中、午後からでも、紫音と過ごそうとするはずなのだから。

「え、白亜君もですか?!」

 と、白亜の発言に、茜も驚いた。が、それは紫苑の覚えた驚きとはまた違う驚きのようだ。白亜君『も』という事は、茜も、紫音達以外の人間と約束事があるという事なのだから。

「実は、私も先程約束が入りまして。・・・・あ、という事は、明日は・・・・」

 茜はハッとしたような顔になったと思うと、心配そうな表情をし始める。その表情の意味が理解できたのか、白亜も心配そうな目を紫音に向けた。

(・・・・あぁ、そういう事か)

 心配そうな目線を向けられた紫音は、小さく溜め息をつく。

 彼にとって、茜と白亜の心配事は『心配ご無用』の言葉が使える事柄だった。

「大丈夫だよ。俺は俺で用事があるから」

 そう、紫音はニッコリと微笑んだ。


 ―― 白亜は、その時見た紫音の笑顔が、ひどく寂しそうに思えた。

    振り返れば、まだ紫音の背中が見えたあの時、あの場所。

    何度も振り返って、その一瞬一瞬の印象が強いように思えた。

    ふと、誰かが「世界が終わる前日は何をして過ごすのか」と聞いて回っていた事を思い出す。

    ・・・・白亜は、苦笑を浮かべた。


    ―― 『あの時』 まるで 世界が終わる前の日みたいに 全ての光景が心に刻み込まれたんだ



「ちょっと、お兄ちゃん?」

「何」

「邪魔」

「おぅ・・・・ちょっと待て・・・・って、おぅふ?!」

 萩徒家。2つ違いの妹―萩徒ハギト 彩芽アヤメ―は、黄色いソファでうなだれていた紫音に一発の肘アタックを繰り出していた。

 運動神経の良い彩芽は、紫音の自慢の妹だ。今のは的確に背中のツボを押しただけで、それほど力は入れていないのだが、紫音は相当痛がっている。それに対し、彩芽は少々反省しつつ、細い人差し指で紫音の頭をつつき始めた。

「お、おぉ、大丈夫。今どけるから・・・・」

「や、どけなくて良いよ」

「えぇ~・・・・」

 動かしかけていた体から力を抜くと、より一層疲れてしまう。紫音は先程よりも疲れた様子でベッドにうなだれた。

 紫音は睡魔に襲われていた。故に、普段よりも体が重く、動きたくないと言う衝動が人一倍強くなっていたのだが、かわいい妹がソファに座りたいと言ったので、どこうとしていた。そして、それが中断された。今はそんな状況である。

 小学5年生の彩芽は、ソファの下でちょこん、と紫音を見つめながら座っていた。

「・・・・どした?」

「ん、何でも無い。・・・・ねぇ、お兄ちゃんさぁ」

「?」

「何か、昨日よりも寝ている時間、増えた?」

 彩芽は心底心配そうに、真剣に訊ねた。目を大きく見開き、紫音を睨むように見つめ、口を引き結びながら。その目に、涙を浮かべながら。

 紫音は呆然とする頭を揺り動かして、意図的に笑みを浮かべた。


 どうせ『心の中は読まれてしまう』のだが。


「・・・・彩芽、ジュースか何か、持って来てくれない?」

「ふぇ?」

 彩芽は、何とも間の抜けた返答をしてしまう。

「ジュースだよ、ジュース。冷蔵庫に何かあっただろ」

「ふぇ、え? あ、ジュースっ?」

 彩芽はパタパタとせわしなく、腕を鳥の羽のようにばたつかせた。急な話題の転換に、彩芽の思考速度が付いて行けていなかったのだ。

 彩芽は身体能力で言うところの『反応』は早いが、精神面で言うところの『反応』は遅い。本能で行動している部分が多いためなのか、彼女はどうも、考える事に対してあまり関心を示さない。記憶力は良い方なの、で暗記すれば良い部分はテストで点数が取れるが、応用問題となると・・・・壊滅的だ。

 壊滅的といえば、彼女にはもう1つ、欠点とも言うべき点がある。彩芽は掃除、洗濯、その他諸々の家事の全般をこなすが、ただ1つ、料理だけが『ダメ』なのだ。

 以前、紫音が眠っている隙に卵焼きを作って、紫音を喜ばそうとした時があった。その時、それがそもそも食べられる者なのかも分からない物質になったのには、彩芽以外は料理が得意だった家族全員が絶句してしまった事がある。

 その彩芽に、紫音は「ジュースを持って来てくれ」と頼んだのだ。もっとも、当然の事ながら、ジュースをグラスに注ぐだけであれば、それは料理と言えないのだが。

「う、うんっ。作ってくる」

 という言葉から、おそらく、彩芽の中で「ジュースをもって来てくれ」という紫音の言葉が、どういう訳か「ジュースを作ってくれ」という言葉にすり替わっている様だ。

「・・・・まぁ、良いか?」

 それに気付いていながら止めないのは、妹だからなのか、はたまたジュース程度で変な物は出てこないだろうという思考のもとなのか。そもそも、冷蔵庫の中にあるジュースがオレンジと苺。果物としてブドウとレモンがある。全部入れたとしても、飲めない代物ではないし、むしろ美味しそうだ。

「お待たせ、お兄ちゃん! オレンジジュースだよ~」

 どちらにせよ、その考えが間違いであった事は、すぐに分かる事だった。

 考えても考えても、オレンジジュースをグラスに注ぐだけで、10分も20分もかかるものだろうか?

 透明なグラスの中に見えたのは、どう考えても、オレンジジュースとは家に色の液体だった。

「――に、コンデンスミルクと苺ジュースを入れて、で、ブドウの果汁を搾ってさー」

 トレイに乗せられたグラスの中から、カラン、という涼しげな音が聞こえてきた。それと同時に紫音の耳に届いたのは、ホッと胸を撫で下ろすには十分な情報。

(なるほど、だから時間がかかっていたのか・・・・?)

 いくらか疑問は残っているが、紫音はとにかく、ホッとした。

 そう、まだ疑問はある。オレンジジュースらしからぬ白みはコンデンスミルクの物だし、仄かな赤みは、甘酸っぱい苺ジュースの物だろうし。ただ、苺ジュースは、鼻を刺激するほど酸っぱい香りだったか、そういうのは別の問題なのだ。

「フルーツミックスジュースかぁ」

「お兄ちゃん、最後まで聞いてよ」

 彩芽は、グラスを取ろうとする兄から、トレイごと遠ざける。

「・・・・まだ何かあんの?」

「そもそも苺は、木になるわけじゃないから果物じゃなくて野菜だし。それと隠し味にレモン果汁を少々、ね。えへへ、美味しいと思うよ、自信作だもん!」

 正直言って、この妹の料理に対する自信はアテにならないという事は明白だ。

「それでね、私にしてはかなり上手く出来たから、他にも隠し味を入れようって思ったの。それで、最後にブロッコリーと熟成黒ニンニクを入れて――」


「最後に何入れてんだお前はああぁああーーーっっっ!!!」


 彩芽は「ぴゃっ」とかわいらしい声を出しながら、体をビクリと震わせた。トレイの上で、グラスが一瞬だけ浮いてしまう。だが、そこは彩芽の運動神経が活きた。彩芽自身はそのまま後ろにこけてしまったが、トレイの上のグラスは、中身が少し揺れただけで、一滴も零れなかった。

「く、黒ニンニクは甘いよ? 確か、蜜柑の10倍だったか5羽意だったかの糖度で。お兄ちゃん甘いのが好きじゃん!」

「そういう事じゃない! あぁもう、お前もあの変な味覚の持ち主なのか?!」

「むっ、失礼な! 私、白亜さんや茜さんとは違ってみかくはしっかりしてるし!」

 決して白亜や茜という固有名詞を出したわけでは無いのだが、2人の中で「味覚障碍者」というミーワードで検索した人物があの2人である事は間違い無い。

「・・・・」

「あ、一応、その、味見はしたよ? 美味しかった、けど」

「いや、うん。それは分かるけど」

 ストローが無い場合、グラスの縁に付いた半円の跡は、既に誰かが中身を飲んだ証拠である。

 紫音は深呼吸をした。思えば、ブロッコリーは少量であればあまり味がしないし、ニンニクはニンニクでも熟成させて黒くなったニンニクは、甘くて臭みが無く、辛くない。むしろ果物のようで、おやつにしても良いぐらいだと聞いていた。

「・・・・ふぅ」

 味には問題が無いだろう。

 いざ。

「・・・・」

 紫音はとりあえず、グラスの中身を飲み干した。

「ど、どう?」

「・・・・」

 紫音はとりあえず、空になったグラスを、背の低いテーブルに置いた。

「あ、あれ? お兄ちゃん?」

「・・・・うん、美味い」

「良かったぁー・・・・って、お兄ちゃん?!」

 紫音はとりあえず、視界が90度傾くのを黙って見ている事にした。

 そこから先、その日の紫音の記憶は無い。

 あったのは、次の日の朝、ベッドの上からだった。

 ―― お兄ちゃん・・・・寝ちゃったみたいだね

・・・・大丈夫かな

大丈夫 だよね?

大丈夫だって 信じたいなぁ・・・・

だって

だって お兄ちゃんは



―― 『病気』 なんだもん


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