もう戻れない日常
「あは、あはは。私ってば、GAME OVERかぁ・・・・。まぁ、良いケドねー・・・・」
俺の目の前で仰向けになっている、真っ白な少女。髪は乱れ、半分ほど虚ろになった目だけが俺を写す。
何故か、鏡を通した声よりも、先程まで聞こえていた声よりも、少女の声は、か細く、そして優しげで。まるで、最初に会った時の、明るい声だ。
少女、インウィディアと俺は、彩芽の気絶している場所から七百メートルも離れた場所にいた。俺は移動した感覚が無かったがインウィディアがワープという魔法とやらを使ったそうだ。
・・・・今頃魔法と言われても、それまでに驚く事が多すぎて、驚けない。というか、あの巨大で奇妙な姿を見せられて、今更魔法やら呪いやら言われても、驚けと言われる方が無理な話だ。それほどまでに、彼女の力は常軌を逸していた。
「まったく、好きな人の安全確認してから戦えってぇの、バァーカ・・・・」
「面目無い」
意外な事に、彼女は彩芽から離れるという心遣いを見せてくれていた。彩芽を狙ってやっているものだとばかり思っていたが・・・・結局、こいつの目的って何だったのだろう。
「君が考えている事、分かるよ。私が、何をしたかったのか、だよね」
少女は、か細く、本当に弱々しい小さな声で問う。その姿は先程の巨体と打って変わって、最初に見た白いワンピースに、細い体躯。そして少々小柄な姿。
そして・・・・その身体から、白い胞子のような物が上に昇り、消える。そしてそれが消える度に、少女の、ただでさえ薄い色素が、更に薄くなっていっている気がした。
「私はね、この世界にある『歪』を正す為に動いていたの」
「ひずみ・・・・?」
俺がインウィディアの放った言葉を繰り返すと、彼女は小さく、力無く頷いた。
「それはある時期に生まれ、そして今も尚世界に残っている。それを直し、正す為の存在が私達《道化師》だ、って。言われたの」
言われた、という事は《道化師》というのは組織なのだろう。そして、彼女はその1人と。
「私は、ただ言われただけ。君に取り憑き、君の近くにある『歪』を正せ、ってね」
「俺の近くにあるのか?!」
「うん。それは、君のすぐ近くにある。とっても近くに、ね」
驚いた俺に対し、インウィディアは、小さく、無邪気に、クスクスと笑い始めた。
「・・・・でも、初めて君を見た時、何か、任務とかどうでも良くなっちゃった。だって君は、私にはまね出来ないぐらい、凄く、がんばっていたから・・・・」
言葉の後半、インウィディアは疲れた様子で目を伏せた。だが、キュッと口の辺りに力を入れ、再び、優しい笑みを浮かべ、俺に手を向けた。
「さっき、言ったよね? 私、君と同じ名前だ、って」
「嘘、なのか?」
「まさか! 嘘なんて吐いていないよ。君に吐く理由も無いし、そもそも吐いたっていずれ分かる事だし。隠しても意味の無い事をわざわざやるような子じゃないですよ、私は」
そうして、隣で胡坐をかく俺の手に、消えかかった手を重ねる。
その色が薄れた手は、暖かく、小さい。
「私、君の事だったら何でも分かるよ。君は本当に彩芽の事が大好きなんだって事も、私に対して、悲しいとか、寂しいとか、勝利の喜びすら全然感じていない事も、ね」
「・・・・ごめん」
彼女の言った事は、本当だった。俺は、彼女に対して何の感情も抱いていない。思えば、インウィディアが現れてから、彼女に対しての感情は何一つ抱いていなかったように思う。
インウィディアの言われるままに告白してしまったあの時。あったのは後悔と羞恥と、ほんの少しの心配と。そして、自身に対する苛立ちのみ。・・・・悩む原因を作ったはずのインウィディアには、恨みとか、そういう感情を、全くと言って良いほどに感じていなかった。
「いやいや、それは当然の事なのだよ、ワトソン君」
「またそのネタか」
半ば呆れたような調子で言うと、何がおかしかったのか、インウィディアは再びクスクスと笑い出した。楽しそうに、そして、寂しそうに。・・・・とても、無邪気に。
「・・・・。君は気付いているはずなのだよ。いや、気付いていなければおかしいと言うべきか。私が君の事を理解するように、君も私の事が理解できると」
「俺が、お前の事を理解できる?」
「そう。あるいは君がその事実から一方的に目を逸らしているだけ・・・・ふふっ。これだから『欠片』を見るのは面白いと言うのに、『あいつら』はそれを分かっていない」
先程と打って変わって怪しげに笑うインウィディアの身体は、殆どが消えてしまっている。もう、声だけが響いているのと同意で、目の悪い人間であれば、ただ光が話しているようにしか見えないだろう。
「まぁ、いずれ分かる事だよ。きっと遠くない未来。それが明日なのか、はたまた1、2年後なのかは分からないけれど。決して遠くは無い。近くも無いかもしれない未来に、君達は知る事になるよ。私達の事を。既に時代遅れの身となった《道化師》の存在を、ね」
自分が消えかけているというのに、彼女はずっと笑っているだけだった。真っ黒なアスファルト。そこに散らばる白い布の欠片も、燃えるかのように少しずつ、小さくなって消えて行く。
「いずれ分かる事なのだよ」
消えて行く身体のまま、彼女は言う。
「それでも早く知りたいというのであれば」
もうそこに『身体』というものは存在していないのに、語る。
「君の近くにも、専門家はいるのだよ。例えば・・・・」
そして、おそらく、俺にだけしか見えない彼女の指は、俺の真後ろを指していた。
この世界には不似合いな、色のある者を。
俺が知る限り、その場所にいてはならないはずの人物を。
その時、俺は。
―― この物語が、もうとっくの昔に始まっていたものである事を、知った。
これにて那由他君終了。おつかれさまー。




