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カエルベキセカイ

 そこだけ、時が止まっていた。


 公園の入口。

 他よりも濃い紅のポストの横。

 白銀色の片手銃を、両手で構える彩芽。

 それを無表情で見つめ、レイピアを構える、何故か瞳を紅く光らせる俺。

 その2人の間に入ろうとしている、藤黄さん。

 俺が成すべき事は、ただ1つだった。


 ―― 停滞している時へ 『俺』へ 手を伸ばす


 バチリ、と、まるで電気が走った時みたいな音が聞こえてきた。

 それまで軽かった身体が急に重くなり、足から力が抜ける。

 そして目の前に、それまで鏡やガラスに映っていただけの少女が、現れる。

 まるで、誰かに押されて転んだかのように、道路に座り込み、背を向けている、

 彼女の名はインウィディア。・・・・嫉妬という名を持つ、悪魔。

「ふふ、ふふふっ。悪魔? 違うなぁ。私は言ったはずだよ、自分は天使だと」

 鏡を通して話していた時よりも、ハッキリとした口調。

「分かるかなぁ? 確かに私は、私達は、悪魔でも無ければ天使でも無いけれども」

 その顔は、無邪気なあの時の笑みとは違い、邪悪で、怪しげ。そして、明らかにこちらへ敵意を剥き出しにしていた。

「・・・・お前は、何だ。俺は、こんな事がしたくてお前といたわけじゃない」

 そう言うと、インウィディアはクスクスと笑い始める。邪悪な笑みはそのまま、無邪気にしか聞こえない声で。

「そりゃそうだよ。そもそも、私、愛だか恋だかのキューピッドとは言ったけど、別に、貴方の願いを叶えてあげます、なんて神様みたいな事、言っていないもん」

 インウィディアはクルクルその場を回転する。そして回転しながら、ふわり、と、宙に浮いた。

「お前は一体何者だ!」

「私は嫉妬 嫉妬の道化師インウィディア そしてまたの名を ――」


「 ―― 那由他 ―― 」


 怪しげに笑みを浮かべた少女の答えに、俺は唾を飲み込んでその驚きを返した。

 俺と、同じ名前。ふざけているわけではなさそうで、そもそもふざける理由が無い。

 そんな事を考えている内に、彼女の真っ白なワンピースは、彼女と共に人ならざる者へと変化していた。

 背から真っ白な、一枚布の、向こう側が透けて見えるほどに薄い翼がはえる。

 太股の半分までしか無かったスカートが足を覆い、大きなバルーン状に膨らんで体を押し上げる。

 その球状に膨らんだスカートは、近くにある5軒ほどの家を、土砂崩れのように押し流し、潰す。

 修道女が着けるウィンプルのような部分が、かろうじて人のような顔の目から上を隠している。

 その身体や顔でさえ、足と膨らんだスカートの部分を除いて、3mはある。

 服の裾部分はかなり長くなり、片方だけで10mは余裕で越すであろう大きさ。

 その裾は本体から離れるにつれて次第に幅が広くなっている。

 縦の全長は、おそらく、30mほど。

 横の全長、つまり攻撃範囲は、直径25m弱の円状。

 身体のような部分を除けば、それは全て、布だけで出来ているかのように見える。

 包まれれば眠ってしまいそうな、フワフワした見た目だ。

 その姿は、危機的状況でなければ、何も知らない第三者の目線で見れば、ウェディング姿にも見える。

 しかしその柔らかそうな物体が、近くの家を崩壊させるほどの力を持っている。

 俺の手には、細身で漆黒のレイピアが握られているだけ。

 相手は明らかに敵意を放っており、今にも襲い掛かってきそうだ。

 その敵意は、昔親に連れられて行った野生動物だらけの場所で見た、飢えに苦しむライオン以上。

 確かに剣術や剣道には、彩芽と競っていた事もあるから自信があるけど・・・・勝てる気はしない。


 ―― だが、不思議と、負ける気もしない。


 ゲームで言うところの『ラスボス』であろうインウィディアは、不敵な笑みを零した。

『うふふ、うふ。君は、ギギ、キケン。ダだから、コワス。コこ、コワして、も、も、もうい、モウイチドやり、やりり、ヤリナオス』

 壊れた機械のように、言葉がおかしくなったインウィディア。だが、彼女がやりたい事と、俺がやりたい事。その2つの道は、一度は交わったが、今は、その、交差点を過ぎた辺り。


 つまり、もう――


「ア、アアァハ、ハハ、アハハァアハ、アァハハアハハァアアアアアァァ・・・・」

 奇妙な笑い声、いや、鳴き声なのか、既に人ではなくなったインウィディアは、大きな声を、空の向こうまで飛ばす。

 ・・・・その声は、運動会の競争でよく聞く、ピストルの引き金となった。

 それに合わせて、俺は、前に蹴る。

 レイピアの切っ先を、今は人と言える部分が随分と少なくなったインウィディアに向ける。

 インウィディアは長い、蛇のような動きをする腕らしき物をこちらへと飛ばしてくる。

 それ自体が10mはある上に、レースの付いた先端は、横の幅が3mほどもある。

 見た目が柔らかそうなそれは、周りにある家やら電柱やら、とにかく壊す。

 だが布には違い無いのか、えらく鋭く、丹念に磨かれた細長いレイピアは、いとも簡単に切ってしまう。

 そして切った途端、インウィディアの口が大きく歪み、声とも言えない奇怪な音が漏れた。


「ガアアァアアァアァァアッッッ!!!」


 腕(そもそも腕なのかも怪しいが)を切られたインウィディアは、例えようの無い悲鳴をあげる。

 あえて例えたとするならば、そう・・・・。

「嫉妬に狂った、少女、か」

 インウィディアの狂気に満ちた目が、こちらを向いた気がした。

 俺からインウィディアの目など見えるはずも無いのに、向いた気がしてしまった。

 その時・・・・。


 ―― 俺はまるで、この展開と行動を予測していたかのように、次の行動を選択し、決定する。


 高さが20mを余裕で越えている、大きなスカート部分を駆け上がる。

 ブヨブヨと硬いスライムのような感触が足から伝わり、思わず不快感と苛立ちを覚える。


 不快感は、足に伝わる気持ち悪い感触に対して。


 苛立ちは、まだ何処と無く決意をしきれていない自分に対して。


 手に伝わってきたのは、少なくとも、これは布では無さそうだ、と思える感触。

 そう、まるで・・・・。

 いや、こんな事を考えている余裕が、俺にはまだ残っているらしい。

 相も変わらず、インウィディアはただ、ただ泣き叫んでいた。

 ノドが潰れたりしないだろうか、そんな心配をするほどにけたたましく、五月蝿かった。

 幸いにも、切った部分が再生するというラスボスのお決まりは無いようで、助かる。

 ふと見たインウィディアの口は、笑っていた。

 俺がたくみに攻撃をかわす姿が面白いのか、はたまた何も考えていないのか。

 大きく広がる翼が、腹から上だけしか出ていない本体らしき部分を覆い隠し、守りを固める。

 俺は、その布を切り捨て、その先にある、自分よりも大きな本体を目で捉える。

 映ったそれは、腹から上だけしかないというのに、俺より大きい。

「・・・・ごめんな」  

 何故か自然と出てきた言葉は、何に対して謝っているのか、どうも自分でも分からなかった。

 途端に、それまで奇怪で不快感を煽るような叫びをあげていたインウィディアが静かになった理由も。

 ズブリ、と、鈍い感触があっても、それほど主だった感情は生まれなかった理由も。

 そのまま横にレイピアを払い、そこから出て行く液体が何であるかも。



 ―― 最期、インウィディアが、とても安らかな笑みを浮かべた理由も。


 カエルがどちらの『かえる』であるかは、ご想像にお任せします。

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