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お砂糖

 萩徒家は1階、2階、屋根裏部屋の3層に分かれている。玄関から奥に見えるのは階段。その右にダイニング、左にリビングがあり、俺は萩徒家に漂うラベンダーの香りが濃いリビングへと通された。俺は見慣れた黄色い横長のソファに腰掛ける。

 おそらく、俺がリビングに通された理由は、ダイニングが今、とんでもない事になっているからだ。あの錬夏の様子を見れば一目瞭然。入りたくも無い。

「あ、お茶出すよ。お茶。何が良い? さすがに冷蔵庫の中まで被害は拡大していないから、普通のお茶が出せるけど」

 確かに、砂糖が散乱している中でわざわざ冷蔵庫を開ける奴はいないだろう。開けるとしたら、手やら服やら洗う為の、蛇口の栓だ。

「じゃあ、あるなら麦茶。無ければ烏龍茶」

 俺は、大抵の家庭にありそうなお茶の名前を言った。まぁ、俺の家には水という選択肢しか無いのだが。今はお茶を煮出すときに必要となるティーパックが無いのだ。

「あー・・・・、じゃ、コーヒーで」

「あぁ、コーヒーね、コーヒー・・・・」

 俺は、キッチンが部屋の中にあるダイニングへと向かう錬夏を見送った。

 ・・・・と、その前に。


「ちょっと待てぇいっ!」


 錬夏は廊下に出る手前で、思い切り転んでしまう。ただでさえ砂糖の所為で廊下が滑りやすくなっている上に、真新しい靴下をはいており、更には元々抜けたところのある奴だからだろうか。

「い、いきなり驚かさないでよ・・・・」

「いやいやいやいやいや! ここはつっこまない方がおかしいだろう?!」

「だ、だってだって、麦茶はさっき飲んだので終わりだし、烏龍茶は彩芽が朝飲んだので終わりだったからあとは紅茶かコーヒーしかない――」

「だったら紅茶を先に言えよ! 俺はいつから紅茶嫌いになった?! というか、コーヒーって何だよ! 紅茶には『茶』が付いているのにコーヒーには付いていないだろ! 何で紅茶よりも先にコーヒーを出したんだ?!」

「あうぅ。だって、那由他君って、コーヒー好きみたいな顔、しているじゃないか」

 しているのか? というか、コーヒー好きみたいな顔って何だ?!

「うぅ。分かった。砂糖はまだ無事なのがあるし、紅茶、淹れて来る。5分ぐらい待っていてよ」


 ~ 5分経過 ~


「お待たせ。足りなかったら言ってね」

 ラベンダーの香りには気分を落ち着ける効果があると聞いた事がある。本当なのかは定かではないが、俺は今、少なくとも落ち着いていた。5分間無心になった所為もあるだろうが。

 錬夏は紅茶と一緒に、トレイでクッキー入りの皿を運んできた。俺は出されたクッキーを口に含み、甘さの抑えられた紅茶を飲む。

「えぇっと、それで、那由他君。用件は?」

「え?」

 何処からとも無く香ってくるラベンダーの香り。それを僅かに打ち消す紅茶の香り。紅茶と共に口に含んだ瞬間甘さが体に染み渡るしっとりサクサクとしたクッキー。

 此処には、落ち着く要素が多すぎた。

「・・・・あぁっ! そうだった!」

「忘れてたの・・・・?」

 短い時間で色々ありすぎてすっかり忘れていた。そうだ、そうだった。俺は彩芽を探しているのだった。時計を見ると、既に5時半を大幅に過ぎていた。そろそろ帰ってこなければ、辺りが暗くなって、女の子には危ない夜道になってしまう可能性がある。

 まぁ、彩芽はそんな危険、スカートである事を気にもせずに繰り出す強烈な一蹴りで解決してしまいそうだが。というか、あいつはハーフパンツを着込んでいるし。

「そうだ、そうだった。彩芽だよ、彩芽!」

「彩芽? 彩芽ならまだ帰って来ていないけど」

 錬夏はトレイを両腕で抱えたまま、キョトンとした顔でそう言った。

「それは分かるよ。お前、俺がインターフォン押したら、真っ先に彩芽を呼ぶだろ。俺が聞きたいのは、彩芽が何処に行ったのか、だ」

「彩芽が行くところ? やっ、行きそうなところか」

 錬夏は首を傾げる。キョトンとした顔から何か難しい事を考える顔に変わった。おそらく俺が無心でいた5分間で着替えたのだろう、藍色のスクールセーターと、比較的スッキリとしたシルエットの白いチノパンを履いて、更に、水色のエプロンを着ている。

 そんな姿の錬夏は、1分ほど考えたが、何も思い浮かばないようで、一気に力を抜いてパタリと倒れる。その口から「ぅう~・・・・」という呻き声が出るおまけ付きで。

「ごめんなさい」

 そして勢いをつけて座り直し、そのまま正座で土下座のポーズ。

「あ、や、いいよ。お前が分からないなら俺が分かる訳がないから、ただひたすら探す手段に変わるだけ。気にスンナ」

「うぅ。ごめんよ。せめて彩芽の行動を日がな一日見つめていられたら、行動パターンとか分かるのだけれども。さすがにそれは、ね。僕、彩芽と違う校舎だし」

 そうだ、こいつは記憶障害の持ち主だから、普通に俺と同じ中学校に通っているわけじゃない。あの水色の壁の校舎、養護学級に通っているのだ。

 当然、俺達の行動は把握できない。彩芽が今何処で何をしているのか、時間割は分かっても、授業中にお喋りしたとか、居眠りしたとか、急なテストで満点を取ったとか、外での100m走で俺と互角だったとか分かるはずが、ない。

 聞いた俺が間違いだったのだろうか。いや、兄妹だから分かる事もあるだろうし、聞くこと自体は間違えていないはず。

「帰ってきたら那由他君が探していた事、伝えておくよ」

「頼む」

 本当、髪の色が同じだったら、彩芽と見間違えそうな容姿だ。変声期を知らないのか、まだ声は低くなっていない所為もあり、彩芽の声真似が出来る。逆に彩芽も錬夏の真似が出来るから、後ろから話しかけられる度にすぐどちらなのか確認する癖が付いてしまったぐらいに、似ているのだ。

 そんな事を考えつつ、俺は再び外を探す。錬夏達の家から学校方面、右の道へ走り出す。既に6時を回っていて、空は夕暮れ色に染まっており、端の方は藍色になりかけていた。その空に君臨する黒い羽が、気味悪いくらいに何枚も落ちていて、おそらくその持ち主だろうあの鳥が、かなり五月蝿い。

 左の方から注がれる赤い光に思いを馳せながら、俺は走る。影が右斜め後ろに伸び、自分より背が高くなっていた。

 俺は道の右端を走った。だから、自分とちょっとしか丈の変わらない壁の向こう側を、気にしなかった。気にしていれば、おそらく、この後の気苦労はなかっただろう。

「ぅおっ?!」

「わ、わっ?」


 ドザッ


 耳に届く、何かが落ちた音。声の主は俺のよく知る人物だったのだが、落ちた物の正体があまりよく分からなかった。ドサッ、とかドカッ、とかなら、何が落ちたのかある程度予想はついたのに。

 ぶつかった。おそらく道の左端を歩いていた「あの人」と。ぶつかった音の所為で、上に走っていた電線に何羽か留まっていた鴉が一気に飛び立った。カーカーと五月蝿いのは、ぶつかる前と同じだ。そして俺はあの人にぶつかった瞬間、後ろへしりもちを付いて、目をぎゅっと瞑ってしまっていた。

 あの人は予想外の事態でも冷静に対処するから、俺みたいに無様な転び方はしないだろう。が、万が一にも転んでいたら、少し怖い事になりそうだ。

 俺は恐る恐る、目に入れた力を解いていく。

「大丈夫、那由他君?」

「・・・・は、はい、藤黄さん」

 そこにいたのは、夕暮れに金色の髪を濡らす黒い半袖パーカー、白い長袖シャツ、深緑のカーゴパンツを履いた、時貞 藤黄さんその人だった。2つ年上の、でも背丈はそれほど変わらない、そんな人。

 藤黄さんは手を伸ばしてくれていた。俺はしりもちを付いてから2、3秒で目を開けたのだから、これは転んでいない人じゃないと、おかしい光景になる。良かった、転ばなかったのか。

 俺は藤黄さんの手を借りて、その場に立ち上がった。

「良かった、ケガは無いみたいだね」

「それはこっちの台詞です、藤黄さん。ケガがなくて何よりです」

「あ、うん。ケガはないけど、ちょっと、被害がね」

「え・・・・あっ!」

 見ると、藤黄さんとぶつかった信号の無い一車線の交差点に、真っ白な粉がぶちまけられていた。多分、今錬夏が掃除しているのであろう大惨事と光景が似ているはずだ。何故なら、この甘い上品な香り、砂糖でしかありえないのだから。

 この香り、確か藤黄さんが個人で愛用している、夕波島―ユウナミジマ―の特産品、幽霊砂糖の香りだ。品種改良で真っ青なサトウキビが取れるようになってしまって、その青みが幽霊のいる墓場に雰囲気が似ていたから、こんな名前になってしまったそうだ。

 スッキリとした甘みと、何故か旨みが凝縮されているという、一風変わった砂糖。使いどころがあまりにも制限される為、愛用者は少ない。一般家庭には向かない貴重な砂糖だ。

 使いこなす事の出来る人の一人が、この、高校一年生の藤黄さん。この島には、他に使いこなせる人どころか、買う人も少ないから、売られている店が一店舗しか無かった気がする。

「すっ、すすっ、すみません! 買ってきます!」

「え?! いや、半分もあれば十分だし、大丈夫だよ!」

 右が蒼、左が翠の瞳で見つめられる。他にも色々買ったらしく、茶色い紙袋はパンパンだ。5kgの砂糖だけは別のビニル袋で持っていたらしく、俺と衝突した衝撃で、砂糖本体の入っていた袋が紙製だった所為もあり、この、見るも無残な光景が広がってしまった、と、そういうわけだ。

「那由他君、何か急いでいるっぽいから大丈夫。半月後にまた買いに行けば良いだけだし」

「そ、そんなわけには・・・・」

 藤黄さんには色々お世話になっている。何故か藤黄さんを嫌っている彩芽には分からないだろうが、学校で昼休みに錬夏が持ってくるお菓子は、朝、藤黄さんが密かに錬夏に渡しているものだし、いつも何気に、良いタイミングで彩芽の暴走を止めているのも藤黄さんだし。

 それに彩芽が気付いているのか気付いていないのか、実のところよく分からない。彩芽は、他の人が考えている事を読む力がある。が、本人は周りに、考えている事を全く表に出さない。分かりやすい奴ではあるが、変なところで不器用な人間なのだ。

 特にこの3年間。あいつはどこか、それまで以上に本音を心の内にしまっているような、そんな気がしてならない。前は錬夏以上に泣き虫だったくせに。

「・・・・や、やっぱり買ってきます」

「え? うぅん・・・・」

 藤黄さんは黙り込んでしまう。どこか困っているように、でもあまり困ってなさそうな感じで。

 そんな藤黄さんは、チラチラ俺と紅い空を交互に見ては地面やら傍にある塀やらを眺め見る。

 俺はそんな藤黄さんに、睨みに近い目線を送っていた。

「・・・・はぁ」

 どれくらい経っただろう、長いとも短いとも言えない一つの風が通り過ぎた時、藤黄さんは途端に溜め息を漏らした。その顔には、優しい笑みが浮かべられている。

「じゃあ、頼もうかな。確か2kgの注文も出来たはずだから、買ったら僕の家・・・・『ジョーヌ』に持って来てくれないかな」

「はい! じゃあ早速」

「待った!」

 走ろうとした途端に止められて、俺は危うく、再び地面に、しかも今回は前から転ぶところだった。

「・・・・お金ぐらいは払わせてくれ。というか、結構急いでいたけど、僕が代われるなら代わろうか? や、出来ないなら諦めるけど」

「え、あー・・・・」

 俺は心の中で頭を抱え始めた。

 俺は彩芽以上に頭の回転スピードが遅いからな・・・・。えぇと、藤黄さんに俺がぶつかって、で、藤黄さんが愛用している砂糖(新品)を路上にぶちまけてしまったと。で、俺は代わりの砂糖を今、買いに行こうとして、そのお礼として藤黄さんは、俺がしている事を代わりにやってくれようとしている、と。

 ふむふむ。


 ―― つまり、それって俺がお詫びをしようとしている意味が無くなっているのではないだろうか。


 丁重にお断りしておこう。この人は錬夏と違って何でも「良いよ良いよ」で通す人だし。

「あの、お言葉ですが・・・・」

 と、俺はそこまで言って、言葉を止める。というよりも、遮られて、止めざるを得なかった。急に藤黄さんが口を開いて、言葉を紡ぎ出したのだ。

「なる程ね!」

 と、大きな声で。人の話は聞いてほしいものだ。

「つまりはさ、彩芽ちゃんと何かでもめて、それで謝ろうにも彩芽ちゃんが何処にいるのか分からず、家まで行ってみたがおらず、錬夏君に聞いても分からなかったし、もうそろそろ暗くなるから早く探そうと焦り始めた時に僕に衝突してしまってもう空が暗くなりかけている。早く砂糖を買って、一刻も早く探し出さなければ、と。そういう事だね?」

「今の間で俺何か言いました?!」

 錬夏の紅茶の件で驚いたばかりだというのに、何だろう、最近は精神的に来る何かが多い。どっと疲れる一言とか言葉を、むやみやたらに使う人物に会うことが多いのか。錬夏に、藤黄さんに、今は何故か静かなインウィディアとか。

「那由他君は何も言っていないけど、明らかにこの砂糖とは別の砂糖の香りが君から漂ってくるし? 仄かにラベンダーの香りもするし? この辺りでラベンダーの香水やら本物やら部屋中に飾るのはしお・・・・彩芽ちゃんの家だけだし? 君がそんなに急ぐ事と言ったら彩芽ちゃん関係だし?」

 あんたは探偵か。

 というか、今何か言いかけていたような。確か『しお・・・・』の部分。・・・・あ、これは考えないでおこう。別に何にもならないのは目に見えた結果だ。

「でもそう考えると、1時間かそこらでケンカが解決しちゃう君達らしくないのは事実で・・・・。でさ、結局何があったわけ?」

「い、色々です」

 うん、誤魔化した方が良い。これ以上詮索されるのは少々気まず・・・・。

「ふむ、君が言えない事となると・・・・さては色恋沙汰だね?」

 だから、あんたは探偵か!

「いや、君が分かりやすいだけだね。もう少しいつもの自分を見つめ直して見ると良いよ。じゃ」

「は、はぁ・・・・」

 この人、稀に彩芽と同じように心を読んで来るから厄介だ。非常に。しかも、こんなやり取りをしている間にも時間は過ぎている。

 既に空の一部が藍色に染まっていた。これは一刻も早く見つけないと。まぁ、彩芽なら悪漢に襲われても大丈夫だけど、謝らないと。だから、出来れば俺だけで探したかった。でも、これはそうも言っていられないだろう。

 俺はまだ黄色の残る空の下を走り始めた。青桐町の東にある商店街、その奥にある老舗だ。薬屋の右隣、駄菓子屋さん。の、更に右隣にある、粉屋という名の店だ。あらゆる粉の専門店だから、粉屋。最初聞いた時は何かの暗喩だろうかと考えてしまったが、あれだ、分かりやすすぎて分からないパターン。

 幽霊砂糖は、この粉屋でしか売っていない。そもそも粉の専門店なんかじゃないと売っていないような、そんな代物なのだ。

「幽霊砂糖を、あー、3kgで」

 ギブアンドテイク、という言葉を思い出したが、これはこの際無視しておこう。



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