君を望むイエロ
席替えをした。
僕のクラスは、月に一回席替えをしそのたびに机と椅子を移動する。ガタガタと床をこする音が喧しいことこの上ない。僕らの担任は比較的生徒の自主性を重んじ、教室内の規則は生徒たちに決めさせていた。懐の深い教師であるように思えるが、おそらく初めて受け持った担当クラスでの、LHRの潰し方がよく分らないからに違いない。月に四回あるその時間のうち、席替えで一時間潰せるのはその分考える手間が省けるのだ。
お馴染みのくじ引きで席順を決め移動すると、僕は廊下側一番端の一番前になった。あまりいい席とは言えない。
続々とクラスメイトが新しい席に着く中で、僕のとなりになったのはYだった。僕の親友が好意を寄せているYだった。
僕じゃなかったらよかったのに。
「よろしくね、委員長」
如才なく微笑む。その微笑も委員長、と言う呼び方も、どことなく大人が使うものに思える。きっとこういうところが、周囲の女子からお高くとまっていると思われる原因なのだ。本人は気付いているのか、気にしていないのか。
チクチクと伸びてきた坊主頭を掻く。
この子は、中学生が興じる恋愛や友情に興味が無いのではないか。自分を表現することに精一杯で、他者が一個の人格であることを自覚できない、僕たちの拙いごっこ遊びには。
はいよ、と答えて帰り支度を始めた。LHRは六時間目だ。いつも席替えの後はすぐ帰り支度となり、担任が連絡事項を伝えて放課後となる。
その日は特別な連絡事項もなく、すぐに放課後となった。部活の後、親友と会う約束をした。
親友と会うのはいつも僕の家だ。彼は両親を嫌っていて、なるべく家に寄りつかないようにしている。僕だって両親の事なんて好きじゃないけれど、共働きの僕の家は、両親ともに帰宅が遅いため都合が良かった。
軒先に座り、なけなしの小遣いで買ったコカ・コーラを飲みながら、僕たちは話した。
沈みかけの太陽と秋虫の鳴き声。
遠くで母親が子を呼ぶ声がし、大声にはしゃいだ犬が吠えた。
草木が枯れ始める晩秋独特の匂いは、寂しい想いにさせる。何にもないのに泣きたくなる気分がして、どこか懐かしい。
一年後の今頃はもう僕たちは受験勉強に集中していて、そしたらすぐに、きっと別々の場所へ行くのだろう。親友は頭が良いから、私立の高校に行くのだろう。そして有名な大学へ行って、分らないけど、多分有名な会社に入るんだと思う。
僕は。
僕はどうするのだろうか。
一年後どころか、一ヶ月後に自分がしていることも分らないのに。
やりたいことなんてなくて。
安定なんて分らなくて。
進路を決定するほど好きなこともなくて。
才能もなくて。
ただ真面目で。
融通の利かない。
子供は一人で、何処へ行けばいいのだろう。
今日はあまり、Yの話もKの話もしなかった。僕が会話に乗らなかった所為だろう。
沈みきった太陽の光がすっかり夜にのまれた頃、帰り際に親友が言った。
「Yが隣で羨ましい。でもお前で良かった」
悪いな、と言って僕は手を振る。
振り返って自転車に乗り、僕の方を見もしないで、親友は帰って行った。
あいつは頭が良くて格好良くて、そして中々気障なのだ。
朝練を終えて教室に入り席に着くと、Yが読書をしてSHRまでの時間をつぶしていた。おはよう、と挨拶すると、ページを繰る手を止め本を閉じ、おはよう、と答えた。
「朝練大変だね。うちは逆に、練習しなさすぎて不安だ」
彼女は吹奏楽部でフルートを吹いている。全体の実力は地区の発表会を通過できるかどうか怪しい所らしいが、それはこの中学の部活動全般に言えることだった。体育会系の部活が朝練をやっているのは、すでに習慣化してしまったそれを辞めることが出来ずにいるだけで、大会でより良い成績を残すためにやっているわけではないように思う。顧問も来ないことが多い。それよりも、彼女が読んでいた本の中身が気になっていた。
「それ、銀河鉄道?」
「うん。『銀河鉄道の夜』。知ってるんだ?」
知っている。数ある文豪の作品の中でも、群を抜いて一番好きな作品だ。でも僕の場合、読んでいる数が圧倒的に少ないので、非常に狭窄した偏見かもしれないが。
「今日も胸がドカドカするくらい走ってきたよ」
「あはは。読んでるね。これね。少し古い文庫で、違う結末のも載ってるんだ」
だから読んでいるの、と彼女は言った。
「ブルカニロ博士が出てくる方?」
「そう!すごいね、博士の名前が出てくるなんて。そっちも読んでるの?」
読んでいる。宮沢賢治のこの作品は、もう何度も、違う文庫で読み通している。僕はブルカニロ博士が出てくる結末の方が好きだ。夢の様な旅の後のジョバンニの台詞に感動する。
「あたしが貸したんだよ」
割って口を出してきたのはKだった。彼女も朝練後なのだろう。まだ上下ジャージ姿のままだ。
「前に私が読みたいって言ったら『もしかしたら持ってるかも』って探してきてくれたんだ」
「お父さんがそういう本たくさん持ってるから。私は全然読まないんだけど」
へへ、と照れたように笑った。
「第三次稿の収録された文庫なら俺も持ってたな。……でも全集でしょ?文庫だし、どこでも買えるんじゃ」
「嘘?全集ってケースに入ってるおっきいのじゃないの?うわ、あたしバカだ。知らなかった」
大袈裟に落ち込んで見せる。中々自然な表情に見えた。もしかしたら、この子は感情が表に出にくいだけで、大人っぽいわけではないのかもしれない。
それから僕たちは面白い小説について話した。読んでいない作品もあったが、読んでいる作品に関しては熱く語ってしまった。Kは相槌を打って笑ったり驚いたりしている。なるほど良いコンビと言った親友の声を思い出した。今はたまたま僕がいるが、きっと普段から二人はこういったテンポや空気で過ごしているのだ。
それにしても、Yと話しているのは心地良かった。語彙の豊富さやこちらの意図の理解、切り返しの速さと巧さ。頭の回転が相当速いのだろう。話したいことを話させてくれて、訊きたいことを先回りして答えてくれる。巻き込まれているだけなのに、上手く会話が出来ているように思えた。話すときにこちらを真っ直ぐ見つめるのも、話しやすい要因だろうか。だけど何だか照れ臭くなって、そっぽを向いてしまった。
向いた先で、親友が静かに席に着いていた。
放課後になって、Yと連絡先を交換した。お互いのおススメの小説を教え合ったり貸し借りするためだ。
家に帰って風呂に入って、ベッドに倒れ込んだ時にメールが流行歌の着信音を鳴らす。
『今日はありがとう。シキが読書するなんて意外でした。今度おススメの本、教えてください。私も持ってくるね』
何故か敬語とくだけた文が混ざっている。あまりメールをしない人なのかもしれない。
返信をして携帯を放り投げ、目を瞑る。
頭がズキリと痛んだ気がする。気がするだけで、本当に痛いわけではない。痛いわけではないけど、少しだけ息が詰まる。息が詰まるが、無かったことにする。
違う。
僕が気になっているのは。
君のことを好きなのは。