死にたがったブルー
十代の僕は死にたかった。
夏休みと始業式と新人戦が終わり、期末考査と合唱祭の練習が始まる。
秋の終わりと冬の始まり。
僕の頭は五厘刈りで、ニキビがちの頬が思春期の訪れを告げる。
クラスメイトは性欲と初恋の狭間で、異性との距離感に戸惑いだした年齢だった。
僕の親友には好きな人がいて、彼女の笑顔が好きだと言っていた。
多分それに間違いなどないけれど、きっと胸の中でモヤモヤとしていた劣情を、便宜的に恋と呼んだというのも事実だと思う。
僕はと言えば、親友から告げられる恋の相談に、相槌を打ち無責任なアドバイスをしながら、恋とは一体どういうものなのかを考えていた。
僕はまだ、初恋と言うものをしていない。
みんなより少しだけ、思春期が遅れていることは自覚していた。
みんなが飛びつく様に買っていたファッション雑誌に興味はなかったし、珈琲なんて苦いものは飲む気が起きなかったし、何より、みんながどういう訳か持っているエロ本も大して面白いと思わなかったのだ。
それはなんだか、年度の始めに行われた身体測定と関係ある気がしていた。
部活を続けていた躰は着々と筋肉を蓄え始めたけれど、身長は中学に入ってパッタリと止まってしまっていた。年々順番が前になる背の順が嫌いになった。僕は身長と一緒に色んなものの成長が止まってしまったように思う。
それでもかけっこは一番で、それだけが自慢だった。
期末考査の惨憺たる結果を返却されたホームルームで、合唱祭で唄う曲を決めた。
三つのパートに別れて唄うその曲は、担任がいつか自分のクラスでやりたいと言っていた曲だ。
だったらやろう、とノリの良いクラスメイト達はその曲にした。
女子がソプラノ。
男子アルトとテノール。
テノールの人数が一番少ないが、僕と親友はテノールになった。
僕は、普段からでかい声をしているからだと思う。
親友は、あいつは歌が巧いから、きっと音程をとれると思われたのだろう。
目指すは金賞。
僕たちは単純に一致団結できた。
クラスの仲は悪くなかったと思う。
真面目でとっつきにくいけど、頼れる学級委員長の僕。
気さくで格好良く、人気者の親友。
僕たちは無敵だと思った。
僕たちなら何だって出来ると思った。
「シキにはいないの?好きな人」
そう言った僕の親友が好きな人は、同じクラスのYだった。
挑みかかる様に強気な目と笑った時に見える八重歯が魅力的なYは、性格も相まって男子生徒の多くが憧れを抱いていた。クラスのマドンナ的存在などドラマや小説の中だけだと思っていたけれど、自分のクラスに存在していると何やら不思議な感じがする。
親友の質問は、普段自分の話をしようとしない僕への不満の様に思えた。僕はクラスの女子を思い浮かべ、大して考えもせずに答えた。
「俺はKが気になる」
KはYの親友で、体操が上手く屈託なく笑う女の子だ。一度体育でKが模範的に前転や後転をしているのを見た。その手足の美しさに驚いたが、僕が惹かれたのはKの真剣な表情だった。
億劫そうにしたり面倒がってみたり、何かに取り組むときに、あえて斜に構えるあの妙な風潮が蔓延している僕たちの時代では、何かに熱くなったり本気になったりすることは嘲りの対象だ。そしてクラスメイトから嗤われることは、僕たちにとって耐えがたい。逃げ場のない小さな教室の中では、他人が自分を嗤っているかもしれない想像は恐怖なのだ。隠れる事も出来ず、ひたすら耐えるしかない。
そんな全体主義みたいな倦怠感が支配している中で、Kは真剣に、本気で体操の演技をした。この子は本当に体操が好きなのだ、とその時感じ、僕にはそれが羨ましかった。
「Kなんだ?いつもYと一緒にいるよね。いいコンビ」
僕もそれは思っていた。
親友の好きなYは、他の多くの女子と違いあまり群れたがらなかった。普通の女の子だったら、何かにつけては数人のグループで行動し、お互いの近況報告と格付けを行い続けている。残酷なくらい正確に、教室の中にはランクが存在するのだ。ランク下位に落ち込まない様、必死になって取り繕い、同調し、対象の無い褒め言葉でお茶を濁し続ける。
Yは、そんなしがらみからいち早く抜けてしまった様に思う。話しかけられれば応えるし、自分が出来る事だったら協力もしている。だけど自分から話しかける事はあまりなかった。そんな彼女を、他のクラスメイトが「お高くとまっている」と話していたのを聞いたことがある。欠点らしい欠点の無いYは、だからこそ些細な粗探しをされ、見下しても良い対象に、秘かになっている。彼女がグループに所属していないことも、きっとそれに拍車をかけているのだろう。
そんなYが唯一ともに行動しているのが、Kである。
あらゆることをソツなくこなす器用なYに比べ、Kは少々抜けている。忘れものの数と忘れた約束の数は、きっとクラスでもトップだろう。それでも彼女は朗らかに笑い、多くの友達と共感しマスコットの様に可愛がられている。直接自分に害が無ければ、失敗ばかりしても疎まれない人格と言うのはある。それも人徳と言うのだろうか。
Kのことが好きだとは、まだ言えない。
僕は僕の感情に上手く当てはまる名称を見つけられないでいる。
僕がKに感じている憧れの様な想いと、親友がYに寄せる思慕の情は、同じものなのだろうか。それとも全く違うものを、僕たちは恋と呼んで分かった気になっているのだろうか。
それから数週間は、それぞれの好きな相手が、どんな行動をしていたかを報告し合う日々だった。
世間でいうストーカーの様に、空いた時間があれば彼女の一挙手に注目し、空いた時間が無くても彼女の一投足に注視した。
僕にとって、親友とのこの報告会は、一つのイベントだった。
まだKを好きになっているかどうかも分らない僕は、どこか他人事のようにそれを続け、恋愛というイベントを楽しんでいた。その楽しさは、堅物、真面目と呼ばれている自分でも全うなことが出来ていると言う実感に由来しているはずだ。
僕はまだ恋の意味を知らない。
恋は、僕を満足させるイベントの様なものだ。
誤解しないでいるのは難しかった。