十
お団子を店先で売っている小さなお店。ふと立ち止まって「お腹が空いたな」と私は呟いた。
神様たちの買い物は、お金ではなく物々交換。もしくは加護や神力の欠片。何かしらの力あるものであり、人間が使用している現金は使えない。金や銀などならまた違うかもしれないが、ただの紙と評されるものでは意味がないだろう。
「買ったら怒られるよ」
「起きてたの?」
一つ欠伸をしながら、私が見ていたお店を確認すると狐さんは首を横に振った。
「さっきまで、寝てたよ。買い物してもいいけど、見極めできないくせに食べ物に手を出さない」
「え、でも今までは買ってたし」
「それは近くに誰かいたはずだよ。ユーリが本当に一人で食べ物を購入したことある?」
「……ない。うん、ないね」
お腹が空いた、何か食べたい。そんなことを呟けば、おすすめのお店を紹介される。一人で散歩をしたい時には、歩きながら食べることのできるものを手渡された。手渡されない時には、知り合いの誰かに案内されていた。
「今、気付いた。過保護だ!」
ぱしんと尻尾で叩かれた。もふもふしているのに、けっこう痛い攻撃が炸裂した。
「ユーリはバカだ。見極めができない、の意味がわからないかな?」
「美味しいか、不味いか?」
「わざと言ってる?」
「……わかるような、わからないような」
怒りの声を発した狐さんに、また尻尾で叩かれた。知識不足で申し訳ない。でも、叩く必要はないと思う。口にはしないけれど、文句は言えないし、答えが出なくてもやもやする。
「ちゃんと伝えとけばいいのに、忘れてたのか。常識過ぎて」
溜息をついた狐さんは、しばらく文句を呟くと耳をぴんと立てた。
「ここは人間がいる世界とは別の領域。似ている場所があろうと、違うんだよ」
「それはわかるけど……」
「わかってない。ユーリ、なんでも適当に食べたら帰れなくなるよ。神や精霊――君たちが知覚しない生き物が住む世界なんだ」
その言葉に、何を言いたいのか理解できた。
違うけれど、似ているからどこかで安心していたのかもしれない。この場所に慣れてきていた私は、常識が少しズレ始めている。そうしないとやっていけないとはいえ、忘れてはいけない。
ここは、私の生きている場所と違う。異世界といってもいい場所であり、人間が住む領域とは別の区切りがあるのだ。
「気をつけないと、帰れなくなる」
何かで読んだことがある。別の世界の食べ物を口にしたら、その世界に存在が組み込まれ、帰れなくなってしまう。
私のいるべき世界は、人間が住む世界。いくらこの場所で過ごそうと、存在が違いすぎるのだ。それを忘れるな、と狐さんは告げる。
「気をつけないと、喰われる」
歌うように言葉を紡ぐ狐さんが私の肩から飛び降りた。
真っ赤な舌に、白く鋭い牙。いつの間にか身体を大きくしていた狐さんが私の首に牙を軽く立てる。ぞわりと背筋に悪寒が走った。
それでも、私は狐さんを押し返すことはできない。
本当に喰らう気なら、私に気付かれずにできるはずだ。頼まれて側にいる狐さんを信じるしかない。嫌われていないと思うから、大丈夫だと自分に言い聞かせた。そうしないと、震えてしまいそうになる。
「気を抜いたら、いけない。喰われてしまえば、もう終わりだ。護りがあるから、平気だろうけど」
すっと狐さんが身体を離した。伝えたいことを終えたのか、また小さくなって私の肩に飛び乗る。
「ユーリって、警戒心が薄いのかな」
「え?」
「いや、ちょっと怖がらせることをしたから叩き落とされるかと思った。もしくは叫んで嫌いになったりとか」
「嫌われてないって信じてみただけ。私は狐さんが好きだから、知識不足で心配させたかなって前向きに」
ぺたりと耳を下げた狐さんが可愛くて、抱きしめたい衝動に駆られたけれどなんとか我慢する。
「……ボクも好きだよ。ユーリはバカで困るけどね」
そっぽを向いて呟かれた言葉に、私はくすくす笑ってしまう。
本当に狐さんは可愛い。今度、何か食べ物をあげようかな。そんなふうに考えながら、再び歩き始める。すると、狐さんがひょいと尻尾を振った。
「お腹が空いてるなら、あっちに行けばいいよ」
「何があるの?」
「揚げ出し豆腐が美味しい」
「そうなんだ。好きなの?」
「嫌いなものを言うわけがない。どれにするかボクが選んであげるよ」
揚げ出し豆腐が好きなのか。少しでも美味しいものをあげたいから、コックーニさんや眷属さんに教えてもらおう。
狐さんに案内されるまま進んだ先にあるお店で、おすすめの揚げ出し豆腐を食べていれば向かい側の路地に小さな影を見つけた。
お店によく来ている抹茶プリンが好きな貧乏神様だ。気になってその姿を見ていると、なぜか追いかけないといけないような感じがしてくる。
一瞬だけくらりと目眩がして、狐さんに声をかけようとしたら姿がなくなっていた。
「狐さん……?」
先ほどまで側にいた相手がいない恐怖は、私の心を満たしていく。こくりと喉を鳴らし、御守りを握りしめた。




