九
今日はお店の半分が大破してしまった。喧嘩なんて可愛らしい言い方で片付けられないその争いは、まさに神々の戦い。一瞬、世紀末がどうの。ラグナロクがなんとか。いろいろな単語が頭の中に浮かんでは消えていった。
危険手当ての大切さが見に染みる恐ろしい場面は、お店が半壊したことによるミリオさんの静かな怒りによって終わりを迎えた。多少の破壊には目を瞑るが、限度というものがあるし、破壊回数更新中の神様だったから仕方がない。
通常ならば修理に時間はかからないのだが、ミリオさんが額に青筋を浮かべてお店を閉めてしまったのだ。そのことにより、争いを見て楽しんでいたお客様から関係ないと無視を決め込んでいた方まで怒り狂った。
もちろん、ミリオさんを怒らせるつもりがない彼らは、お店を破壊した加害者を掴まえて笑顔で消え去った。何が起きるのか想像できないが、きっと大変なことが起きるに違いない。
寒気さえ感じたお客様の行動を頭から振り払い、視線を移動させた先にいるのんびりマイペースに食事を続ける小さな神様にすごく癒された。
本日、閉店。
お客様が食事を終えた後、早々に看板が出された。閉店の文字の隣には、流れるような美しい字で『しばらくは喧嘩しまくる神様の出入り禁止』といった内容まで書かれている。
そんなわけで、従業員は休みが唐突にできたのだ。いつもなら、就業時間だからなんだか違和感が残る。別に仕事人間というわけではないが、ちょっと物足りない。
ミリオさんは何をしているか不明。コックーニさんは爆睡中だけど、呼ばれたらきちんと料理のアドバイスをしていた。眷属さんたちは試作品から料理練習まで好きなように時間を過ごしている。
私は暇な時間ができたから、帰宅するのがもったいなくて、なんとなく散歩することにした。なのに――……。
「なんでいるの?」
気軽な会話は、相手が許可をくれているからできることだ。私の隣をゆっくり歩く青年は、欠伸を零しながらついてくる。
「ボクがいたら、何か問題あるかな?」
和服姿の青年は、ぴこんと耳を立てて笑っている。神様に仕える狐の彼は、出かけるよりも日当たりのいい場所でお昼寝するのが好きだと言っていた。
なのになぜ、天気のいい日に出歩いているのか疑問が浮かぶ。
「日向ぼっこしないの?」
「うーん、頼まれたからしないよ。それに好きでボクも散歩してるんだ。ほら、ユーリが危ないからね」
「危ないって、御守りちゃんと持って来てるし、表通りしか歩かないよ」
絶対に入ったらいけないと注意された裏通りに近付く気はない。なにせ、私が知っている常識が通じない世界なのだから、きちんと注意されたことは守るつもりだ。
「危ないんだよ。人間が一人歩きを本当にできるはずないじゃないか。気付いていないだけで、護衛がついてくるんだよ」
「え、そうなの? もしかして、散歩って迷惑かけてる?」
たまにふらっと外の空気を吸いに行ったり、ちょっと散歩してみたり――御守りがあるから、一人になりたい時に自由に動けると思っていたが違うようだ。
「たまには一人にならないと、気疲れしちゃうだろ? 護衛に気付かなくてもいいし、それを気にする必要もない。だって、好きでやってるんだから」
「そういうものなの?」
「そういうもの。うん、だから好かれた子は長くいれるんだ。それがいいことかわからないけど」
怖がったり、怯えたりすると続けることができなくなる。本人が辞めてしまうからだ。
それから、好かれないと続けられない。気紛れな神様や精霊たちの中に本来なら、混じることのできない異物だからこそ、反発があればもうこの世界に足を踏み入れることができなくなる。
「なら、なんで狐さんは私の一人散歩の邪魔をしてるの? 姿を出す必要なんでしょ」
「だって、側の方が守りやすいもん。ボクは神様じゃないんだし、この距離がちょうどいい」
ぽんっと軽やかな音を立て、狐さんが獣の姿になる。子狐サイズになると、私の肩に飛び乗った。
体重を調整しているのだろう。重さなんて感じない。あまりにも軽すぎて、いることを忘れてしまいそうだ。
「あの、狐さん?」
「疲れた。ボク、ちょっと寝ていい?」
「日向ぼっこの時間、大事なんだね」
「日向ぼっこもお昼寝も、どっちも大事だよ」
くあっと口を開けて、欠伸を繰り返す狐さんが可愛らしい。
「おやすみなさい」
護衛について語っていたのに、こんな適当さでいいのだろうか。そんなことを考えながら、無理に起こすのは可哀想で頭を優しく撫でた。
電線も電柱もない空は高く澄んで見える。石畳を歩きながら、肩から落ちないか心配しつつ、私は散歩を続けることにした。




