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叔父とわたし  作者: 周五
2/13

すてられる【2/3】

 昨夜はなかなか寝付けなかった。


 ベッドが変わったせいではない。白い清潔なシーツにふかふかの枕。お日さまのいい匂いがした。肌触りもよい。


 慣れない馬車に半日揺られ、降りたら降りたで歩き慣れない道をたくさん歩いた。体はとても疲れていたから、目を閉じたらすぐに眠れると思った。


 けれど、神経がたかぶっているのか全く睡魔が襲ってこない。


 隣に伯母が眠っているのも原因のようだ。10年間同じ屋根の下に住んでいたにもかかわらず、わたしは伯母に心を許してはいなかったらしい。


 その伯母はというと、お風呂を借り化粧を落とし、寝間着に着替えてベッドに横になるとあっという間に寝息をたてはじめた。


 この図太さがうらやましい。


 わたしは伯母のあとにお風呂に入り、やりたい放題散らかったそこをできるだけ片付けた。掃除はわたしの仕事だったから慣れている。


 何度か寝返りをうち、ようやく訪れた眠気に身をまかせ意識を手放したのは夜も更けたころ。


 目覚めると、隣にはすでに伯母の姿はなかった。


 わたしはワンピースの寝間着姿のまま、慌てて部屋を飛び出し、昨夜招き入れられた居間に向かう。


 そこには伯母の姿はなく、男のひとがひとりテーブルのまえに座り、コーヒーを飲んでいた。


「あっ、あのっ」


 足音が聞こえていたのだろう、部屋に入ったときにはすでに男のひとはこちらを向いていた。


「お、伯母さんは…っ?」


 男のひとは目を細め、顎髭を撫でながらわたしを見つめている。


「あのっ…」


「もう森を出た。馬車に乗ったころだろう」


 彼の答えにわたしの頭の中は真っ白になった。


 置いていかれた。別れのあいさつもなく。


 この10年、わたしたちのあいだにはなにも築くことができなかったのだ。


「まあ、座れ」


 そう声をかけられ、わたしは肩をがっくりと落としたままのろのろと部屋の中央にあるテーブルまで歩き、男のひとの反対側にある椅子に力なく腰をおろした。


「ミルクでいいか?」


 ふいに訊かれ、顔を上げる。


 わたしを見つめる目が優しい。問いかける低い声が耳に心地いい。


「は…はい」


 意識してしまった途端、今度は顔が赤く火照る。伯母の存在などどこかへ飛んでしまった。


「あたためたのを持ってこよう。あと、そんなにかたくなるな」


 男のひとはふっと微笑むと席を立ち、台所へ向かった。


 ドキドキが止まらない。


 こんな気持ちは初めて。


 これが、親しいひとに対して抱く感情?


 伯母に感じたことは一度もない。スクールの、仲の良かった友人たちにも、こんなふうになったことはない。


 あの男のひとが、はじめて。


 しばらくして男のひとが持ち手のついた木製のコップを持ってやってきた。中のミルクからはかすかに湯気がたっている。


「朝はすっかり涼しくなった。そろそろ冬仕度をしないといけないな」


 そう言われてようやく肌寒さに気付く。目が覚めて隣に伯母がいないことで慌てたり、男のひとの表情にドキドキしたりしてすっかり失念していたが。


 季節はもうすぐ冬。この国の冬の寒さは厳しい。そしてわたしは薄い寝間着一枚。


 両手で肩を抱き、さする。


 すると、ふわりとかけられた男物の上着。


 男のひとがさきほどまで着ていたものだ。まだほんのりあたたかい。


「冬物の服はあるのか?」


 首を縦にこくこくと振る。


 ドキドキしっぱなしで、口から心臓が飛び出そうだ。


「買いにいく必要があるなら遠慮せずに言え。森の冬は街の寒さの比じゃない」


 さりげない言葉。


 でも、それは。


「なんて顔をしている。これからここに住むんだろうが」


 男のひとが椅子に腰掛け背もたれに背中を預ける。


 背もたれがギイと悲鳴をあげた。


「探したんだ」


 男のひとが静かに目を閉じる。その姿は、なにかを思い出しているかのようだった。


 わたしはコップを両手で包みこみ、ほんわかとあたたかいミルクをひとくち飲んだ。


「おれがだれだかわかるか?」


 なんの脈絡もなく訊ねられ、わたしは首を横に振る。


 自分のことながら無責任で無用心ではあるが、なにも知らされないままここへ連れてこられた。昨夜の2人の会話で、男のひとがわたしとおじ姪の関係であることを初めて知ったのだ。


「おれはおまえの父親の妹の夫だ」


 父の妹の夫。叔母の夫…つまり義理の叔父。


 ということは。


「血の繋がりを期待していたのなら悪かったな」


 このひととわたしは、戸籍上では親戚だけれども。実際は赤の他人。


「おまえの両親が死んだとき、おれたちはこの国にいなかった。だから知らなかったんだ」


 叔父は頭をわしゃわしゃと掻いた。毛先が跳ねてまとまりのない黒髪がますますボサボサになってゆく。


「この国に戻ってきて、義兄の家を訪ねたら…そこには違う人間が住んでいた」


 慌てて近所の住人に所在をきいてまわったら。


 義兄夫婦が事故で亡くなっていたこと、一人娘は親戚のだれかが引き取っていったこと、家や土地、家財道具はすべて売り払われ親戚によって分配されたことなどを知ったという。


「あいつ…おれの妻な。あいつはおまえの足取りを追ってそこらじゅうを必死に探しまわった。おまえのことを引き取るために」


 あいつは子どもが産めないからだでよ、と叔父は力なく笑った。


「おまえとの生活をずっと夢見ていた。

でも、なかなかおまえは見つからなかった」


 わたしの心に叔父の声が響く。低くて甘い、優しい声。


「おまえを引き取ったあの女が親戚中に箝口令をひいていやがった。わかるか?」


 かんこうれい? なにそれ?


 わたしは首をかしげた。


「口止めだな。おまえの居場所がわかって、自分から取り上げられるとあの女が困ることになる」


「困る…こと?」


「保険金だ」


 叔父は吐き捨てるように言った。


「義兄夫婦はもしものときのために自分たちに保険をかけていた。たったひとり遺される最愛の娘のために」


 最愛の…娘。それはわたしのことだろうか?


 他人から語られる両親のことはなんだか現実味がなくて、わたしをふわふわとした気持ちにさせた。


「悪用されないように、義兄たちは考えた。保険金を受け取れるのは娘を育てている者のみ。支払いは年に一度。条件はきちんとスクールに通わせること。期間は義務教育終了の年まで。どうだ?」


 なにか思い当たるふしはないかと叔父は言った。


 そういえば伯母は働いていなかった。


 派手な生活ではなかったけれど、貧乏でもなかったように思う。スクールの学費が滞ったこともなかったし、長期休暇中にある合宿などにも参加させてくれていた。


「決して少なくない保険金目当てで親戚中がおまえのことを引き取ろうとした。揉めに揉めたみたいだな。結果、あの女が保険金を手に入れた」


 わたしは付属品だったのだ…


 衝撃的な事実に頭がくらくらする。体に力が入らない。椅子に座っていてよかった。


 義務教育が終わると同時に保険の契約も終了する。だから伯母は焦ってわたしを養える人間を探したのだ。


 そして、叔父に白羽の矢がたった。


 なんと欲深く、自分勝手な人間だろう。叔父の都合も考えず、わたしに価値がなくなった途端簡単に押し付けた。


「わ、たしは…」


 体の震えが言葉にも伝染した。吐き気がする。


 事実を知ったいま、どのツラ下げて叔父にお世話になれるというのだろう。わたしはどこまでも価値のない人間なのだ。


 悲しくて。悔しくて。


「やっと見つけた」


 知らぬ間にわたしのまえに立っていた叔父は、わたしの頭を乱暴に撫で、わたしの顎を指でつまむとゆっくりと持ち上げた。


 少し屈んだ姿の叔父と見つめあう格好になる。


「もう、手離したりしねえよ。見失うこともな」


 目尻がさがり、にこりと笑う。髭の中からちらりと口が見えた。


「叔父さん…」


 わたしの両目から涙が溢れた。


 両親が死んだと聞かされたあのときから、わたしは泣けなくなった。辛いときも苦しいときも悲しいときも。


 外に向かって涙とともに流れるはずの感情はすべて胸の内に溜まり、どろどろと黒く渦巻きわたしの心をどんどん重くしていった。


 暗く淀んだその澱が、涙と一緒にするすると心から流れ出ていく。


 叔父の笑顔と言葉で、わたしの止まっていた時間が動き出す。


 わたしが泣いているあいだ、叔父はずっと頭を撫でていてくれた。



 どのくらいそうしていたのだろうか。かなり時間が経ってしまったようだ。


 わたしはすでに泣いてはいなかったが、まぶたが腫れてかなりひどい形相になっていた。


「叔父さん」


「ん?」


 叔父はタオルを濡らしてきた。目に当てておけということらしい。


「あの…叔母さんはどこに?」


 わたしに会いたがっていたという叔母。なのに一度も姿を見せていない。


「死んだよ」


「え?」


 聞き違いだと思った。


 叔父はぐいとタオルをわたしの目許に押し当てると


「もう8年になるな。病気だった。死ぬ間際までおまえのことを気にかけていたよ」


 目が塞がれていて、叔父がどんな顔をして話をしているのかわからなかった。



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