「パンの福耳」
月に1、2度の割合で朝食を買いに行くパン屋は耳がある。サンドイッチを作るときに切り落とす、あの狐色をした耳だ。コンビニなどでは味わえない。店でパンを焼き、サンドイッチを作る店舗ならではの味わいだ。店によっては一袋30円とか50円で売られているが、この店ではタイミングが合えばただでくれる。
パンの耳と侮ってはいけない。サンドイッチを作った後のそれは、もらった時点でほんのり暖かく、何もつけずにそのまま食べれば口いっぱいにパンの旨みと甘みが広がる幸せの逸品だ。袋の微かな隙間から漏れ出るあの香り。時にはあの誘惑に抵抗しきれず、帰る途中に公園のベンチで数本口にしてしまうこともある。
しかしこれは絵的に結構痛い。早朝、いい歳したおっさんが1人公園のベンチでパンの耳を食べている。端から見ると寂しさとわびしさと心寒さとが一緒くたになっている。でも、口の中は幸せだ。だが全部は食べない。そもそもその店に行くのはパンの耳をもらうためでは無い。冒頭に書いたように、朝食用のパンを買うためだ。ちなみに、私がそこで買うのはほぽ決まっていて「コロッケパン+1品」である。1品はその時の気分と商品によって違う。サンドイッチだったり焼きそばパンだったり、チーズパンだったりする。お気に入りはさつまいもボールと言って、さつまいもを練り込んだボール状の揚げパンだ。口に入れて噛んだ途端、芋の甘みがあふれ出て口の中をなで回す素晴らしい品なのだが、秋限定なのが痛い。とにかく行きつけのパン屋というのは「この店ならばこのパンを買わねば」というものがある。
パンの耳に戻ろう。パンの耳が中央真白い部分よりも優れている点は、口に入れ、歯を立てたときの弾力にある。白い部分よりも抵抗があり、それを硬いと表現する人もいる。しかし歯を立てた耳からじわっとにじみ出るような旨みは白い部分とは違う味わいがある。パンをトーストしたときに面がうっすら狐色になった部分は特別な味わいがあるが、それと同じだ。
パンの耳はその形からジャムやマーガリンを塗るのにはあまり適さない。マーガリンはともかく、果肉ゴロゴロタイプのジャムになると「そんなものつけるな」と拒絶するかのように果肉を落とそうとする。ブルーベリージャムなどは天敵と言って良いほどに相性が悪い。それらに対抗する耳は、切られた側面では無く、一斤の前面と後面部分。そう、切るときにナイフが入らない面である。店で焼く食パンを一斤買うと、時々入っている超当たりのアレだ。あれならばジャムもマーガリンもどんとこいだ。だが、それでも私はそれらを塗ることはしない。パンの旨みを邪魔してしまうからだ。そう、パンの耳こそ、パンそのものを味わえる部分なのだ。たぶん!
だが、そんな素敵なパンの耳にも弱点がある。それは賞味期限の短さだ。先述したように、私は朝食は元々それ用に買ったパンで済ますので、パンの耳は次の日の朝食になることが多い。さすがに1日経つと温かみもなくなり、少し固くなる。そのまま食べることも出来るが、数本食べるとちょっと顎が疲れる。花とパンの耳の命は短いものよ。
ネットなどで調べると、パンの耳の食べ方としては揚げたり炒めたりしてラクスにしたり、卵などに浸してフレンチトースト風にしたりとあるが、私はやらない。なぜか? 面倒くさいからだ。よくズボラの人のための簡単調理とか言って一手間だけで食べられる調理法などが紹介されているが、そういうのを書いている人はズボラな人の心がわかっていない。ズボラ人間にとっては、その「一手間だけの簡単調理」の「一手間」もしたくないのだ。紹介するなら「一手間すらしない簡単調理」を紹介してほしい。いや、一手間すらしないものを調理とは言わないと言われそうだが。
私の食べ方は「コーンスープに漬ける」だ。あの粉入れてお湯入れてかき混ぜるスープだ。ちょっとお湯を少なめにした濃いめのスープに、パンの耳を1度突っ込んでから食べる。温かく柔らかくなるので食べやすい。ただ、スープの味がパンの耳に勝ってしまうためパンの味がわからなくなる。そこで2本漬けて食べては1本そのままというローテーションで食べる。もらうパンの耳は結構量があるので、それだけで1食分なる。余は満足じゃ。
賞味期限の短さの他に不満なのがもう1つ。それは先にも触れたが「どうしようもないビンボ臭さ」だ。あれほど美味しいのに、パンの耳にはどうしてもハンパ臭が漂う。肉の切り落としは肉野菜炒めや汁物でメインを張れるし、魚の切り落としも手軽な海鮮丼ネタとして生きる。スーパーなどでは切り落としの魚をごった煮を惣菜として売っているところがあるが、あれはうまい。だがパンの耳は……。漫画などでもパンの耳をメインとする食事には、ちゃんとしたパンを食べられない貧乏人の食事という空気が漂う。
しかし、今は人気も評価も高いものが、かつてはまったく相手にされなかったという食べ物は多い。
例えばホルモン。ホルモンの語源が「放るもん(捨てるモン)」という説には否定派もいるが、ホルモンを食べるようになったのは戦後からで、それまでは文字通り捨てられていたのは確かなようだ。●●では普通に食べていたぞという意見もあるが、それがあくまで限られたわずかな地である以上、その説を覆すほどの力はない。それが戦後の食糧難で「口に入るものなら何でも食うぞ」と食べてみたら美味しかったので以後、普通に食べるようになったという。
マグロのトロ。これもかつては食べずに捨てられていた。脂が多く傷むのが早いため、お客の下に届けるまで持たなかったというのが理由らしい。それが保存技術、流通の発達により食べられるようになった。賞味期限の短さから評価されなかったという点ではパンの耳に通じるものがある。
パンの耳だって、今はおまけでくれる、投げ売りするような存在ではあるが、いずれその美味しさに目覚めて「パンは中央の白いところより耳の方が美味しくて上質」と評価、一斤の内わずかしか取れない希少部位として取引されることになるだろう。
(ならねーよ。ホルモンやトロは食べられなかったのが食べてみたら美味いと評価されたが、パンの耳は既に食べられているのにこの評価なんだから)
……なんだ。私の中の理屈屋が勝手に反論している。
それでも私はパンの耳が好きだ。焼きたてのパン耳が大好きだ。焼きたてにおいては中央の白い部分より茶猫の毛色のような耳の方が美味しいと本気で思っている。
パンを買ったとき耳の入った袋がサービスでついてくるとそれだけでその日1日が幸せになる。
私にとって、パンの耳は幸せをもたらす「パンの福耳」なのだ。
(おわり)




