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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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皇帝の犬

 その男は、朝日と同時に鳳家屋敷の門をくぐった。

 鉄紺の軍袍ぐんぽうに黒革の腰帯。肩当てには禁軍きんぐんの雲雷紋が刻まれ、腰に長剣を佩いている。背が高く、日に焼けた肌と鋭い顎のラインが、戦場帰りの武人であることを一目で告げていた。

 陸暁風りくぎょうふう瑛朝えいちょう皇帝直属の将軍にして、鳳凰領に派遣された監視役。


鳳麗華ほうれいか殿に、面会を願いたい」


 門番に告げた声は低く、簡潔だった。余計な言葉は一つもない。

 門番が屋敷の奥に走ると、暁風はそのまま門前に立ち尽くした。腕を組み、屋敷の構えに目を走らせる。


(廃妃の屋敷にしては、随分と立派だ)


 白壁に朱の柱。瓦屋根は丁寧に手入れされ、庭木は季節の花をつけている。門の内側からは水の流れる音が聞こえた。どこかで鳥が鳴いている。

 帝都から鳳凰領までの道中、暁風が目にしてきたのは荒れ果てた農地と、痩せた村ばかりだった。それがこの領地に入った途端、空気が変わった。土の匂いが生きている。


「お待たせいたしました。こちらへ」


 案内の声に従い、暁風は屋敷の中に足を踏み入れた。


 客間は簡素だが品格のある造りだった。花瓶に活けられた白い花が涼やかな香りを放ち、窓からは庭園の緑が見える。卓の上には茶と菓子が用意されていた。

 麗華は、すでに座っていた。

 藍染めの交領袍こうりょうほうに、腰帯だけが鳳家の深紅。後宮の華やかな装いとは程遠い実用的な出で立ちだが、背筋の通った座り姿は、それだけで場を支配していた。

 その隣に控えるのは侍女頭の柳春蘭りゅうしゅんらん。目立たない容姿に穏やかな笑み。だが暁風は武人の勘で感じ取った。この女、気配の消し方が尋常ではない。


「ようこそ鳳凰領へ、陸将軍」


 麗華が立ち上がり、一礼した。微笑みを浮かべている。穏やかで、礼儀正しく、完璧な笑顔。


「——皇帝陛下の忠犬殿には、長旅でさぞお疲れでしょう」


 暁風の目が一瞬、細くなった。

 忠犬。面と向かってそう言う女がいるとは思わなかった。


「……俺は監視の任を受けてここに来た。それ以上でも以下でもない」


「あら、ご謙遜を。わざわざ禁軍の将軍を一人遣わすのですもの。陛下がどれほど私を気にかけてくださっているか、よく分かりますわ」


(気にかけている、ではない。警戒している、だ)


 暁風は内心で訂正したが、口には出さなかった。この女は言葉の選び方が巧みすぎる。うかつに反論すれば、こちらの意図を読み取られる。


「お部屋を用意いたしましたの。屋敷の東棟に。庭が見えて、なかなか良い眺めですよ」


「東棟?」


「ええ。屋敷の中にお泊まりいただいた方が、監視もしやすいでしょう? まさか門前で野宿なさるおつもりではないでしょうし」


 春蘭がすかさず口を添えた。


「東棟のお部屋は、書斎にも居間にもほどよい距離でございます。麗華さまの行動を把握なさるには最適かと」


 暁風は春蘭を見た。微笑んでいる。だがその目は笑っていない。


(監視される側が、監視の便宜を図っている。——舐められているのか)


「……世話になる」


 それだけ言うのが精一杯だった。


「まあ、嬉しい。では春蘭、お部屋の準備をお願い」


「かしこまりました」


 春蘭が一礼して下がる。客間に麗華と暁風の二人が残された。

 麗華が卓の上の茶を暁風の前に滑らせた。白い湯気が立ち昇る。隣には桂花糕けいかこうと蓮の実の甘露煮が小皿に盛られている。桂花糕は桂花の香りを練り込んだ蒸し菓子で、ほんのりとした甘さと花の香りが特徴だ。


「どうぞ。旅の疲れに甘いものを」


 暁風は菓子に手をつけなかった。茶にも口をつけない。


「毒でも入っていると思いますか?」


「……そうは言っていない」


「では?」


「任務中だ」


 麗華がわずかに目を細めた。


(あら。本当に生真面目な方)


 後宮で出会った男たちとは違う。腹に一物ある政治家でも、甘言を弄する廷臣でもない。ただ愚直に「任務」という言葉にしがみついている。

 嘘がつけない男だ、と麗華は見た。表情に出やすく、言葉は不器用で、視線が正直すぎる。


(皇帝陛下は、よくこの男を選んだものね。嘘のつけない人間に監視をさせるなんて。報告書に何を書くのかしら)


「では陸将軍、改めて」


 麗華は居住まいを正した。微笑みは変わらないが、声のトーンがわずかに低くなった。


「あなたの任務は承知しています。監視でも調査でも、ご自由に。この屋敷のどこでも、領地のどこでも、お好きなだけご覧ください。隠すものは何もありませんから」


「……随分と余裕だな」


「余裕ではなく、自信です。見ていただいた方が、話が早い」


 暁風は無言で麗華を見つめた。切れ長の瞳が琥珀色に光っている。光の加減で金色にも見えるその瞳は、まっすぐに暁風を捉えて揺るがない。

 この女は本気で——監視を歓迎している。

 帝都で聞かされた「鳳麗華」像が、音を立てて崩れていくのを暁風は感じた。怯える廃妃でも、復讐に燃える女でもない。この女は自分の領地に立ち、監視の将軍を前にして、完全に主導権を握っている。


「もう一つ」


 麗華が付け加えた。


「お食事は屋敷でご一緒に召し上がりませんか? 鳳凰領の食材は、帝都のものとは少し違いますの。監視のお仕事をなさりながら、食べ比べてみてはいかがでしょう」


「食事は自分で用意する」


「あら、残念。鳳凰米ほうおうまいの炊きたてご飯、今日は新米なのですけれど」


 暁風は答えなかった。ただ一瞬、視線が卓の上の桂花糕に向いた。

 それを、麗華は見逃さなかった。


(——まずは食事から。この忠犬殿を懐柔するのは、そう難しくはなさそうね)


 麗華は微笑みを深くした。


 客間を辞した暁風は、東棟の部屋に荷を下ろした。質素だが清潔な部屋で、窓からは庭園の池と、その向こうに広がる田畑が見える。

 腰帯を解き、剣を壁に立てかける。


「……あの女」


 腕を組み、暁風は天井を見上げた。


 廃妃。反逆者の可能性あり。穀物を人質に朝廷を脅かす危険人物——出立前に受けた情報はそうだった。

 だが、実際に会った鳳麗華は想定と違った。怒りに燃える復讐者でも、権力に固執する策謀家でもない。

 穏やかに笑い、こちらを「忠犬」と挑発し、監視を歓迎し、食事に誘う。


(何を考えている)


 分からない。分からないことが、暁風には何より落ち着かなかった。

 窓の外から、夕食の支度をする使用人たちの声が聞こえてくる。炊飯の甘い香りが、風に乗って東棟まで届いた。


 暁風は無意識に鼻を動かし——すぐに顔をしかめた。


(任務だ。飯の匂いに気を取られてどうする)


 だが鳳凰米の香りは、軍の兵糧しか知らない暁風の鼻にも、明らかに別格だった。


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