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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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帰還

 鳳凰領の城門をくぐった瞬間、歓声が上がった。


「お嬢様が帰ってきた!」


「麗華様だ! 麗華様がお戻りだ!」


 街道の両側を埋め尽くす領民たちが、手を振り、花を投げ、声を張り上げている。子供たちが馬車と並走し、老人たちは道端で深々と頭を下げた。どこかで銅鑼どらが鳴り、それに応えるように家々の軒先から色布が翻る。


 春蘭が目を瞠った。


「これは——出迎えの手配をしたわけではないのですが」


「自然に集まったのでしょう。鳳凰領の民は耳が早いから」


 麗華は車窓から軽く手を振った。穏やかな微笑みだったが、胸の奥で何かが熱くなるのを感じていた。


 ここは私の土地だ。私を必要としてくれる場所だ。


 後宮では最後まで、この種の温かさを感じることはなかった。皇帝の寵愛は政治の道具であり、嬪妃ひんぴたちの笑顔は牽制の仮面だった。ここにある歓声には、裏がない。


 馬車が城門を抜けると、鳳凰領の中心街が目の前に広がった。


 石畳の大通りに沿って商店が立ち並び、軒先には色とりどりの品物が溢れている。帝都の商業街と比べると規模は小さいが、活気では引けを取らない。いや、活気という点では帝都を凌いでいるかもしれない。


 何より目を引いたのは、市場だった。


「春蘭、少し寄りましょう」


 馬車を降り、市場に足を踏み入れた。


 まず鼻を打ったのは、穀物の芳しい匂いだった。


 広場の中央に積み上げられた米俵から、精白された鳳凰米ほうおうまいの甘い香りが漂っている。粒は大きく、光沢があり、一粒一粒がふっくらと丸い。街道沿いの村で見た灰色の雑穀とは、同じ穀物とは思えないほどの差だった。あの村の子供たちに、この米で粥を炊いてやりたい——そんな思いが、ふと胸をよぎった。


 その隣には雑穀の山。粟、黍、高粱。どれも粒が揃い、色艶が良い。さらにその向こうには小麦粉の袋が積まれ、製粉したばかりの白い粉が袋の口からこぼれていた。


「これが今年の新米でございます。お嬢様、いかがですか」


 米屋の主人が駆け寄ってきた。太った体に満面の笑み。この男は代々鳳家に米を卸している商人だ。


「今年も見事ね。粒が大きい」


 麗華は米を一掬い手に取った。掌の上でさらさらと転がる米粒は、午後の陽光を受けて真珠のように輝いている。指で一粒を潰してみると、中に白い芯はない。ふっくらと柔らかく、この状態で生の米を齧っても仄かな甘みが感じられた。


 市場をさらに奥へ進むと、野菜と果物の区画に出た。


 青々とした白菜が山と積まれ、赤い唐辛子が縄に吊るされて風に揺れている。長葱の束、茄子の籠、蓮根の桶。胡瓜は朝採りらしく、まだ露に濡れていた。その向こうには果物屋が並び、桃、杏、李、棗が色鮮やかに並んでいる。桃は産毛が陽光をまとって金色に光り、手に取れば果汁がしたたりそうなほど熟していた。


「お嬢様、こっちも見てくだされ」


 肉屋の親爺が手招きした。


 鶏が丸ごと吊るされ、鴨の燻製が飴色に輝いている。豚の三枚肉は脂の層が均一で、塩漬けの干し肉は紅色が美しい。川魚の生簀には鯉と鮒が泳ぎ、干し海老が笊に山盛りになっていた。


「相変わらず見事な品揃えね」


「鳳凰領の市場は天下一でございますよ」


 親爺が胸を張った。


 市場の片隅では、屋台が湯気を上げていた。


 蒸し器から立ち昇る白い煙の中に、蒸し餃子の匂いが混じっている。小麦粉の皮が半透明に蒸し上がり、中の豚肉と韮の餡がうっすら透けて見える。隣の屋台では鶏の炙り焼きが串に刺さって回転し、脂が炭火に落ちてじゅうと音を立てていた。その焼ける匂いに、歩いている者が思わず足を止めている。


「お嬢様のお帰りということで、今夜は歓迎の宴の準備をしております」


 市場の管理人が頭を下げた。


「蒸し餃子に鶏の炙り焼き、彩り野菜の和え物、花巻、果実の蜜煮——領民の皆さまが腕によりをかけて」


「まあ」


 麗華は微笑んだ。宴の準備まで自発的に動いてくれるとは思わなかった。


 市場を出て、大通りを歩く。


 道行く人々が笑顔で会釈し、子供が花を差し出してくる。麗華は一人一人に頭を下げ、花を受け取り、時折足を止めて声を交わした。


「麗華様、お帰りなさいませ。ご飯は召し上がりましたか」


「まだよ。今夜の宴が楽しみだわ」


「今年の桃は格別でございますよ。あとでお届けしますね」


「ありがとう。楽しみにしているわ」


 春蘭が半歩後ろから、その光景を見つめていた。


「お嬢様」


「何?」


「後宮にいらしたときとは、お顔が違います」


 麗華は足を止め、小さく笑った。


「そう?」


「はい。本当に、そう」


 春蘭は断言した。侍女として三年間、後宮の麗華を最も近くで見てきた女の言葉だ。重みが違う。


 鳳家の屋敷に着いたのは、夕暮れ時だった。


 門をくぐると、屋敷の使用人たちが一列に並んで頭を下げた。「お帰りなさいませ」の声が重なる。厨房の方角から、炊飯の甘い匂いがすでに流れてきている。


 麗華は一人一人に声をかけながら、屋敷の奥へ進んだ。


 自室に入り、扉を閉めた。


 春蘭を下がらせ、一人になった。


 窓から見えるのは、鳳凰領の夕景だった。水田が茜色に染まり、遠くの山並みが紫色に暮れていく。炊飯の煙がそこかしこから立ち昇り、風に乗って甘い匂いが漂ってくる。夕食の支度をする家々の灯りが、一つ、また一つと灯り始めた。


 この景色を守る。


 この食卓を守る。


 それが、後宮を去った自分に残された仕事だ。


 麗華は窓辺に額を寄せ、深く息を吸った。


 鳳凰領の空気は甘かった。土と緑と、夕飯の匂い。この空気を胸いっぱいに吸い込むと、後宮の三年間で張り詰めていた何かが、ほんの少しだけ緩んだ。


 唇がかすかに震えた。


 それは泣くためではなかった。後宮では決して見せなかった、飾らない笑みが浮かんだのだ。


「——ただいま」


 小さな声は、自分にしか聞こえなかった。


 窓の外で、宴の準備が始まっている。


 明日から、戦が始まる。食糧を武器にした、笑顔の戦争が。


 だが今夜だけは。


 今夜だけは、帰ってきた喜びに浸ろう。


 鳳凰領の夜空に、最初の星が灯った。


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