街道の風景
帝都を発って二日目。
馬車は荒地の中を走り続けていた。
街道沿いに点在する村々は、どこも似たような顔をしている。ひび割れた畑。痩せた家畜。軒先に干された洗濯物だけが、人が暮らしている証だった。車輪が乾いた轍を刻むたびに、灰色の砂埃が舞い上がる。風に水の気配はなく、太陽だけが容赦なく大地を炙っていた。
麗華は車窓から目を離さなかった。
「お嬢様、少しお休みになっては」
春蘭が気遣わしげに声をかける。昨晩は宿駅の粗末な寝台で、ほとんど眠れなかったはずだ。
「休むわ。次の村を過ぎたら」
だがその前に、見ておきたいものがある。
後宮の三年間、帳面の数字でしか知らなかった瑛朝の「外」が、今この窓の外に広がっている。鳳凰領の穀物がなければ成り立たない国——その実態を、自分の目で確かめておかなければならなかった。
馬車が速度を落とした。街道脇に小さな村が見えてきたのだ。家屋は十軒ほど。土壁は崩れかけ、屋根の藁は半分ほど剥がれている。
村の入り口に井戸があった。その周りに数人の村人が座り込んでいる。
「馬車を止めて」
麗華は御者に声をかけ、車を降りた。
春蘭が慌てて後を追う。
「お嬢様、このような場所で——」
「大丈夫よ。少し話を聞くだけ」
井戸端に近づくと、村人たちが顔を上げた。男が二人、女が三人。痩せた顔に疲労の色が濃い。麗華の装いを見て、ただの旅人ではないと察したのだろう、緊張した面持ちで腰を浮かせた。
「お邪魔して申し訳ありません。少しお水をいただけますか」
麗華は穏やかに微笑んだ。後宮仕込みの所作だが、相手が身構えないよう意識して柔らかくする。
年嵩の女が椀に水を汲んでくれた。麗華は一口含み、礼を言った。水は濁りこそないが、鉄の匂いが強い。舌の奥にざらつきが残り、飲み込んだ後も喉に錆びた味が引っかかる。鳳凰領の澄んだ井戸水とは比べものにならなかった。
「この辺りの畑は、今年はいかがですか」
「今年もだめさね」
女が首を振った。
「種を蒔いても芽が出ない。出ても育たない。土が死んでるんだ、もうずっと」
「以前は採れたのですか」
「わしの婆さまの代までは、多少は採れたと聞いてる。けど、もう三代は駄目だね。今は鳳凰領から流れてくる穀物を買って食いつないでるよ」
麗華は頷いた。予想通りだ。帝都から遠い小さな村でも、食糧は鳳凰領に依存している。
井戸のそばで、幼い子供が二人、地面に座って何かを食べていた。
椀の中を覗くと、麗華の表情がかすかに固まった。
泥のような色の粥だった。雑穀と水を煮詰めただけのもので、粘りも艶もない。匙ですくうと指の間からざらざらと零れ落ちそうなほど頼りない。穀物というよりも、砂を煮たと言ったほうが正確だろう。匂いはほとんどない。穀物の甘い香りなど、欠片も残っていなかった。
子供たちは無言でそれを口に運んでいた。不味いとも美味いとも言わない。それしか知らないのだ。
「奥さま、旅のお方でしょう。この先、鳳凰領へ?」
「ええ」
「あそこはいいとこだよ。米が白くてね、芋も甘くて、果物まで採れるって言うじゃないか。うちの村からも、若い衆が二人ほど働きに出てるよ」
女は羨ましそうに言った。恨みの色はない。鳳凰領が豊かなことを、この村の人々は当然のこととして受け入れている。あの土地だけが特別なのだと。
(——この穀物の差を、帝都の官吏は知っているのかしら)
麗華は子供たちの椀にもう一度目を落とした。
この粥を見れば、朝廷の穀物政策がどれほど破綻しているか一目瞭然だ。鳳凰領からの穀物に頼りきりでありながら、その供給元を支える鳳家の当主を廃妃にする。愚策の極みだ。
だが、この子供たちには何の罪もない。
麗華は馬車に戻り、春蘭が旅支度に入れておいた堅焼き餅の包みを持ってきた。
「よろしければ、これを」
女に包みを渡した。中には堅焼き餅が六つ。鳳凰領産の小麦で作った、胡麻と塩の素朴な餅だ。保存が利き、しっかりとした歯応えの中に小麦の甘みが残る。齧れば胡麻の香ばしさが鼻に抜け、素朴だが満足のある味わいだ。
「こんな立派なものを——」
「旅の荷を軽くしたいだけです。お気になさらず」
女が礼を述べ、子供たちの椀に餅を一つずつ割り入れた。子供が一口齧り、目を丸くした。おそらく、まともな小麦の餅を食べたことがないのだろう。小さな手が餅を握り直し、大事そうにもう一口を運んだ。
麗華は微笑んだ。だがその微笑みの裏で、別の感情が渦を巻いていた。
この光景を、皇帝に見せてやりたい。
あなたが切り捨てた女の領地がなければ、この国の民はこの泥の粥すら食べられなくなる。
馬車に戻ると、春蘭が静かに口を開いた。
「お嬢様」
「何?」
「帝都だけではないのですね。他の領地も——すべて鳳凰領の穀物に頼っている」
「ええ。帝都は鳳凰領の穀物を官糧として徴収し、各地に分配している。だから官糧を止めれば、帝都の宮廷だけでなく、地方の官府にも影響が出る。ただし——」
麗華は指を立てた。
「市糧は止めない。この村のように、商人経由で穀物を買っている民は今まで通り食べられる。困るのは官糧に頼っている朝廷の組織だけ」
春蘭が頷いた。
「お嬢様が手を引けば——」
「この国は干上がる。ええ、分かっているわ。だから武器になるのよ」
麗華は窓の外に視線を戻した。
荒地が続いている。灰色の大地に、乾いた風だけが走っていく。草の一本も生えない荒れ地が、地平線まで広がっていた。
この風景こそが、鳳凰領の価値を証明している。この荒野が広がれば広がるほど、たった一つの豊かな土地の意味が重くなる。
後宮を追われた女には何もない——朝廷はそう思っているだろう。
だが実際は逆だ。
後宮という檻から出た今、麗華の手には帝国を動かす最強の札が握られている。
食糧だ。
食糧こそが、この荒れた世界における最も確実な権力の源泉。
麗華は先ほどの子供たちの顔を思い出した。泥の粥を無言で食べる、あの小さな手。堅焼き餅を齧ったときの、あの丸い目。
民は飢えさせない。
それだけは、どんな策を弄しても守り抜く。
馬車が荒地を抜け、やがて空気が変わった。乾いた風に、かすかに草の匂いが混じり始めた。土の色が灰色から茶に、茶から黒に変わっていく。生きた土の匂いだ。
「そろそろね」
麗華は窓から身を乗り出した。
地平線の向こうに、緑の帯が見えた。
鳳凰領は、もうすぐそこだった。




