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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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もう一つの使い方

 鳳凰領の東端に、試験田しけんでんがある。

 小高い丘の裾に広がる一区画。麗華れいかが新しい栽培法や品種改良を試す場所であり、同時に——地養術ちようじゅつの研鑽の場でもあった。


 秋の陽が傾きかけた午後、麗華は試験田の奥に一人で立っていた。


 普段の試験田は農地の一部として使っているが、今日は違う。東の端、山裾に近い区画。ここは畑ではなく、岩と土が半々に混じった荒れ地だ。かつて耕作を試みたが、土が痩せすぎていて作物が育たなかった場所。赤茶けた岩肌が露出し、その隙間に灰色の土が詰まっている。わずかに生えた雑草すら、葉先が枯れて茶色く変色していた。


 鳳凰領の中にも、こうした場所はある。霊脈れいみゃくの恩恵が届かない、取り残された土地だ。


 だが麗華の目的は、作物を育てることではなかった。


 草履を脱ぎ、裸足で荒れ地に踏み入る。冷たい土の感触が足裏に伝わった。石の角が肌を刺すが、構わない。膝をつき、両手を地面に置いた。

 目を閉じ、意識を深く沈める。


 霊脈を探る。いつもの感覚だ。大地の奥深くを流れる力の脈動。地の底から絶え間なく湧き上がる、温かく、緩やかな波動。慣れた手順で霊脈に意識を繋ぎ——


 だが今日は、いつもと違うことをした。


 力を引き上げるのではなく、力の流れそのものに意識を沿わせた。


 霊脈は農地の下を流れている。その力を引き上げて土に注ぐのが地養術の基本だ。祖父から教わった通りの手順。百年前から鳳家が守ってきた、土地を肥やすための術。


 だが麗華はふと思ったのだ。引き上げるのではなく、流れの方向を変えたらどうなるか。枯れた土地に霊脈の流れそのものを導いたら——荒地を根本から蘇らせることはできないか。


 掌に集中した。

 力の脈動が指先を通って伝わってくる。いつもの翡翠色の光——ではなかった。


 光が、違う色を帯びた。


 翡翠色の中に、金色の筋が混じっている。見たことのない色だ。掌の上で二色の光が絡み合い、脈打つように明滅する。力の質が変わったのか、それとも術の方向が変わったからか。麗華自身にも分からなかった。


 ただ、光が掌を離れ、土に触れた瞬間——指先に奇妙な手応えがあった。いつもの地養術は、力を注ぐ一方通行だ。だが今の感覚は違った。土が、応えた。枯れた大地が、微かに脈打った。


「——何、これ」


 呟いた瞬間、指先から放たれた光が荒れ地の土に染み込んだ。

 ほんの一瞬のことだった。だが、光が触れた場所の土の色が——わずかに変わった気がした。灰色だった土が、一段だけ暗い色に。湿り気を帯びたような。


 麗華は目を凝らした。気のせいだろうか。しかし掌に残る感覚は確かだった。今までの地養術にはない、何か——


「麗華」


 背後から声がかかった。


 鳳老太爺ほう・ろうたいやだった。


 杖をついた小柄な老人。白髪を後ろで結い、簡素な麻の袍を纏っている。年齢は七十を超えているが、目だけは若者のように鋭い。麗華の祖父にして、地養術の先代継承者。その老太爺が、いつの間にか荒れ地の縁に立っていた。


「おじいさま」


「何をしている」


 老太爺の声は穏やかだが、その目は麗華の手元——光が消えたばかりの掌——を見ていた。杖を握る手に、わずかに力がこもっている。


「地養術の、新しい使い方を試していたの。引き上げるのではなく、流れを変えることで——」


「それは——」


 老太爺が言葉を切った。


 一瞬、老太爺の目に浮かんだのは驚きだった。次に——恐れに似た何か。麗華はその表情の変化を見逃さなかった。祖父がこの顔をするのは、初めてだった。


「いや、まだ早い」


「まだ早い?」


「お前がやろうとしていることは、確かに地養術の——もう一つの方向ではある。だが、今のお前には危険だ。身体への負荷が通常の比ではない」


 老太爺は杖をつきながら歩み寄り、麗華の掌を取った。皺だらけの手が、孫娘の指先を確かめるように触れる。


「指が冷えている。霊脈に力を流しすぎた証拠だ」


 言われてみれば、確かに指先が冷たかった。手のひらもうっすらと震えている。気づかなかった。術に集中していたせいだ。


「おじいさま。『もう一つの使い方』とは何ですか」


 麗華は真っ直ぐに老太爺を見た。


 老太爺は杖に両手を重ね、しばらく黙っていた。秋風が二人の間を吹き抜け、試験田の向こうに広がる田畑の稲穂が波のように揺れた。金色の穂が夕陽を弾き、さわさわと音を立てている。


「……地養術は、大地から力を借りて作物を育てる術だ。だがその力は、本来は借りるだけのものではない」


「つまり?」


「霊脈は生きている。流れがある。その流れを変えることができれば——枯れた土地の霊脈そのものを蘇らせることが、理論上は可能だ」


 麗華は息を呑んだ。


「荒地を——根本から治せる?」


「理論上は、と言った。実際にやった者はいない。いや——」


 老太爺が口を閉じた。何かを言いかけて、飲み込んだ。その沈黙に、百年分の重みがあるように麗華には感じられた。


「おじいさま?」


「今は忘れなさい。お前にはまず、目の前の戦いがある。帝都との食糧戦略。領地の維持。霊脈の新しい使い方は、全てが片付いてからでよい」


 老太爺は杖を突いて踵を返した。


「待って。おじいさま——」


「今日の茶は摘んだか」


 唐突な問いに、麗華は言葉を止めた。


「試験田の東の区画。先月植えた茶の木が初葉をつけたはずだ。摘んでおいで」


「……話を逸らしていますね」


「年寄りは話が長くなるから、短く切るのも技術だ」


 老太爺は笑い、杖をついて丘を下りていった。その背中は小さく、しかし不思議と揺るぎがなかった。


 麗華は荒れ地に残り、自分の掌を見つめた。

 翡翠色と金色の混じった光。あれは何だったのか。


(荒地を根本から治す術。それが地養術のもう一つの使い方——)


 考え込みかけて、頭を振った。老太爺の言う通りだ。今は目の前の戦いに集中すべきだ。


 試験田の東の区画へ足を向けた。

 茶の木は確かに初葉をつけていた。鮮やかな若緑色の葉が、秋の陽に透けている。地養術で育てた茶の木は、通常より葉が厚く、香りが強い。一枚摘んで指先で揉むと、清冽な香気が鼻を衝いた。青い草と花を混ぜたような、冴えた香り。


「——この茶は、霊脈の力が濃い」


 呟いた。

 この一枚の葉に宿る力。それを生み出しているのは、大地の奥を流れる霊脈の脈動だ。


 その霊脈を——蘇家が狙っている。


 麗華は茶の葉を掌に載せ、空を見上げた。秋の空は高く、鳳凰領の上空には一羽の鳶が弧を描いて飛んでいた。夕陽が空を茜色に染め、試験田の一面が金色に輝いている。


(守らなければ。この土地を。この霊脈を。——でも、いつまで私一人で?)


 その問いは、風に紛れて消えた。


 麗華は茶の葉を丁寧に籠に摘み、丘を下りた。


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