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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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贅沢品の消滅

 宮廷の大宴は、かつて帝都の華だった。


 月に二度、朝廷の重臣と六部りくぶの高官が一堂に会し、皇帝を囲んで酒食を交わす。瑛朝えいちょうの建国以来二百年続く慣例であり、朝廷の結束を内外に示す儀式でもあった。


 かつての大宴は壮観だった。

 鳳凰米ほうおうまいの白飯に始まり、海鼠なまこの醤油煮、燕の巣の蓮子はすのみスープ、紅焼獅子頭ホンシャオスーズートウ——肉を幾度も叩いて練り上げ、とろ火で半日煮込んだ肉団子は、箸で持ち上げただけで崩れるほどの柔らかさだった。鳳凰領産の黄酒ホワンチュウは琥珀色に透き通り、口に含めば花のような芳香が広がる。季節の果物の蜜漬けは宝石のように卓上を彩り、最後に出される桂花糕けいかこうの甘い香りで宴が締まる。十五品の料理が白磁の器に盛られ、広間には食の贅が満ちていた。


 それが——今日の大宴の食卓は、こうだった。


 粥。

 干し魚。

 塩漬けの菜っ葉。


 以上。


 帝都・宮廷の大広間に居並ぶ重臣たちは、食卓を前に沈黙していた。


 広間は変わらず荘厳だ。朱塗りの柱、金箔の天井画、翡翠の灯架。器も変わっていない。白磁の碗に銀の箸。景徳鎮けいとくちんの大皿。だが大皿の上には——薄い粥が申し訳程度に注がれ、脇に干し川魚が二切れと、塩漬けの菜っ葉が小山ほど盛られているだけだ。


 器の豪華さが、中身の貧しさを残酷に際立たせていた。白磁の碗に入った粥は、碗の絵付けが底まで透けて見えるほど薄い。銀の箸で掬うものが、粥というより白湯さゆに近い。


 二十人の高官が、同じ料理を前に、同じ表情を浮かべていた。


 絶望ではない。もう絶望は通り過ぎた。あるのは虚脱だった。


「——では、始めましょうか」


 趙文昌ちょう・ぶんしょうが粥を掬い、口に運んだ。

 彼の手は安定していた。宰相としての体面は保っている。だがその粥の薄さは、趙文昌の体面の裏を残酷に暴いていた。米粒が数えるほどしか入っていない。味は——米を煮た湯の味だ。かつてこの碗に盛られていた翡翠粥ひすいがゆの、青菜と鶏出汁が溶け合った濃厚な旨みとは、比べるべくもない。


 重臣たちが趙文昌に倣い、無言で箸を取った。


 干し魚を齧る音が、広間に乾いた音を立てた。川魚を干しただけのもので、塩が強すぎて舌が痺れる。身は薄く、噛むほどに繊維だけが歯の間に残った。かつての大宴に出された海鼠の醤油煮は、柔らかく弾力があり、噛めば出汁の旨みが口いっぱいに広がったものだ。菜っ葉の漬物は酸味が勝ち、歯ざわりだけは良いが味は粗い。


 誰も言葉を発しなかった。


 かつての大宴では、十五品の料理に合わせて話題が変わった。海鼠の煮物が出れば外交の話、紅焼肉が出れば軍務の話、最後の桂花糕では酒に酔った高官たちが詩を詠んだ。料理の豊かさが場を潤し、宴はただの食事ではなく政治の潤滑油だった。


 今、その潤滑油は枯れ果てていた。


 粥を啜る音。干し魚を噛む音。菜っ葉を咀嚼する音。

 それだけが広間を支配していた。


 吏部尚書の韓大人が、ふと隣席の兵部尚書に目を向けた。兵部尚書は歴戦の武人で、普段は豪放な食べっぷりで知られる男だ。酒の席では三品目が出る頃には碗を空にし、四品目を催促するのが常だった。その男が、粥を一匙ずつ丁寧に口に運んでいる。一滴も無駄にしないように。


(——かつて十五品を平らげていた男が、粥を一匙ずつ、か)


 韓大人は目を伏せ、自分の粥に向き合った。碗の底に残った数粒の米を、匙で丹念に掬った。


 宴の半ばで——いや、粥と干し魚と漬物では半ばも何もないが——一人の中級官吏が立ち上がった。戸部こぶの侍郎で、財政を担当する実務官だ。


「——趙宰相閣下」


「何か」


「恐れながら申し上げます。このまま事態が推移すれば、来月には官吏への俸禄米の支給すら滞る可能性がございます」


 広間が凍った。


「鳳凰領からの官糧が途絶えて三月。朝廷の備蓄は底を見せ始めています。他領からの代替穀物は量も質も足りません。直近の収支を申し上げますと、宮廷の食料消費だけで月に——」


「分かっている」


 趙文昌が遮った。声は平静だが、数珠を弄ぶ指の動きが速い。


「対策は講じている。戸部は数字だけを見て騒ぐな」


「しかし——」


「黙れ。宴席で政務の話をするな」


 侍郎は唇を噛み、席に戻った。周囲の高官たちが目を伏せる。侍郎の言葉は全員が聞きたかった本音だったが、誰もそれを口にする勇気がなかった。


 趙文昌は粥の碗を置いた。碗の底の白磁が、透き通った汁の向こうに見えていた。


 宴が終わった。


 重臣たちが三々五々広間を出ていく。その足取りは重い。腹が膨れていないせいもあるが、それ以上に——宴席がもたらすはずの結束感が消えていた。満足に食えぬ宴で、何の結束が生まれよう。


 廊下で、二人の高官が並んで歩いていた。秋の夜風が廊下を抜け、満腹でない身体にはことさら冷たかった。


「——もう限界ではないか」


 声をひそめたのは、刑部けいぶの侍郎だった。


「何が限界だ。趙宰相はまだ対策があると——」


「対策? 三月経って対策らしい対策が一つでもあったか? 代替穀物は不味い。量は足りない。民衆は鳳家を支持している。情報統制も失敗した。何もかもが後手ではないか」


「声を落とせ」


「——鳳家に頭を下げるしかあるまい」


 もう一人の高官が足を止めた。


「頭を下げる、だと? あの廃妃に?」


「廃妃だろうが何だろうが、飯を食わせてくれるのは鳳家だけだ。体面で腹は膨れない。宰相閣下にはそれが分からぬのだ」


「…………」


「このまま粥と干し魚で冬を越すつもりか? 俺はごめんだ。家族を飢えさせてまで守る体面など、犬に食わせてしまえ」


 二人は無言で歩き出した。


 夜風が廊下を抜けた。その風には、かつてのように厨房から漂う夜食の匂いもなかった。以前なら宴の後には、下膳された料理の残り香——醤油と八角の甘い匂いや、煮詰めた黄酒の芳醇な香り——が廊下にまで流れてきたものだ。今は、ただ冷たい秋風だけが吹き抜けていく。


 かつて十五品が並んだ宮廷の大宴。

 粥と干し魚と漬物の三品になった宴席。

 料理が消えたのではない。料理とともに、朝廷を束ねていた何かが消えたのだ。


 結束、威信、忠誠心——そういった目に見えない紐帯が、空腹の前に溶けていく。


 食糧は権力の土台だった。その土台を一人の女が引き抜いた。

 そして今、建物全体が傾き始めていることに、建物の住人たちはようやく気づき始めていた。


 趙文昌だけが、傾きに気づいていなかった——あるいは、気づかぬふりを続けていた。


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