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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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民の声、朝廷の耳

 帝都の街角で、噂は風よりも速く広がる。

 秋風が石畳を撫で、露店の暖簾を揺らす。市場には焼き餅の香ばしい匂いが漂い、穀物屋の軒先に積まれた鳳凰米の袋が朝日を浴びて白く輝いていた。


「——ねえ、聞いた? 宮廷の宴席で白い飯が出なくなったんだって」

「嘘でしょ。天子さまのお膳に白い飯がないの?」

「本当よ。お友達の旦那が工部にお勤めでね、宮廷の宴に出たら粥と干し魚しかなかったって」


 東市場の片隅、屋台の長椅子に腰を下ろした二人の女が、鳳凰米の焼き飯を食べながら声をひそめた。ひそめているつもりだったが、屋台の周囲にはすでに十人ほどの客がいて、全員が同じ話題を口にしていた。


「そりゃそうだろう。鳳家の穀物が届かなくなったんだから」


 屋台の親父が鉄鍋を振りながら言った。油を引いた鍋の上で鳳凰米がぱらりと踊り、葱と卵の香ばしい匂いが湯気とともに立ちのぼる。


「鳳家の——ほら、あの廃妃さまだよ。追い出されたのが怒って、穀物を止めたんだ」


「怒ってなんかないよ。あのお方は笑ってたって言うじゃないか。去り際に『帝都の食卓が寂しくなりませんよう』って——」


「ひいっ、怖い! 笑いながら食い物を止めるの!?」


「怖いもなにも、おかげでこっちは困ってないだろ。市場には鳳凰米がちゃんと並んでる。困ってるのはお上だけさ」


 屋台の客たちが頷いた。事実だった。


 鳳凰領からの民間流通——市糧しりょうは通常通り機能している。帝都の市場には鳳凰米も小麦粉も野菜も並び、民間の食卓はさほど変わっていない。変わったのは朝廷だけだ。官糧かんりょうが止まり、宮廷の宴席から贅沢品が消え、官吏の俸禄米が劣悪な代替穀物に替わった。


 つまり——廃妃が止めたのは権力者の食卓であって、民の食卓ではない。


 この事実が、帝都の民衆の間に静かに、しかし確実に浸透していた。


「あの廃妃さまのおかげで食べられてるんだねえ」

「いや、鳳家のおかげだ。廃妃さまはもともと鳳家のお嬢さまだろう」

「それを追い出すから、こうなるんだ。お上も馬鹿なこった」


 この日、帝都の朝廷は情報統制の命令を出した。


 趙文昌ちょう・ぶんしょうが自ら起草した布告は簡潔だった。


『市井において風説を流布し、朝廷の威信を貶める者は厳罰に処す』


 布告は帝都の各門と市場の入り口に貼り出された。兵士が巡回し、「不穏な噂話」を監視するよう命じられた。


 効果は——逆だった。


「おい見ろよ、朝廷がお触れを出した。『噂を流すな』だと」


 東市場の穀物屋の前で、男が布告を指さした。


「噂じゃないだろう。宮廷の飯が不味くなったのは事実だ。事実を言うなっていうのか」


「そりゃあ言えないだろうさ。本当のことだからこそ、広まったら困るんだ」


 笑い声が上がった。穀物屋の親父がつられて笑い、屋台の女将が腹を抱え、通りかかった老婆までが口元を押さえている。


 情報統制は、民衆に一つの確信を与えた。朝廷が噂を封じようとしているということは、噂が事実であるということだ。食糧問題は深刻で、朝廷はそれを隠したがっている。


 巡回の兵士がやってくると、民衆は口を閉じた。兵士が去ると、また話し始めた。ただし今度は、より小声で——そしてより辛辣に。


「兵隊さんも大変だねえ。腹ぺこで巡回してるんだろうに」

「兵士の飯も代替穀物らしいよ。鳳凰米は夢のまた夢」

「兵隊が満足に食えなくなったら、この国は終わりだね」


 噂は消えなかった。


 布告を貼り出した翌日には、布告の横に誰かが落書きをしていた。


『鳳家の飯を止めたのは誰だ 口を止めるより先に飯をよこせ』


 朝廷の官吏が真っ青になって落書きを消したが、翌日には別の壁に同じ文句が書かれていた。


 帝都・朝廷の議場で、趙文昌は情報統制の報告を聞いていた。


「宰相閣下。布告の効果は——芳しくございません」


 報告官が額に汗を浮かべながら言った。


「民衆の噂話は減るどころか、布告そのものが新たな話題を提供してしまいました。『本当のことを言うなとは何事だ』という反発が——」


「分かっている」


 趙文昌は玉の数珠を弄びながら、低い声で遮った。数珠の音が、いつもより速い。


「情報を統制するのではない。情報の流れを変えるのだ。——鳳家が穀物を止めたのは、麗華の私怨によるものだという方向に世論を誘導せよ」


「しかし、市場には鳳凰米が通常通り——」


「民間流通は維持されている。それは認めよう。だが官糧を止めたのは事実だ。廃妃の逆恨みで国の穀物を私物化している、と。そう言えば、民衆の同情は朝廷に戻る」


 趙文昌は自信があった。四十年の政治経験が培った世論操作の手腕。人心は操れる。そう信じていた。


 だが彼は一つ、見落としていた。


 民衆の口を操るには、まず民衆の腹を満たさなければならない。


 帝都の民の腹を今満たしているのは、朝廷の穀物ではなく、鳳凰領の市糧だった。腹を満たしてくれる者の悪口を、誰が信じるだろうか。


 趙文昌の世論誘導は、三日で破綻した。


「鳳家が穀物を私物化している? はっ、馬鹿を言うな。市場に鳳凰米を並べてるのは鳳家じゃないか。私物化してるなら市場にも出さないだろう」


「だいたい、廃妃にされて怒るのは当然だ。怒ったって飯は止めてない。止めたのはお上への年貢だけだろ。むしろ偉いくらいだ」


 民心は、動かなかった。


 いや——もう動いていた。朝廷から、鳳家の方へ。


 その夜、趙文昌は宰相府の書斎で一人、冷えた茶を飲んでいた。

 茶が不味かった。いつもの龍井茶ろんじんちゃではない。鳳凰領産の茶葉が手に入らなくなって以来、代替の茶葉を使っているが、香りも味も話にならない。


(——小娘が)


 数珠を握りしめ、趙文昌は奥歯を噛んだ。


(たかが穀物で、この趙文昌の世論を動かせると思うなよ)


 だが、その「たかが穀物」に朝廷の権威が削り取られている現実を、趙文昌は直視できなかった。

 できなかったのではない。しなかったのだ。


 帝都の民心は、もう朝廷のものではなかった。


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