官吏の列
帝都の東市場は、朝から異様な賑わいを見せていた。
秋の朝日が市場の屋根を照らし、石畳に長い影を落としている。鳳凰米を炊く匂いが屋台の方角から漂い、通りを行く者の鼻をくすぐった。
いや、「賑わい」と呼ぶにはいくらか品のない光景だった。市場の穀物屋の前に、二十人ほどの列ができている。列に並んでいるのは、市井の民ではない。
官服だった。
それも一人や二人ではない。薄墨色の官袍に烏紗帽を載せた男たちが、肩を縮め、顔を伏せ、まるで悪事を働きに来たかのような体で列に並んでいる。帝都の下級官吏たちだ。
「おやおや、今日もお役人さまの大行列だ」
穀物屋の主人が腕を組み、感嘆ともからかいともつかない声を上げた。恰幅の良い中年男で、鳳凰領産の穀物を扱う正規の商会と取引を持つ、帝都でも有数の穀物問屋である。
「鳳凰米、一升ください」
列の先頭の官吏が小声で言った。烏紗帽を深く被り、顔を隠そうとしている。
「はいはい、一升ね。——あれ、お役人さま、先週もいらしたでしょう。俸禄米はどうされたんで」
「…………」
官吏は答えなかった。答えられるはずがない。朝廷から支給される俸禄米はとうに鳳凰米ではなくなり、他領から掻き集めた代替穀物に替わっている。色は黄ばみ、炊いても粘りがなく、口に入れれば酸い臭いが鼻を突く。あれを飯と呼ぶのは、米に対する冒涜だった。
(……だから、こうして市場に並ぶしかない)
官吏は銅銭を数えながら、唇を噛んだ。
俸禄米の質が落ちたのは一月ほど前からだ。最初は「一時的な措置」と説明があった。鳳凰領からの官糧の納入が滞っているが、すぐに回復する、と。
しかし回復しなかった。
それどころか、日を追うごとに質は落ち、量も減った。先週など、支給された米に虫食いの粒が混じっていた。妻が悲鳴を上げ、子供が泣き、その夜の食卓は無言だった。
「はい、鳳凰米一升。毎度あり」
穀物屋の主人が白い米を量り、紙袋に入れた。粒が大きく、一粒一粒が真珠のように光を弾いている。官吏は袋を受け取り、一瞬だけその重みを噛みしめるように目を閉じた。
(——やはり、これでなければ)
こっそりと列を離れる官吏の背中を、後ろに並ぶ同僚が見つめていた。誰も声をかけない。声をかける余裕がない。全員が同じ事情を抱え、同じ屈辱を飲み込んで、ここに並んでいるのだから。
「いやはや。お役人さまがたが市場で穀物を買う時代になりましたか」
隣の乾物屋の女将が、穀物屋の主人に耳打ちした。
「朝廷の備蓄がよほど厳しいんだろうさ。鳳凰領の官糧が止まって、もう二月になる。宮廷では白米が消えたって話だよ」
「ほんに。こちとら市場にいれば鳳凰米は買えるのに、お上は食べられないとは。世の中ひっくり返ったもんだね」
穀物屋の主人は苦笑し、次の客に鳳凰米を量り始めた。
その日の午後、帝都の朝廷は静かな混乱に包まれていた。
六部の一つ、吏部の長官室に、吏部尚書の韓大人が座っている。白髪交じりの初老の官吏で、温厚だが実務に長けた人物として知られていた。
その韓大人の前に、部下である吏部侍郎が深刻な顔で報告書を差し出した。
「韓大人。今月に入り、下級官吏の市場での穀物購入が急増しております」
「知っている」
「……ご存じでしたか」
「私の部下が三人、今朝も東市場に並んでいたからな」
韓大人は嘆息した。
「止められぬのか」
「止めようがございません。俸禄米の質が落ちている以上、自腹で食い繋ぐしかない。家族を飢えさせるわけにはいかんでしょう」
「——しかし、お上の禄を受ける者が、民間の市場で食糧を買い求めるなど、体面が」
「体面で腹は膨れません」
侍郎が言い切った。韓大人は反論できなかった。反論する言葉を持たなかった。なぜなら、韓大人自身も先週から自宅の食卓は市場で買った鳳凰米に替わっている。妻が黙って買い替えたのだが、韓大人はそのことに気づいて——何も言わなかった。
「それだけではありません」
侍郎が声を落とした。
「工部と兵部の下級官吏の一部が、俸禄の一部を穀物ではなく銅銭で支給するよう求める陳情書を提出しています」
「……なんだと」
「銅銭であれば、市場で鳳凰米を買えます。役に立たない俸禄米より、自分で選んだ米を食べたい、と」
韓大人は目を閉じた。
官吏が朝廷の禄を拒み、市場の米を求める。それは体面の問題ではない。朝廷が官吏に「まともな食事」を保障できなくなったということだ。
(……鳳家が官糧を止めただけで、これほどのことになるとは)
韓大人は苦い茶を啜り、窓の外を見た。
帝都の空は秋の高さで、雲一つない。だがその晴天の下で、帝国の屋台骨が音を立てて軋み始めていた。
下から崩れる。
権力は末端から腐り、組織は内部から朽ちる。廃妃にされた女が仕掛けた兵糧攻めは、朝廷の最底辺——下級官吏の食卓から、帝国の権威を削り取っていた。
そしてそれを止める手段を、今の朝廷は持っていなかった。
その夜。
帝都の一画、古びた官舎の台所で、昼間市場に並んでいた官吏が鳳凰米を炊いていた。
蓋を開けると、湯気とともに甘い香りが立ち昇った。粒の立った白い飯が鍋の中で輝いている。
「おとうさま、今日のご飯は白い!」
幼い娘が目を丸くした。
「ああ。今日は——白い飯だぞ」
官吏は笑った。屈辱も、体面も、今だけは忘れることにした。
家族四人で囲む白い飯。妻が漬物と干し菜の汁物を添え、つましいが温かい食卓が整った。
一口。
粘りのある、ふくよかな甘み。これだ。この味だ。俸禄米の黄ばんだ代替穀物とは何もかもが違う。
(……鳳凰米を、市場で買わなければ食べられない。俸禄をもらっている身で。これが今の朝廷だ)
娘が無邪気に白い飯を頬張るのを見ながら、官吏は思った。
朝廷の権威は、こうして——一膳の飯から崩れていくのだ。




