鳳家のおかげ
帝都の東市は、この一月で様変わりしていた。
いや、市場そのものは変わっていない。品揃えも価格もいつも通りだ。変わったのは、そこに集まる人々の顔ぶれと、交わされる言葉だった。
鳳凰米の屋台に列ができている。
列の中に、官吏の姿がある。私服を着て、顔を隠すように笠を深く被った者たちが、一般の市民に混じって穀物を買い求めていた。一人や二人ではない。十人、二十人——朝廷の俸禄米では足りず、あるいはその質に耐えられず、自腹で市場に来ているのだ。
中には禁軍の兵士もいた。軍装を脱いで市井の者に紛れているが、体格と歩き方が隠しきれていない。
屋台の主人は、彼らの正体に気づいている。だが何も言わない。金を出す客は客だ。鳳凰米を量り、袋に詰め、銅銭を受け取る。それだけのことだ。
「鳳家のおかげで食べられてるんだよ」
屋台の隣で粥を啜っていた老婆が、いつもの口癖を言った。この老婆——市場の常連は彼女を「粥婆さん」と呼んでいる——は最近、市場の名物になりつつあった。毎朝この場所に座り、鳳凰米の粥を食べ、通りがかる誰にでも同じ言葉をかける。
「鳳家のお嬢様が市場を止めなかったから、あたしらは飯が食える。朝廷は何もしてくれないけど、鳳家は食べさせてくれる。あたしの亭主は十年前に飢えて死んだけど、あの頃に鳳家のお嬢様がいてくれたらって、いつも思うよ」
その言葉に、市場の客たちが頷く。
「そうだよな。宮廷じゃ雑穀飯だってのに、ここじゃ鳳凰米が買える」
「鳳家がなかったら、うちらも飢えてたかもしれない。他領から来た難民が増えてるだろう? 涼州や雲州じゃ食糧が足りなくて、帝都に流れてきてる」
「ていうか、鳳家のお嬢様を廃妃にしたのは朝廷でしょ? 追い出しておいて、食べ物だけはよこせっていうの?」
声が大きくなっていく。
半月前なら、こうした会話は茶屋の奥で声をひそめて交わされていた。だが今は、市場の通りで堂々と語られている。朝廷への不信と、鳳家への感謝が、日を追うごとに大きくなっていた。
そして、ある変化が起きていた。
市場の屋台に、新しい品書きが出ている。
「鳳凰米の粥——三文」
「鳳凰米の肉饅頭——五文」
「鳳凰米の焼き餅——二文」
「鳳凰米の」と冠がつくようになった。以前は「白粥」「肉饅頭」としか書いていなかった品に、わざわざ鳳凰米であることを謳っている。それが売り文句になるからだ。「鳳凰米を使っている」と書くだけで、客の目が止まり、列ができる。
——その声は、宮城にも届いていた。
帝都の御史台——朝廷の監察機関。
御史の一人が、趙文昌の前に報告書を広げた。
「閣下。帝都の民心につきまして、看過できぬ動きがございます」
趙文昌は数珠を弄りながら、報告書に目を通した。
「民間で『鳳家のおかげ』という言い回しが流行しておるそうだな」
「はい。市場を中心に、鳳家への感謝の声が急速に広がっております。同時に、朝廷への批判も——」
「批判の内容は」
「『朝廷は鳳家を追い出しておいて、民の食糧を確保する策もない』『鳳家の方が朝廷より頼りになる』等々。それから——『廃妃さまは正しかった』という声も」
趙文昌の数珠が一瞬止まり、すぐに動き出した。
「情報統制をかけろ」
趙文昌が短く命じた。
「市場での鳳家に関する噂話を取り締まれ。『鳳家のおかげ』などという言い回しを公の場で使うことを禁じる触れを出せ」
御史が口をつぐんだ。
「閣下。恐れながら——」
「何だ」
「噂話を禁じれば、民はますます反発いたします。言論の弾圧と見なされ、かえって『やはり朝廷は鳳家を恐れている』という認識を広めることになりかねません」
趙文昌の数珠が止まった。
御史の言うことは正しい。情報統制は、情報が管理可能な範囲にあるときにだけ有効だ。すでに帝都の市場という開かれた空間で語られている言葉を封じ込めるのは、水を手で掬うようなものだ。掬えば掬うほど、指の間から零れ落ちる。
「では、どうしろと」
「対案を示すことです。朝廷として食糧問題にどう対処しているか、具体的な策を民に示す。そうすれば『朝廷は何もしていない』という批判は——」
「対案がないから問題なのだ」
趙文昌が吐き捨てた。
御史が口を閉じた。
書斎に重い沈黙が落ちた。対案がないことを宰相自ら口にした——その言葉の重さに、御史も趙文昌自身も気づいていた。
宰相府を辞去した御史の背中を見送り、趙文昌は椅子に深く沈んだ。
(対案。対案か。鳳凰領の代わりを見つけることが対案だ。だが代わりはない。他領は荒地化が進み、穀物の質も量も話にならん。金で買える代替品も存在しない。情報統制は逆効果。力ずくは民心をさらに離反させる)
つまり、民に示す「対案」がない。
鳳凰領に依存している構造を変える手段がない。
そして民は、それを肌で感じ取っている。市場に行けば鳳凰米がある。朝廷の食堂に行けば雑穀飯がある。この単純な対比が、千の言葉よりも雄弁に現実を語っている。
趙文昌は数珠を弄り直した。
(情報統制は逆効果。対案はなし。つまり——鳳家に頭を下げて官糧の再開を請うしかない、か)
だがそれは、廃妃の処置が誤りだったと認めることだ。蘇家との共同工作を否定し、宰相としての判断を覆すことだ。
できない。
少なくとも、趙文昌の矜持がそれを許さない。
——帝都の市場では、夕暮れ時の屋台が賑わっていた。
鳳凰米で作った粥を出す店に、長い列。肉饅頭を蒸す屋台に、行列。焼き餅の店には、子供たちが小銭を握りしめて並んでいる。
「おっちゃん、焼き餅一つ!」
「はいよ。鳳凰米の粉で焼いた焼き餅だ。うまいぞ」
鉄板の上で焼き餅がじゅうと音を立てる。表面がこんがりと焼けて、香ばしい匂いが漂う。鳳凰米の粉は粘りが強く、焼くと外はぱりっと、中はもちもちとした食感になる。子供が一口齧り、目を輝かせた。
「うまい!」
「だろう? この味は宮廷でも食べられないらしいぞ」
屋台の主人が笑い、子供も笑う。
その笑いの中に、もはや悪意はなかった。ただ純粋に、食べ物がおいしいという喜び。温かい焼き餅を手にした子供の頬が赤く染まり、母親が笑いながら口元の粉を拭いてやる。
だがその喜びを与えているのが朝廷ではなく鳳家であるという事実が、帝都の空気を静かに、しかし確実に変えていた。
焼き餅の香ばしい匂いが、夕暮れの帝都に広がっていく。
その香りの届かない場所——宮城の奥深くで、趙文昌の数珠だけが、せわしなく鳴り続けていた。




