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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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荒地の代償

 趙文昌ちょうぶんしょうの書斎に、各州の農官からの報告書が積み上がっていた。

 どの報告書も、同じ言葉で始まっている。


 ——荒地化の進行が止まりません。


 涼州りょうしゅう。かつては麦の産地として知られた州だが、十年前から収穫量が半減し続けている。報告書には「肥沃な表土が流出し、下層の赤土が露出。作物の根が張れない」とある。一升の種を蒔いて四合の収穫——それが涼州の現実だった。


 青州せいしゅう。水田がまだ残る数少ない州だったが、今年の報告には「灌漑かんがい用の河川の水量が減少。水田の三割が休耕に追い込まれた」と記されていた。残る七割の水田も、霊脈れいみゃくの衰弱により土壌の養分が年々痩せている。


 雲州うんしゅう。山間部の棚田たなだで細々と稲作を続けていたが、「山肌の崩落により棚田の四割が壊滅。復旧の見込みなし」。崩落の原因は霊脈の乱れによる地盤の脆弱化だった。


 趙文昌は報告書を一枚ずつ読み、そのたびに眉間の皺を深くした。


「荒地化の原因は何だ。根本のところを説明せよ」


 傍らに控える農官——戸部こぶの書記官が答えた。若い男で、日に焼けた顔が他の文官と一線を画している。実際に各州を巡察してきたのだろう。手には自ら書いた巡察報告の控えを持っている。


「閣下。荒地化の根本原因は、百年前の霊脈震れいみゃくしんにございます」


「霊脈震か。それは知っている。百年前に大地の霊脈が乱れ、国土の大半が荒れた。だが鳳凰領だけは無事だった」


「はい。正確に申せば、鳳凰領の地下には瑛朝えいちょうで最も太い霊脈が走っており、震の影響を受けにくかったのです。太い幹が揺れても折れないように、鳳凰領の霊脈は震に耐えた。一方、他領の霊脈は細く、震で断たれたり衰えたりしたものが大半です」


「それが百年経っても回復しないのか」


「回復どころか、年々悪化しております」


 農官は帳面を広げた。過去二十年の各州の穀物生産量が、折れ線の図で示されている。右肩下がりの線が、全ての州で共通していた。一つとして上向いている州はない。


「霊脈が弱った土地は、通常の農法では穀物を十分に育てられません。土壌に養分が浸透しないのです。一升いっしょうの種をいて三合しか収穫できない——これが他領の平均値です」


「一升蒔いて三合。話にならんな」


「はい。対して鳳凰領は、一升蒔いて十二合の収穫があります。地養術ちようじゅつの効果です」


 趙文昌の数珠が止まった。


「地養術」


「鳳家の秘伝です。霊脈の力を引き上げて土壌に注ぎ込み、作物の生育を劇的に促進する術。この術があるからこそ、鳳凰領だけが豊作を維持しています」


「その術を、他の者が使うことは」


「不可能です。術を使えるのは、現当主の鳳麗華ほうれいか殿と、引退された先代当主の鳳老太爺ほうろうたいやのみ。霊脈を感知する特殊な体質が必要とのことで、鳳家以外の者には伝えられないとされています」


 趙文昌は椅子の肘掛けを握りしめた。


(つまり鳳家を排除しても、代わりがいない。鳳凰領の土地だけを奪い取っても、地養術がなければ数年で荒地になる。穀物を生産する手段そのものが、あの女の掌に握られている)


 これまで趙文昌は、鳳家の問題を「政治的な権力争い」として捉えていた。名門の専横を抑え、朝廷の管理下に穀物流通を置く——そういう政治案件だと。

 だが実際には、これは政治の問題ではなかった。土の問題だ。霊脈の問題だ。科挙の首席合格者が四十年かけて培った政治力では、枯れた土に一粒の米も実らせることはできない。


「閣下」


 農官が声を落とした。


「もう一つ、申し上げにくいことがございます」


「言え」


「荒地化は、止まっていません。それどころか、年を追うごとに加速しております。過去五年の進行速度は、その前の十年の二倍です。このままの速度で進行すれば——五十年後には、鳳凰領以外の全土が完全な荒地になる可能性があります」


 五十年。

 趙文昌は口を閉じた。


 五十年後、自分はとうにこの世にいない。だが瑛朝は——いや、瑛朝の民は生きているはずだ。その民が全て鳳凰領に依存しなければ食べていけない世界。国土の九割以上が荒野と化し、一つの領地だけが緑を保つ。


「しかし」と農官が続けた。「逆に言えば、鳳凰領さえ健在であれば、瑛朝は食糧を確保できます。問題は、鳳凰領の食糧生産を支えている地養術が、事実上一人の人間に依存しているということです」


「一人の人間——鳳麗華」


「はい。彼女がいなくなれば、鳳凰領の生産も長くは持ちません。先代の鳳老太爺は高齢で大規模な術は使えないと聞き及んでおります」


「もうよい」


 趙文昌は手を上げて農官を黙らせた。


 立ち上がり、再び窓辺に歩いた。帝都の向こうに広がる平野が見える。かつては田畑が広がっていたはずの土地が、今は茶色い荒野だ。乾いた風が砂埃を巻き上げ、空を薄く濁らせている。


(一升蒔いて三合。一升蒔いて三合。他領の農地は死にかけている。鳳凰領だけが生きている。そしてその命綱を握っているのが、廃妃にした女だ)


 趙文昌は歯を食いしばった。


 鳳家を排除すれば朝廷の一極支配が実現できると踏んでいた。食糧の問題は、政治で解決できると信じていた。他領から集めればいい。南方から買えばいい。いくらでも代替策はある——はずだった。


 だが現実は違った。

 荒地化は構造的な問題であり、一時的な不作ではない。他領に余力はなく、来年はさらに悪化する。鳳凰領の穀物なしには、この国は回らない。


 そして鳳凰領の穀物は、鳳麗華なしには生まれない。


「鳳凰領以外はどこも——」


 呟きが漏れた。

 その先の言葉を、趙文昌は飲み込んだ。


 だが飲み込んだところで、現実は変わらなかった。

 窓の外の荒野が、乾いた風に吹かれて、ざらざらと砂を散らしていた。


 農官が退室した後、趙文昌は書斎に一人残った。

 帳面を閉じ、数珠を握り、目を閉じた。


 帝都の街角では、市民たちが会話を交わしていた。


「どこもかしこも不作だってよ。涼州の親戚が泣きついてきた。食い物を送ってくれって」


「そりゃ大変だ。うちの田舎も似たようなもんさ。まともに穀物が採れるのは——」


「鳳凰領だけ、か」


「ああ。鳳凰領だけだ。あそこだけが、まるで別の国みたいに豊かだ」


 その言葉は、帝都の空気に溶けて、人から人へと静かに伝わっていった。


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