代替穀物の味
趙文昌は、己の舌を呪いたくなった。
「これを食え、と?」
宰相府の書斎。目の前に置かれた碗には、他領産の穀物で炊いた飯が盛られていた。副官が「閣下もご試食を」と進言したのが昨日のこと。今朝、実際に目にして、趙文昌は渋面を作った。
色が悪い。鳳凰米ならば透き通るような白さだが、この飯は黄ばんでいる。ところどころに灰色の粒が混じり、全体として濁った印象だ。湯気から漂う匂いも、甘さではなく微かな酸味を含んでいる。
碗に盛られた飯の表面は、鳳凰米のようにふっくらと盛り上がらず、平たく沈んでいる。粘りがないのだ。箸を入れると、抵抗なくすっと刺さる。鳳凰米の飯ならば、箸を受け止める弾力がある。
「閣下。官吏たちにはこれを食べさせているのです。宰相みずからお召し上がりにならなければ、示しがつきません」
副官の言葉は正論だった。
趙文昌は箸を取り、飯を一口含んだ。
——不味い。
粘りがない。米粒が口の中でばらばらに散り、噛んでも甘みがほとんどない。代わりに、穀物が劣化しかけた独特の渋みが舌の奥にまとわりつく。飲み込んだ後、喉に妙な引っかかりが残った。鳳凰米の飯ならば、飲み込んだ後に鼻に抜ける甘い余韻がある。この飯には、何もない。ただ胃に収まるだけだ。
趙文昌は碗を卓に置いた。
二口目を食べる気にはなれなかった。
「——味はともかく」
数珠を弄りながら言った。声に動揺を出すまいとする意志が、かえって言葉を硬くしている。
「量はどうだ。三州からの供出を全て合算して、宮廷と軍の必要量の何割を賄える」
「三割です、閣下」
「三割」
「はい。しかも、この品質の穀物を三割です」
副官が帳面を広げた。
「内訳を申し上げます。涼州の粟は虫食いが二割混入。水で選別すれば食用可能ですが、歩留まりが悪く実質使える量は六割に減ります。つまり涼州の二百石は、実質百二十石です」
「百二十石」
「はい。青州の麦は水分過多で、このまま保管すれば一月で黴ます。早急に粉に挽いて饅頭にするか、乾燥させるか——いずれにせよ保存が利きません」
「雲州は」
「五十石のうち、砕米が三割。使えるのは三十五石程度です」
趙文昌は指を折って計算した。涼州百二十石、青州百五十石(ただし保存不可)、雲州三十五石。合わせて三百石余り。宮廷と軍の月間必要量は二千石。
(三百石。必要量の——一割五分にも満たない)
「閣下。先ほど『三割』と申しましたのは年間での見積もりでございます。月ごとの供出は安定しておらず、実質的な充足率はさらに下がります」
「もうよい」
趙文昌が手を上げた。
「要するに、量も足りず、品質も話にならんということか」
「左様にございます」
書斎に沈黙が落ちた。
趙文昌は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。木の梁が規則正しく走る天井。四十年この朝廷に仕え、宰相の座を守り続けてきた。政敵を退け、派閥を操り、皇帝を輔弼し——いや、操り——この国を動かしてきた。
その全ての手腕が、穀物の前に無力だった。
(鳳凰領が七割を握っている。残りの三割は質が悪く、量も足りない。つまり——代替は不可能だ)
「他に手はないのか」
趙文昌の声が低くなった。
「南方の商人から買い付けるのは」
「南方も事情は同じです。荒地化は瑛朝全土に及んでおり、南方とて余剰はありません。闇市で鳳凰米を高値で仕入れる手もありますが——」
「鳳凰米を闇市で?」
「はい。民間の市場には鳳凰領産の穀物が潤沢に流通しております。それを朝廷が闇市価格で買い集めれば、一時的には——」
「馬鹿を言え」
趙文昌が声を荒らげた。数珠の音が止まった。
「朝廷が闇市で穀物を買い集めていると知れたら、どうなる。宰相が民の食糧を奪い取っていると噂が立つ。すでに市場では『鳳家のおかげで食べられている』と言われているのだ。その上、朝廷が民の米を横取りしようとしたら——民心が離反するどころの話ではない」
副官が口を閉じた。
趙文昌は立ち上がり、窓辺に歩いた。宰相府の窓から、帝都の街並みが見える。市場の方角から、炊飯の煙が立ち昇っていた。あの煙の下では、鳳凰米が炊かれているのだろう。民は食べている。朝廷だけが食べられない。
(あの小娘——鳳麗華。たかが穀物と思っていた。政治で、権力で、どうとでもなると)
ならなかった。
穀物は政治では生まれない。権力では育たない。土と水と、鳳家の秘術がなければ——。
「閣下」
副官がおずおずと言った。
「他領の収穫量につきまして、もう一つ報告がございます」
「何だ」
「来季の収穫予測です。各州の農官からの報告を取りまとめましたところ——今季よりさらに一割減の見込みです。荒地化の進行が、予想を上回っております」
趙文昌は窓枠に手をついた。
指先が白くなるほど力が入っている。
「……一割減」
「はい。このままでは来年には、他領からの供出自体が不可能になります。涼州も青州も雲州も、自領の民を食べさせるだけで精一杯になると」
つまり、鳳凰領の代わりは存在しないということだ。
今年がだめなら来年はもっと悪い。三州から搾り出した雑穀すら、来年には手に入らなくなる。
趙文昌は振り返り、書斎の椅子に戻った。
机の上の碗を見下ろした。黄ばんだ飯が冷めかけて、さらに色が濁っている。一口だけ減った碗が、宰相の敗北を静かに証言していた。
「量が確保できれば——」
言いかけて、口を閉じた。
量も確保できない。品質はなおさらだ。何もかもが鳳凰領に依存しており、鳳凰領が止まれば全てが止まる。
その構造を変えようとして鳳家を排除したはずだった。なのに、排除した結果、構造の致命性が露わになっただけだった。
趙文昌は数珠を手に取った。
弄り始めた。速い。玉と玉が忙しなくぶつかり合い、乾いた連打音が書斎を満たす。
その音は、焦りそのものだった。




