表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/28

対比——鳳凰領の夕食

 帝都の宮廷食堂は、もはや陰鬱な空気に沈んでいた。

 官吏たちが無言で雑穀飯を口に運ぶ。箸の音と、碗を置く音だけが響く。かつて食堂を賑わせていた談笑は消え、誰もが下を向いて黙々と食べている。壁に掲げられた「食は国の基なり」の額が、いまは皮肉にしか見えなかった。

 席に着かず、食堂の入り口で足を止めて帰っていく官吏もいた。雑穀飯を見る気力すらないのか、あるいは市場で鳳凰米を買って自宅で食べるつもりなのか。いずれにせよ、食堂に空席が増えていた。


 ——場面が変わる。


 鳳凰領ほうおうりょう鳳家ほうけの食堂。


 夕暮れ時の柔らかな光が、木造の食堂に差し込んでいた。窓の外には収穫を間近に控えた稲穂が黄金色に輝き、遠くの山の稜線が茜色の空に溶けている。

 卓の上には、湯気を立てる料理が並んでいる。


 鳳凰米の白飯。粒が大きく、一粒一粒が真珠のように光っている。碗に盛るとき杓子しゃくしを入れただけでふわりと崩れる、炊き加減の完璧な飯だ。

 豚の角煮かくに——花椒ほわじょう八角はっかくで煮込まれた肉が、甘辛い醤油の色に染まり、脂身が飴色に透き通っている。箸を当てるだけでほろりと崩れる柔らかさだ。表面に照りがあり、醤油と氷砂糖が絡んだ煮汁が皿の底に溜まっている。

 青菜の蝦醤シャージャン炒め。蝦醤の塩気と旨みが青菜に絡み、鮮やかな緑が食欲をそそる。強火で一気に炒めた歯応えが残り、噛むたびに青菜の水分と蝦醤の風味が口の中で弾ける。

 冬瓜と鶏のスープ。澄んだ琥珀色の汁に、透き通った冬瓜の切り身と鶏肉が浮かぶ。湯気とともに、鶏の出汁と生姜の香りがふわりと立ち昇った。


「——いただきます」


 麗華が箸を取り、暁風も同様に手を合わせた。

 向かい合って座る二人の間に、豊かな食卓が広がっている。暁風が鳳凰領に赴任してから一月ひとつきあまり。いつの間にか、二人が同じ食堂で夕食を取るのが日課になっていた。

 最初は別々に食べていた。暁風は「監視役が被監視者と食卓を共にするのは不適切だ」と固辞したが、麗華に「食堂が一つしかないのですから、別々に食べる方が不自然ですよ」と言われ、渋々同席するようになった。いつしか、渋々の顔が消えた。


 暁風はまず角煮に箸をつけた。

 肉が口の中でほどけた。花椒の痺れるような香りが鼻を抜け、直後に八角の甘い余韻が追いかけてくる。醤油の旨みが舌に広がり、脂身が溶けて喉を滑り落ちていく。煮汁を含んだ肉の繊維が、噛むごとに味を放出する。


「……うまい」


 いつもの簡潔な感想。だがその二文字に込められた重みを、麗華は知っている。暁風が「うまい」と言うとき、箸が一瞬止まり、目が微かに見開かれる。その反応が出るのは、本当に心が動いたときだけだ。


「今日は花椒を少し多めにしてみました。将軍は辛いものがお好きでしょう」


 暁風の箸が一瞬止まった。


「俺の好みを」


「毎日一緒に食事をしていれば、分かりますよ。花椒が多い日は食べる速度が上がりますから」


 暁風は黙って目を逸らした。耳の先がわずかに赤い——のは、花椒のせいだろう。おそらくは。


 麗華は微笑んで、白飯を一口含んだ。炊きたての鳳凰米が、噛むたびに甘みを増していく。


 暁風は角煮をもう一切れ口に入れてから、ぽつりと言った。


「帝都では今頃、雑穀飯でしょうか」


 麗華の箸が、かすかに揺れた。


「ええ。そうでしょうね」


「あんたの——策の結果だ」


「はい」


 麗華の声に、動揺はなかった。穏やかに、事実として認めた。


「将軍。一つ、お聞きしてもいいですか」


「何だ」


「帝都の雑穀飯と、この食卓。どちらがお好みですか」


 暁風は眉間に皺を寄せた。


「……答えるまでもないだろう」


「でしょうね」


 麗華は冬瓜のスープを椀に注いだ。暁風の分も。鶏骨を六刻ろっこく煮出した清湯は、見た目は澄んでいるが味は深い。暁風は礼も言わずに受け取ったが、黙って一口飲んだ。鶏の出汁の深い旨みが、胃の奥に温かく沁みた。生姜の香りが鼻を抜け、冬瓜の柔らかさが舌の上でとろりと崩れた。


「この差なのです」


 麗華が言った。


「帝都の権力者たちが今失っているもの。そして鳳凰領が持っているもの。この差が——私の武器です」


「分かっている」


「ならば」


 麗華はスープの椀を卓に置き、暁風の目を真っ直ぐに見た。琥珀色の瞳が、夕日を映して金色に光っている。


「この食卓は、あなたへの賄賂わいろではありませんよ」


 暁風が目を見開いた。


「——何を」


「あなたがここで食べているのは、鳳凰領の日常です。領民も同じものを食べている。特別なものは出していません。あなたを懐柔しようとして豪華な食事を並べているわけではない」


「……」


「ただ、この土地で生きている人間として、同じ食卓を囲んでいるだけです」


 暁風は黙った。

 腕を組み、角煮の皿と麗華の顔を交互に見ている。やがて、腕を解いた。


「……分かった。ありがたく食う」


「ええ。たくさん召し上がってください」


 麗華は微笑んだ。

 今度の笑みには、策略の影がなかった。暁風はそれを見て、何か言いかけたが——結局、箸を取って白飯を口に運んだだけだった。


 向かい合って食事を摂る。

 監視役と被監視者。皇帝の将軍と廃妃。そのどちらの肩書きも、この食卓の上では少しだけ軽くなる。


 窓の外で、鳳凰領の夕焼けが田畑を赤く染めていた。稲穂が風に揺れ、収穫を待つ黄金色の波が遠くまで続いている。

 帝都の灰色の食卓とは、別の世界がここにあった。


 暁風はスープの椀を空にし、ふと呟いた。


「……帝都の連中が今、この食卓を見たら」


「悔しいでしょうね」


「あんたは、それを楽しんでいるのか」


 麗華は一瞬だけ考えてから、答えた。


「少しだけ。——ほんの少しだけ」


 その正直さに、暁風は不意を突かれた。

 策士の完璧な仮面が、食卓の温かさの中でわずかに緩んだ一瞬。暁風は目を逸らし、最後の角煮を口に入れた。


(恐ろしい人だ。だが——)


 その先の言葉を、暁風はまだ見つけられなかった。


 片付けの際、春蘭しゅんらんが暁風の碗を下げながら、空になった皿を確認した。角煮は一切れも残っていない。スープの椀も空。白飯は三杯。


(三杯。赴任初日は一杯半だったのに)


 春蘭は小さく笑みを浮かべ、何も言わずに食器を厨房に運んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ