対比——鳳凰領の夕食
帝都の宮廷食堂は、もはや陰鬱な空気に沈んでいた。
官吏たちが無言で雑穀飯を口に運ぶ。箸の音と、碗を置く音だけが響く。かつて食堂を賑わせていた談笑は消え、誰もが下を向いて黙々と食べている。壁に掲げられた「食は国の基なり」の額が、いまは皮肉にしか見えなかった。
席に着かず、食堂の入り口で足を止めて帰っていく官吏もいた。雑穀飯を見る気力すらないのか、あるいは市場で鳳凰米を買って自宅で食べるつもりなのか。いずれにせよ、食堂に空席が増えていた。
——場面が変わる。
鳳凰領。鳳家の食堂。
夕暮れ時の柔らかな光が、木造の食堂に差し込んでいた。窓の外には収穫を間近に控えた稲穂が黄金色に輝き、遠くの山の稜線が茜色の空に溶けている。
卓の上には、湯気を立てる料理が並んでいる。
鳳凰米の白飯。粒が大きく、一粒一粒が真珠のように光っている。碗に盛るとき杓子を入れただけでふわりと崩れる、炊き加減の完璧な飯だ。
豚の角煮——花椒と八角で煮込まれた肉が、甘辛い醤油の色に染まり、脂身が飴色に透き通っている。箸を当てるだけでほろりと崩れる柔らかさだ。表面に照りがあり、醤油と氷砂糖が絡んだ煮汁が皿の底に溜まっている。
青菜の蝦醤炒め。蝦醤の塩気と旨みが青菜に絡み、鮮やかな緑が食欲をそそる。強火で一気に炒めた歯応えが残り、噛むたびに青菜の水分と蝦醤の風味が口の中で弾ける。
冬瓜と鶏のスープ。澄んだ琥珀色の汁に、透き通った冬瓜の切り身と鶏肉が浮かぶ。湯気とともに、鶏の出汁と生姜の香りがふわりと立ち昇った。
「——いただきます」
麗華が箸を取り、暁風も同様に手を合わせた。
向かい合って座る二人の間に、豊かな食卓が広がっている。暁風が鳳凰領に赴任してから一月あまり。いつの間にか、二人が同じ食堂で夕食を取るのが日課になっていた。
最初は別々に食べていた。暁風は「監視役が被監視者と食卓を共にするのは不適切だ」と固辞したが、麗華に「食堂が一つしかないのですから、別々に食べる方が不自然ですよ」と言われ、渋々同席するようになった。いつしか、渋々の顔が消えた。
暁風はまず角煮に箸をつけた。
肉が口の中でほどけた。花椒の痺れるような香りが鼻を抜け、直後に八角の甘い余韻が追いかけてくる。醤油の旨みが舌に広がり、脂身が溶けて喉を滑り落ちていく。煮汁を含んだ肉の繊維が、噛むごとに味を放出する。
「……うまい」
いつもの簡潔な感想。だがその二文字に込められた重みを、麗華は知っている。暁風が「うまい」と言うとき、箸が一瞬止まり、目が微かに見開かれる。その反応が出るのは、本当に心が動いたときだけだ。
「今日は花椒を少し多めにしてみました。将軍は辛いものがお好きでしょう」
暁風の箸が一瞬止まった。
「俺の好みを」
「毎日一緒に食事をしていれば、分かりますよ。花椒が多い日は食べる速度が上がりますから」
暁風は黙って目を逸らした。耳の先がわずかに赤い——のは、花椒のせいだろう。おそらくは。
麗華は微笑んで、白飯を一口含んだ。炊きたての鳳凰米が、噛むたびに甘みを増していく。
暁風は角煮をもう一切れ口に入れてから、ぽつりと言った。
「帝都では今頃、雑穀飯でしょうか」
麗華の箸が、かすかに揺れた。
「ええ。そうでしょうね」
「あんたの——策の結果だ」
「はい」
麗華の声に、動揺はなかった。穏やかに、事実として認めた。
「将軍。一つ、お聞きしてもいいですか」
「何だ」
「帝都の雑穀飯と、この食卓。どちらがお好みですか」
暁風は眉間に皺を寄せた。
「……答えるまでもないだろう」
「でしょうね」
麗華は冬瓜のスープを椀に注いだ。暁風の分も。鶏骨を六刻煮出した清湯は、見た目は澄んでいるが味は深い。暁風は礼も言わずに受け取ったが、黙って一口飲んだ。鶏の出汁の深い旨みが、胃の奥に温かく沁みた。生姜の香りが鼻を抜け、冬瓜の柔らかさが舌の上でとろりと崩れた。
「この差なのです」
麗華が言った。
「帝都の権力者たちが今失っているもの。そして鳳凰領が持っているもの。この差が——私の武器です」
「分かっている」
「ならば」
麗華はスープの椀を卓に置き、暁風の目を真っ直ぐに見た。琥珀色の瞳が、夕日を映して金色に光っている。
「この食卓は、あなたへの賄賂ではありませんよ」
暁風が目を見開いた。
「——何を」
「あなたがここで食べているのは、鳳凰領の日常です。領民も同じものを食べている。特別なものは出していません。あなたを懐柔しようとして豪華な食事を並べているわけではない」
「……」
「ただ、この土地で生きている人間として、同じ食卓を囲んでいるだけです」
暁風は黙った。
腕を組み、角煮の皿と麗華の顔を交互に見ている。やがて、腕を解いた。
「……分かった。ありがたく食う」
「ええ。たくさん召し上がってください」
麗華は微笑んだ。
今度の笑みには、策略の影がなかった。暁風はそれを見て、何か言いかけたが——結局、箸を取って白飯を口に運んだだけだった。
向かい合って食事を摂る。
監視役と被監視者。皇帝の将軍と廃妃。そのどちらの肩書きも、この食卓の上では少しだけ軽くなる。
窓の外で、鳳凰領の夕焼けが田畑を赤く染めていた。稲穂が風に揺れ、収穫を待つ黄金色の波が遠くまで続いている。
帝都の灰色の食卓とは、別の世界がここにあった。
暁風はスープの椀を空にし、ふと呟いた。
「……帝都の連中が今、この食卓を見たら」
「悔しいでしょうね」
「あんたは、それを楽しんでいるのか」
麗華は一瞬だけ考えてから、答えた。
「少しだけ。——ほんの少しだけ」
その正直さに、暁風は不意を突かれた。
策士の完璧な仮面が、食卓の温かさの中でわずかに緩んだ一瞬。暁風は目を逸らし、最後の角煮を口に入れた。
(恐ろしい人だ。だが——)
その先の言葉を、暁風はまだ見つけられなかった。
片付けの際、春蘭が暁風の碗を下げながら、空になった皿を確認した。角煮は一切れも残っていない。スープの椀も空。白飯は三杯。
(三杯。赴任初日は一杯半だったのに)
春蘭は小さく笑みを浮かべ、何も言わずに食器を厨房に運んだ。




