市場の活況
帝都の東市は、朝から活気に満ちていた。
石畳の通りに面した店が軒を連ね、天幕の下には色とりどりの食材が並ぶ。鳳凰米の袋が山と積まれ、小麦粉、蓮根、干し棗、新鮮な青菜——鳳凰領産の品々が、普段と変わらぬ価格で売られていた。
朝の光が石畳に反射し、天幕の隙間から差し込む陽射しの中で、鳳凰米の白い粒が宝石のように輝いている。米を量る升の音、銅銭を数える音、威勢のいい呼び声。市場はいつも通りに回っていた。
「おかみさん、鳳凰米を五合くださいな」
「はいよ。今日の入荷は上物だよ。粒が揃ってて艶がいい。炊いたらこのまま何もつけずに食べてごらん。甘みが違うから」
店の女将が慣れた手つきで米を量り、布袋に入れて渡す。買い物客の主婦がそれを受け取り、代わりに銅銭を置いた。いつも通りの値段。いつも通りの取引。
だが「いつも通り」が異様なのだと、気づいている者は日を追うごとに増えていた。
「ねえ、聞いた?」
市場の一角にある茶屋で、二人の女が声をひそめていた。布商の女房と、薬屋の娘だ。卓の上には茶と、鳳凰米の粉で焼いた煎餅が置かれている。
「宮城の食堂で、白い飯が出なくなったって」
「嘘でしょう。宮城で?」
「嘘じゃないわよ。うちの旦那の弟が戸部の書記をしてるんだけど、朝餉が雑穀飯に替わったんですって。粘りがなくてぱさぱさで、食べられたもんじゃないって嘆いてた」
薬屋の娘が目を丸くした。
「でも、ここの市場には鳳凰米がこんなに並んでるのに」
「そうなのよ。市場にはあるのに、宮廷にはないの。変な話でしょう?」
変な話だった。
だが、理由を知っている者が帝都にも少しずつ増えていた。
「鳳凰領の鳳家が、朝廷への出荷を止めたのよ」
隣の卓にいた老婆が、二人の会話に割り込んだ。皺だらけの顔に、鋭い目が光っている。干し柿を齧りながら、年の功で事情に通じている風情だった。
「朝廷には出さない。けれど市場には出す。だから私たちは食べられるけど、お上は食べられない。そういうことさ」
「なぜそんなことを?」
「廃妃にされたからだろう。鳳家のお嬢様は貴妃だったのに、追い出された。食べ物を作ってた人を追い出しておいて、今さら食べ物をよこせなんて虫が良すぎるよ」
老婆は笑い、茶を啜った。
「あたしゃ鳳家のお嬢様に感謝してるよ。あの方が市場を止めなかったおかげで、うちの孫も白い飯が食べられるんだからね」
茶屋の中に、小さなどよめきが広がった。
誰かが「そりゃそうだ」と頷き、誰かが「朝廷は何をやっているんだ」と呟いた。隣の卓にいた商人が「鳳凰米がある限り商売にも困らん」と腕を組み、その妻が「宮廷の料理人がかわいそう」と呟いた。
——その会話は、帝都の至るところで交わされていた。
市場の通りを、一人の男が人混みに紛れて歩いていた。
質素な布袍を着ているが、背筋が伸びすぎている。腰に何も佩いていないのに、歩き方に武人の名残がある。下級官吏の張永年——礼部の末席に名を連ねる、四十がらみの実直な男だった。
元は地方の軍属だったが、文官に転じて帝都に出てきた。実務に長け、上からの覚えもそこそこだが、派閥には属さず、出世にも欲がない。だからこそ、こうして私服で市場を歩き、自分の目で確かめようとしている。
張永年は市場を一巡し、鳳凰米が通常価格で売られていることを確認すると、小さく息を吐いた。
(やはりそうか。市場には出回っている。止まっているのは、官糧だけだ)
官糧——朝廷の備蓄米のことである。各領地から年貢として納められる穀物が、朝廷の倉庫に蓄えられ、軍の兵糧、官吏の俸禄米、宮廷の食料として配分される。その大元が鳳凰領であり、鳳凰領が納入を止めれば、官糧は干上がる。
だが民間の流通は別だ。鳳凰領から商人を通じて市場に運ばれる穀物——市糧と呼ばれる民間流通の穀物は、今まで通り流れている。
(鳳家の廃妃殿は、朝廷だけを干上がらせている。市井の民には影響がない。いや——影響がないどころか、民は鳳家に感謝し始めている)
張永年は足を止めた。
市場の入り口で、同僚の姿を見かけたのだ。兵部の書記官が、私服で鳳凰米を買っている。俸禄として配給される雑穀ではなく、自腹で市場の米を求めているのだ。
笠を深く被り、周囲を窺うように首を動かしている。官吏が市場で穀物を買うこと自体は禁じられていない。だがその態度には、明らかに後ろめたさがあった。
声をかけようとして、やめた。
同僚の顔に浮かんでいたのは、気まずさだった。朝廷の官吏が、朝廷の備蓄を見限って市場で食糧を調達している——その行為が何を意味するか、当人が一番わかっている。
(官と民の食卓が逆転している)
張永年は市場を後にしながら、考えた。
宮廷の食堂では雑穀飯が出る。だが市場に来れば、鳳凰米が手に入る。官吏の食事より市場の食事の方が上等という奇妙な状況が、すでに始まっていた。
この逆転は、朝廷の権威の逆転でもある。「朝廷に仕えていれば食に困らない」——その暗黙の了解が崩れれば、官吏たちの忠誠心にも亀裂が走る。
そしてこの状況を作り出したのは、朝廷に穀物を出さず、市場にだけ穀物を流している鳳家——廃妃にされた女の一手だった。
「鳳家のおかげで食べられてるんだよ」
すれ違った主婦の声が、張永年の耳に残った。
帝都の民は知り始めている。
自分たちの食卓を支えているのは朝廷ではなく、朝廷が追放した女であることを。
その認識が広がるほど、朝廷の権威は——砂の城のように、内側から崩れていく。
市場の喧騒の中、鳳凰米の握り飯を売る屋台に列ができていた。炊きたての鳳凰米を大きく握り、塩と胡麻をまぶしただけの素朴な品だ。だがその白い米粒の輝きと、立ち昇る甘い香りは、並んでいる客たちの顔をほころばせるに十分だった。
「一つくださいな」
「はいよ。今日も鳳凰米だよ。鳳家さまさまだねえ」
屋台の主人が笑い、客が笑い返す。
子供が握り飯を頬張り、熱さに頬を膨らませながら「うまい」と笑う。その隣で母親が、もう一つ買い足している。
その笑顔の一つ一つが、帝都の空気をゆっくりと変えていた。




