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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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圧力

 帝都・宰相府。

 趙文昌は書斎の奥の密室に蘇明徳を呼び寄せていた。


「鳳家への圧力を本格化させる」


 趙文昌は卓を叩き、地図を広げた。瑛朝の全土地図。鳳凰領が緑で塗られ、それ以外の大半が灰色——荒地を示す色で埋まっている。


「官糧の減額が始まって半月。宮廷の食事は品数が二品減り、太倉令は備蓄を切り崩し始めました。このまま鳳家を放置すれば——」


「だから申しておるじゃろう。兵を動かす。鳳凰領の境界に禁軍の一隊を派遣し、武力を見せつける。あの小娘に、朝廷に逆らえばどうなるかを教えてやるのです」


 蘇明徳は腕を組んだ。


「閣下。兵を動かすとなれば、皇帝陛下のご裁可が必要になりますが」


「裁可は取れる。陛下も鳳家の態度には心証を害しておられよう」


「しかし——」


「何を迷っておるのだ。鳳家は所詮、穀物を作るだけの家。剣を持った兵の前では、米の一粒も盾にはなるまい」


 趙文昌は椅子にふんぞり返り、卓の上の酒杯を手に取った。

 鳳凰領産の花彫酒。琥珀色の液体が杯の中で揺れる。


「この酒もいずれ手に入らなくなりますな」


 蘇明徳が静かに言った。


「ん?」


「鳳凰領産の花彫酒。閣下のお気に入りのこの酒も、鳳家との関係が悪化すれば——」


「馬鹿馬鹿しい。鳳家を屈服させれば全て元通りじゃ。酒も穀物も、鳳家が朝廷に逆らう限り減るが、膝を折ればすべて戻る。問題は時間じゃ」


 趙文昌は酒を一口煽り、唇を舐めた。


「次の収穫期まであと四ヶ月。それまでに鳳家を折らせねば、備蓄が危うくなる。今のうちに手を打つのが上策じゃ」


「——承知しました。では蘇家としても、後宮の玉蘭を通じて皇帝陛下のお心を傾けるよう動きましょう」


「うむ。頼んだぞ」


 蘇明徳が退出した後、趙文昌は一人で酒を飲み続けた。

 花彫酒の芳醇な香りが鼻腔に広がる。この酒を造る酒蔵は鳳凰領にしかない。鳳凰領の水と、鳳凰米と、霊脈に近い蔵でなければ出せない味だという。


(たかが穀物。たかが酒。力を見せつければ済む話じゃ)


 趙文昌は杯を空にし、卓の上の地図に目を落とした。

 緑の鳳凰領が、灰色の荒地の中に浮かんでいる。小さな島のように。


(あの島を押さえれば、何もかも手に入る。女一人の抵抗など、取るに足らぬ)


 趙文昌は自分の楽観を疑わなかった。


 同じ頃——帝都の中心、宮城の奥。


 皇帝・瑛承乾えいしょうけんは、御書房で一通の報告書を読んでいた。

 暁風からの第一報。


 承乾は若い。二十二歳。麗華より二つ上で、暁風より二つ下。切れ長の目と端正な顔立ちは、帝王としての風格を備えつつも、どこかに青年の影が残る。


 報告書を読み終え、承乾は卓の上に置いた。

 二度読み返し、三度目で一字一字を追った。


「——事実しか書いていないな」


 独り言だった。御書房には承乾一人しかいない。近侍を下がらせたのは、暁風の報告を誰にも見せたくなかったからだ。

 暁風の報告は簡潔だった。鳳凰領の農地は豊かである。麗華は領地経営に従事している。穀物の納入にやや変動がある。以上。


 暁風は嘘が書けない男だ。それは承乾が一番よく知っている。幼い頃から知る暁風の性格は、十年経っても変わらない。


 だからこそ、この報告書の「書かれていないこと」が気になった。


(暁風が書かなかったことがある。鳳麗華について、書けなかったことが)


 あの暁風が「危険人物」と書かなかった。暁風は嘘が書けない男だが、同時に忠義に厚い男でもある。主君に不都合な事実があれば、武人の義務として報告するはずだ。

 それなのに、この報告書には何もない。事実の羅列。鳳凰領は豊かです。麗華は働いています。穀物がやや減りました。——まるで、何かを書くことを拒んでいるかのような白さだ。


 承乾は報告書を折り畳み、引き出しにしまった。鍵をかけた。


 窓の外から、宮廷の厨房の方角で何やら慌ただしい声が聞こえる。今夜の宴席の品数が、また減るという話だろう。


(「帝都の食卓が寂しくなりませんよう」——)


 麗華の去り際の言葉が、脳裏に蘇った。あの時、承乾はその言葉の本当の意味を理解していなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。


 今、食卓は確かに寂しくなり始めている。


(麗華。——お前は、最初から分かっていたのだな)


 承乾は椅子に深く座り、天井を見上げた。


 趙文昌は兵を動かすと言っている。武力で鳳家を屈服させると。

 だが、暁風の報告書を読んだ承乾には、それが正しい手とは思えなかった。


(暁風が「危険人物」と書かなかった。あの暁風が。——つまり、鳳麗華は暁風の目から見て、ただの反逆者ではないということだ)


 しかし、趙文昌を止める力は、今の承乾にはない。宰相の権限は大きく、武力示威の決定には皇帝の裁可が必要だが、趙文昌が朝議で押し通せば拒否は難しい。


 承乾は引き出しから暁風の報告書を取り出し、もう一度読んだ。

 事実だけが並んだ、何も語らない文面。


 けれどその行間に、暁風の迷いが滲んでいた。


「暁風。——お前も、あの女に何かを感じたか」


 御書房の灯りが揺れた。秋の夜風が窓から忍び込み、卓上の報告書の端をめくった。


 帝都では宮廷の品数が減り続けている。趙文昌は酒を飲みながら楽観し、蘇明徳は沈黙の中で計算している。皇帝は報告書の行間を読み、暁風は鳳凰領で書けない言葉に苦しんでいる。


 そして鳳凰領では——。


 麗華が、秋の夜に一人で書斎の窓を開けていた。

 春蘭が帝都から届いた情報を報告し終え、退出した後だ。宮廷の品数が減り始めたこと。趙文昌が楽観していること。皇帝が沈黙を守っていること。すべて想定通りだった。


「二割。まだ序の口よ」


 星空に向かって呟いた。

 窓の外に広がる鳳凰領の夜。虫の声と、遠くの用水路を流れる水の音。穏やかな秋の夜。


 この穏やかさの裏で、帝都の時計は着実に進んでいる。備蓄は一日ずつ減り、食卓の品は一品ずつ消え、やがて朝廷は気づくだろう。これが天候不順ではなく、一人の女の意志であることに。


 麗華は窓を閉め、灯りを消した。


 戦は、始まったばかりだった。


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