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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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領民の笑顔

 秋が深まり、鳳凰領は収穫の季節を迎えていた。

 田畑は黄金色に染まり、農民たちは夜明けから日暮れまで稲を刈っている。鎌の音と掛け声が響き、束ねた稲穂が畑の端に積み上がっていく。子供たちは大人の間を走り回り、落ちた穂を拾い集めていた。


 麗華はその中にいた。

 藍染めの袍の袖を紐で絞り、白い腕抜きをつけた姿で、農民と並んで稲を刈っている。鎌の扱いは慣れたもので、腰の据わった構えは子供の頃から畑仕事をしてきた者のものだった。


「お嬢様、そこの畝はもう刈りましたよ!」


「あら、本当。では隣を」


「お嬢様にばかり働かせて、こっちの面目が立ちませんや」


「何を言うの。収穫は鳳家の一大行事ですもの。私が出ないでどうするの」


 麗華は笑いながら次の畝に移った。泥が袍の裾についているが、気にもしていない。


 暁風は、農地の端にある大木の陰から、その光景を見ていた。


 腕を組み、幹に背を預けている。監視任務として遠くから眺めているという建前だが、実際には——目が離せなかった。

 自分でも不思議だった。帝都にいた頃、農民が畑で働く姿など何度も見た。珍しくもない光景のはずだ。だが、あの中に一人、明らかに身分の違う女が混じっているだけで、景色の意味が変わる。


(あの女が、笑っている)


 後宮の微笑みではない。書斎で戦略を語る時の、冷たい光を帯びた笑みでもない。

 農民に囲まれ、泥だらけの手で稲穂を束ね、子供に話しかけている時の麗華は——ただ、楽しそうだった。


「おねえちゃん、これ!」


 小さな女の子が、麗華に何かを差し出した。虫食いの稲穂だ。売り物にはならないが、粒はついている。


「あら、良い穂ね。虫がいたということは、美味しい証拠よ」


「ほんと?」


「ええ。虫は美味しい穂を知っているの。この穂から取れるお米は、きっと特別に甘いわ」


 女の子が嬉しそうに笑った。麗華も笑った。


 暁風は、その笑顔を見た。


(——後宮の貴妃が。廃妃が。国の食糧を握る女が。あんな顔をする)


 報告書に書ける言葉ではなかった。「鳳麗華は領民の子供と笑い合っていた」——そんなことを皇帝に報告して、何になる。


 だが目に焼きついた。あの笑顔は、作り物ではない。


 昼になり、農民たちが畑の端に集まった。大きな木の下にむしろを敷き、昼食の準備が始まる。

 麗華が前に立ち、包みを開いた。


「今日のお昼は、新米のおにぎりと味噌漬けの大根。それから今朝漬けた白菜の浅漬け。みんな、たくさん食べてちょうだい」


 大きなおにぎりが竹の皮に並んでいる。握りたての鳳凰米は湯気を立て、塩の結晶がきらきらと光っていた。味噌漬けの大根は飴色に漬かり、噛めば甘辛い味噌の旨みがじわりと広がる。白菜の浅漬けは、さくさくとした歯触りに塩と唐辛子のほのかな刺激が心地よい。


 農民たちが歓声を上げ、おにぎりに手を伸ばした。子供たちは両手でおにぎりを抱え、大きな口で頬張っている。


 麗華は子供たちの間を歩きながら、一人一人に声をかけた。


「足りてる? おかわりはあるからね」

「大根、辛くない? 大丈夫?」

「今年のお米は特に甘いでしょう」


 暁風は木陰から出て、農民たちの輪の端に座った。春蘭がおにぎりを一つ持ってきてくれた。


「陸将軍。監視のお仕事も、お腹が空くでしょう」


「……礼を言う」


 おにぎりを口にした。

 塩と米だけ。いつもの鳳凰米のおにぎり。だが収穫したばかりの新米だからか、甘みが一段と深い。噛むほどに旨みが広がり、喉を通った後も余韻が残る。


 味噌漬けの大根を齧った。甘辛い味噌の風味が、米の甘みを引き立てる。


(旨い。——この旨さを、あの女は農民と分かち合っている)


 麗華は子供たちに囲まれていた。泥だらけの手でおにぎりを食べ、子供に白菜の漬物を分けてやっている。


 暁風はおにぎりの最後の一口を飲み込み、その光景を見つめた。


(「監視対象」が、子供に飯を配っている。笑顔で、泥だらけの手で。——報告書に何を書けばいい。「鳳麗華は領民のために朝から晩まで働いている」とでも書くのか)


 書けない。書く言葉が見つからない。

 事実は事実だ。だがこの事実を帝都に報告すれば、朝廷は鳳麗華を「民心を掌握して反旗を翻そうとしている」と解釈するだろう。


 そうではない。この女は、ただ——。


「陸将軍?」


 麗華の声がした。振り向くと、麗華がすぐ近くに立っていた。手にはおにぎりがもう一つ。


「おかわりです。足りないでしょう? 体の大きな方ですもの」


「……いただく」


 暁風はおにぎりを受け取った。麗華の泥のついた指が、白い米粒に触れている。後宮の元貴妃の手とは思えない、働く者の手だった。


「任務に集中しろ」


 暁風は自分に言い聞かせた。小さな声で。


「何か仰いました?」


「いや。——旨い、と言った」


「それは良かった」


 麗華が笑った。農民たちと同じ笑顔で。


 暁風はおにぎりを頬張りながら、目を逸らした。

 逸らしたつもりだったが、視線は結局、麗華の横顔に戻ってしまった。


 秋の風が吹き、黄金色の稲穂が波打った。子供たちの笑い声と、おにぎりを頬張る音。穏やかな午後の光。


 ふと、小さな男の子が暁風の前に来た。四つか五つの子供だ。暁風の腰の長剣を指差して、目を丸くしている。


「おじちゃん、つよい?」


「……まあ、そこそこ」


「おねえちゃんのこと、まもってるの?」


 暁風は一瞬固まった。おねえちゃん、というのは麗華のことだろう。


「守って——いや、監視……いや」


 言葉に詰まっている暁風を見て、麗華が少し離れた場所から笑った。声は聞こえなかったはずだが、あの女は耳が良い。


「あのおじちゃんはね、遠いところからお仕事で来ているの。おにぎり、もう一つあげなさい」


 男の子が暁風におにぎりを差し出した。小さな手で握った、少し形の崩れたおにぎり。


「……もらう」


 暁風はそれを受け取り、口にした。塩加減が少し多い。子供が握ったものだから当然だ。だが——不思議と、旨かった。


 暁風は黙ってもう一口、おにぎりを噛んだ。

 鳳凰米の甘みが、報告書に書けない全てを物語っていた。


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