後宮の棘
帝都の後宮は、花の園に似ている。
美しく、華やかで、そして棘だらけだ。
蘇玉蘭は、その園の新たな女王として君臨していた。
鳳麗華が廃妃となった後、後宮の勢力図は一変した。貴妃の座は空席のまま、皇帝の寵愛は玉蘭に集中している。正式な位こそ嬪の第一位にとどまっているが、実質的に後宮を仕切っているのは玉蘭だった。
この日、玉蘭は自らの宮——瑶華殿で茶会を催していた。
瑶華殿は後宮の東側に位置する瀟洒な宮殿で、庭には白い芙蓉が植えられている。玉蘭が入った時に植え替えさせたものだ。麗華の時代には紅い椿が植わっていたが、玉蘭はそれを全て抜かせた。前任者の痕跡を残すことは、後宮では弱さの表れになる。
招かれたのは後宮の嬪妃たち六名。全員が玉蘭に従順な顔を見せている者たちだ。中でも新たに嬪の位を得た沈嬪と馮嬪は、玉蘭が自ら引き上げた人物だった。
「玉蘭さま、この杏仁豆腐、いつもと少し違いますわね」
沈嬪が匙を止めて首を傾げた。玉蘭は微笑んだ。
「よくお気づきになりましたね。鳳凰領産の杏仁が手に入らなくなったの。代わりに帝都近郊のものを使っているのだけれど——やはり香りが違うわね」
茶卓に並んだ菓子は八種類。
本来ならば十種類が標準だった。消えたのは、鳳凰領産の蜜漬け果実と、鳳凰米の粉で作る桂花糕。どちらも鳳凰領の材料がなければ再現できない品だ。
「些事よ。代わりの菓子で十分よ」
玉蘭の声は涼やかだった。嬪妃たちはほっとした顔で茶を啜り、話題は別のことに移った。誰が皇帝の寝所に呼ばれただの、新しい絹の衣がどうだの。後宮の女たちの日常だ。
玉蘭はそう言って、残りの菓子を優雅に口に運んだ。蓮の実の甘露煮を一粒。甘みは十分。しかし、かつて鳳凰領の蜂蜜で漬けた甘露煮の、あの芳醇な深みはない。舌が覚えている。あの蜂蜜の味を。花の香りが溶け込んだような、奥行きのある甘さ。帝都の蜂蜜では——どうしても、あの一層の深みが出ない。麗華が後宮にいた頃、鳳家から届く蜂蜜は後宮の菓子職人が最も珍重する材料だった。
(——鳳麗華)
その名が、不意に脳裏をよぎった。
廃妃にした女。後宮から追い出した女。蘇家の計画通りに片付いた、はずの女。
(あの女、去り際に何と言ったかしら。「帝都の食卓が寂しくなりませんよう」——)
菓子が二品減っただけだ。それがあの女の言った「寂しい食卓」だとは思わない。偶然だろう。不作だろう。
「玉蘭さま?」
「何でもないわ。お茶のお代わりをいかが?」
玉蘭は笑顔を取り繕い、侍女に茶の追加を命じた。
茶会の後、嬪妃たちが去った瑶華殿で、玉蘭は一人窓辺に立っていた。
侍女の香蓮が傍に控えている。玉蘭の幼い頃からの付き人で、蘇家から共に後宮に入った女だ。
「香蓮。鳳凰領からの穀物が減っているという話、聞いている?」
「はい。太倉令のところでは二割ほど減っていると。天候不順だとか」
「天候不順、ね」
玉蘭は窓枠に指を這わせた。白く細い指。爪には薄紅の色が塗られている。
「鳳凰領に天候不順はないわ。あそこは——あの女の術で守られた土地だもの」
「では、意図的に——」
「分からない。まだ分からないわ」
玉蘭は窓の外を見た。後宮の庭園に秋の花が咲いている。菊と桂花。風が吹くと桂花の甘い香りが部屋に流れ込む。
麗華が後宮にいた頃、この庭で二人が顔を合わせたこともある。玉蘭が嬪に上がったばかりの頃、麗華は微笑みながら「お茶でもいかが」と声をかけてきた。その笑みに毒はなかった——少なくとも、そう見えた。
(あの女は、私が蘇家の手先だと知っていたのかしら。知っていて、それでも笑えたの?)
(あの時、あの女は私を見て微笑んだ。敵だと分かっていたはずなのに、穏やかに微笑んだ)
玉蘭は唇を噛んだ。
「些事よ。菓子が二品減ったくらいで動揺するなんて、馬鹿馬鹿しい」
「仰る通りですわ、玉蘭さま」
「それより、沈嬪と馮嬪の件を進めなさい。あの二人を確実に味方につけておくこと。後宮の勢力を固めるのが先よ」
「かしこまりました」
香蓮が退出した後、玉蘭は卓の上に残った菓子を見た。
八品。十品から八品に。たった二品の違い。
けれど——
その二品が、鳳凰領の恵みであったことを、玉蘭は知っている。鳳家が後宮に届けていた最上の材料。それが途絶えたことの意味を、玉蘭だけは正確に理解していた。
(この女——まさか)
玉蘭は菓子を一つ取り上げ、口に入れた。
蓮の実の甘さが舌に広がる。悪くはない。けれど、足りない。あの蜂蜜の深みが、この甘さには決定的に欠けている。
玉蘭は菓子を飲み込み、窓の外に目を戻した。
「鳳麗華。あなた、後宮を去った後も——まだ笑っているの」
独り言は、誰にも届かなかった。
瑶華殿の灯りが揺れ、秋の風が庭の桂花の香りを運んできた。甘い香り。けれど今の玉蘭には、その甘さが少し苦く感じられた。
後宮の夜は更けていく。
権力は握った。地位も手に入れた。麗華を追い落とし、皇帝の寵愛を独占している。
なのに——食卓から二品の菓子が消えただけで、胸の奥がざわつく。
玉蘭は寝台に横たわり、天蓋の刺繍を見つめた。鳳凰の刺繍だ。前の主——鳳麗華が使っていた寝台をそのまま使っている。天蓋を替えるのを忘れていたのか、あるいは意図的に残していたのか、自分でも分からない。
(あの女が笑って去った理由。「帝都の食卓が寂しくなりませんよう」の意味。——菓子が二品消えただけ。それだけのこと。それだけの、はず)
玉蘭は目を閉じた。
瞼の裏に、あの日の麗華の笑顔が浮かんだ。宮城の門を出ていく後ろ姿。振り返って微笑んだ顔。悔しさも怒りもない、透き通った笑み。
あの笑みの意味が、今になってじわりと重く感じられる。
それが何を意味するのか、玉蘭にはまだ分からなかった。
分かったときには、もう遅いのかもしれない。
帝都の空に、秋の月が冷たく光っていた。




