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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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目の曇り

 夕暮れの離れで、老太爺は暁風と麗華に向かい合っていた。

 三煎目の茶が注がれた杯から、薄い湯気が立ち昇る。窓の外では庭の木々が夕日に赤く染まり、茶畑の葉が橙色の光を受けて深い翠に見えた。


「さて、続きを聞きたいかの」


 老太爺が穏やかに言った。暁風が頷く。


「百年前の大災。その規模を、もう少し詳しく」


「そうじゃな。——将軍殿は、帝都の南門の外を歩いたことがあるかの」


「ある。荒地が広がっている」


「あの荒地はな、百年前には一面の水田じゃった。帝都の食糧は、あの平野から賄われておった。それが一夜で枯れた。霊脈が裂け、水が涸れ、土が死んだ」


 老太爺は杯を手の中で回しながら、遠い目をした。


「わしの父が子供の頃の話じゃ。父は当時まだ五つか六つでな。朝起きたら、庭の花が全て萎れていたと言うておった。鳳凰領の花はすぐに回復したが、領地の外では——回復しなかった」


「一夜で」


「一夜で、じゃ。霊脈震とはそういうものらしい。大地の深くを走る力の流れが、一度に断たれる。地上の者には揺れとしか感じられんが、土の下では取り返しのつかんことが起きておる」


 麗華は祖父の横顔を見ていた。

 老太爺の声は淡々としている。まるで他人事のように歴史を語る口ぶり。けれど杯を持つ手の、指先に微かな力がこもっているのを麗華は見逃さなかった。


「原因は、やはり天災なのですか」


 暁風が改めて問うた。

 老太爺は一拍だけ間を置いた。


「——天災じゃよ」


 そう答えた瞬間、老太爺の目がわずかに伏せられた。

 昨日と同じだ。「天災」という言葉を口にする時だけ、祖父の視線が揺れる。麗華は今度もはっきりとそれを見た。


(やはり。おじいさまは、何かを隠している)


 暁風は気づいていない様子だった。老太爺の語りに集中し、腕を組んで聞いている。


「天災であれば、予測はできるのですか」


「さてな。百年ごとに揺れるという説はあるが、確かなことは分からん。じゃが一つだけ言えるのは——土というものは、怒らせると百年は機嫌を直さぬということじゃ」


 老太爺は杯を置き、暁風を見た。


「人も同じじゃよ。じゃが、丁寧に詫びれば——いつかは赦してくれる」


 暁風には、それが土の話に聞こえただろう。老太爺が農の知恵を語っているだけだと。

 けれど麗華には、祖父の言葉の奥に別の響きが聞こえた。


(詫びれば赦してくれる——おじいさま、それは誰に向けた言葉?)


「老太爺殿。もう一つ伺いたい」


 暁風が言った。


「何じゃ」


「地養術のこと。あの術には、育てる力のほかに何かありますか」


 老太爺の動きが止まった。

 今度は一瞬ではなかった。二呼吸ほどの沈黙。杯を持つ手が、微かに強ばった。


「……なぜ、そう思う」


「昨日、麗華殿の術を見た。あの光——土に注ぐだけでなく、何か他にも使えるように見えた。素人の勘だが」


 老太爺は暁風を長い間見つめた。やがて、ふっと息を吐いた。


「目の良い男じゃな。——いや、今はよい。お前にはまだ早い」


 最後の言葉は、暁風にではなく、麗華に向けられていた。

 麗華の目が祖父に向いた。老太爺の瞳の奥に、いつもの穏やかさとは異なるものが光っている。警戒ではない。恐れに近い何か。


(もう一つの使い方——育てる以外の力が、地養術にはある?)


 麗華は黙って頷いた。聞くべき時が来たら、祖父は話してくれるだろう。今はまだ、その時ではない。けれど、その「時」がいつか来ることを、今日初めて予感した。


「さて、話が長くなったの。夕餉の時間じゃろう」


 老太爺が話を打ち切り、杖を手に取って立ち上がった。


「将軍殿。茶の礼に一つ教えてやろう。麗華は怒ると笑う女じゃ。じゃが本当に悲しい時は——何も食べなくなる。覚えておくがよい」


「おじいさまっ」


 麗華が声を上げた。頬がわずかに紅い。老太爺はにやにやと笑いながら離れを出て行った。杖をつく音がとんとんと廊下に響き、やがて遠ざかっていく。


「……余計なことを」


 麗華が呟き、暁風から顔を逸らした。右手の人差し指が、無意識に左手首の内側を撫でている。怒りの癖だ。もっとも、この場合は怒りというより羞恥に近い。


「あんたの祖父殿は、面白い方だ」


「面白いなんて言わないでください。あの人は——自分が面白いと思っている節があるから、余計にたちが悪い」


 暁風の口元が、かすかに緩んだ。笑ったのか。この男が。

 麗華はそれを見て、さらに頬が紅くなるのを感じた。


「何か仰いたいことでも?」


「いや。——何も」


 暁風は何と言っていいか分からず、無言で茶杯を見つめた。茶の表面に天井の梁が映っている。


 その夜、春蘭が夕餉を運んできた。

 秋の川魚の塩焼き。脂がたっぷり乗った旬の魚を、炭火でじっくり焼いたもの。皮は香ばしく、身はほろりと崩れる。大根おろしを添えて食べれば、脂の甘みと大根の辛みが口の中で調和した。

 隣には栗と銀杏の炊き込みご飯。鳳凰米の甘みに栗のほくほくとした食感と銀杏のほろ苦さが加わり、一口ごとに秋の深まりが舌に伝わる。


 暁風は炊き込みご飯を一口食べ、箸を止めた。


「……旨い」


 その声は小さかったが、麗華の耳には届いていた。


「陸将軍。それは褒め言葉として受け取ってよろしいのかしら」


「事実を言っただけだ」


「正直な方ですこと」


 麗華は川魚の身をほぐしながら、ふと考えた。


(おじいさまが隠していること。百年前の真実。地養術の、もう一つの使い方)


 栗の甘みが舌に広がる。銀杏を噛むと、ほろ苦い。


(いつか聞かなければならない日が来る。けれど今は——今は、この秋の味を大切にしましょう)


 食卓は静かだった。川魚の焼ける匂いの残り香と、炊き込みご飯の湯気。春蘭が茶を注ぎ足す音。


 暁風が黙々と飯を食べている。

 麗華はそれを横目で見て、内心で呟いた。


(この人、食べている時が一番正直ね)


 秋の夜は長い。老太爺の離れの灯りは、遅くまで消えなかった。


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