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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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百年前の大災

 鳳家屋敷の離れは、本館から渡り廊下を挟んだ静かな一画にある。

 庭に面した座敷は簡素だが品がよく、床の間には老太爺が自ら描いた水墨の山水図が掛けられていた。窓の向こうには小さな茶畑が見え、霊脈に近い土で育った茶樹が濃い緑の葉を茂らせている。


「将軍殿。茶でも飲まんか」


 鳳老太爺ほうろうたいやは、縁側に腰かけたまま暁風を手招きした。

 痩身で背筋の通った老人。白髪を後ろで束ね、杖を傍らに立てかけている。穏やかな目をしているが、その奥に何かを見透かすような光がある。


「……お招きいただき、恐縮です」


「堅いのう。まあ座れ。麗華は今日は農地に出ておるから、監視の任もしばし休みじゃろう」


 暁風は座敷の端に正座した。老太爺は土瓶を火にかけ、自ら茶を淹れ始めた。

 その手つきは年齢を感じさせないほど正確で、湯の温度を指先で測り、茶葉を量り、急須に注ぐまでの一連の動作に無駄がない。


「この茶はな、離れの裏手の茶畑で採れたものじゃ。霊脈れいみゃくのすぐ上に根を張った茶樹での」


 注がれた茶は澄んだ薄緑色で、立ち昇る湯気から花のような甘い香りが漂った。暁風は杯を受け取り、一口含む。


(——これは)


 碧螺春へきらしゅんだと思った。だが、屋敷で飲んだものとは深みが違う。甘みの奥に、どこか土の匂いを思わせる滋味がある。飲み込んだ後も、喉の奥にほのかな余韻が残った。


「この茶は、霊脈が生きている証じゃよ」


 老太爺は自分の杯を傾けながら、穏やかに言った。


「……老太爺殿。一つお聞きしたい」


「なんじゃ」


「鳳凰領の霊脈は、いつから生きているのですか。百年前の大災の後も、ここだけが——」


「良い問いじゃな」


 老太爺は杯を卓に置き、庭の茶畑に目を向けた。


「百年前の霊脈震れいみゃくしん。将軍殿も名前くらいは知っておろう」


「帝都でも教わりました。国土の大半が荒地になった大災」


「そうじゃ。あれは突然起きた。大地が震え、霊脈が裂け、力が枯れた。一夜にして、国の七割の土が死んだ」


 老太爺の声は穏やかだった。昔語りをする祖父の声。しかしその目は、茶畑の向こうの何かを見ているようでもあった。


「鳳凰領が生き残ったのは、たまたまこの土地の下に最も太い霊脈が通っておったからじゃ。他の支脈が断たれても、幹が残った。それだけのこと」


「たまたま」


「そうじゃ。運が良かったと言うてもよい。——いや、運だけではないな。鳳家の先代たちが霊脈を守り、地養術ちようじゅつで土を養い続けたからこそ、この土地は生き延びた」


 暁風は茶を啜りながら、老太爺の言葉を聞いていた。


「霊脈震は、また起こるのですか」


 老太爺の手が、わずかに止まった。

 杯を持ち上げかけた手。その動きが一瞬だけ滞り、すぐに何事もなかったように茶を口に運んだ。


「さてな。百年ごとに揺れるとも言うし、千年に一度じゃとも言う。正直なところ、次がいつかは誰にも分からん」


「百年ごと」


「あくまで一つの説じゃよ。古い文献にそう記されておるだけで、確証はない。じゃが——」


 老太爺は杯を卓に置き、暁風を真っ直ぐに見た。


「備えておくに越したことはない。霊脈は大地の血管のようなものじゃ。血が止まれば、土地は死ぬ。今の瑛朝えいちょうは、心臓が鳳凰領一つしかないようなものでな。もしこの心臓まで止まれば——」


「国が死ぬ」


「そういうことじゃ」


 老太爺は穏やかに笑った。だがその笑みの奥に、どこか重いものがあった。


 麗華が離れに現れたのは、茶が二煎目に入った頃だった。

 畑から戻ったばかりらしく、袖に土がついている。暁風の隣に座り、老太爺が注いだ茶を受け取った。


「おじいさま、将軍殿をいじめていないでしょうね」


「いじめるものか。将軍殿は良い聞き手じゃよ」


「聞き手というより、尋問されている気分だが」


 暁風が低く呟くと、麗華が小さく笑った。

 老太爺は孫娘を見て目を細め、二煎目の茶を勧めた。


「将軍殿にな、百年前の話をしておった」


「そう。おじいさまの昔語りは長いから、退屈しませんでした?」


「退屈はしなかった」


 暁風の返答に、老太爺がにやりと笑った。


「じゃろう。わしの話は面白いからの」


「おじいさま」


 麗華が呆れた顔をしたが、すぐに表情を引き締めた。


「百年前の霊脈震のこと。原因は、何だったのですか」


 老太爺は茶を一口飲んだ。


「天災じゃよ。霊脈は自然のもの。人の手ではどうにもならん力が、大地を揺るがした。それだけのことじゃ」


 その一瞬だった。

 老太爺が「天災」と言った時、目がわずかに伏せられた。杯を口に運ぶ動作で隠したが、麗華はそれを見逃さなかった。


(——おじいさまの目が、今、曇った)


 それは本当に微かなものだった。暁風は気づいていない。老太爺の声は穏やかなまま、表情にも変化はない。

 だが麗華は、幼い頃からこの祖父の顔を見てきた。地養術の修行で叱られた時も、良い出来だと褒められた時も、祖父の目は正直だった。

 あの目は——何かを隠す時の目だ。


「そうですか。天災」


 麗華は何も追及しなかった。茶を飲み、老太爺の淹れた二煎目の味を楽しんだ。甘みの中に、かすかな渋みが混じる。一煎目にはなかった深みが、二煎目で現れる。


「美味しい。おじいさまの茶は、二煎目が一番好きです」


「そうかそうか。じゃあ三煎目も淹れてやろう」


 穏やかな午後の茶席。老太爺と孫娘と、監視役の将軍。

 傍から見れば微笑ましい光景だったかもしれない。


 だが麗華は、離れを辞した後、渡り廊下で足を止めた。

 秋の風が吹き、庭の木の葉が一枚落ちた。


(おじいさま。「天災だった」と仰ったとき——なぜ、目を逸らしたの)


 百年前の大災。天災と記録されたあの惨事。

 祖父は何を知っているのだろう。


 麗華は渡り廊下の柱に手を添え、離れの方を振り返った。窓の向こうで老太爺が茶器を片付けている。その背中は穏やかで、いつも通りの祖父だった。


(——聞くべきなのかしら。聞かざるべきなのかしら)


 答えは出なかった。

 麗華は手を離し、本館に向かって歩き出した。夕餉の支度を確認しなければならない。今夜は秋刀魚に似た川魚の塩焼きと、新米の炊き込みご飯を予定していた。栗と銀杏を入れた、秋の味。


 渡り廊下に、麗華の足音だけが響いた。


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