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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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霊毒の器

 暁風が荷車と共に戻ったのは、その日の夕方だった。


 西日が鳳凰領の石門を赤く染め、荷車の車輪が石畳を軋む音が響いた。暁風の甲冑には戦闘の跡が残り、左の肩当てに刃の擦り傷が一筋走っていた。


 麗華と春蘭が執務室で待っていた。


 荷車から降ろされたものを見て、麗華は息を呑んだ。


 霊毒の原料が入った壺。大壺十二、小壺十一。全て蓋がされ、封印が施されている。中庭に並べられた壺の列は、まるで小さな墓石のように見えた。これだけの毒が鳳凰領の霊脈に注ぎ込まれていたかもしれないと思うと、背筋が冷える。


「これが——蘇家が用意していた霊毒の全量ですか」


「拠点にあった分は全てだ。他に隠し場所がなければ」


 暁風の声は落ち着いていたが、目の奥に疲労の色がある。夜明け前から走り続け、戦い、森を往復した一日の重さが肩にかかっている。


 麗華は壺の一つの蓋を開けた。灰色の粉末。あの金属臭が鼻を突く。蝋燭の灯りに照らされた粉末は、一見すると普通の灰のようだが、指先を近づけると冷気が伝わってくる。これが大地を殺す毒だ。


「春蘭。この粉末の量と、鳳凰泉に使われた量を比較してください」


 春蘭が壺の大きさと数を記録し、計算した。筆が帳面の上を走り、数字が次々と書き連ねられていく。


「鳳凰泉に注入された量は——おおよそ小壺一つ分です。つまり——」


「残りの壺の中身が全て使われていたら——」


 麗華は霊脈図を広げた。七ヶ所の毒入れポイント。一ヶ所に大壺二つと小壺一つの配分。七ヶ所で大壺十四、小壺七。


「在庫は大壺十二と小壺十一。使用済みが小壺一。つまり——元々は大壺十二以上、小壺十二以上あった計算です」


「足りないものがある?」


「いいえ、逆です。予備を含めた量です。蘇家は確実に七ヶ所全てを汚染するために、十分な余裕を持って原料を用意していた」


 麗華は壺を見つめた。灰色の粉末が蝋燭の光を吸い込み、暗く沈んでいる。


「今回の鳳凰泉への毒入れは——全体計画の約七分の一。試験的な実行でした」


「試験——」


 暁風の声が低くなった。


「効果を確かめるためです。小壺一つ分の霊毒で、どれだけの被害が出るか。浄化にどれだけの時間がかかるか。鳳家がどう対応するか。全て——蘇家は見ていた」


 知略家の目が壺の列を見渡す。その視線は数字を追い、可能性を計算し、最悪の事態を見積もっている。


 暁風の拳が握られた。


「つまり本番では——この壺の中身を全て使って、七ヶ所同時に」


「ええ。もし全量が使われていたら——」


 麗華は言葉を切った。


 鳳凰領の七つの主要露頭全てに霊毒が注入される。霊脈の幹が汚染され、枝脈を通じて大地全体に毒が広がる。浄化が追いつかなくなり、農地の大半が枯死する。


 鳳凰領の食糧生産は——壊滅する。


 瑛朝の食の七割が、消える。帝都の食卓が空になる。市井の民が飢える。国が——終わる。


「間に合った」


 暁風が呟いた。二度目の言葉だったが、今度は実感がこもっていた。拳が震えている。間に合ったという安堵と、間に合わなかった場合の恐怖が、同時に暁風の体を走り抜けた。


「はい。暁風殿が拠点を叩いてくれたおかげで——間一髪でした」


 麗華は壺の蓋を閉じた。手が微かに震えていた。指先が蓋の縁に白く力を込めている。


「この壺は厳重に保管します。証拠として——いずれ使う時が来る」


「帝都に送るのか」


「まだです。送るとすれば——最も効果的なタイミングで」


 知略家の目が戻っていた。恐怖を飲み込み、次の手を考える。震えていた手がもう止まっている。それが鳳麗華だ。


 春蘭が壺の封印を確認しながら言った。


「お嬢様。工作員の尋問で、もう一つ分かったことがあります」


「何ですか」


「この霊毒の原料は——蘇家が自前で精製したものではありません。南方の鉱山から仕入れた鉱石を、特殊な方法で加工しています。加工の技術は——蘇家の先代から受け継がれたもので、百年以上前から存在する」


「百年以上前——」


 麗華の目が鋭くなった。琥珀色の瞳に、知略家の光が宿る。


 百年前。霊脈震が起きた年。荒地化が始まった年。蘇家と鳳家の因縁が——百年前に遡る。偶然にしては出来すぎている。蘇家が百年以上前から霊毒の技術を持っていたということは——。


「祖父様が『昔もそうだった』とおっしゃった意味が——少し分かりかけてきました」


 霊毒の壺の横に——もう一つの荷物があった。


 米袋だ。鳳凰領の農区から盗まれた米。


 暁風がその袋を指さした。


「工作員が食っていた。鳳凰領の米だ」


 麗華は米袋を開け、米粒を手のひらに取った。地養術で育てた米は、粒が大きく透き通っている。蝋燭の光を受けて、米粒が真珠のように淡く輝く。


「鳳凰領の米ですね」


「こいつらは——鳳凰領の霊脈を殺そうとしながら、鳳凰領の米を食って生きていた」


 暁風の声に、静かな怒りがあった。低い声だが、押し殺された怒りの温度が言葉の端に滲んでいる。


「食で命を繋ぎながら、食の源を殺す。——矛盾だ」


 麗華は米粒を見つめた。


「矛盾ですね。でも——人は、自分が食べているものの出処を知らない。どれだけの水と土と人の手で作られたか、知らない。知らないから——壊せる」


 その言葉は工作員だけに向けたものではなかった。帝都の朝廷も同じだ。鳳凰領の米を食べながら、鳳家を廃妃に追いやった。食の重みを知らない者たちが、食を生み出す者を切り捨てた。


 米粒を袋に戻した。


「この米は返しましょう。農区に。元あるべき場所に」


 暁風が頷いた。


 壺は厳重に保管庫に運ばれ、米袋は農区に返された。


 執務室に麗華と暁風だけが残った。蝋燭の炎が揺れ、二人の影を壁に映している。


 麗華は椅子に座り、長い息を吐いた。


「暁風殿」


「何だ」


「よく——やってくださいました」


「あんたの策が的中しただけだ」


「策だけでは動きません。剣を振るう人がいなければ」


 暁風は黙って腕を組んだ。褒められるのが苦手な男だ。視線が窓の外に逸れ、耳の先がわずかに赤い。


「飯はまだか」


「まあ。戦いの直後にそれですか」


「腹が減った。あんたの握り飯は朝に食った。旨かった。だがもう腹が空いた」


 麗華は小さく笑った。この男は、感謝の言葉の代わりに「飯が旨い」と言い、愛情の代わりに「腹が減った」と言う。不器用だが——嘘がない。


「では——温かいものを作りましょう。待っていてください」


 麗華が厨房に向かった。暁風は執務室に残り、空の壺を見つめていた。


(間に合った。だが——これで終わりではない)


 蘇家は次の手を打ってくる。百年かけて準備した計画が、一度の失敗で止まるはずがない。


 だが今は——麗華の飯を食う。それが暁風にとって、一番大事なことだった。


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