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廃妃にされた悪役令嬢、国の食糧を全て握っているので帝国が詰みました  作者: 蒼月よる


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蘇家の地図

 暁風が工作員の一人を捕縛したのは、鳳凰泉の北側の森でのことだった。


 巡回隊が夜間に張った縄罠に引っかかった男は、逃走を図って暁風の部下に斬りかかったが、暁風の一撃で剣を弾き飛ばされ、地面に押さえつけられた。暁風の剣速は常人の目では追えない。刃が閃いた時にはもう終わっていた。


 男の懐から出てきたものが——全てを変えた。


「将軍。これを」


 春蘭が収監所の卓に広げたのは、一枚の地図だった。収監所は鳳凰領の外れにある石造りの小屋で、蝋燭の灯りが壁に揺れている。


 麗華が呼ばれた時、暁風と春蘭は既に地図を前にして険しい顔をしていた。暁風の眉間の皺が深く、春蘭は唇を引き結んでいる。二人がこれほど同じ表情をしているのは珍しい。


「これは——」


 麗華は地図を覗き込み、息を呑んだ。


 鳳凰領の地形が精密に描かれている。山の稜線、川の流路、森の範囲。墨の濃淡で高低差まで表現され、地形を知る者にしか描けない精度だった。


 だが——地図の上に、もう一つの層が重ねて描かれていた。


 朱い線。大地の下を走る霊脈の分布図だ。


 主要露頭の位置。霊脈の分岐点。流れの方向と太さ。枝脈しみゃくの走行。合流点。霊脈が細くなる箇所には「弱」の文字が添えられ、太く強い箇所には「主」と記されている。


 鳳凰領の霊脈構造が——恐ろしいほど正確に記されている。


「蘇家の霊脈図」


 麗華が呟いた。声が低く、硬かった。背筋を冷たいものが走った。


「ああ。工作員が持っていた。地図の裏に蘇家の印がある」


 暁風が地図を裏返した。確かに、紙の隅に蘇家の家紋——蘭の花を象った朱印——が押されている。蝋燭の灯りに照らされた朱印が、血のように赤く光った。


「この精度は——」


 麗華が地図に目を走らせた。指で霊脈の線を辿る。指先が翡翠色に微かに光った。地養術の感知を無意識に発動している。鳳凰泉から南に伸びる主幹、西へ分岐する枝脈、第四農区の下を走る細枝——全てが、麗華の感覚と一致していた。指先が翡翠色に微かに光った。無意識に地養術の感知が発動している。指が辿る線と、麗華が日頃感じている霊脈の流れが——ほぼ一致している。


「……異常です。鳳家の内部資料でも、ここまで詳細な霊脈図は存在しません。蘇家はどうやってこれを——」


「長年にわたる調査の成果だろう」


 春蘭が口を開いた。


「工作員を尋問しましたが、多くは語りません。ただ一言——『この地図は数十年かけて作られた』と。私が問い詰めた時、男の目に奇妙な誇りがありました。自分たちの仕事が評価されるべきものだと、信じている目です」


「数十年——」


 麗華は地図をもう一度見つめた。数十年かけて、蘇家は鳳凰領の霊脈構造を調べ上げていた。つまり——今回の毒入れは突発的な破壊工作ではない。数十年の準備の上に立った、計画的な攻撃だ。


「春蘭。地図の汚染ポイントに印があります。見えますか」


「はい。七ヶ所に黒い点が打たれています」


「それが——蘇家が霊毒を注入する予定だった場所です」


 麗華が七つの黒い点を指で示した。一つは鳳凰泉。ここは実行済みだ。残りの六ヶ所は——未実行。黒い点の横に、それぞれ数字が書かれている。注入量の計画だろう。計画的で、科学的で、恐ろしく精密な破壊計画だった。


「今回の毒入れは、七ヶ所のうちの一ヶ所だけだった」


「一ヶ所で、あれだけの被害が出た」


 暁風の声が低い。腕を組む手に力が入っている。


「もし七ヶ所全てで同時に実行されていたら——」


 三人は沈黙した。


 七ヶ所同時。鳳凰領の霊脈の主要露頭全てに霊毒が注入されたら——大地は死ぬ。鳳凰領全域の穀物が枯死し、食糧生産は壊滅する。


 瑛朝の食糧の七割が——消える。


「間に合った」


 暁風が呟いた。


「ええ。間一髪でした」


 麗華は地図を丁寧に畳んだ。


「この地図は貴重な証拠です。蘇家が組織的に鳳凰領の霊脈を調査し、計画的に破壊工作を実行したことの証拠」


「帝都に送るか」


「いいえ。まだです。この地図をどう使うかは——慎重に考えます。手札は、切り時を間違えれば無駄になりますから」


 春蘭が粥の入った椀を差し出した。


「とりあえず何か召し上がってください。朝から何も——」


 麗華は椀を受け取った。白粥だ。鳳凰領の米で炊いた、何の変哲もない白粥。米の甘みがほのかに香り、湯気が静かに立ちのぼっている。だが今、この一杯がどれほど貴重なものか——霊脈図を見た後では、身に沁みる。この粥を炊いた米は、霊脈の力で育った穀物だ。その霊脈が壊滅していたら——この一杯すら存在しなかった。


 無意識に一口啜った。温かい粥が胃に落ちる。米の甘みが舌に広がり、冷えた身体の芯に温もりが伝わる。


「蘇家の目的は——鳳凰領の食糧生産能力そのものの破壊ですか。それとも……」


「霊脈の奪取です」


 春蘭が静かに言った。


「尋問で得た断片的な情報を総合すると——蘇家は霊脈を壊したいのではなく、霊脈を自分たちの支配下に置きたい。鳳家が握っている霊脈の力を、蘇家のものにしたいのです」


「霊脈を支配する者が食糧を支配する。食糧を支配する者が国を支配する——」


「蘇家は鳳家に取って代わりたい。食糧支配の座を」


 麗華は粥を啜りながら考えた。蘇家の野心は政治的権力だけではなかった。霊脈という「資源」そのものの掌握。食糧を生む力の独占。


(鳳家が百年間守ってきたもの——それを、蘇家が奪おうとしている)


 粥の最後の一口を飲み込み、椀を置いた。椀の底に、米粒が一つ残っていた。麗華はそれを匙で掬い、口に入れた。一粒も無駄にはしない。


「暁風殿。残りの六ヶ所の露頭に、厳重な警備をお願いします」


「もう手配してある」


「さすがですね」


「あんたに言われる前に動くのが、俺の仕事だ」


 麗華は微かに笑った。暁風の実直さが、こういう時に頼もしい。言葉は少ないが、行動は誰よりも速い。


 麗華は霊脈図を再び広げ、じっと見つめた。


(蘇家は鳳凰領の霊脈構造を——私たち以上に把握しているかもしれない。そして今回の毒入れは、まだ「第一段階」に過ぎなかった)


 地図の七つの黒い点が、麗華を見つめ返していた。


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