輝、花映る
海。
……の、写真。
「ごめんね、昨日は感傷的になっちゃって……」
開幕早々謝られたのは、珍しく朝から目覚めがはっきりしている花夢からだった。
「……うん、残り少ない時間なんだから、泣いてる暇なんかないよね」
今日はどこへ行こうかと言わんばかりに元気そうな彼女の姿は、少し心が軽くなったように感じられる。
そんな彼女の笑顔は、隣りにいた影に打ち破られることとなる。
「藤永さん、今日は検診ですよ」
「病院にいる者の宿命だから……」
それからしばらくはしょんぼりした花夢を慰めることに。
「……ねえ!今日の夜に出かけるのはどう?」
「あー……え夜?」
確かに、病院は夜には締め切ってしまうから夜の海を見たことはないのだろう。ベッドから窓への視線もギリ森に被るので、おかしいことではない。
「夜かぁ……許可が下りるかだな」
今まで帰りが遅くなることは何度かあったが、流石に夜から病院を出るということはなかった。病院側の信頼を得ているとはいえ、難しいものは難しい。
「未門さんが同行するならいいですよ」
……難しいと勝手に思っていたようだ。
花夢の検診を待っている間、ちょうど売店にあったソーイングセットと素材でぬいぐるみを作ってみた。同僚の趣味を見守っている(手伝わされた分を含め)うちにいつの間にか自分でもできるようになっていた針さばきで、フェルトを縫い合わせていく作業は正直楽しかった。花夢の髪色を意識した金色の猫と、自分の髪色を意識した水色の熊(……ぽい何か)、購入分でちょうど2つ作れた。プロの売り物には届かないが、自分で作ったものとしては良い出来だ。
完成品をふにふにと揉んでいたところに、検診を済ませた花夢が帰ってきた。
「つかれたー……長いよー……」
身体の状態を調べるモノに疲れるも何もあるかよと言えばそれまでだが、花夢の身体の状態は世界で見ても例が少ないイレギュラーな状態である。たとえ今の技術で治せないものだったとしても、経過や現状を詳細に記録することが後の世代を救う重要な鍵になるのだ。
「お疲れ様、ほら」
「わっ、ぬいぐるみ!ユズが作ったの?」
その「救い」とやらは、ただ今苦しみを背負うイレギュラーの屍の下にあり、それを踏み越えた上に顕現するものだが。誰よりも存在しない救いを乞うイレギュラーの意思は、土汚れた靴跡とともにただの切欠として史実に残されるのみ。いつだって、英雄にされるのは苦しみの傍観者だ。
「かわいい~~っ!ユズ、ありがと!」
「枕元に置いておけば寂しくないだろ?」
「うん!……なんでバレてるの……?」
「大方そうだろうと思ったから」
たかが3週間だろうが、互いを理解するには十分な時間だ。花夢にとってのこの21日間は、どんな1年よりもずっと長く、ずっと大切に思うのだろう。柔らかなぬいぐるみの素肌に顔をすりすりと擦る彼女の顔は、今まで見てきたどの喜びの顔よりもずっと、幸せそうに見えたから。
して。
あっという間に日も沈み、陰る雲も無いきらびやかな星々が次々に主張し始める頃。ずっと病院内にいて気付かなかったが、今日は特に蒸し暑い。熱帯夜というやつだろうか。
「昼よりはマシだが、暑いな」
「最近は涼しい日が続いてましたからね、暑いです」
人間の身体は温度差に参りやすいというか、常に健康体(という仕様)である自分すらギャップに足を引きずりそうになる。そんな気候じゃ病人はもっとしんどいんじゃなかろうか、と横を見たが
「?早く行こ?」
キラキラした目でこちらを不思議そうに見ていた。多分、免疫だけはめっちゃ強いんだろう。
「何かあったらすぐに連絡ください!」と構える暇看護師チームを後ろ目に、行き慣れた海岸へ二人で下る。思えば、最初の2日はここで花夢と巡り会い、互いに複雑な事情を抱えながら海を見て話をした。あれから時間が経ち、話すたびにお互いを理解し合って、貴重な時間を分かち合ってきた。
「……わっ」
「支えてるから、ゆっくり」
得ると同時に、失うものもある。彼女の運動能力は徐々に、しかし確実に、落ちてきている。前々から事ある事に転びかけて支えを必要としていたが、沈み込む深度が明らかに深くなった。油断すると支えから落ちてしまうほどに。
「昔からなにもないところで転びかけてたから、多分そういう体質なんだと思う……」
「テキストの補足はしなくていいから」
夜の海は蒸し暑いが、流れる潮風が肌に触れ気持ちいいと感じる。静かな水平線が、星の光を映す。居心地のいい暑さと、まだ熱を孕む砂浜に腰を下ろす。
「……静かで、綺麗だね」
これもまた初めてのことで、彼女の目は水平線の輝きを映していた。
「熱帯夜の海岸……って、なんというか……夢みたいな環境だな」
「ゆめ……たしかに?」
「砂に足をとられるふわふわした感覚、苦しくない暑さの存在し得る矛盾感……」
夢は記憶の整理とも言われる。人間の身体だから睡眠を必要としているが、
「そういえば……夜空の下で、ユズと一緒に船に乗って大海原を冒険する夢を見たの」
「……俺も見たな。何ヶ月もかけて、流れ星が落ちた先を目指したんだ」
夢を夢として受け入れ、現実を迎えるために眠る。夢に堕ちず、現実の人間として在るため。どれだけ理想的な夢だろうが、その幻想はいつか消え、救いをもたらすことはないから。
「ふふ、偶然だね。ユズはいろんなこと知ってるから、そっちの冒険のほうが波乱万丈そう」
そう言って花夢は肩にもたれかかってきた。何も言わずとも、お互い心を許しているから。冗談交じりの会話を交えながら、夢のような空間で二人はお互いを語り合った。たまに歩き、砂に足を取られながら。
しかし、夢は夢であり、現実から遠く離れた幻想であることを、誰よりも花夢は理解していた。
幻想と思うようなこの居心地のいい熱帯夜の夢は、確かに現実であったから。




