私は物語の蚊帳の外にされました~継母と連れ子が更正済みなんですが~
「カミーユさん。今の貴女は何も出来ないただの小娘に過ぎません。まずはこれまでの考えを改める所から始めなくてはなりませんよ」
出会い頭に強烈な一言を浴びせられた私はしばらくの間、何も言う事が出来ませんでした。
それが新しく家庭教師となったオルガ婦人との出会いでもあり、私の人生の転換期でもあったのです。
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私、カミーユは名門侯爵家の娘として生を受け、何一つ不自由の無い生活を送ってきました。女性ながら侯爵家の当主として手腕を振るっていたお母様、入り婿ながらお母様を支えてきたお父様、屋敷に務める使用人の皆さん。領地の市民も明るく毎日を過ごしていましたし、私は幸せな未来が待ち受けていることを信じていました。
そんな当たり前だった、しかし実は奇跡のようだった日々が硝子細工のように脆かったと知ったのは幼少期の頃でした。
お母様が流行りの病気で天に召されてしまい、突如として終わりを迎えたのです。
侯爵家の跡継ぎは私でしたが、まだ未成年なこともあって後見人だったお父様が当主代理を務めることとなりました。喪に服していた一年間でお母様の葬儀と埋葬、侯爵としての引継ぎを終え、お母様がいなくなってしまった生活もようやく落ち着いてきました。私も心の整理が出来て、ようやく前向きに生きていこうと思えるようになったのです。
「カミーユ。お前の新しい母親と妹を紹介しよう。ララとジャネットだ」
「……は?」
「今日からこの屋敷で住むことになった」
そんなようやく取り戻した平穏がただの幻想だった。それを外ならぬお父様に思い知らされたのです。
後から得た情報で補足すれば、お父様はお母様に隠れて愛人を作っており、あまつさえ愛人との間に娘まで作っていたのです。それも私が生まれたすぐ後に。
愛人や隠し子の存在を侯爵だったお母様に隠し通せるわけがありません。お父様はお母様が調査しきる前に自分から白状し、愛人と隠し子の生活費は自分の懐から出し、決して侯爵家や私には関わらせないことを固く誓いました。入り婿なのに愛人を作ること自体が間違っているのですが、最低限の分別はあったようです。
まあ、それもお母様が亡くなったことで約束を果たす義務はなくなった、などとお父様は世迷言を仰って覆してきたのですがね。
愛人と隠し子をさも当然のように侯爵家の屋敷に招き入れようとしたお父様を家令のアルセーヌは咎めたそうですが、お父様は頑なに聞き入れなかったそうです。自分が侯爵家の当主なのだから言う事を聞け、などと怒鳴られたとのこと。アルセーヌもそれ以上お父様を止める事が出来ず、申し訳なかったと後日私に謝罪してきました。
「ララよ。今日からこの屋敷で世話になるわ。よろしくね、カミーユ」
「はい、これからよろしくお願いいたします」
継母となった女性は私から見てもたいそう美しく、現れた途端に屋敷に大輪の花が咲いたように華やかになりました。お母様も美しかったですがどちらかと言えば触れるのが恐れ多い印象を覚えたものです。継母は逆に人を惹きつけるような美貌と身体つきをしており、お父様はこの魅力に悩殺されたのだなぁ、と子供ながらに思いました。
「どのようにお呼びすればよろしいでしょうか?」
「母と呼ぶようになさい。もっとも、最初のうちは割り切れないでしょうから名前でもいいけれどね」
「分かりました。ではそのように」
「ジャネット。新しい姉に挨拶なさい」
継母に促された異母妹となるジャネットはとても可愛らしかったです。その明るさはお母様を失って沈み込んでいた私からしたら眩しいばかりでした。侯爵家の娘として育てられた私にたじろぎもせず、むしろ自分の方が素敵だとの自信に満ちていました。それは彼女の微笑みにも表れていて、不思議と信頼感と安心感が芽生えました。
「初めましてお姉さま。ジャネットよ。これから仲良くしていきましょうね」
「ええ、こちらこそ。何か分からないことや困ったことがあったら遠慮なく言って下さい」
「もちろん! いろいろと頼りにさせてもらうわ。あ、いきなりお姉さまって呼んじゃったけど、よかった?」
「問題ありません。新しい家族が出来て私も嬉しいですよ」
混乱、戸惑い、不安、不満。あらゆる負の感情を飲み込んで、私は微笑の仮面を被りきりました。荒波を立てれば継母や異母妹を愛していたお父様が何をするか分かったものではありませんでしたから。
私は押し付けられた新しい家族を否応なく受け入れざるを得なかったのです。
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ここから私の転落人生が始まり……はしませんでした。お父様はあからさまに私をないがしろにして継母や異母妹を溺愛していたのですが、継母は自分が生んでもいない本妻の娘であった私にも分け隔てなく接してきました。むしろお父様が異母妹をひいきするたびにお父様を注意するほど私を気にかけてくれました。
異母妹は私と仲良くしたいらしく、毎日のように話しかけてくれました。分からないことがあれば何でも聞いてきました。はしたない真似を、例えば廊下を走ったので注意したら反省してくれました。とても素直な子だったので、屋敷に務める使用人一同にもすぐ受け入れられました。
虐げられなくて良かった。それにしたって私に馴れ馴れしいな。
良くも悪くも私の扱いは新しい家庭において平等でした。
どうしてなのかしら? その疑問が解消されたのは継母から新しい家庭教師を紹介された時でした。
「カミーユさん。そろそろ本格的に教育を受ける年になったんですって? 教師には私の知り合いを紹介しましょう」
「で、ですが……」
「旦那様に任せたら折檻など当たり前のようにする教師を選びかねないわ。大丈夫、彼女にならカミーユさんの教育も充分こなせるでしょうから」
こうして継母から紹介されたのがオルガ婦人でした。
「オルガと呼んでください。これからよろしく」
継母の紹介で屋敷にやってきたオルガ婦人はどことなくお母様に似ていました。
お母様の姉妹だと言われても納得出来てしまうほどに。
たたずまいや歩き方一つ取っても動作が洗練されていて、名乗った際のお辞儀も振れが無く優雅でした。しかし、そんな身体に染み付いた礼儀作法とは裏腹に、オルガ婦人が私へ向ける感情はどこか冷たいものでした。
「カミーユさん。今の貴女は何も出来ないただの小娘に過ぎません。まずはこれまでの認識を改める所から始めなくてはなりませんよ」
今から思い返せばとんでもなく失礼な発言ですが、言われた当時は困惑の方が勝りました。オルガ婦人にどうしてこのような挑発的な物言いをなさったのか聞いたところ、先制パンチだと説明されました。
「それはどのような意味でしょうか?」
「言葉通りの意味です。もしかしてこのまま順調に成人したら正式に侯爵となり順風満帆な人生を送れる、などと思っていませんか? だとしたらカミーユさんはあまりにも貴族の悪意を知らなすぎます」
「具体的に説明をお願いします」
「いいでしょう。では最初の授業はカミーユさんの現状把握についてです」
オルガ婦人は継母に用意させた大きめな紙を机に広げ、筆記具で私達侯爵家の者の名前を書き込んでいきます。その紙を覗き込むように私は席に着き、左右に継母とジャネットも座りました。どうやらジャネットは以前からオルガ婦人の授業を受けているらしく、今後はそれに私も加わって本格的に学ばせるつもりのようでした。
「まず、この侯爵家の現侯爵はカミーユさんです。決して旦那様ではありません。それは分かっていますね?」
「もちろんよ。ここに来る前から先生に口を酸っぱくして言われてたから頭の中に叩き込まれてるわ」
私の代わりに答えたのはジャネットでした。彼女にとっては復習のようなもののようでして、若干退屈そうな反応を示していました。
「旦那様はカミーユさんが未成年なので代理として侯爵家を運営しているにすぎません。無論、代理人が好き勝手して統治が悪化しかねない場合に備え、未成年の当主は代理人に対して拒否権を発動出来ます。一定条件が必要ですがね」
「だからお父さまに甘えてドレスや宝石を買ってもらおうとしても、お姉さまが家令のアルセーヌと一緒に駄目だって言ったら駄目になるのよね」
「逆にカミーユさんが何か施策や改正案を実行に移そうとしても、旦那様の許可が必要です。なので現状、侯爵家は旦那様のものでもカミーユさんのものでもない、共同に管理している状態なのです」
オルガ婦人は私とお父様の名前の横にいろいろと書き込んでいきました。矢印線も伸ばして今の説明を分かりやすく整理していきます。家令としてお母様が存命だったころから我が家に仕えるアルセーヌの名も紙に追記しました。
「次に旦那様の後妻になったララさんですけど、限定的ですが侯爵夫人としての裁量が与えられています。屋敷の管理や社交界での立ち回りなど、概ねは代理である点を念頭に置かなくても良いでしょう」
「例えば今屋敷に務める使用人を全員解雇して私が手配した者達を雇ってしまってもいいのかしら?」
「ええ。ただし侯爵のカミーユさんが家令と共に拒否権を発動しない限りは、ですけどね」
「じゃあカミーユに腐った肉を食べさせたり屋根裏部屋に部屋替えしても構わないのかしら?」
「ええ。これもカミーユさんが受け入れれば、の話ですけれどね」
「ほら、こんなものよ。継母になったからってカミーユを好きなように虐待出来るわけじゃないの」
いきなりのオルガ婦人達のやり取りに私は驚いてしまいました。だってそうでしょう? オルガ婦人は前もって継母やジャネットに侯爵家において自分がどんな立ち位置になるのか、私はどのような身分でどのような権限があるかを正確に教えていたのです。だからこそ屋敷に来た時から継母方はわきまえており、しかし必要以上にはへりくだらなかったのです。
もし継母がオルガ婦人と知り合っていなかったら? 考えただけでもぞっとします。きっと継母とジャネットは我が物顔でこの侯爵家に居座り、私はひどい目にあっていた事でしょう。それこそ継母が仰った可能性のように腐った肉を与えられ、日もろくにあたらない埃だらけの部屋に追いやられていたに違いありません。逆らえばお父様から殴られ、侯爵としての権利を行使するなんて発想には思い至らなくなっていたかも。
「カミーユさん。旦那様が貴女をどう思っているか、元侯爵閣下が亡くなってから態度を変えた点だけでも分かりますよね?」
「お父様は……私やお母様を嫌っていたのですね」
そして私は思い知りました。お父様はお母様に従順なふりをしていたのだと。邪魔だったお母様が亡くなったら家族ごっこをやめて本性を現したのです。そして残った無力な私を追い詰めようとしたのです。
「旦那様と元侯爵閣下がどのような関係だったか私の知ったことではありませんが、カミーユさんがその巻き添えを食う必要性は全くございません。なので、私が今日から教えるのは単なる知識だけではなく、カミーユさんが自分の身を守る知恵もですよ」
「知恵……なるほど。知恵ですか。しっくりきました」
だから、私は賢く生きなければなりません。私のこれからのためにも、天から見守ってくれるお母様のためにも。
しかしそんな決意すら甘かった、と悟るのはもう少し成長してからになります。
□□□
愛する人と幸せな満たされた家庭を築きたい。そして侯爵名代として成功したい。これがお父様の目的でした。本当なら継母やジャネットも私をいびる立場に回っていたんでしょうけれど、オルガ婦人の言葉が効いたようですね。
オルガ婦人による最初の授業はなおも続きます。私とジャネット、そして継母……いえ、ララ母様が真剣に彼女の説明に耳を傾ける光景は、端から見ていたらさぞ奇妙なのでしょうね。いがみ合う筈だった正妻の娘と愛人らがテーブルを一緒にするなんて。
「さて、カミーユさんが次期侯爵であることは決定事項です。なのでカミーユさんが成長してしまったら旦那様が好き勝手出来なくなります。侯爵代理でなくなったあの人は引退を余儀なくされるでしょうね」
「ですが、お父様が何か目論んでいようと意味がありません。私に何かあってもお父様が侯爵の座につけるわけではありませんもの」
そう、お父様は侯爵家の一門といえどもその継承権は下から数えた方が早いのですよ。お母様の伴侶だったことで繰り上がるわけでもありませんし。そしてそれはお父様の後妻になったララ母様やジャネットとて同じです。
「えー。わたしは別に侯爵になんてなりたくないわ。色々とやることが多そうで面倒だもの」
ジャネットは鼻と上唇の間に筆記具を挟みながら脚をバタバタと動かします。あまりにはしたないので注意しようと思ったら、先にララ母様に頭をはたかれました。ジャネットは頭を擦りながら机に転がった筆記具を拾います。
「そんな侯爵の座を手中にするには二つの手段が考えられます。一つは国王陛下ないしは有力貴族からの強い推薦があった場合ですね。本家の乗っ取りにもなるので確実に非難されます。それを覆すほどの実績を積めばあるいは、でしょうか」
「それは無理なんじゃない? あの人、野心に能力が釣り合ってないもの。無茶なことをして失敗するのが目に見えているわ」
あら、お父様とララ母様は愛し合っているからこの屋敷にやってきたと思っていたのに。どうやらララ母様の方は愛こそあれどもっと別の思惑があってお父様に寄り添っているようです。なので現実をきちんと見ていられるのでしょう。
「ええ、旦那様の手腕ではさらなる発展は期待できないでしょう。だからと言って無難に執務出来ないわけではない。その凡庸さに目をつけた他の名門貴族が旦那様を傀儡として影響下にしようと目論んでも不思議ではありませんよ」
「適当な実績をあの人に積み上げさせて、カミーユは侯爵として不適合だと陛下に直訴する、か。現実性が無いわねぇ」
「例えば息子をカミーユさんに婚姻させて外戚として乗り込んでくる、なんていかがかしら?」
それは、あまり考えたくありません。貴族の娘である以上は恋愛の末の結婚にはあまり期待できないのは理解しています。理解はしていますが納得出来るかはまた別問題でしょう。政略結婚だけが目的で思いが通じない相手には決して寄り添いたくありませんもの。
私の恐れを感じ取ったのか、ララ母様が私の頭を撫でました。そして「そんな馬鹿な真似はさせないわよ」と力強く頷いてくれて、途端に安心感が湧きます。それはお母様が亡くなって久しく味わっていなかった、慈愛と呼ばれる感情だったのです。
「もう一つ。カミーユさんが侯爵に就任した直後に譲渡させてしまえばいいでしょう。そして継承順位第一位を意のままに操ってしまえばいい」
「譲渡だなんて……いえ、やろうと思えばやれてしまいますね」
それこそ家族から虐げられる日々を送っていればそのうち精神的に追い詰められ、楽になるためにお父様の言いなりになってしまってもおかしくありません。指名される人が誰であれ私は書面に名を綴ったことでしょう。
「例えば誰によ? 大人しくお父さまの言うことを聞く手頃な人なんている?」
「いるじゃないですか。鏡を持ってきましょうか?」
「は? ……ちょっと待って。もしかして、わたし?」
「もしかしなくてもジャネットが手頃でしょう。ま、貴女を選ぶ理由は愛する女性との間に出来た愛娘に侯爵家を継がせたいって願望もあるのでしょうが」
オルガ婦人が記していく情報を整理していく度に私がいかに危うい立場にいるのかを実感してしまう。そしてこの状況を打破することが自分一人では決して成し得ないことの無力さが悔しい。
お母様の愛した家が、こんなにもあっけなく奪われようとしているなんて。
もっと強く、もっと賢くならないと。
自分の手で未来を切り開けるぐらいに。
「これらはあくまで私の邪推ですので本気になさらずに。大いに有り得ることだと頭の片隅にとどめておく程度でいいでしょう」
「……分かりました。オルガ先生、これからご指導ご鞭撻のほど、お願いします」
「ええ。ビシバシ鍛えてあげるから、覚悟なさい」
「はいっ」
こうして私はこれまで考えもしなかった道を歩み始めました。
それはいままで呑気にも知る必要のなかった悪意を打ち破るための茨の道です。
□□□
「カミーユ。お前に縁談を用意した。我らの家に接した領地を持つ伯爵家のクロヴィスだ。嫡男の兄に負けず劣らず優秀だと聞いている。いずれ侯爵になるお前の力になるだろう」
オルガ先生の授業を受け始めて程なく、お父様は私に縁談を用意してきました。
何も知らなかったら素直に受け入れたでしょう。しかし良からぬ可能性を教えられてから疑うことを知りました。お父様がそのクロヴィスという方を薦めるのには何か裏があるのではないか、と思っていた方がいいですね。
なお、この縁談は事前にララ母様から聞いています。お父様はララ母様と私の関係が良好だなんてつゆにも思っていないようで、初めて聞かせたとか思っているのでしょう。確かに心構えしていなかったら驚いていたかもしれませんね。
「まずはお会いしてみます。どんな人柄かをこの目で見たいのです」
「……そうか」
お父様はあからさまに不機嫌さをあらわに憮然としました。頭ごなしに決定事項だと押し付けてこないのは、ララ母様が賛成も反対もしなかったからです。ララ母様曰く「家同士のためとはいえ馬鹿は侯爵家に要らない」と。
ララ母様から私の縁談の話を聞いた場にはオルガ先生もいましたけど、先生は一瞬だけでしたが嫌悪……いえ、憎悪が顔に滲み出ていました。すぐさま取り繕うように水に口を付けたので、気づいたのは正面にいた私だけだったでしょう。
「初めましてご令嬢。僕がクロヴィスです」
お見合いの場となった侯爵家のお屋敷にやってきたクロヴィス様は爽やかな方でした。礼儀正しくて私が退屈しないよう様々な話題を提供してくださり、贈り物も私の好みに合わせた花束をくださりました。
婿入りして侯爵家の一員となった暁には、とクロヴィス様は未来についても語ってくれました。こちらの事情もよく調べていたらしく、私の言葉にも耳を傾けてくださり、とても聡明な印象を覚えました。
「クロヴィス様ですね! わたし、カミーユお姉さまの妹のジャネットっていいます!」
これならこの縁談はお受けしてもいい、と決めたその時でした。ジャネットが許可も得ずに部屋へと入ってきたかと思ったらいきなり自己紹介をし、クロヴィス様の隣に座ったのです。
しばし唖然としてしまいましたが、この無遠慮さは許容出来ません。すぐさま咎めようとしたのですが、その前にクロヴィス様が微笑まれてジャネットに会釈します。そう、クロヴィス様はジャネットの接近を是としたのです。
「これはこれは。僕はクロヴィス。君のお姉さんの婚約者になる者だ」
「クロヴィス様みたいな素敵な人がお兄さまになるんだと思ったらとっても嬉しいです!」
「そう言ってくれると僕も嬉しいな。そうなれるよう僕も努力するよ」
「お待ちしてますね、クロヴィスお兄さま!」
結局クロヴィス様との顔合わせは半分以上がジャネット付きになり、ジャネットとの語り合いの方が盛り上がっていたとの印象を覚えました。これではどちらとのお見合いだったか分かったものではありません。
失望と呆れを味わいながら笑みを顔に張り付かせてクロヴィス様を見送ります。彼の姿が見えなくなったところで思わずため息が漏れてしまい、静かな怒りをジャネットへと向けようとしましたが……馬車を睨みつける妹に私は驚いてしまいました。
「ジャネット?」
「わたし、アイツ嫌い」
吐き出された言葉には明確な嫌悪……憎悪が入り混じっていました。
それはまるでオルガ先生が一瞬だけ見せた激情のようで……。
「さっきの見た? ちょっと甘えただけですぐにわたしばっか気にかけちゃってさ。ああいう男は誰にでも優しくするから、ちょっと気持ちを傾かせたらすぐになびいてくれんじゃない?」
私はしばらく目を見開いて瞬きしながらジャネットを見つめるしかありませんでした。
「もしかして、クロヴィス様を試したの?」
「あの調子じゃあわたしがちょーっと攻略に本気になったらコロッとものにできちゃいそうなんだけど」
「……。ええ、そうですね。今日だけでもあの方のことが充分に分かりました」
確かにクロヴィス様は優しかったです。きっと婚約すれば私を大切に扱ってくれるでしょう。しかし、ジャネットが言うように他の女性が気になってしまったらきっと私は蔑ろにされるでしょう。そしてその他の女性がジャネットだったら、私はすべてを失ってしまうかもしれません。
ジャネットはそんな破滅の未来を最初のうちから示してくれたのです。これは私への嫌がらせでも女性としての優越感でもなく、本気で私を気にしてくれているのだと分かります。クロヴィス様への失望より私はジャネットの心が嬉しくてたまりませんでした。
「ありがとうございます、ジャネット。おかげで助かりました」
「どういたしまして。あ、でも礼なら先生にも言っておいてよね」
「どうして? もしかしてオルガ先生がジャネットに助言したのかしら?」
「ううん。直接は聞いてない。ただ……クロヴィス様との縁談の話をした時の様子がおかしかったから」
成程。私と同じようにジャネットもまた先生から違和感の嗅ぎ取ったのですね。
ララ母様やジャネットに道を指し示しましたし、先生は本当に素晴らしいです。
……少し先回りしすぎではないか、との疑問には蓋をしましょう。
その日の夜、私はお父様に縁談は断ることを伝えました。
自分の思ったとおりにしない私に苛立ったお父様は若干怒気に言葉を荒げていかにこの縁談が素晴らしいかを滔々と語りましたが、中身がない言葉の羅列だったので記憶に留める価値もありません。
「いかに先方の家との繋がりが重要で、伯爵様と親密な間柄とはいえ、婿入りする本人の素質が無ければ話になりませんわ」
「そうよお父さま。あの人、絶対にいつかお姉様を悲しませるわ」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
まさかララ母様とジャネットからも反対されるとは全く思っていなかったらしく、歯ぎしりしながらもお父様はご自分が画策した縁談を断るしかなくなりました。低い小声で撤回を告げたお父様に対し、私達三人の女は目配せで喜び合いました。
□□□
クロヴィス様はその後少し経ってから別の家との縁談が成立したそうです。昔から国を支えてきた由緒正しい伯爵家のご令嬢がお相手とのことで、いずれはその伯爵家に婿入りしてご令嬢を支えていくのでしょう。
「そうですか」
「あら、先生の感想はそれだけですか」
クロヴィス様との縁談が正式に無かったことになった次の日、オルガ先生に報告したら何ともつまらない反応が返ってきました。先日の憎悪に端を発するオルガ先生の奥底に眠る何かがまた見れたかもしれなかったのに、残念です。
「現時点で不誠実だろうと婚姻までまだ数年ありました。本格的に再教育すれば叩き直せたかもしれないでしょう。悪い人ではありませんでしたし、縁談を拒絶したことが正しかったかは現時点で判断出来ませんもの」
「そのわりにはこの前随分と反応していましたけれど?」
「……。彼は知り合いに良く似ていましたので」
この頃になるとオルガ先生は目的……いえ、悲願と呼べる何かがあると分かってきました。彼女は悲願達成のためにララ母様と親しくなり、ジャネットや私に色々と教えているのです。まるで本来歩むはずだった絶望と破滅への道から引き離すため、と思ってしまうのはおかしいでしょうか?
私の縁談をお父様に任せてしまってはお父様の都合の良い政略の駒にされかねないので、私はララ母様やオルガ先生の協力を仰ぎながら侯爵家に迎え入れる殿方を選定していました。しかし、結論としてこの努力は無駄に終わってしまいました。私のお相手は考えつかない方向からやってきたのです。
「おや、こんなところに素敵なお姫様がたそがれていらっしゃる」
ある夜に参加した夜会にて、一息つこうと会場を離れて中庭に来た私は椅子に座って夜空を見上げていました。その日は雲一つ無く満天の星空が見れまして、私は有名な星や星座が今どこにあるかと探していました。
そんな時、私に声をかけてくる方がいました。驚きながらも何とか悲鳴を漏らさずに視線を下に落とすと、いつの間にか私と同い年ぐらいの男性が水が出ない噴水の縁に座っていたのです。
「い、いつから私のことを見ていらっしゃったんですか……?」
「結構前から。指で星座を追うのが可愛くてつい見とれちゃってた」
「なな、何を仰るんですか!」
「素直に気持ちを伝えただけなんだけどね」
彼は侯爵子息のリシャール様。私と同じように夜会が退屈……もとい、休憩のために席を外してやってきたとのこと。隣に座っていいかと聞かれたのでどうぞと答え、その後は一緒に星座や中庭について大いに語り合いました。思った以上に盛り上がってしまい最後の方は興奮してしまったのが恥ずかしかったです。
そのことをララ母様やジャネットに話したら、二人共自分のことのように喜んでくれました。リシャール様のお家は同じ侯爵家ながら我が家より格上だから、そのご子息と親密になれてでかした、との意味でこの反応なのかと思いましたが、ララ母様はその想像を私が口にする前に否定してきました。
「青春ねー。私も小娘だった頃の熱い情熱は今でも鮮明に思い出せるわぁ」
「いやー、お姉様にもとうとう春が来たのね! 良かったわね!」
二人が真っ先に判断材料にしたのは彼が私個人へどう向き合ったか、でした。それを聞いた私は常日頃から感じていた重圧から解き放たれたような気分になりました。侯爵令嬢、次期侯爵、そんな立場をひとまず置いておく。そんな発想すら私には無かったからです。
それから私は侯爵代理であることに固執するお父様のことが可哀想に思えてなりませんでした。お父様はどんな思いで侯爵家に婿入りし、お母様亡き後どんな気持ちで侯爵として振る舞い、どんな未来を思い描いているのでしょうか? けれど知ろうとは思いません。知ったところで私にとっては大した価値のない情報なんでしょうし。
「一応伺っておきますが、ジャネットは素敵な殿方だから自分の方がふさわしい、とは考えないんですか?」
「え? 嫌よ。彼ったらどんなに甘えたってなびきそうにないもの。付き合ってたらこっちが疲れちゃいそうだわ」
「そ、そうですか……。ですがジャネットだって今は侯爵家の娘ですから、良縁を用意することも――」
「お断り。男ぐらいは自分の目で選ぶんだから」
念の為に煽ってみましたが、ジャネットからは逆に侮辱するなと非難されました。オルガ先生に可能性を提示されたので少し疑心暗鬼になっていましたが、どうやらもはや杞憂のようですね。
「ジャネットったらね、幼馴染の男の子を待っているのよ」
「え? そうなんですか?」
「そう。旦那様の提案に乗ってこの家に来たのも頑張る男の子に相応しくなるためなの。いくら侯爵子息様が素敵な方でもジャネットの眼中に無いわ」
「そうだったんですか……。全然気づきませんでした」
それにしてもリシャール様に対して随分な言いようだったので少し気分を害したものですが、後でララ母様がこそっと事情を教えてくれました。成程、どうやら私から写る世界は思ったよりも狭かったようだ、と思い知らされました。
それからリシャール様と何回かお会いし、正式に婚約関係を結びました。
侯爵閣下や侯爵夫人様からは温かく歓迎されました。色々とお褒めの言葉をいただきましたし、我が家を第二の実家と思ってくれてもいい、困ったことがあれば必ず力になる、と言ってくださりました。
こうして私とリシャールは順調に関係を深めていき、私達はいよいよ学園と呼ばれる教育機関に通う年齢に突入したのです。そこで待ち受ける衝撃的な展開のことなんて想像しないままで。
□□□
王立学園、それは王都にある国により設立された貴族や一部の秀でた市民に開放された高等教育を受ける場。貴族の子供はそこに三年間通うことが義務付けられています。そこで専門知識を学ぶも良し、同年代と交流を深めるのも良し。様々な生活模様を自分で計画していかねばなりません。
私とジャネットは一年近く年齢が離れていますが、ちょうど同学年になってしまう年度の区切りとなっていました。なので私はジャネットと共に学園に入学しました。おそろいの制服に身を包んではにかんで喜ぶ妹が可愛かったです。
学園に通う、それは同時に屋敷での教育の終わりでもあります。
オルガ先生ともお別れの時期がやってきたのです。
学園に通ってる間も週何回か継続を、とお願いしたのですが、断られました。
「すでに次の就職先の内定を貰っていますので」
「「そ、そんなぁ」」
私とジャネットは二人して嘆いたものです。
授業最終日にはささやかながらお別れ会を催しました。私、ジャネット、ララ母様や先生と親しくなった使用人達が参加してとても賑わいました。夜会で出る豪華な料理や綺羅びやかな装飾はありませんでしたが、思い出に残る楽しい時間が過ごせました。
名残惜しくもオルガ先生が帰る時間になり、私もジャネットも思わず涙をこぼしてしまいました。先生はハンカチを当てて涙を拭い取ってくれます。その優しさが今日限りかと思ったら更に涙が出てしまいます。
「さて、カミーユさん、ジャネット。学園生活を終えたらいよいよ大人の仲間入りです。どう過ごすかによって人生は左右するでしょう。それほど強い影響を受けると言っても過言ではありません。それを肝に銘じておくように」
「「はい、先生」」
「それと、学園ではとんでもないことに巻き込まれるでしょう。しかし、決して己を見失わず、己の立ち位置を俯瞰的に見つめ、冷静に対処なさい。そうすれば惑わされずに正しい道を歩めます」
「? 分かりました、先生」
先生が一体何を想定しているのか分かりませんでしたが、先生の言葉を胸に刻みました。先生は軽くはにかむと私とジャネットを抱きしめました。ララ母様もたまにしてくれますが、先生からは何故かお母様のようなぬくもりを感じました。
「よくぞここまで成長しましたね。先生はとても嬉しいです。まるで愛娘が出来たようでしたよ」
「せ、先生ぃ……」
「これからのますますの頑張りと活躍を祈っていますからね」
「うん、うん……!」
こうしてオルガ先生とはお別れになりました。私もジャネットも先生の姿が見えなくなるまでずっと先生が去っていくのを見送りました。いい加減寒いから中にはいりなさい、とララ母様に叱られてようやく玄関を後にします。
「先生、どうか私達を見守っていて下さい……」
そう願った私でしたが……後悔してます。
正直あの時の悲しみと感動を返してほしいです。
謝ったって許してあげません。美味しいお菓子を送られても駄目ですからね。
「今日から教鞭を振るうことになりましたオルガです。皆さん、よろしく」
だって次の就職先が学園だなんて聞いてませんでしたよ!
学園の入学式を終えて割り振られた教室にやってきた私は同じく新入生の方々と交流を深めた後に各々の席に座りました。そしてやってきた担任の教師を目にして、驚きの声が出るのを慌てて口を抑えて止めました。
「詐欺です。私達を弄んで楽しかったですか?」
「人聞きが悪いですね。王都の学び舎に転職する予定だと伝えたじゃないですか」
どうしてどのように先生が学園の教員になったかは興味ありましたが、それよりもまた先生の授業を受けられることが嬉しくてたまりませんでした。なので怒りもそこそこに留めて純粋に喜ぶとしましょう。
廊下を歩きながら先生と親睦を深めていたら、向かい側から別の教員が歩いてきました。彼は女子生徒に囲まれながらも爽やかな笑みをこぼして大人の対応をしています。こちらに気づくと男性教員は先生に挨拶してきました。
「オルガ先生、お疲れ様です」
「お疲れ様です、グランシア先生」
「そちらのご令嬢は新入生ですか。もしや家庭教師を務めていらっしゃった家の?」
「ええ、教え子です」
男性教員の名はグランシア。この方はなんと王国の王弟殿下でいらっしゃいます。
いかに王立学園だからと普通は王族が職員として務めることはまずありません。王族は内政、外交など王国に欠かせない仕事をしなくてはなりませんから、いかに将来有望な貴族の子供相手とはいえ職員として遊ばせるわけにもいかないのです。
ただし例外があり、王族の子供が学園生の場合はその限りではありません。王族が職員になることで学園に通う王子王女が己の立場を振りかざして横暴を働くことを防いでいます。過去に何かやらかした愚か者がいたということでしょう。
私が入学した時点で王立学園には二名の王族が通っています。最上級生の第二王子殿下と新入生の第三王子殿下。王弟殿下にも王子がいらっしゃるので、王弟殿下が学園を離れるのは暫く先になりそうです。
「そうでしたか。ではやるべきこととやらは次の段階に進んだということですか」
「ええ、そうなりますね」
「私も応援していますよ。手伝えることがあれば遠慮なく声をかけて下さい」
「ええ、困ったらそうさせてもらいます」
王弟殿下と先生は雑談を交わしてすれ違いました。王弟殿下を追いかける先輩方が何故か先生を牽制するような視線を送ってきましたが、先生は気に留めずに歩みを止めませんでした。
「先生は今日が初出勤ではなかったんですか?」
「どうしてそんな質問を?」
「だって王弟殿下と親しげに語り合っていましたから」
「とある事情でジャネットに教えるようになる前に知り合ったんですよ。カミーユさんやジャネットに教えていない日は王弟殿下のお子様に教えてました」
そんなの聞いてない。そういえば先生はご自分のことを自分からはあんまり喋らないんですよね。質問すればそれなりに答えてくれますけれど、どうも本質的な部分はあえてはぐらかしてくるような印象も覚えましたっけ。
信頼関係を築けばいつか明かしてくれる、とも期待してましたけれど、ここまでクソボケ……失礼、これはジャネットの言葉でしたね。ここまで秘密主義だとこちらから踏み込まないと駄目なんでしょうね。
「先生。これからもよろしくお願いしますね」
「ええ。この学園生活が有意義になるようになさい」
「その間先生からは色々と聞き出しますから。覚悟しておいてくださいね」
「え、と。お手柔らかに」
先生はぎこちない笑みをこちらに浮かべてきました。
珍しい反応ですけど容赦はしませんからね。
□□□
学園生活はいたって平穏でした。
私は婚約者のリシャール様と更に親密になっていきましたし、ジャネットは最上級生になっていた幼馴染の男子生徒であるパトリックにちょっかいをかけながらも時間を共にしました。
「なんだ、パトリックの好きな人ってジャネット嬢だったのか」
「言い方ぁ! ジャネットは俺の幼馴染で友達だから!」
「彼女に楽させたいからって騎士爵取ろうと頑張ってるんだろう? ジャネット嬢は侯爵令嬢だ。素直にならないとそのうち縁談をまとめられかねないよ」
「うぐっ。も、物事には順序ってもんがあってだな……」
パトリックは平民階級ですがリシャール様とは学友でして、自然と私とジャネットはリシャール様方二人と過ごすことが多くなりました。気兼ねなく喋り合うジャネットとパトリックの関係が少し羨ましく疎ましく思えたものです。
リシャール様とは下校の最中に街によって買い食いしたり、休みの日に近くの湖まで散策に出かけたり、休暇中に別荘に行って乗馬などを体験したりと、とても楽しい思い出を作っていきました。
さて、そんなふうに順調だった私達の学園生活ですが、身近なところで騒動が起こるようになりました。
「リシャール様。あの方々は?」
リシャール様と同学年であらせられる第二王子殿下とご学友何名かが一人の女子生徒と親しくしているのを目撃しました。知り合いどころか友人関係を通り越し、皆様はその女子生徒を愛しているかのように優しく甘く接していました。
良く見たらその殿方の中にはクロヴィス様もいるではありませんか。彼はずっと昔に私やジャネットにしたように会話を弾ませて笑い合います。他の殿方がいなければきっと親しい付き合いをしているようにしか見えません。
「ああ、どうも第二王子殿下方はノエミ嬢に心を奪われてしまったらしいね。最近では人目をはばからずにノエミ嬢に接する始末だ」
「第二王子殿下方には婚約者のご令嬢もいらっしゃるのでは?」
「いるよ。けれど殿下達はあくまで友人として親しくしているだけだ、と主張するばかりなのさ。呆れちゃうよね」
「それではあまりに不誠実ではありませんか」
無論、何人かが王子殿下方を咎めたこともあったそうです。しかし恋に障害はつきもの、とばかりに聞く耳を持たないどころかますます熱を上げる始末。恋に溺れるとはまさに殿下達を指す言葉でして、見ていられませんでした。
私達は当事者でなかったので一歩退いた目線で見ていられましたが、彼らの婚約者だったご令嬢にとってはたまりません。嘆き悲しむ方、呆れて諦める方、ノエミさんに嫉妬する方など、様々な反応を見せていました。
「カミーユ様はあの方の本質を見抜いていらっしゃったんですね……。わたし、なんて人を見る目が無かったのかしら」
ある日、そのうちの一人、伯爵家のご令嬢であるマガリー様から私に声をかけられました。そして胸の内を明かしてくださりました。どうやらクロヴィス様を婚約者としたことへの後悔でいっぱいのようです。
私は浮気を理由に婚約を破棄できないかと尋ねましたが、家同士で決めたことなので簡単には覆せず、当主が前向きで一時の女遊びは目をつむるよう叱られたそうです。嘆かれるマガリー様が他人に思えず、胸が痛みました。
かと言ってもはや他人である私が口出しできることではなくなっています。困り果てた私はマガリー様を連れて先生に相談することにしました。先生の知恵を借りて打開出来ないかと思ったのです。
「先生。どうにかなりませんか?」
「なりますよ」
「そうですよね。やはりどうにも……何ですって?」
「ですから、なりますよ。要するにクロヴィスさんを婿として迎え入れるのにふさわしくないことを証明すればいいんです」
「どうやって?」
「簡単です。ノエミさんと密接な関係になる程度で婚約破棄に不十分であれば、二人にそれ以上に踏み込ませてしまえばいい」
先生曰く、男というのは禁断の恋を妨害されれば逆効果で、もっと燃え上るのだそうです。なので一旦距離をおいて素知らぬ顔をしつつ、クロヴィス様が何かしでかさないかを監視させとけばいい、と。一方でクロヴィス様とノエミさんの関係がより熱くなるよう定期的に薪をくべるべきだとも先生は語りました。
「焚きつける役目は大人の先生が務めるべきでしょう。吉報を待ちなさい」
こう述べた先生が浮かべた笑みは……どことなく恐ろしくてたまりませんでした。
先生の黒い一面を見たように思えてならなかったです。
そうして第二王子殿下を初めとする殿方はノエミさんに夢中になりました。学園外での逢瀬は序の口。休日も婚約者そっちのけでノエミさんに費やしました。そして手を繋ぎ、寄り添い、抱擁を交わし、口付けまで至り、終いにはノエミさんに愛の告白をしたのです。
第二王子殿下が恋に溺れていく過程を私達は冷めた目で見つめていました。中には明らかな失望や軽蔑まで顕にする方もいらっしゃいました。第二王子殿下方は自分達から距離を置く学生に気付かないまま、愚かにも更にノエミさんとの関係を深めていったのです。
「第二王子殿下は現実から目を背けたままの方が幸せかもしれないね。夢から覚めてしまえばもう終わりだもの」
「しかし寝ぼけたままでいてもらっては周りはいい迷惑です。このまま放置していていいのでしょうか?」
「聞く耳を持たない以上、取り返しがつかなくなる前に痛い目を見てもらう。それが教師陣の方針みたいだよ。私らに迷惑がかからないよう距離を取り続ければいいさ」
「大事にならなければいいけれど……」
私の懸念は膨らむばかりでした。
そしてそれはとんでもない騒動となって表に出てしまったのです。
□□□
「メリザンド! お前との婚約は破棄し、このノエミ嬢を新しい私の伴侶とする!」
最上級生の卒業を控えた祝いの夜会にて、第二王子殿下を初めとするノエミさんに心奪われた殿方が次々と婚約破棄を宣言しました。
名前を呼ばれた公爵令嬢のメリザンド様は美しく優雅に頭を垂れました。
「その申し入れ、承諾いたします。殿下のお役に立てなかったこと、大変申し訳ありませんでした」
メリザンド様のお言葉からは役目を果たせなかった悲しみや悔しさは微塵も感じられませんでした。それどころかむしろ阿呆者との関係が切れてせいせいした、と言わんばかりに淡々とした口調で婚約破棄を受け入れたのです。
そしてそれはメリザンド様だけではありませんでした。他の婚約破棄を突きつけられたご令嬢方も一切未練など残さずに快諾したのです。殿方は泣いて縋るとでも思ってたのか、あっけない幕切れに拍子抜けしている様子でした。
「マガリー。君があんな人だとは思わなかった。僕からも婚約を破棄させてもらう」
「承知しました。その旨は今日中に父には伝えますので、以降は家同士で円満な婚約破棄に向けて動いていきましょう」
「その聞き分けの良さをかけらでもノエミに向けていたら目を瞑ってやったものを」
「そんな配慮はこちらから願い下げですよ、クロヴィス様」
クロヴィス様とマガリー様も例外ではありませんでした。クロヴィス様もまた、仲間の中で最後でしたが、マガリー様との縁切りを宣言したのです。そしてとっくに彼を見限っていたマガリー様方は淡々と受け入れました。
どうも第二王子殿下はノエミさんを妃にして、クロヴィス様方は取り巻きになってノエミさんを守っていくつもりのようです。彼らが保護者の許可も得ずにこの婚約破棄騒動を巻き起こしたのは明白でした。
「ところで、ノエミさんは王子殿下と添い遂げる予定なんですよね?」
「ああ、そうだ。僕等は王子殿下とノエミを今後守っていくことを誓いあった。他の女性に気を取られるような真似をしてノエミを悲しませたくないからね」
「そうやってノエミさんを皆さんで共有するんですか? 知ってますよ、皆さんがそれぞれノエミさんと一夜を共にしたことを」
「なん、だって……?」
マガリー様の暴露によって第二王子殿下やクロヴィス様方に動揺が走りました。一斉にノエミさんへ視線を向け、彼女は面白いように慌てふためきました。違う、違うの、と涙を浮かべながら可愛い子ぶって否定します。
そう、ノエミさんは関係を進めすぎたのです。
自分に心惹かれた殿方が婚約者との関係を解消しないままにノエミさんに手を付けてしまうほどに魅了してしまったのです。もはや第二王子殿下方が言い訳にしていた友人関係を振り切っていました。
そして、オルガ先生の提案でクロヴィス様方の動向は監視されていました。ノエミさんが八方に手を伸ばしていたことも筒抜けでした。もはやノエミさんの所業は娼婦にも劣る唾棄すべきものだったのは明白です。
「さて、満足しましたか?」
「っ……!? せ、先生?」
衝撃の事実に第二王子殿下方がノエミさんとやいのやいの言い争いましたが、そんな醜態に終止符を打ったのはオルガ先生でした。先生は他の教師陣と共に殿下達の前に立ち、冷ややかな視線を投げかけます。
先生が指を鳴らすと(その仕草はとても格好良かったですよ)警備員が列をなしてやってきまして、騒ぎを起こした第二王子殿下方やノエミさんを拘束しました。離せだの俺を誰だか分かってるのかだの自分は悪くないだのとこの期に及んで様々に言葉を並べますが、当然ながら先生方が聞くわけないでしょう。
「連れていきなさい。夜会を台無しにしたことは学園から正式に王宮へ抗議しますので、あしからず」
みっともなく連行される第二王子殿下方は信じられなくなったノエミさんを見捨てて婚約破棄したばかりのメリザンド様方に助けを求めましたが、軽蔑するどころか「何か言ったの?」とばかりに無視したり耳が遠いふりをして終わりました。
「マガリー! 僕が悪かった! けれどノエミに騙されてたんだ! どうか許してくれ……!」
「カミーユ様、これ美味しいですよ。ぜひ食べてみて下さい」
「ええ、マガリー様。喋ってばかりでなく料理も堪能しないと勿体ないですよね」
「マガリぃぃ!」
マガリー様も例外ではなく、彼女は最後のあがきをするクロヴィス様に背を向けて私に皿を差し出してきました。ちょうど私の視界からもマガリー様に隠れてクロヴィス様は見えなくなったので、一石二鳥ですね。本当、彼と婚約関係を結ばなくて本当に良かったです。
こうして学園を騒がせた婚約破棄劇場は幕を下ろしました。
主犯となった元第二王子は幽閉、クロヴィス様は領地で鉱山での労働を強いられました。他にも辺境の地への赴任を命ぜられたり廃嫡された方もいたみたいです。
□□□
王立学園を卒業した私が学園へと足を運ぶことはもう当分無いでしょう。多くのことを学び、沢山のことを経験しました。婚約破棄騒動などという波乱はありましたが、概ね平穏だったと結論付けられます。
「先生。そろそろ教えてくださってもいいのではありませんか?」
「そうそう! そろそろネタばらししてよ」
私とジャネットは今季限りで学園を後にするオルガ先生に最後に会いに行きました。既に私物は運び出していたらしく、先生は軽い荷物を自分で抱えて学園を去ろうとする間際でした。
「もう私からカミーユさんたちに教えることはありません。これからは他の方々から優れた点を手本として学んでいきなさい」
「いえ、そうではなく、先生は先日起こった第二王子殿下の失態をご存じだったのではありませんか?」
「……。何を馬鹿なことを。まさか私が神から天啓を授かったとでも?」
「ララ母様からも聞きました。お父様がララ母様とジャネットを迎えに来る前に先生が二人に接触して、現実を突き付けたと」
「そうそう! 先生ったらまるであのままだったらわたしとお母様がカミーユお姉様を虐げちゃう、って分かってたみたいだったじゃん」
普段あまり表情を面に出さない先生も私とジャネットに追及されるとわずかにたじろぎました。なおも口を閉ざしたりごまかされることも危惧していましたが、先生はため息一つ漏らすとこちらを見据えます。
「いいでしょう。ただしここで明かしたことは誰にも喋ってはいけません。それと、出来れば戯言をと聞き流してほしいのですが」
「信じます。それで、どうやって先の出来事を知ったのですか?」
「私は未来人なのです」
「……は?」
思わず間の抜けた声を発しそうになって慌てて口を押えました。
それから遅れて反応しそうになるジャネットを肘で小突きます。
「今から二十年ほど後の時代からやってきました。なのでノエミ嬢を取り巻く第二王子殿下の婚約破棄騒動を知っていて当たり前です。私にとっては既に通り過ぎた過去の出来事なのですから」
「過去に戻る方法……は置いておきましょう。それよりもどうして侯爵家の改善をしてくださったのですか? それに、学園でもまるで私たちを第二王子殿下やノエミさんから遠ざけていたように思えてなりませんでした」
「……。尤もらしく綺麗な理由を並べてもいいのですが、正直に言いましょう。復讐のためです」
「復讐……」
この時、私は初めてオルガ先生という人の内面を垣間見ました。
憎悪と悲愴に彩られた面持ちは、一体どんな人生を経たのか想像もつきません。
「私の時は婚約破棄騒動は成功してしまいました。しかしそれをまともな方々が許す筈がありません。結果、婚約破棄した側もされた側も、誰一人として幸せにはならなかったのです」
「まさか、それって……」
「……今は控えましょう、ジャネット」
「ですから婚約破棄騒動が失敗するよう立ち回ったのです。ジャネットさん達の教育やカミーユさんの立場改善もその一環に過ぎません」
オルガ先生は自分の下腹部に手を当て、その上の服を握り締めました。
そして何かを言おうと口を開閉しましたが、唾ごと飲み込みました。
出かかった動機、復讐の根源、恨みと憎しみをぶち撒きかけたのを、最後の理性で堪えたのです。
「夫がなおもノエミ嬢に現を抜かすことは百歩譲って許容しても、私はお腹を痛めて生んだ子供たちの拒絶が耐えられなかった。くっくくっ、「お前なんか母親じゃない」ですって? ええ、だったら私も否定したっていいでしょう? あんな夫、あんな子供、あんなろくでもない未来なんて……!」
「先生……」
先生は、ありえたかもしれない私です。
先生がいなかったら私はきっと、先生のようになっていたでしょう。
「……ごめんなさい。私の復讐に付き合わせてしまって、カミーユさんもジャネットさんもとんだ迷惑だったでしょう」
「そんなことはありません!」
だって先生がいなかったらララ母様とジャネットは侯爵家で我が物顔で振る舞ったに違いありません。お父様からは虐げられ、お父様の言うがままに婚約し、ノエミさんに振り回され、不幸せな家庭を築いたことでしょう。
先生がいたから私もジャネットも不幸にならずにすみました。リシャール様やパトリックといった私たちを愛し、思いやる殿方とも出会えました。きっとあの方々ならきっと笑顔あふれる素敵な未来が待ち望めるでしょう。
「今の私がいるのは、先生のおかげです」
「そうですよ! わたしがまともになったのも、お姉様が当然の権利を守れたのも、みんなみんな先生がいたからなんだから」
「カミーユさん……ジャネットさん……」
先生は両手で私とジャネットを抱きかかえました。いつもララ母様にはしてもらっていますが、先生の抱擁は今は亡きお母様を思い起こさせました。私もお母様やララ母様……そして先生のような母になれるでしょうか?
「私にとって貴女達は娘で、年の離れた妹で、友達です。貴女達と出会えて……良かった」
「先生……私もです……」
「いっぱい手紙書くから……落ち着いたら連絡してよね……!」
「ええ、必ず。では達者で」
先生は私たちから離れ、学園の正門へと立ち去っていきました。
それを見届ける私たちのそばにはいつの間にかリシャール様とパトリックがいました。先生がいなくなった寂しさを埋めてくれるようでした。
「カミーユは知ってるかな? 成人された王家の方々は、一生に一度だけ奇跡を起こせるらしいんだ」
「奇跡……ですか?」
「大嵐を晴らしたり、飢饉や疫病から国を救ったり、破滅へと繋がってしまうここぞという時に使ったんだってさ」
「……初耳です」
視界の向こうでは正門から出ようとしていたオルガ先生の前に馬車がやってきて、中からグランシア殿下が降りました。そして慇懃に頭を垂れると、オルガ先生に手を差し伸べたのです。
先生は何かグランシア殿下に言っているようですが、グランシア殿下は笑顔で先生の耳元で何かを囁くばかり。先生が文句を言っても軽く受け流されるので、やがて先生は観念したのか、殿下にエスコートされて馬車に乗り込み、学園を後にしました。
「あの、お姉様。オルガ先生とグランシア先生って……」
「……推測するのは野暮そうですから、止めておきましょう」
私にとっては先生が変えてくださった今こそが重要です。オルガ先生の送ってきた壮絶な人生も、グランシア殿下がどう関わっているかも、あの二人だけが知っていればいいんです。そんな先生の意志を尊重し、過去を掘り返さずに未来に向けて歩み始めましょう。
そして……私はきっと幸せな家庭を築いてみせます。
私を大切にしてくださる伴侶とともに。
お読みいただきありがとうございました。
佳境まで書いて一年近く放置していましたが、ちょっと自作品を振り返る機会があったので完成させた次第です。
ご意見、ご感想お待ちしています。