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幸せラーメン

作者: ひるね

 ふとラーメンを食べたくなって家を出た。

 時刻は午前二時を回っている。もう開いているラーメン屋もないだろうから、コンビニでカップ麺でも買うつもりだった。

 夏の夜はどこか陰険だ。体にまとわりつく、生温くて粘り気のある夜闇を振り切るように、私は先を急いだ。草木も眠る丑三つ時。歩き慣れた道ではあったが、あまりのんびりしたいものではなかった。つい先日も、近所に住む女性が行方不明になるという事件があった。物騒な世の中なのだ。

 途中、ちょっとした空き地に見慣れない赤い光が浮かんでいた。何だろうと見てみると、どうやらラーメンの屋台であるらしい。この近辺で見るのは初めてだった。こんな時間に客が入るものなのだろうかと思うが、考えてみれば自分もラーメンが食べたくなって出てきたのだった。私のような人間は意外と多いのかもしれない。

 食べ飽きたカップ麺よりは、やはりその場で作ったラーメンを食べたい。そう考えた私は、屋台に近づいた。昼間なら素通りしていたかもしれない。深夜の日常離れした暗さと静けさが、私を大胆にさせていた。

 屋号なのか、のれんにはただ一文字「心」と記されている。私はのれんの間に顔を差し込んだ。

「いらっしゃい」

 屋台のカウンターを挟んで、男が立っていた。年は中年の頃だろうか、浅黒い肌には大小のしわが刻まれている。身に着けた白い服とはちまきには所々に油汚れが付いていたが、不潔な印象は受けなかった。男は人好きのする笑顔を私に向けた。

「どうぞ、おかけください。ご注文は?」

 私は三脚ならんだ椅子の左端に腰掛け、「普通のラーメンを」と注文した。男は「はい、ラーメン一丁」と威勢良く復唱すると、てきぱきと手を動かし始めた。男が小気味よく材料を刻む音を背景に、私はぼんやりと物思いにふける。

「お客さん、何か悩み事でも?」

 不意に声を掛けられて、顔を上げた。男は手を止めないまま、視線だけをこちらに向けている。

「いやね、何か考え込んでいるようだから気になりまして。こんな時間にいらっしゃる人も珍しいですしね」

 彼の気軽な口調に引っ張られるように、私は受験勉強で行き詰まっていることを話した。一期一会の気安さだろうか、親や友人に弱音を吐くのは抵抗があるのに、この初対面の男に対してはすらすらと言葉が出てきた。

 聞き終えた男は、ふむ、と考え込むように頷いた。

「学生さんも大変ですね。いや、聞いておいて何ですが、私には大したアドバイスはできやしません。私はラーメン作りしか能がないもんで」

 いえそんな、と私は首を振ってみせる。もとより、他人にどうにかできる話ではない。

「でもね」と男が言う。「今日の私のラーメンは、幸せな気持ちになれるラーメンです。最近、開発に成功しましてね。これを食えば、きっと少しは悩みも晴れるでしょうよ」

 そう言いながら、男はカウンター越しにどんぶりを手渡してきた。いたずらっぽい顔で、不器用にウインクしてみせる。それはあまり似合わない所作だったので、私はつい笑ってしまった。気休めでも、励まそうとしてくれたことが嬉しかった。

 どんぶりの中身は、オーソドックスな醤油ラーメンだった。私は「いただきます」と手を合わせると、ラーメンを一口すすった。醤油の香ばしさが心地よい。飲み込むと、胸の裡がじんと温まった。受験への不安で凝り固まっていた心が融け出すように感じられた。頑張ろう。素直にそう思えた。

 私は夢中で食べ進め、汁の最後の一滴まで飲み干した。

「どうです?」

「おいしかったです。それになんだか、本当に気持ちが楽になった気がします」

 それはよかった、と男は屈託のない笑顔を浮かべた。自分のラーメンを気に入ってもらえたことが純粋に嬉しいのだろう。この屋台に入って正解だったと感じた。

 私は勘定を済ませると席を立った。のれんをくぐろうとしたが、ふと思いついて男に尋ねる。

「ぜひまた来たいのですが、この近辺でお店を出しているのですか?」

「いえ、今日はこの近くで良い材料が手に入ったから、たまたまです。明日にはどこかほかの場所へ移動すると思います」

 それを聞いて、私はがっかりした。すっかりあのラーメンが気に入っていたのだ。何かつらいことがあったとき、あれを食べれば乗り越えられるような気がした。私は未練がましく、冗談交じりに聞いてみた。

「じゃあ、あのラーメンの作り方を教えてくれませんか」

「簡単ですよ。ちょっとダシに気を遣ってやればいいんです」

 男がちらりと背後に目を遣る。その視線を追うと、屋台の裏に大きなドラム缶が置いてあって、白い湯気が立ち上っていた。あれでダシをとっているのだろうか。

 と、ドラム缶の縁の辺りに黒い房のようなものが見えた。何だろう、と疑問に感じたが、目を凝らそうとすると男が体を割り込ませてきた。

「申し訳ないですが、詳しい製法は企業秘密ですんで」

 それはそうか。私は諦める決意をして、改めて屋台を出ていこうとした。そのとき、背後から男が声を掛けてきた。

「ところで参考までに聞くんですが、お客さんは、食べたら苦悩に陥るラーメンを食べたいと思いますか」

 何の話だろう。首を傾げながら、私は首を振った。そんなもの、絶対に食べたくない。

「そうですか。では、その開発は見送ることにしましょう」

 薄笑いを浮かべて頷く男の姿が、急に不気味なものに思えた。私は頭を下げて、屋台を出た。先ほど見たドラム缶のことを思い出す。

 缶の縁から垂れ下がった黒っぽいもの。あれは、髪の毛ではなかったか。

 先日消えた女性。彼女は結婚を間近に控え、幸せの絶頂にあった。何度か見かけたことがある彼女の髪型は、たしかボリュームのあるポニーテイル。

 だからなんだ。そんなわけがあるか。私は寒くもないのに鳥肌が立つ腕をさすりながら暗い家路を急いだ。

 翌日、空き地に行ってみたが、屋台は影も形もなくなっていた。電柱を見ると、行方不明の女性を捜す張り紙がしてある。けれど私には、彼女が無事に見つかるとはどうしても思えないのだった。

苦手なホラーに挑戦。

不気味な後味を残せたでしょうか。


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