8/妖艶従者
君が、いる……か。
本当、何考えてるんだろうな。彼女は。……勘違いしてないだろうな。誤解するなよ。間違えるなよ。
君と僕は、違う。
スウー、スウー
可愛らしい寝息をたてて、豪華な装飾が施されたベッドで眠りに落ちているのは、彼女。
天童アカリだった。その寝顔は、お姫様みたいで暫く見つめていたい衝動に駆られる。……こんなに可愛らしい女の子が、一体どんな大きなものを抱えているのだろうな。
彼女は、普通に憧れていた。悲しい程にそれは可哀想で……本当に、不幸。彼女はいずれ、今認められている少しの自由さえ許されなくなるだろう。
彼女は、天童なのだから。……知りたくないことだって、いつかは知らなきゃいけない。
そして、僕は思い出す。彼女と最初に会ったときのことを。彼女は、僕が《裏》の人間だということを知った上でも、さして取り乱す事もなく、対応を変えることもなかった。
あれはつまり、知っていたのだ。《裏》の何たるかを。《僕達》の存在を。彼女は知っていたのだ。
この世界は、綺麗な物ばかりではないということを……彼女は知っていたのだ。天童の後継者として。
後継者として、それを知らされた。
やがてはそれらを統べることになる、未来。……将来の為。
支配者、になる為。天童アカリ。彼女は……紛れもない天童だ。
深夜、相も変わらずホテルの一室。只今任務、続行中。
当たり前だが、僕は休むことなど許されない。不眠不休で働いているわけだ。褒めて欲しいよ、全く……
まあ長い間眠らない訓練は、僕達はこの世界に入るときに、まず最初にすることだ。基本中の基本。
これが出来なければ、お話しにもならない。僕なら余裕で、半年はいける。これが凄い方なのかと言えば、そうでもないのだ。
僕の同僚には、もう何年も寝ることを忘れてしまった奴もいる。だから、それは怖いのだ。
報復が、怖いのだ……
「キリコ、さん」
「あなたはその名で呼ぶんですね」
桜守。サクラマモり……
この部屋で、僕達はもう長い時間二人っきりでいた。正確には、もう一人寝ているが……
「ええ、それが自然でしょうから」
「その名は、皆怖がるんですけどね」
「……それが気になるんですけど」
「何が、ですか」
「あなた、確かに相対して分かりました。悔しいですけれど……あなたと私では、《世界》が違うようです。階段の上から、見下ろされているような気さえする。でも……」
彼女は、言う。
「《裏》の最高峰。っていうのは……そんなに簡単、というか。いや、言い方が悪いのかもしれませんけれど……単純に、純粋に……ただあなたは強いということだけなんですか?」
「……そうですね」
僕は、自分のことを自画自賛するつもりはないけど、この世界ではそうだ……僕は、
「まあ、複雑な問題や……難しい問題が絡んだり、絡まったりしているわけですけど。そうですね、まあ取りあえず僕は滅茶苦茶強いですよ」
それはただ単純に、戦闘においての純粋な《強さ》だ。僕に一対一で勝つことは……非常に難しい、ということだ。
それにも、一言では語れない事情があるのだけど。
「強いだけで、全て解決するんですか? ……あの、《裏》というものは、そちらの《世界》というものは」
「強いだけなら、獣とかも強いですからね。でもそうですね、ただ《強い》だけでは駄目ですよ。他にも色々な事が重要なんです。僕は釣り合いをとる者……ですから」
「釣り合い、ですか?」
彼女は、そう聴いた。
「そうです。釣り合い。僕達程依怙贔屓のない、世界に平等な仕事はないですよ。釣り合いをとる……バランスを保つ。それはつまり、そういうことなんですよ。僕達は依頼を受ければ、依頼主が幼稚園児だとしても……米国の大統領を暗殺しますよ」
「……はあ、そうなんですか? よくわかりませんね。いや、わかろうとしてすぐにそれができる程、簡単な話ではないのでしょうけど……でしたら」
そう言って、彼女は僕の方によってきた。
「私の依頼とか、お受けしていただけるのでしょうか」
「……依頼、ですか。でも今は……」
「いえ、聞いてみただけです」
「……はあ」
何なんだよ一体。今日はさっきから、アカリもマモりさんも、変な態度ばっかりとって。
「とは言っても、お金とかたくさん必要ですからね。人ひとり抹殺するのには、人間の命に釣り合うだけの金。人ひとり守るのにも、人間の命に釣り合うだけの金。一番わかりやすい形が、金ですからね。無一文では依頼も何もないですから」
今回の依頼にも、国家予算が傾くような金額が動いている。天童財閥総帥である天童清の個人資産は、 一つの小さな国なら買収できるようなものであるらしい。噂を鵜呑みにしても仕方ないが、あながち間違いでもないだろう。
「お金なら、ありますよ。これでも、天童財閥に仕えている身ですから……あまり使ったことはありませんけど」
「……へえ。まあ、そうなんでしょうね。なにせ天下の天童だ。出し惜しみはしないんでしょう。マモりさんは、彼女の付きメイド兼護衛ってとこですか。それはそれは、かなりの貯金があるのでは?」
いやらしい話だが、それも仕方ないことだろう。少し間違えば、何もかも終わってしまう。そんなギリギリのやり取りをする仕事だ。
それと引き換えに、お金に色がつくのは当然というものだ。
「……お恥ずかしい話ですが、それなりに」
「ふふふ、顔が笑ってますよマモりさん」
「……やめてください」
いやらしい話だった。生々しい話だった。
大人の、話である。
……いやだってお金がないと生きていけないし。
ないよりはあった方がいいのさ。お金は、人の心を駄目にするというけれど……お金がなければないで、それでも人は駄目になる。
「じゃあ、いずれ今の仕事を引退とかになったら、のんびり余生をすごすんですかねえ」
そうきくと、少し戸惑ったようになって彼女は言った。
「……あまり想像できませんね」
「引退、なんて」
僕達の世界では、非常に稀なケースではある。決して目の前が確かなわけではない、不安定な職業。特殊な職種。
身を退くときは、身が終わるとき、か。
引退なんて、そんな甘ったるい未来は……僕達には過ぎたことだろうか。
その手を真っ赤に染めた、僕達には……
「マモりさん……」
「何でしょう」
「人を、殺したことはありますか」
「…………」
その顔は、軽く微笑みさえしていて。
「ありますよ」
「あなた程では、ないですけれど」
「……お互い、大変ですね」
「お嬢様を守るためならば、致し方ないことです」
…………
「私は、お嬢様に幸せになって欲しいのです」
どんな思いが、そこにあるかなんて……そんなことはどうでも良いことだ。
他人の事情なんて、僕には関係ないのだから。
僕は、何もきかなかった。彼女がなぜ天童に仕えるのか。どんな思いで、血塗られた一族の娘を慕うのか。
その笑顔が妙に魅惑的で、そんな彼女に僕は何もきけなかった…………