18/終末開始
「…………」
「…………」
「……お二人とも、どうかしましたか」
「……いや」
「……別に」
「……一体何があったのですか?」
場所は先程までアカリとマモリさんが休んでいた、別室へと変わっている。あの部屋はまだ処理中であるからして、見ていていい気はしないからだ。
死体の中身をぶちまけたような、惨状と化した部屋は、やはり《彼等》に任せるのが最善だろう。
そこに何もなかったことにするのが彼等の仕事。
人間の生きた痕跡でさえ、そこには含まれる。
「ちょっとそこまで、デートしてきました。恋人繋ぎで、いちゃいちゃしながら……」
「……そ、そうだね。周りからは、そう見えたかも。キスとか、しちゃったりして」
「…………」
「本当ですよ。僕達、仲良くベタベタしてました。もう周りの視線が凄くって……今風に言えばリア充ってやつですかね」
「そうそう、そうだよね。流石《裏》の最高峰っ。時代まで最先端を貫いてるねっ、リアクション充分で、リア充だよねっ」
「……リアルが充実で、リア充だと思いますが」
突っ込まれた。マモリさんの方が時代を先取りしていた。流行に敏感だった。
ていうかそれぐらい僕だって知ってたぞ。
……まあ天童の身である彼女にはそう言った、普通の感覚を求めるのは酷か。まあ僕も最近知ったのだけど。
みんなリア充リア充って言うから、何のことかと思ったものだ。
それを知る前は僕だって。
「……もう、いいですよ。誤魔化さなくたって、いいですよ。もう知ってしまったのでしょう?」
「……ええ、まあ」
すると、マモリさんは申し訳無さそうにこちらに向き直り、目と目を合わせた後、頭を軽く下げた。
「私からも、謝らせてください。本当に、申し訳ないです」
「……いや、そんな」
謝るなんてそんな、そんなことをされても……僕はどうすればいいというのだ。
許せばいいのか。許さなければいいのか。あなたはそれを、僕に選べというのか。
「……今更図々しいことだと、分かっています。これは私のエゴです。どうか、どうかお許しください」
「そうですか、それなら……それなら、仕方ないですね」
僕は彼女を、許すことにした。許さないことを、しないことにした。
それを選んだ。
「アカリ、じゃあもう終わりだ」
僕は彼女に向き直る。身体のみならず、目を合わせる。
「…………」
「僕は、君を許すよ。ていうか、そもそも僕がどうこうっていう問題じゃないしな。僕じゃない、君がどうこうという話だ」
「許、す……」
彼女は、僕の言葉をそう繰り返した。あたかもそうすることで、言葉の意味を更に噛み締めるように。
「さっき僕は、謝って済むことじゃないなんて言ったけれど、そんなことを言ったところで……どうやったって、取り返しがつくわけじゃないのなら、それはもう仕方ないことだしな」
取り返しのつかない間違いは、もうどうしようもない。
どうすることもできない。
前を向いて、その先へと再び歩き始めるしか、ない。
「もうどうにもならないのなら、どうしようもないのなら、忘れて次に進むしかないよな」
彼女は、手を後ろで組み、恐る恐る僕の方を伺いながら、それでもちらちらと自分の足元に視線を逃がすも、僕に対すると。
「私は、私の前に道があるとすれば、それはきっと、修羅の道」
私の求めるものは、多分見つからない。
「誰かと、大切な人や、仲良くしたい人間ができても、その人は私のことを……一人の人間として見てくれない」
一つの確立した、存在として見る。天童という、二文字だけを見る。
「私は、世界の為に生きなきゃいけない。自分の為に、生きてはならない。他の誰か一人の人間の為に、生きることも許されない。世界は私を許さない」
天童アカリは、諦めたように続ける。自分の生きる世界が、どう見繕ったところで、《普通》なんて言葉が介入する余地がないことを……受け入れるしかない彼女。
「一人の人を愛しても、その人は私を愛さない。当たり前。人は、同じ人しか愛さない。愛せない。私は人としてでなく、《天童》として、《天童アカリ》として生きる。それは、もう自分を捨てるのと同じ」
灯台は、自分を照らせない。灯台は、愛してもらえない。
灯台の元は、暗いように。
「私、いやだよう」
彼女は、吐き出すように言う。
「いやだ。私が私じゃなくなるのは、嫌よ。一人の人間でなくなるのは怖い。天童の二文字が、私という一文字を塗り潰すのが、怖い。いやだ、うう……いやだよう。助けてよ」
僕は、言う。
「それは依頼か」
「……ぐずっ、ひっく…うう。い、いらいって?」
「仕事の依頼なのかって、訊いてんだよ」
「……い、依頼なんかじゃ、ない。私の、私が助けてって。あなたも、私を《私》として見てくれないの?」
「依頼じゃないなら、僕は何も出来ないな。僕は、どんな依頼だろうが、ガキの使いだろうが、それが仕事なら引き受ける。でも君のそれは、そうじゃないんだろう」
なら、無理だな。
そう言って、僕は部屋の出口へと向かう。
もう、終わりの時間だ。今回は、度が過ぎた。干渉し過ぎた。
もう、駄目だ。
「…あ、うぅ。ま、まって。まってよ。私は、どうすれば……」
その顔には、溢れるばかりの涙。人間の感情表現の形。悲しいという感情の副産物。
彼女は紛れもない、一人の人間だ。
十六画の二字熟語なんかに、塗りつぶされることはない。
きっと大丈夫だ。
「じゃあな。アカリ」
僕は、扉に手をかけた。そして開ける。
ガチャリという音。あまりに無味乾燥なそれに、諦観のような思いを感じるも、それはすぐに思考を停止させ、前に見える……今にも崩れそうな彼女に向かって言う。
「僕は、また君と楽しく大富豪ができるような未来を望んでいる。四字熟語も、もっと覚えろよ。僕と話しが通じるくらいな。ちなみに相思相愛って、四字熟語じゃあないからな」
彼女は、そんな僕の言葉に、呆気にとられたようで反応できない。
「速く追いつけよ。《向こう》で待ってる」
ガチャリと、閉まる扉。訪れる沈黙。訪れる決別。
終わりの始まり。
彼女は、泣きはらした目を擦り、口元を緩めて……真上を向いた。
首が痛くなるくらいそって、天井を見るように、軽く微笑みさえしていて、そこには何か清々しささえ感じられる。
「……お嬢様」
「は~。はは。もう、狡いなあ、あいつは。ホント、卑怯だよ。人の初恋、持っていっておいて……天童として生きる、理由が出来ちゃったじゃん」
「何か、言いましたか」
「ん? いや別に。何も言ってないよ。サクラさん」
「……そうですか」
うん。本当に、本当に……狡いなあ。