12/百鬼夜行(後)
「!?」
渾身の一撃を防がれたというよりは、何故それが起こったのか分からないというような当惑。
そんな表情を、金髪少女は浮かべて動けない。
僕は左手で彼女の斧を持つ両腕を止め、戸惑うばかりの彼女をよそに、もう右手による更なる拘束をかける。
指を絡ませ、爪を食い込ませ、彼女の全身の動きさえ奪い、そうなってしまえばその斧は、ただの飾りだった。
「……なんで」
「くっ、ああ。はなせっ、はなしてっっ、いたいよおっっっ!!」
その後ろには、その瞳に信じられないもの映しているような顔で、立ち尽くす彼女。
僕の拘束に自由を奪われている、金髪少女は子供のようにじたばたと暴れるが、それはどこか力ない。
「…………」
後ろでは、マモりさんまでもが言葉を失っている。
「あれ、どうしたかな? あの《切断魔》っていうのは、僕みたいな細腕でさえ止められる程度のものなのかい?」
そんな風に、毒づいてみた。
すると、後ろで未だ困惑から抜け出せないでいる彼女が、僕の言葉を受けて返す。
「……違う、違う。なんで……どうして。いや、そんなはず……あなた、なんで」
「ん? ああ、この腕のことかい」
僕は、彼女によく見えるように身体を捩った。
そのつなぎ目がはっきりと見えるように、彼女によく見えるように。
薄い傷跡のようなものを辛うじて残した、完全に元通りの左腕を……。
「……どんな、手を……。何をっ、一体何をしたっ!?」
今までの冷静なそれとはまるで違った彼女の言動。
「よかったなあ。あんなに綺麗にぶった斬ってくれちゃうから、もしかしてくっつかないかもとか思ったけど、杞憂だったみたいだ」
「だからっっっ!?」
はぐらかすように、真面目に取り合わない僕に向かって彼女は、もう苛立ちを隠さない。隠せない。
「なんでっ、なんでどうしてそんなっっっ!?」
「うるさいよお前」
「……!?」
ぎりぎりと、金髪少女を抑えながらの会話だったけれど……僕ははっきりと言う。
「……君達は一体、この僕を何だと思っていたというのかな。どうやら僕がここにいることは知っていたみたいだけど……それでのこのこやってきたというのなら、君達はとても愚かだ」
僕だって、プロなんだぜ。
プロフェッショナル、煉獄の修羅、《斬離虎》。自分でいうのもなんだけど、それなりに名の知れた、恐れられたら三文字だ。
「普通の人間だとでも、思ったのかっつうの」
「つ……!?」
そして、無感情に執行。情けのない、容赦の欠片もなくそれを、する。
「くあっ、ああっっ。いやあああっっっ、きゃああぁぁぁぁぁっっっ!?」
ごきっと、明らかに人体の損傷が聞いてとれる音を、金髪少女の腕がたてる。
僕は、彼女の右腕を握っていた自分の左腕で《いつものこと》をした。すると当然のように……
ついでボトッという、柔らかい何かが床に叩きつけられる音がして、そこに目をやれば。
……やれば、金髪少女の足元に何かが落ちている。
肌色がその面積の殆どを占め、しかしその先端には更に先をえぐり取られたような、痕跡と共に赤い液体が……
「……っっっ???」
彼女の右手は、在るべき場所には既になかった。
そして物理法則に則り、巨大な斧がそのウエイトを支えるものが無くなり、重量に沈んでいく。
床に重く突き刺さるような音。それは彼女の腕だった腕が転がるすぐ隣の床に、まさに突き刺さっていた。
「あ、ああ。うっ、うあぁ。腕が……腕がぁっっっ!?」
「ふう、まずは一本」
そうして軽く息を吐き、僕は彼女の身体を前に向かって押しやる。
するとその小さな矮躯は、なんの抵抗もなくバランスを崩し、後方に突き飛ばされる。
やはりいくら身体能力が外れていても、身体その物は未熟なそれだ。
崩れ落ちる金髪少女を、辛うじて受け止める彼女。その図はあまりにも無防備で、やろうと思えばそこで終わっていたかもしれない。けれど……
あえて僕は、そうしなかった。
「お姉ちゃん……お、姉ちゃん。ううっ、いたい。……痛いよう」
「……可哀想に、大丈夫? 痛いわよね。本当に、本当に……ごめんなさい。本当に……ごめんなさい。私のせいだわ」
私の、せい……。
そう言った。
「こんな傷跡、有り得ない。まるで万力にでもねじ切られたような、切断面とは違う。なんで、どうしてこんな……」
彼女がそう言うのも当然のことだった。
人の身体というのは、豆腐やパンのように単純な構造ではない。単純な構成ではない。
まして腕などは、肉、神経、皮、そして骨が入り混じる。本来ならば、斬ってきれるような形態にないのだ。
それこそ斧でもない限り、……それにしたって、大変な重労働だろう。何回も何回も、吹き出す血液を、溢れ出す臓物に目をつむりながらの作業。
一太刀で斬り伏せる、金髪少女の方が異常なのだ。
いくら少女の体型のそれに、強度や耐久力が低いということがあったとは言え……握力だけで人間の腕を切断するなど、ましてねじ切るなんてできるはずが……
そんなことを、彼女は考えているのだろう。《切断魔》の片割れであり、人体掌握に長けているからこそ、目の前の現実を疑う。
あってはならないこと。起きてはいけないこと。
「……あなたは化け物ですか」
「あーもうだからうっせーっつうの。僕はだから人間だって……」
髪の毛をくしゃくしゃと、むしゃくしゃした自分を卑下するように。急に彼女の態度に腹が立った。
「実はさあ、今回は僕の方からも、君達を……最も《達》だなんて思わなかったけれど、待っていたというか……待ち構えていたんだよね」
「……どうして、ですか」
金髪少女の身体を支える彼女のその顔には、先程までの冷静さは消えていて、既に余裕はない。
もう最初のように気配を消すような芸当は、使えないはずだ。
「君達さあ、五体を奪って殺すんだってねえ。本当に、正気を疑うぜ。手足ってのは、人間にとって命の次の次くらいに、重要なものだろうよ。生きていたって、それがなけりゃどんなに明るい人生だって、たかがしれているさ」
自分の脚で歩けない、自分の手で掴めない人生なんて……その先に何があるっていうんだ。
彼女は、僕の言葉に意義を唱えた。
「あなただって、今したじゃないですか……」
「だからさあ、僕はずっと言いたかったんだよ。この日を待っていたと、言ってもいい」
プロフェッショナルの、プライドか。
「……僕の《やり方》、真似すんじゃねえよ」
僕のが、先だ。
と言った。宣言するように、高らかと。訴えるように、高らかと。
「は? え、何を……」
「殺し方を、返してもらう」
専売特許は、僕の方だ。お前らは、僕の偽物に過ぎない。
「…………」
それを受けて、彼女の僕を見据える表情が変わる。
自分の中の大切な何かを、傷つけられたような顔で。
それだけは譲れない、プロとしての、何よりも自分というアイデンティティを。
尊厳を守る為に。
「ごめんね。ちょっとだけここで、ここで待っててね」
腕の中の大切な存在に、優しくも弱くはない声でそう言う。
「お姉ちゃん……」
「お姉ちゃんは、やらないといけないの。例え駄目になることが分かってても、できないことが分かってても、下がれないわ」
あなたは逃げて。この化け物の居ないところへ……
そう言った。
そう言ったけれど、そうして離しかけた……金髪の少女は。
「お姉ちゃん、一人じゃないよ。私もいるよ。隣にいるよ」
お姉ちゃんと一緒にいく……。
彼女はそれをついに否定できない。愛しい愛しい存在の、そんな言葉が彼女の力になったように。
二人は強く、立ち上がってこちらを向く。金髪少女の残った左腕には、いつの間にかまた斧が握られていた。
……まあそれを拾う彼女の姿は、やはり隙だらけだったのだけど。これ以上は野暮だろう。
「お兄ちゃん、次は負けないからね」
「お初にお目にかかります。私達、二人で一つ、《切断魔》と呼ばれております。以後お見知り置きを……そしてお手あわせ願います」
金髪少女は慣れない動きでその巨大な斧をこちらに向け、(恐らくは彼女は右利きなのだろう。どことなくぎこちない動きだ)黒い瞳で初めて僕を本当に見たみたいに。
その後ろで彼女は、援護に徹するつもりか、両手を構える。やはり覚悟を決めたような瞳を、二つともこちらへと向けてくる。
「暫くの間お預かりしていた、《殺し方》。奪い返せるものならばやってみてくださいまし」
「上等だぁ、かかってこいよ! 《切断魔》ぁ!!!」
三人は、同時に笑った。それはまるで人生に最高の何かを見つけたような、清々しささえ伺えて……どことなく楽しそうにも見える。
次の瞬間、巨大な斧が眼前に迫るが……僕は避けない。迎え撃つさ。
それは三人兄妹が仲良くじゃれあうように、見えたらしい。
楽しそうに、ふざけあう三人は殺し合いなんて、そんなことをしているようには、見えなかったのだそうだ。