11/百鬼夜行(中)
「……マモりさん」
「……やはり、そうなんでしょうか。そういう、ことなんでしょうか」
スウースウー。寝付きのいい奴だよな。もう夢の中か。夢の中で、どんな夢をみているのだろうな。
せめて、幸せな夢だったらいい。
普通で、些細で、それでいて何気ない、そんな幸せな夢を……
せめて、彼女の知らないところで、何もかも終わればいい。
部屋の隅に置かれたベッドを囲むようにして、二人は立つ。
息を殺し、気配を殺してただ待つ。じっと待つ。
しかしそこには、彼女の寝息以外にはなく、マモりさんにはやはり何も感じられないようだが……
「ここで待っていてください」
「……」
無言で頷く彼女。
ひたひたと、スニーカーの足音をなるべく立てずに、部屋の入り口へ。
ガチャリと、音を立てて開く。すると、そこには……
ガチャン……
「……どうかしましたか」
「……」
開けてすぐに閉められたらドアからは、もう一度無機質な音がして。
彼女達の方を振り返る。
「……きました」
彼女の表情が、変わった。一変した。それは僕が、初めて彼女と出会い、一戦を交えたそのときのそれに酷似していた。
主を脅かす存在に向けての、敵意だろうか。
「警備員さんが、倒れています」
部屋前に配備されていた、されていたはずの警備員が一人残らず、倒されていた。
…………その五体を奪われて。
「…………」
こうなった以上、ここは戦場だ。殺意の交錯する、フィールドだ。
誰一人、安全はない。
天童財閥総帥の天童清と、その夫人であり、アカリの母親でもある天童岬には、別のエージェントがついていて、今はこの建物にはいない。
……ここで終わらせてやる。
すたすたと、彼女達の待つベッドまで戻り、もう一度ドアに向き直る。
「……います」
「……私はどうすれば」
「アカリを庇ってください」
無言で頷く彼女。利口で助かる。
ガ……チャ……
少しだけ、本当に少しだけ、僅かだけ開く扉。
その僅かばかりの隙間から、覗くものがあった。
……金?
金色の、サラサラした何かが、その隙間に見えた。気がした。
ギィッと、更に開かれる扉。露わになる人影。出現する殺意。しかし僕は一瞬、それの姿を見失った。
というか、見誤った。それは、人影の背丈が異様にも、低かったからである。
「…………」
それは小さな女の子だった。小さな、少女だった。
だが、どうやら外見程若いというわけでもなさそうだ。背丈は低いが、それに人形のような顔が妙にマッチしていて、独特の雰囲気を感じさせる少女だった。
長い、そして息を呑む程に綺麗な金髪をなびかせて、彼女はいそいそと入ってきた。
「こんばんわ、お兄ちゃん。こんばんわ、お姉ちゃん」
「…………」
「…………」
僕達は、その少女から目を離さない。無言のまま、ただ見つめる。
「ねえねえ、お兄ちゃん、お姉ちゃん。一緒に遊ぼうよ。楽しいことして遊ぼうよ。お遊びお遊び、きっと楽しいよ~」
「……」
これが、あの《切断魔》か。悪名高き、その名の正体か。
裏の者達を震え上がらせる、畏怖の対象なのか。
女の子、かよ。
別に男だと思い込んでいたわけではない。そういうこともあるかもしれないと、考えていたつもりだ。しかし、
こんな少女があの悪魔だと、誰が予想するだろうか。
こんな握れば折れてしまいそうな、か弱き存在を、誰が見抜けるか。
これが《切断魔》だなんて。
……スペックが見えない。掴み所が見えてこない。
こいつはどうやって、決して弱くはない警備員達を……
皆殺しにしたというのだ。力が違う、体力が違う、性能が違う、リーチが違う。
ならば、何らかの何か。僕のような、何かか。
「よう、お兄ちゃん仕事中だからよ。悪いけど、お前とは遊べないんだ」
「……え~、やだやだやだやだ。遊ぶの~、絶対ぜえ~ったい遊ぶの~」
「……こんな少女が、」
隣でマモりさんは、冷静ながらもその顔に驚愕を浮かべていた。
「……まあ、外見だけじゃあ中身は計れないって、言いますしね」
ドアの側で未だにじたばたと、子供のように地団駄を踏むばかりの少女。いや実際子供なのかもしれないが……
「うう~、遊んでくれなきゃやだ~。遊んで、遊んで、遊んでくれなきゃ……」
少女の口端が、不気味につり上がる。
「斬っちゃうよ」
!? 瞬間、空を斬るような音がして、僕はとっさに前へ出る。
アカリを庇うマモりさんを更に庇うようにして、前へ出る。
そして次の瞬間……ガシッ!?
流石に僕は、それに驚きを隠せない。
唐突に起きたそれに、ぼくは驚愕を隠せない。
反射的に左側に目をやれば、僕の左腕を何者かが……掴んでいるっっっ!?
「!?」
寒気がした。全身に回る血液が一瞬で凍りついた気がした。
死を寸前で見たような、ギリギリもギリギリ。限界も限界。
そして前からの殺気を、僕は避けられない……
「ぐあああああああ、あああああああぁぁぁっっっ!?」
左腕に走る、神経を狂わせるような激痛。鋭い異物が、体内に侵入するような感覚。
そして自身の一部が、剥奪されたことが分かる。
「……ぐおっっ、つう……あ、うう。」
「キリコさんっっっ!?」
後ろで僕の名を叫ぶマモりさん。おお、なんかいいな。地味に快感だ。
「……こないで、ください……」
いきなり食らうとは思わなかった。先手を取られるとは思わなかった。
それもそのはず、誰にだって責められることではない。
「まずは左腕、頂きました」
そしていつの間にか、その位置を金髪の少女と共にしている彼女。
僕の腕を、僕の腕だった腕を、まるでペン回しでもするようにクルクルとさせて、そう僕に言った。
「あはは~、うふふ。キャハハハ、キャハハハ」
笑い声が次第に、高いそれへと変わっていく金髪少女。その手には一体どこから取り出したのかというような、巨大な斧を持っていた。
両手でしっかりと、握っている。よく見れば赤い液体で濡れる斧を、握っていた。
僕の腕だった腕をそんな風に弄ぶ突然現れた彼女は、今の今までこの部屋には存在すらしていなかったはずの人物だった。
背丈は金髪の少女より頭一つ二つ高いくらいか。髪は茶色がかっていて、短く切りそろえてある。
その髪の毛から覗く顔だけを見れば、それは都会を歩いていても遜色ないような、普通の女の子のよう。
片手でそんな物をクルクルと回していなければ、という話だけれど。
「お返しします」
そんなことを言って、僕の腕だった腕を、乱雑にこちらへと投げつける。
ゴトッと、そんな音を立てて僕の足元まで転がってきて止まる肉塊。
異様に綺麗な切断面をこちらに向けて、それは僕の足元にあった。
「…………」
その二人は、少し離れた前方に寄り添うように立っていた。
敵にダメージを与えたことで、その様子を伺うようにしていた。
やはりプロフェッショナルだ。
この二人が、《切断魔》。
それにしても、あのお姉さんは一体どこから……
あれがなければ、当たる方が難しい攻撃だった。あんな単調な、ストレートな攻撃を食らうなんて、有り得ない。
他の奴ならともかく、この僕に限っては有り得ない。
突如として現れたその存在に、全く気付けなかった。
拘束された左腕は、いとも簡単に切断された。金髪の少女の振り下ろす狂気を、まともに受けてしまった。
気配を感じなかった……。そういう奴なのか。それはつまり、気配を消すことを得意とする……暗殺者のような、ものか。
隣ではマモりさんが、突然現れたもう一人の少女の存在に戸惑うばかり。
それでも主を守ろうとする意志は確かにあるようで、後ろを気にしながらではあったが。
……確かにあのドアが開いたのは一度きりだ。開いた扉を、あの斧を持った金髪少女は閉めていたから、入り込むとしたらその時か……それとも……
「……あなたが扉を開けたときに、お邪魔しました」
僕の思考を読まれたのか、それともたまたまなのか、彼女はそう付け加えた。
「……僕が、開けたときに?」
もしそれが本当なら、僕はそれに気付けなかったことになる。
「ずっと後ろにいました」
……気配を殺すことに長けたプロフェッショナル、というところか。
斧による切断を金髪少女に任せ、自分はそれをサポートする相棒。
相手に悟られず、後ろをとって確実に攻撃を当てる戦略。
……やばいのはこっちの方だな。金髪の方は、一人ならどうとでもなる。
そんな風に冷静に分析しながら、僕は足元に落ちている僕の腕だった腕を手に取る。
「……あなたは狂わないんですね」
相棒の少女は言った。
「腕の一本でも失えば、大抵の者は精神を折られて立つこともできないのですが……」
まして戦い続けることなどとても……
と言った。それは確かにそうだろう。
僕は自分の左腕があった場所を見る。鋭利な切れ口。流れる血液。おびただしい流血。血、血、血。
このままでは失血だけでも死にそうだ。少しずつ意識が遠くなっていくのが分かった。
「まあ僕も、プロだからね」
そんな言い訳は、半分ほどしか的を射ていない。
僕が未だに正気を保っているのは、別に理由があるのだ。
僕は、右手で切断された《元》左腕のその切断面を……元にそれが存在していたまさにそこへ、血の流れ続ける切り口へと合わせ、繋ぎ目を右手で繋ぐように隠した。
その行為に疑問を抱いたのか、茶色の髪の少女が言う。
「……何をしているんですか」
当然の反応だろう。僕のその行為は、あまりにも意味不明だったからだ。壊れたグラスの破片を合わせるような、そんな行為。
「……そんなことをしても、仕方ないですよ」
「いやいや、そんなことはないよ」
僕は笑う。
「…………」
「《切断魔》ちゃん。ブラックジャックって、読んだことある?」
「……は?」
唐突に荒唐無稽なそんな問いに、彼女は理解できないという様子。
「ブラックジャックだよ。漫画漫画。闇医者が訳ありの患者を治していくっていう……昔の漫画」
「それがどうしたんですか」
金髪少女は沈黙し、マモりさんはやはり沈黙し、そんな中で僕達は言葉を交わす。
「その中で、よく千切れちゃった脚とか腕とかを……手術でくっつける話があるんだよね」
「闇医者ならその腕を元通りにできると……?」
首を傾げる彼女。
「違う違う。そんな必要もないのさ。もっと簡単。簡単な話」
僕は笑う。
「よく分かりませんが、既に片腕であるあなたに……いかにあの《斬離虎》であろうとも、敵ではありません」
彼女は後ろ手で金髪少女にサインのようなものをした。それを受けて金髪少女が動く。
身長に不釣り合いなその巨大な斧を構え、(よく見れば背中にホルダーのようなものが装着してあり、さっきまで手ぶらに見えたのはそのせいだ)
臨戦態勢。彼女がそれを望めば、いとも簡単に僕のもう片方の腕は失われるだろう。
「やっておしまい」
「斬る斬る斬るっっっ!!」
速い。その外見と相反するように、身体能力は高いようだ。
閃光のように走り、次の瞬間には目の前に彼女の姿があり、金色の髪の毛がなびく。
「くっっ!?」
後ろでマモりさんがそんな声を上げていた。
けれど僕は意に介さない。迫り来る狂気を眼前にすえ、冷静に行動。
左手で、彼女が斧を持つ両腕を止めた。
左手で。