10/百鬼夜行(前)
待ちきれないという意味の四字熟語に、《一日千秋》というのがある。
読んで字のごとく、一日が千の秋に匹敵する程に待ち焦がれているという意味だ。おいおいオーバーだなあなんて、言うのはやめておけ。
ジャパニーズ、ラングエッジは往々にして曖昧であり、それでいて大げさであるものだ。それくらい、あやふやなものである。
それだけ奥が深いという風にもとれるだろう。複雑なのは悪いばかりではない。
ところで、何を急にそんないきなりな、わけわかんねえよお前何言ってんの、なんて思わないでほしい。これは今の状況にぴったり当てはまることなのだから。
……遅いのである。そりゃあ待ち合わせしているわけではないのだか、それにしたってこれはどうしたことだろう。
まさか情報に誤りがあるなんて、そんなはずがないのだが。切断魔は一向に現れない。
……一カ月、である。それだけの日が過ぎた。とばしてしまうくらい平々凡々にして、味気ない時間は気がつくとあっという間だ。
何も無かったわけではないが、何かがあったのかと言われれば、それはそれで答えが見つからない、そんな日々。
アカリとデートしたり(室内)、アカリと手を繋いだり(恋人つなぎじゃない方)、アカリといちゃいちゃしたり(恋人ごっこ)、そんな日々が過ぎて……それが日常になった頃。
忘れた頃にやってきた。待たせておいて、挨拶もなしに。彼女達はやってきた。
切り裂くように、切断し。行き交うように、切断し。通り過ぎると、そこには断片が並び。その道には草木残さず切り裂かれ。
腕を斬り、脚を斬り、首を斬り、命を裂く破壊者。
五体を剥奪し、生命を剥奪する殺戮の天使。
ならぬ殺戮の姉妹。二人で一つのその名。
今では彼女達を、彼等はこう呼ぶ、《切断魔》と………………
ホテルの一室。相も変わらず豪華スイートルーム。溜め息さえ遠慮に駆られるような豪華な家具や装飾。
それはまるで、主人の使用を健気に待つ有能なメイドのようなかしこまりようだ。
本当のメイドがそこにいるのが彼等の不運か。どんな豪華な家具も装飾も、この人のまえでは霞むしかない。
視線に気付かれたのか、こちらを伺うようにする彼女。
「どうかしましたか?」
「いや、別に……」
マモりさんは、今日も昨日と変わらない。事務的な受け答えは、やはりいつも通りの彼女だ。
ひと月も共に過ごせば、いつも通りなんて言葉も出てくるというものだ。
それだけの、浅くない関係が築かれたということだろうか。
「……ふー、ダメだなあ。全然ダメ。もお、なんでだろ」
「アカリ弱すぎだろ。くじ運とかいうレベルじゃないってそれ。センスだよセンス」
「……うう、ひどいよう。なんで……なんでかなあ」
「こういうの、弱いってまずいんじゃないの? 天童が。経営学とかに通じるものがあるから。こういうゲームって」
「大丈夫ですお嬢様。わたしがお嬢様を勝たせてみせますから」
「だから何であんたさっきから協力して戦ってんだよ! 何で二対一なんだよ! さっきからなんかおかしいと思ったよ!」
「うう、2がこないよう」
大富豪をやっていた。トランプで大富豪をやっていた。
「来ないって、三人だぞ。三人しかいないのに、四枚あるカードがこないって……しかも今ので誰が持ってるのか分かっちゃったじゃん!」
僕の手札にスペードの2が一枚……
うわあ三枚持ってるよあの人。あとジョーカーも。
もう決まったようなものじゃん。
「……でも」
このゲームではスペサンルールを採用している。スペードの3がジョーカーに勝てるというルールだ。
通常なら敵無しのジョーカーが、絶対のカードではなくなる。より駆け引きが増すわけだ。
今僕の手札にはスペードの3はない。ということはアカリの手札にそれがある確率は、単純計算で五分五分だ。(三人というのは、こういうときにある程度予測が成り立ってしまうのがつまらない)
ならばアカリが、マモりさんのジョーカーを止め、ついで革命などでカードの強弱を逆転できれば、まだ分からない。
よし、ならばここはマモりさんがジョーカーを使うざるを得ないような状況を演出することだ。
アカリが革命してくれれば、僕の手札で眠っている3や4達が猛威を振るうことになる。ふふふ、まっていろ。あなたの手札に温存された最強の三銃士は、今に最弱の奴隷に成り下がるのだ。
ざわざわ、ざわざわ……
場にはアカリの渾身の1が今出された。それをテーブルの上に置く手が震えていた。文字通り最終戦略らしい。
順番はアカリ、僕、マモりさんの順番で時計回りだ。つまりここで僕が2を出せば、マモりさんはジョーカー以外を出すことができない。
だがもちろん警戒され、ジョーカーを握り込まれてしまう恐れもあるか。ならばここは……
「…………」
「……なんですか」
「……いや」
視線攻撃。ここで僕の2が通れば、マモりさんに不利な状況が訪れるのだと、そういう思い込みを与えることができれば……
そして2を出した。さあ、マモりさん……出せ、ジョーカーを。
「…………」
じーっと、こちらを伺うマモりさん。うっ、気付かれたか。やっぱ駄目か?
「……く」
そこで、マモりさんがカードを出す。
紛れもない、ジョーカーを!!
よし、いけ僕のアカリ!!
今こそお前の真の力を見せてやれ! さあ、さあさあ。
「……え、なに?」
僕の期待の視線に戸惑う彼女。あれ、何してんだ。何をぼけっとしてんだよ。
「スペサン私持ってます。2トリ、階段革命です。スペサン上がりなしでしたよね。スペサン、階段。上がりです」
「やっぱあんたか……」
やっぱりマモりさんだった。恐ろしい引き運だった。
ジョーカー、2が三枚、スペサン、階段革命に階段って……いくら三人プレイで手札が多いからって。
ギャンブラーかよこの人。
「けどまあ続けるか。次、アカリ」
「え、あうん」
マモりさんが上がったので、場のカードが流れる。(これについては、場にカードが残るルールもある)
アカリは無難に10をだす。革命した後でも、その前にもぱっとしないカードだ。
ええと、次は……あ、あー。うーん、ああ。
「僕も上がりだ」
3ダブ、4ダブ、8流し、階段。
革命したから手が強いんだ。3はもう全部見えてるし。
「…………」
呆然とするアカリ。開けた口が塞がらない。もっとも、この光景は今に始まったことではなかった。
「またこの順位ですか、面白くありませんね」
「ちょっと、サクラさん味方してくれるんじゃなかったのっっっ?!」
「……すいません、2が無いのなら革命すればいいかと……」
3も持ってなかったわけだ。大富豪ではイマイチ使いづらい、中途半端な強さのカードばかり引いたのか。
大丈夫なのか、天童財閥……。こんなんで本当に……
「うう、おかしい。おかしいおかしいおかしいっ。このトランプなんか変だよっ。きっとシャッフルした人がズルを……」
「いやお前しかシャッフルしてない」
負けた人が次のカードを準備する決まりにしているからだ。
墓穴を自分で掘る彼女。
「……うう、トランプって難しい……」
「そんなことないと思うけど……」
そんなとき、山の中からふとカードを一枚手にとった。
彼女の《ズル》という言葉に反応したのか、それとも何の意味もなくそうしたのかは分からない。
とにかく僕は一枚のカードを手に取ったのだ。
裏向きのそのカードを、何とはなしに反対にめくってみた。……すると。
それは先程問題になったスペードの3、だった。
正確には、スペードの3の切れ端だった。
……あれ、なんだ。キョロキョロと下の方を伺うと、もう一つの切れ端が落ちている。
拾い上げ、手元の切れ端と合わせてみるとその断面は一致。
「……なんか切れてるんだけど」
スペードの3が真っ二つになっていた。
「え、なんで? …
…ホントだ。えー怖い、なんでそんな綺麗に切れて……」
「……変ですね」
……一瞬、それを疑ったが、考えて思い直す。それはないか。僕のあれは、これとは違う。
ならこれはどうしたことだろう。もともと切れ目が入ってたとか、……何にしても不思議な話だ。
「……ふあ~眠いよ。もうトランプはいいや」
「……ああ」
「お休みになりますかお嬢様?」
「うん」
テーブルの上を片付けるマモりさん。そしてベッドの準備を始めた。
……僕は真っ二つになったスペードを見つめ、考える。
そんなこんなで、なんやかんやで、また一つ過ぎる一日。過ぎようとしている一日。
長い一日はまだ終わらずに、そして始まったばかりだ。
地獄のような一晩は、これから始まりを告げようとしていた。