第七話 安心安全皇后
「大規模な粛清が、必要だな」
皇帝の言葉に、舞踏会の場が凍りつく。
そもそも彼が皇帝に即位したのは、三年前。
隣国との戦争の最中のこと。帝国中から信頼を集めていた高位貴族の一人が突然剣を抜き、反旗を翻すという事件が起きた。その騒動の末、当時の皇帝・皇后・皇太子はその場で亡くなる。皇太子妃は顔に大きな傷が残り、隠れるようにして自ら修道院へと向かうことになった。
第二皇子クラウスは、温厚な人物だった。
しかし留学から急いで帰ったクラウスは、皇帝に即位すると同時に、国内の膿を一気に出しきる必要に迫られていた。冷たい言動で誤解されがちだが、彼が腐敗貴族を無慈悲に大量処刑したのは、この一度きりである。
しかしその一回がきっかけで、彼は“粛清皇帝”と呼ばれるようになってしまった。
「そうだな。ヒルデ、お前はどう思う。帝国内に巣食う虫どもは、どういった基準で処分するべきだろう。お前の訴えが正しいのなら……例えば、カーネモーチ侯爵家。ハンナリセやその両親の首はもちろん刎ねるとして、兄弟や親戚、寄子はどこまでを処分範囲に含めるべきだ。精霊神殿。ニャッキを始めとする神官の内臓を抉り出すとして、それは火に焚べるべきだろうか。それとも、トゥニカ神国へ送ってやるべきだろうか。帝国軍。アヤメやその家族を四つ裂きの刑に処すだけでは足りないだろう。処分する者と残す者をどう選別するべきか……ヒルデ、これはお前が始めた騒動だ。お前はどうすべきだと考えている」
皇帝の言葉に、ヒルデは血の気の失せた顔でガクガクと震え、何も答えられないでいた。おそらく、ここまでの大事になるとは考えていなかったのだろう。
それを見ていた貴族たちは、三年前の大粛清の記憶が蘇り、胃の底をかき混ぜられるような落ち着かない気持ちで状況を注視していた。
そんな中、一人の令嬢が歩み出る。
「陛下。お待ち下さい」
アンヤーク伯爵家の令嬢、マリエンヌ。
皇帝と幼友達である彼女は、しかし今回の皇后候補選定においては、空気のように存在感がなかった。今日、この時までは。
「マリエンヌ。私に意見するつもりか」
「もちろんです。皇帝が道を誤ろうとしているのであれば、それを止めるのは皇后の役目ですから」
「まだ候補に過ぎないだろう。生意気だな」
皇帝はマリエンヌに真っ直ぐ身体を向けると、歯を剥き出しにして獰猛に笑う。
「幼馴染なら殺されないとでも思ったか」
「いえ。クラウスになら殺されてもいいわ」
「……私を名前で呼ぶのか。不敬だぞ」
今、貴族たちの心は一つになっていた。
頑張れ。マリエンヌ、超頑張れ。
三年前の大粛清の経緯は皆理解しているため、実のところ皇帝が粛清大好きマンだとは思っていないのだけれど、それでも怖いもんは怖いのだ。マリエンヌが穏便にことを収めてくれるよう、誰もが願っていた。
「陛下。どうか一つ、わたくしの提案を聞いてくださらないかしら。それすら聞く耳を持たないというのであれば、今すぐわたくしの首をお刎ね下さい」
「……いいだろう。話せ」
「はい。実はわたくしの友人に、このような場面で便利な魔術を使える者がおりますの……リーザさん」
マリエンヌがそう声を掛けると、群衆の中から渋々といった様子で一人の令嬢が前に出てくる。
辺境伯令嬢リーザ。
彼女は今回の選定舞踏会において、皇后筆頭候補と呼ばれている令嬢である。
「マリエンヌさん。私はこのように目立つのはあまり得意ではありませんわ」
「しっかりなさって。貴女も皇后候補ならば、どんな状況でも臆せず振る舞わなければ」
「いえ、皇后候補は辞退しようと思っておりましたの。私は皇后に相応しくないと、ヒルダさんから“熱心な説得”がありましたので」
この状況で、ヒルダの名前が出てくるとは。
貴族たちは「やっぱりな」という気持ちで、三姫たちのパンツを奪った犯人はヒルダなのだろうと確信を深めた。
「リーザさん。皇后候補のことはともかく、青の魔女としての貴女にお願いしたいのです」
「それは……私の契約魔術を使いたいと」
「えぇ。貴女は〈真偽判定〉の魔術を使うことができますね。国境の異民族との交渉では、その魔術が大いに役立ったと聞いております。手の内を隠しておきたいお気持ちは察しますが、この国難において出し惜しみは悪手ですよ?」
マリエンヌの言葉に、リーザはスライムでも踏んづけてしまったような嫌そうな顔をしながら溜息をつく。
「はぁ……分かりました。こんな公衆の面前で、次々と私の手の内をバラされたら商売上がったりです……いいでしょう。ただし、魔術行使の報酬は上乗せさせていただきますわ」
「あら、友人割引はありませんの?」
「あー……もう、分かりましたわ。マリエンヌさんには敵いません。上乗せと割引で相殺して、通常価格で請け負います。これはマリエンヌさんだからこそ、今回だけの特別対応なのだと心得てくださいませ」
リーザのふくれっ面に、マリエンヌはうんうんと頷くと皇帝クラウスの方へと向き直る。
「さて、陛下。この通り我が友人リーザは〈真偽判定〉という契約魔術を行使できます。これは対象の発言が本心か嘘かを一目で判断できる便利な魔術になっております」
「なるほど。意図は理解した」
「はい。何を決めるにしても、まずはしっかりと真実を明らかにするところから始めなければ」
「そうだな。その提案を聞き入れよう」
マリエンヌが皇帝と話をしている傍らで、リーザは使用人に指示を出していくつかの道具を持って来させた。
そして貴族たちが興味津々で見守る中、彼女は床にフリーハンドで魔法陣を描いていく。素人には複雑で高度な図形に見えるが、リーザの手の動きに迷いはない。
「――ハンナリセさん。ニャッキさん。アヤメさん。どうかご安心下さい。貴女たちの身の潔白は、リーザさんの魔術が証明してくれます。大丈夫、もう少しの辛抱ですからね」
それからすぐ、魔法陣が描き上がった。リーザが床に手をついてマナを込めると、魔法陣は青い光を放ち始める。
するとまず最初に、魔法陣の上に乗ったのはマリエンヌであった。
「それでは陛下。まずはリーザさんの作った魔法陣について説明させていただきます」
「うむ。聞こう」
「簡単に説明すると、この魔法陣の上に乗った者が、真実を話している時には青色。虚偽を述べると赤色の光を放つようになっています。例えば――」
マリエンヌはうーんと考え込んでから、人差し指をピッと一本立てる。
「わたくしは陛下のことを、幼少の頃よりお慕い申し上げており、妻にしてほしいと願っております。大しゅき」
「青い光……これが真実の色か」
「わたくしは淑女らしい清楚なパンツを着用しております」
「赤い光……なるほど、これが虚偽であると」
「はい。もちろん細かい言い回しで抜け道を作ることもできますし、本人が思い込んでいる場合にも真実判定がされてしまいます。あくまで対象の主観的な真偽であるとご認識下さい」
マリエンヌはそう言って魔法陣から出る。
なんかサラッとすごい発言が飛び出したような気もするが、それよりも貴族たちが気になるのは、三姫が潔白かどうかである。
「では一人目。侯爵令嬢ハンナリセ。来い」
皇帝の言葉に、ハンナリセはおっかなびっくりといった様子で魔法陣の中に足を踏み入れた。
「それでは、私の質問に正直に答えよ。無理な質問をするつもりはないが、答えづらかったら黙秘でも構わん。ただ、虚偽だけは許さない」
「はい」
「お前の名前は」
「ハンナリセ、でございます」
「男性経験は」
「ありません」
「あのパンツはお前のものか」
「はい」
「どういった経緯で失った」
「はい。わたくしの主観ですが……夜寝る時には身につけていた記憶があります。しかし、朝目覚めた時には忽然と消えていたのです。決して男性と情を交わしたり、パンツを手渡したりなどしておりません。信じて下さい」
「よし。その青色を信じよう。お前は無実である。疑って申し訳なかったな。許せ」
皇帝から無実を告げられ、魔法陣の外に出たハンナリセはその場に膝を崩した。また、貴族たちの一部……彼女の属する地方貴族派の面々は、大きな歓声を上げて拍手をしていた。
「二人目。高位神官ニャッキ。来い」
皇帝がそう言うと、ニャッキは楽しそうに魔法陣の上に乗る。
「私は男デス。私は女デス。私は男デス。女デス。男デス。女デス。男デス。女デス。男デス。女デス」
「やめろ。目がチカチカする」
「すごく面白いデス、この魔法陣。でもマナの消費が激しそうなのデス。リーザさんへの負荷を考えると、質問タイムは早々に終わらせた方が良いデスね」
「負荷をかけているのはお前だ」
皇帝はコホンと咳をして、質問を始める。
「それでは、私の質問に正直に答えよ。無理な質問をするつもりはないが、答えづらかったら黙秘でも構わん。ただ、虚偽だけは許さない」
「はいデス」
「お前の名前は」
「ニャッキ」
「男性経験は」
「ないデス」
「あのパンツはお前のものか」
「そうデス」
「どういった経緯で失った」
「寝て起きたら消えてたデス。男と寝たりなんかしてないデス。直接手渡すなんてこともしてないデス。持っていった者の姿も見てないデス」
「よし。その青色を信じよう。お前は無実である。疑って申し訳なかったな。許せ」
ニャッキが魔法陣から出て手を挙げると、貴族たちの大きな歓声が響き渡る。ハンナリセが無実だったのだから、彼女も当然のように無実だろうと皆は予想していたが、やはり明確に結果が出ると安心感が違うものだ。
「三人目。剛力令嬢アヤメ。来い」
皇帝からの呼び出しに、アヤメは両手で顔を隠しながら耳まで真っ赤に染めて、頭から湯気を出しつつ魔法陣の上に乗った。
「それでは、私の質問に正直に答えよ。無理な質問をするつもりはないが、答えづらかったら黙秘でも構わん。ただ、虚偽だけは許さない」
「はい」
「お前の名前は」
「黙秘します」
「ちょっと待て」
「黙秘します」
「お前……まさかアヤメじゃないのか? これは質問でなく命令だ。両手を顔から外し、俺の方を向け」
皇帝の命令には逆らえない。
彼女は意を決したように、顔から手を外して皇帝の方を見る。
「お前は……どう見てもアヤメだが」
「はい。アヤメです」
「なぜ先ほどは黙秘した」
「恥ずかしかったからです。紐のようなパンツを公衆の面前に晒され、男性経験がないことまで堂々と宣言しなきゃいけなくて、しかもパンツを奪われた情けない経緯まで説明しないといけない……そんな辱めを受けている女の名がアヤメなのだという事実を、直視したくなかったのです。ごめんなさい」
「あぁ……私こそ悪かった」
「いえ。必要なことと理解はしております」
皇帝は気まずそうな顔で頷く。
「男性経験は」
「皆無です」
「あのパンツはお前のものか」
「はい。あの紐は私のパンツです」
「どういった経緯で失った」
「寝て起きたら消えてました」
「よし。その青色を信じよう。お前は無実である。色々と申し訳なかった。心の底から謝罪する。許せとは言わんが……その。協力に感謝する」
アヤメが魔法陣から出て、再び顔を隠してその場に蹲ると、貴族たちから歓声が上がる。帝国軍の兵士たちは「紐パンツ! 紐パンツ! そーれ紐パンツ!」と今彼女が一番欲しくないだろうコールが沸き起こり、会場は本日一番の大盛り上がりを見せる。
皇帝の気持ちを上手になだめ、三姫の危機を救って貴族たちに安心・安全を提供した伯爵令嬢マリエンヌ。
この出来事をきっかけに、マリエンヌは後に“安心安全皇后”と呼ばれるようになり、人々に長く親しまれるようになったのだった。