第五話 剛力令嬢
舞踏会7日目。
皇帝クラウスが選んだファーストダンスの相手は、やはり今日も辺境伯令嬢リーザである。周囲の令嬢たちが悔しそうな感情を滲ませる中、二人は楽しそうな笑顔を取り繕いながら、秘密の会話を行う。
「ニャッキは協力的だったか」
「完全に信用はできませんが」
「あぁ。トゥニカ神国の国益を考えての行動かもしれんからな。利用できる部分は利用するが、仲間に引き込むのは少し考えた方がいい」
リーザの感覚としては、ついニャッキを信用してしまいそうになる。しかし彼女はあくまで他国出身の神官なのである。油断して懐に入りこまれるリスクを考えれば、積極的に味方扱いすることもできないだろう。
その点はクラウスもよく理解しているようで、ニャッキの扱いはひとまず保留とすることになった。
「ところでリーザ。お前に恋人はいないのか」
「……それを探すために舞踏会に参加したのに」
「そうか」
「私を皇后筆頭候補に仕立て上げたのは陛下ですよね。おかげさまで、今では虫の一匹すら寄ってきませんよ。どう責任を取ってくれるんです」
「……後宮に来ないか」
「冗談でしょ。私は公爵令嬢に平手打ちをかます女ですよ。後宮で上手く立ち回れるタイプだと思いますか」
その問いかけに、クラウスはふむと溜息を漏らす。
「無理ということはないと思うが」
「お断りです。そもそもマリエンヌとの友情を壊したくもないですし。今回のことが済んだら、いい男を紹介してください。辺境に婿に来る気骨のある人ですからね。あーでも、筋肉ダルマはナシで。そんなのあっちには腐る程いるので」
「……分かった」
リーザは微笑みながら、胸の痛みを自覚する。
クラウスは素敵な人である。世間で囁かれる“粛清皇帝”などという噂は、彼と話をするごとにポロポロと崩れていく。本当に優しい人だ。きっと後宮に入っても、なんだかんだ苦労はするだろうが……やってやれないことはない。確かにそう思う。思うのだが。
でもそれは、きっと違うのだ。
女の園で上手く立ち回るような生き方は。
「それは……私の生きたい人生ではないのです」
そう呟くリーザを、クラウスはそっと抱き寄せる。
結局のところ、リーザにはどうやってもイメージできなかったのだ。
辺境では十三から仕事を任されて、暗躍し、交渉し、異民族の首長に不利な条件を叩きつけて“蛮族殺し”などと呼ばれるようになった。元暗殺者のキリヤから様々な技術を学び、男に恋することもなく戦い続けてきた。そんな自分が毎日綺麗なドレスを来て、ただただ大事に隔離されるような人生を……脳裏に思い浮かべることができなかった。
「あぁ。振られてしまったな」
「浮気者。マリエンヌに言いつけますよ」
「くくく。それは怖い」
リーザはクラウスから離れると、カーテシーをする。
皇帝と皇后筆頭候補の姿は、周囲からは仲睦まじいように見えているだろう。だがそれは、二人にとってある意味で決別の挨拶であり……そして後に、皇帝の親友とまで呼ばれるようになった女傑が、自分の生き方に対して覚悟を決めた瞬間でもあった。
舞踏会の会場の隅に行くと、そこには待ち構えていたように一人の令嬢……公爵令嬢ヒルデが不機嫌そうな顔で仁王立ちしていた。取り巻きも連れず、たった一人で。
「田舎娘。貴女に皇后は似合わないわ」
「そうですね」
「……え」
「あら。何を意外そうな顔をしていらっしゃるんですか。この数日、ヒルデさんが丁寧に教えてくれたのではないですか。皇后になるということが、どれだけ覚悟のいることか」
リーザがそう言うと……ヒルデはゆっくりと、ニマァと口元を歪めていく。
「うふふ、ちゃんと理解していらしたのね」
「えぇ。ヒルデさんは皇后になりたいのですか?」
「もちろんですわ」
「これは私の印象ですが……ヒルデさんは陛下と結婚したいというよりも、皇后という立場に就きたいと。そう考えていらっしゃるように思ったのですが」
「あら。それはなぜ?」
「……そうですね。どうも陛下に恋愛感情を抱いているようには見えなかったものですから。もう少し種類の違うものなのではないかと、そう考えたのです」
ヒルデは腕を組み、うんうんと頷いている。
リーザはヒルデと横並びになるよう移動して、一緒に舞踏会の会場を眺める。
その場に集まっているのは、名だたる貴族の令嬢・令息。重要なのは、誰が皇帝に選ばれるか、だけではない。皇帝に選ばれなかった令嬢がどの貴族令息に嫁ぐのか。どの派閥が力を得て、この巨大な帝国の中で権力を振るっていくのか。
「皇帝は帝国のトップだけど、全てじゃないわ」
「……はい。そうですね」
「皇后という存在もまた、帝国のトップだもの。人の欲がせめぎ合うこの国で……上手くやれば、私は頂点に立つことができる。わたくしの存在を歴史に刻みつけて、わたくしの帝国を築き上げることができるの。心が踊ると思いませんこと?」
リーザにはヒルデの気持ちがいまいち分からなかったが、きっとヒルデの中で「皇后」という立ち位置は非常に魅力的なものなのだろう。
「ヒルデさんは、どのような皇后になりたいのですか?」
「それは……なってみてから考えますわ」
「今の状況で、皇后に選ばれるとお思いで?」
「ふふん。あのね、私はなんだかんだ“持ってる”人間なのよ。人間というのは、生まれながらに様々なものを与えられているじゃない。家格。血筋。資産。領地。美貌。天からそれらを存分に与えられたわたくしが……皇后になれない、なんてことがありえると思って?」
思うけど。
という言葉を飲み込んだリーザは、ヒルデの顔を覗き込む。
「私が皇后候補から脱落したところで……他にも有力な候補者はいると思いますわ」
「そ……それは、例えば?」
「侯爵令嬢のハンナリセさんならば、ヒルデさんが仰っていた皇后の条件にも合致すると思います。また高位神官のニャッキさんは陛下と踊った回数も多く、多くの方から好感を持たれておりますし。帝国軍元帥の娘であるアヤメさんも軍閥派が結託して推しておられます」
「わたくしだって……」
「陛下からダンスに誘われない。それとこの数日で、取り巻きの数が徐々に減っていらっしゃるようで。ヒルデさんは本当に中央貴族派を掌握できていらっしゃるのですか?」
二の句を継げないでいるヒルデに、リーザは背を向ける。
ゆっくりとその場を去りながら考える。
ヒルデは今、一体何を考えているのか。そこにどんな餌を与えれば、行動を誘発できるのか。きっとそれは、リーザが最初に考えた計画から、そうズレたものにはなっていないはずである。
そうしてしばらく歩いていると、妙な光景が目に入ってきた。
「アヤメさん、寝ちゃだめデス! 起きるデス!」
舞踏会の会場。
帝国軍元帥の娘である剛力令嬢アヤメは、フラフラと今にも眠りに落ちそうな様子で、目が半分しか開いていない。これは一体どういうことだろう。
「アヤメさん! 寝たら死ぬデス!」
「雪山じゃないんだから……」
「ここで寝たら雪山より大変デスよ!」
「そもそも、ことの発端はニャッキが深夜に呼び出したからだろう。パンツ――」
「わー馬鹿馬鹿、大きな声で何を口走ろうとしてるんデスか。極秘で調べてもらいたいからアヤメさんを呼んだんじゃないデスか。しっかりしてください! ここで寝たら死ぬデスよ!」
ざわつく会場。どうやら会話から察するに、剛力令嬢アヤメは深夜にニャッキに呼び出され、おそらくパンツを盗まれた件で密かに協力を頼まれて、それから一睡もしないままずっと捜査に付き合わされていたのだろう。
その上、先ほど皇帝と5曲ほど連続でダンスを踊る羽目になって、曲目もなぜか激しいものだったため、アヤメは完全に疲労困憊である。眠くて眠くて仕方がない、というのが今の状態らしかった。
「あ、リーザさん! ちょっと手伝ってください!」
ニャッキは突然、リーザにそう話しかけてくる。
「手伝いですか? ニャッキさん」
「はいデス。アヤメさんを休憩室まで運びたいのデスが、さすがに皇后候補のご令嬢を殿方に運ばせるわけにはいかないデスから、付き合ってほしいのです」
「あー……はい。分かりましたわ」
そんなわけで、断る流れでもなかったため、リーザはニャッキと一緒にアヤメに肩を貸して会場を出る。使用人たちがアヤメの休憩室をしっかり用意していてくれたらしく、ベッドに寝かせるところまで何の障害もなくスムーズに連れてくることができた。
ベッドですやすや眠るアヤメ。
その様子を確認したニャッキは、うんうんと頷く。
「はい、リーザさん。今ならパンツ取り放題デスよ」
「え?」
「パンコレ神の使徒がリーザさんなのは分かっているデス。意図もだいたい察しがついてるデスから。先ほどダンスのときに陛下とも相談しましたので、全力で協力するデス」
急にそんなことを言い出したニャッキに、リーザは完全に面食らったまま固まる。
「アヤメさんみたいな感覚派の武人から、まともにパンツを盗ろうとするのは大変デスから。でもここまで熟睡させれば大丈夫だと思うデス」
動き出せないでいるリーザに、ニャッキは苦笑いをしながら自分からアヤメに近づいていって、スルスルと彼女のパンツを脱がせる。そしてそれを、流れるようにリーザの手に押し付けてきた。これは一体、どういうことだ。
あまりにあっけない3枚目の入手に、リーザの思考は完全に置いてけぼりになってしまった。
「いったいいつから……私がパンツ泥棒だと?」
「最初からです」
「ん?」
「ワタシのお祖父ちゃんの名前はキリヤというデス。リーザさんという優秀な弟子の話は以前から聞いていたので、会えるのを楽しみにしていたデスよ。そんな状況で、お祖父ちゃんと同じようにパンツを集め始めたから……」
「あー……迂闊な行動だったか」
「まぁ、ワタシの他に気づくような人はいないと思うデス。出身国のこともありマスから、信用しろとは言えないデスが……ワタシなりに勝手に協力させてもらうデスよ」
そう胸を張るニャッキに、リーザは今さらながら笑いがこみ上げる。
「ありがとう。助かったよニャッキ」
「いえいえ。きっと本番はこれからデスよね?」
「あぁ。このパンツを使えば……」
――クラウスの治める帝国には、きっと平穏が訪れるだろう。
リーザは決意を新たにし、小さく息を吐くと、ゲットしたばかりのアヤメのパンツをドレスの胸元にしまい込んだ。