第三話 公爵令嬢
舞踏会6日目。
皇帝クラウスのファーストダンスの相手は、今日もリーザであった。周囲の令嬢からの刺すような視線に辟易しながら、リーザは皇帝の言葉を聞く。
「上手くやったらしいな」
「下手を打たなかっただけです」
「表情が崩れてるぞ。笑え」
そう言われたリーザは、皇帝に作り笑顔を向ける。
周囲のどこに耳があるのか分からないため詳細な相談ごとはできないが、うまく単語をぼかして会話すればいれば、ダンス中に行われる二人の密談を理解できる者などそういない。
「終わったら、なんでもしてやる。という約束だが」
「はい。そうでしたね」
「内容はもう考えているのか?」
「決めてはいますが、今お話するのは時期尚早でしょう。取らぬオークの肉算用。作戦中に成功後のことを妄想していると、足を掬われますよ。今はまだ、作戦に支障が出るような些細な兆候も見逃さないよう気を張るべき時期です」
「くくく。確かに。お前は正しい」
クラウスの笑顔は、やはり“粛清皇帝”と呼ばれる姿とは似ても似つかない穏やかなものだ。リーザと同じ、ただの十八歳の青年で……彼女は自分の胸に芽生えそうになった感情から目を背け、曲が終わると同時に手を離して、綺麗なカーテシーをする。
(私……婚活のために帝都に来たんだけどな)
リーザは十三の頃から、国境の異民族との交渉を一手に引き受けて働き続けてきた。婚約話も上がらなかったわけではないが、あまりの忙しさに後回しにしていたら、完全に時期を逃してしまったのである。
そこに降って湧いた「皇后候補選定舞踏会」の話。
もちろんリーザは皇后候補になれるだなんて思っていなかったが、舞踏会の場でどこかの素敵な貴族令息と知り合って、年頃の女の子らしく恋をしたいだなんて淡い願いを抱いていたのである。
(辺境の男たちは……筋肉、筋肉、筋肉だし)
両親が勧めてくる相手は筋骨隆々の大男ばかり。
確かに辺境で異民族と対等に交渉するには、屈強な者ほど好ましいというのは一つの事実である。しかしリーザとしては、もっとシュッとして顔の整った、キラキラな貴族男性に憧れてしまうのである。
例えばそう……皇帝クラウスのような。
(まぁ、今日までの様子を見るに望みは薄いだろうな。マリエンヌみたいに可愛くて有能な幼馴染がいたら、私みたいなのが入り込む隙はなさそうだし……かといって、他の男と知り合うチャンスはことごとく奪われてんだよなぁ)
皇后筆頭候補になってしまったリーザに対し、皇帝を差し置いてアプローチをかけてくる男はいない。仮にいたとしても、そいつは皇帝を出し抜きたい反逆者か、皇帝の不興を買うと気付かない愚か者だろう。いずれにしろ、結婚相手に選びたいと思える類の男ではない。
そんなことを考えながら壁際で休憩しているリーザの耳に、いつもの嫌味が聞こえてくる。
「あらあら、田舎のお嬢様はもうお疲れなのかしら。皇后になる人物は、これくらいの舞踏会は難なくこなす者でないと務まらないのではなくて?」
公爵令嬢ヒルデ。
彼女を端的に分類するなら、地位にあぐらをかいて好き勝手に振る舞っている、思考能力の足りない愚か者といったところだろうか。アンヤーク家の情報などなくても、ヒルデの行動予測は簡単に立てられる……それはリーザが優秀だという話ではなく、ヒルデが分かりやすいという意味である。
「いい加減、身の程を知らないようですので教えて差し上げますわ。リーザさん。帝都での女の役割は、辺境の女のそれとは大きく違いますのよ」
「……そうなのですか?」
「男たちの政治が、何かを作り発展させていくものだとしたら。女たちの政治は、何かを繋ぎ支えていくものですの。妻同士の関係が社交界の足場を作るからこそ、男たちはその上で自由に駆け回れる……そして、その最上位である皇后は、帝国中の女を取りまとめる存在なのです。田舎令嬢の貴女に、その覚悟はあって?」
確かにそう言われれば、リーザには「皇后」になる覚悟ができているようには思えなかった。
辺境では男女に関わらず、できる者ができる事をして生きている。それは貴族でも一般市民でも変わらない。リーザが異民族との交渉を任されたのだって、帝都の価値観で言えば男性的な活躍であり、皇后として必要とされる素質とはまた違ったものなのだろう。
ヒルデは得意げに胸を張る。
「つまり、わたくしの方が皇后に相応しい」
「それはないわ」
「あら、何かおっしゃって?」
「いえ、なんでもありませんわ。ヒルデさんがおっしゃる皇后に適した人物とは、帝国中の女たちを繋げるような人徳や、上手に立ち回る賢さ、夫の政治を下支えする気の利いた支援……そういった能力が必要、という理解でよろしくて?」
「えぇ。つまりわたくしのような――」
ヒルデの言葉を鵜呑みにするわけではないが、リーザは自分に皇后は向いていないと思った。誰かを支えて生きるより、自分が先陣を切って行動するほうが性に合っているのだ。
(……さっさといい感じの旦那を見つけて、入り婿として辺境に連れ帰るのがベストかなぁ)
リーザはそんなことを考えながら、熱弁を振るうヒルデの言葉を右から左に受け流し、皇帝にどんな男を紹介してもらうか妄想を広げていった。
一方、そんな舞踏会の場で、いつもより大人しくしている者がいた。
侯爵令嬢ハンナリセ。昨晩パンツを奪われた彼女は、表情こそ笑顔を取り繕っているものの、いつものように強烈な毒を吐くような真似はしていなかった。
もちろん、寝ている間にパンツを奪われたなどと、周囲に堂々と宣言することはできないだろう。貞操が失われたと判断されてしまえば、皇后候補としてこの舞踏会に参加することすら不可能になってしまうのだから。
そんなハンナリセに、一人の少女が近づいていく。
高位神官ニャッキは、小首を傾げながらハンナリセの顔を覗き込んだ。
「ハンナリセさん、どうしたデス?」
「あら、ニャッキさん。ごきげんよう」
「ハンナリセさんは全然ご機嫌じゃないみたいデス。何か悩み事でもあるデスか? こう見えて私、神官なのデス。お話なら何でも聞きマスよ? 守秘義務もあるデスから」
ハンナリセはその言葉に、ちょっと顔を上げ……悩ましげな表情を浮かべた後で、小さく首を横に振った。
「いえ。これは相談できるようなことでは」
「ふーん。そうなのデスか。ワタシはいつでも話を聞きマスし、絶対に人には漏らさないデス。明日にでも神殿に来てもらえれば、ナイショで話を聞くデスよ」
「……そうですか」
気のない返事をしながらも、ハンナリセは少しだけホッとした顔をする。するとニャッキはずいと距離を詰めて、ハンナリセの湧き腹をつんつんと突いた。
「ほらほら、いつもみたいに毒を吐くデス」
「あら。わたくしがいつ毒など吐きましたか?」
「いつもデス。用法用量を守れば薬かもしれないデスが、ハンナリセさんくらい大量に吐き散らかしてたら猛毒判定に決まってるじゃないデスか。神官じゃなかったら泣いてマス」
「……ふふ」
その様子を、マリエンヌは遠くの方から確認している。
事態は概ねリーザが予測したように推移しているが……さて、今夜のパンツ狩りが成功したら、果たしてこの状況にどんな変化が起きるのか。何パターンか推測はしているが。
そうして考え込むマリエンヌに、一人の令嬢が話しかけてきた。
「あー……マリエンヌだったか。アンヤーク家の」
帝国軍元帥の娘、剛力令嬢アヤメ。
脳みそまで筋肉でできていそうな彼女は、深く思考するよりも直感的に物事を判断することに長けている。その彼女が、わざわざマリエンヌに話しかけてくる用事は一つだ。
「今朝からハンナリセの様子がおかしい」
「えぇ、わたくしもそう思います」
「こういう時は決まってアンヤーク家が動いてる」
「それは決めつけすぎでは? 誤解です」
「さぁ、どうだろうな……あたしはお前みたいな、裏でこそこそ動き回る女が嫌いなんだよ、アンヤーク家のマリエンヌ。今度こそ尻尾を掴んでやるからな。覚悟しておけ」
アヤメはそう言い残すと、マリエンヌのもとから足早に去っていく。
さて、これからどうなることやら。
マリエンヌは不安に揺れる胸の内をぐっと隠して、お淑やかな令嬢の仮面を被った。