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第二話 侯爵令嬢

 帝都にあるガザーラン辺境伯の邸宅。

 舞踏会用のドレスを脱ぎ捨てたリーザは、シンプルな服装に着替える。夜闇の中で視認しづらい濃紺のラバースーツ。様々な仕事道具を入れたバックパック。そして、マフラーのように首に巻いた薄い黒布。


 リーザが庭に出ると、それを待ち構えていたかのように一人の青年が現れる。


「うわぁ……本気モードだねぇ、リーザちゃん。それ暗殺者が好んでするような格好だよ」


 そんな風に少々チャラついた雰囲気で彼女に話しかけてきた男の名はシモン。彼はマリエンヌの弟であり、今回のパンツ狩りにおいてアンヤーク家からサポート役に派遣された者であった。


「私の師匠は元暗殺者だから」

「ふーん。あのキリヤに師事したってマジ?」

「知ってて聞いてるでしょ。ホントだよ」


 彼女の師匠は、キリヤという名の元暗殺者である。

 かつて「キリヤ傭兵国」を一代で築き上げた彼は、実子に国の運営を譲るとさっさと引退し、一人の傭兵として各国を流浪していた。そして旅の途中に立ち寄った辺境伯領で、リーザに様々な技能を叩き込んでくれたのである。


 国境の異民族との闘争に明け暮れていた辺境伯領も、リーザの表裏両面からの交渉術によって、現在は平和な日々が訪れている。師匠には感謝してもし足りない、というのが彼女の率直な思いであった。


「パンツ集め。師匠がかつてビアンケリア帝国を一人で相手取り、のちに帝国滅亡のきっかけと言われた事件……今では伝説や創作のように思われているけど、あれは本当に実行された作戦だったんだよ」

「事件の記録を見たときには目を疑ったけど」

「……目を疑うのは三流。常識を疑うのは二流」

「一流は?」

「無駄な思考にリソースを割かない」

「なるほど。キリヤが言いそうなことだ」


 そうしてリーザは、一切の足音を立てず、闇に溶けるようにして歩き始める。


 今日の目的地はカーネモーチ侯爵邸。

 ターゲットは侯爵令嬢ハンナリセである。


(適度に緊張するのは悪いことじゃない。締めすぎず緩めすぎず、最適な状態を保つ。自分を客観視するもう一人の自分を意識する……)


 リーザは師匠の言葉を一つずつ思い出す。


 かつてランジュ王国の暗殺者として“三本腕”の異名を持っていたキリヤは、その暗殺者のキャリアの最後に大きな仕事――ビアンケリア帝都におけるパンツ集めの依頼を受けた。

 彼はそれまで実戦にて研鑽してきた暗殺技術を組み合わせ、独自の技術……キリヤ流・奪パン術、十二の型を編み出す。そして、当時“探偵皇女”と呼ばれていた第一皇女ランネイをはじめ、曲者揃いの実力者たちから合計100枚のパンツを盗むという難題をクリアしている。


 大仕事を終えて大金を手にしたキリヤは、それを元手に国を興した。攻め落としても旨味の少ない山奥の土地を確保して、世界各地で奴隷として売られていた少年少女を引き取る。彼ら彼女らは奴隷身分から解放され、国民として迎え入れる。そして、それぞれの適性に合わせた戦闘訓練を行い、高度な傭兵集団を作り上げたのだ。

 国民全員が何かしらの戦闘技術を身に着けているが、国外で傭兵として活動するのは一定水準を超えたエリートだけである。胸に「キリヤ傭兵団」の紋章を付けることは、それだけで優れた戦士の証であった。そうして傭兵団が得た外貨を元手に、傭兵国は世界中から少年少女をさらに買い漁り、戦士を増やしていく。キリヤが国を興してから十年もしないうちに、強国と呼ばれるまでの存在になった。


 そんな伝説的な存在であるキリヤが、引退して諸国を漫遊する途中で……おそらく気まぐれだろうが、リーザにその技術を伝授してくれた。リーザもそれをしっかり磨き上げ、自分のものとして昇華している。


(さてと……余計なことを考えるのは後回し。今は仕事に集中しないと)


 邸宅から少し離れた地点で、リーザは一度立ち止まる。そして、背後のシモンに『この場で待て』とハンドサインを送る。ここからは一人だが、邸宅内部の地図は既に頭に叩き込んであり、警備の隙も分かっている。


(……侵入は慎重に、撤退は迅速に。事前情報を過信しない。想定外のことが起きると想定する)


 師匠の言葉を心の中で繰り返しながら、静かに夜闇を駆ける。


 貴族の邸宅をはじめとした、警備のしっかりした建物に侵入する際、魔術を使用するのは悪手である。マナの揺らぎを検知する魔道具はいたるところに配置されているため、魔術を使おうものなら即座に警報が鳴る。そして、魔術の痕跡を解析されれば、最悪身元を特定されることもあるのだ。


 だが目の前に立ちはだかるのは、魔術を使わなければ乗り越えられないほど高い塀。


(……師匠の「黒腕(くろうで)」は汎用性が高い)


 リーザは首に巻いた黒布を、マナ操作だけで変化させ、塀の上部へスルスルと伸ばしていく。

 この自在に変化する「黒腕」は、師匠が“三本腕”と呼ばれるようになった理由であり、基本にして奥義である。ある意味で万能ではあるが、精密なマナ操作と高い集中力が要求されるため、誰にでも真似できる代物ではない。しかし……幸いにして、リーザには適性があった。


「――ガハハ、それでよぉ。俺はそいつに言ってやったわけ。油断大敵。そんな風に気を抜いてるからろくな警備もできねえんだっつってな――」


 通り過ぎる警備兵をやりすごしてから、1秒、2秒。地面へと慎重に降りたリーザは、建物の陰に素早く移動する。

 邸宅の間取りは頭に入っている。警備兵の巡回経路から割り出した、ハンナリセの部屋に向かうための最適ルート。変更の必要はなし。そう判断して、窓枠の隙間から差し込んだ黒布で鍵開けをして廊下に滑り込んだ。


 平時であれば来訪者の目を楽しませていただろう、精巧な彫像や雄々しい甲冑。しかし今それらは、侵入者が身を隠す手段に成り下がっている。


(……ハンナリセの部屋を確認。侵入する)


 黒布にマナを込め、鍵穴に差し込む。

 リーザにかかれば施錠は意味を失う。


 ターゲットの部屋に難なく滑りこんだリーザは、ベッドの上で呑気に眠りこけるハンナリセを確認する。ドレスを着てダンスをするというのは、傍目で見るより激しい運動だ。深い眠りに落ちているようで、念の為持ってきた安眠香を炊く必要はなさそうであった。


 仰向けで眠る彼女のネグリジェを捲れば、レースでフリフリに飾られた白い勝負パンツが露わになる。彼女の立ち振る舞いからはもっと扇情的なものを想像していたが、現実にはかなり乙女チックな一品を身に着けていた。


 肺から空気を出し切り、呼吸を止める。


(リーザ流、奪パン術。乙女座(おとめざ)――〈乙女抜き(ヴァーゴ)〉)


 パンツを奪うのは一瞬であった。

 リーザの指は乙女の柔肌を素早く這い回り、ハンナリセの足からするりと小さい布を引き抜く。


「ん……」

「――っ!?」

「すぅ……」


 リーザは止めていた呼吸を再開する。そして、奪ったパンツを真空パックに入れると、バックパックにしまいこんだ。

 ターゲットが少々身じろぎしただけで、これほどまでに心臓が跳ねるのか……リーザは改めて、100人のパンツを集めたというキリヤに尊敬の念を覚える。


(撤退は迅速に。無事に帰るまでが仕事。張り詰めすぎず、油断せず……上手く行っている時ほど慎重になれ)


 リーザは音も立てずに部屋を出ると、再びハンナリセの部屋の扉を施錠する。そして、脳裏に脱出ルートを思い描きながら、足音を立てないよう、静かに闇に溶けた。


 警備兵に見つかることなく侯爵邸から脱出してきたリーザを、シモンがヘラヘラと出迎える。


「お疲れ様。どうだった?」

「予定通り任務完了。私語は慎んで。尾行の確認は?」

「部下に警戒させてる。ここからの帰還ルートは僕らの専門だからね。ついて来て」


 仮に尾行がついていた場合、屋敷に帰る前に撒く必要がある。その点は、帝都の夜を主戦場にしているアンヤーク家の方が何枚も上手である。リーザは黙ってシモンの背を追いかけた。


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