表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鮮烈のジューフリス  作者: 相楽 二裕
第一話 緋色の宝玉
5/17

04 死霊アクトマニカ

 鈍い音がして、ボッツが宙を舞った。


「ボッツ!」


 ジューフリスの叫びは背後の闇に吸い込まれた。金切声のような耳障りな音が幾重にも反響した。ボッツの体は石の床に激しく叩きつけられ、鈍い音をたてて転がった。低い呻きを発しているので、辛うじて意識はあるが、相当な衝撃を食らったようだ。おそらくジューフリスが魔装を施した帷子(かたびら)を身に着けていなかったとしたら即死していたろう。


「おのれ……エパーバインの残党めら……またして……も……朕の……眠り……を……妨ぐ……か」


 風とも吐息ともつかぬ掠れた音だった。倒れたボッツの向こうから浮かび上がるようにして、長い腕と鉤爪をもった一体の大きな死霊の姿がたちあがる。眼窩は落ちくぼみ、ほとんど骸骨と呼べるまでにやせ衰えた顔。皇王の証したる冠からまるで別の生き物のように垂れた無数の髪。それを振り乱し空を不気味に漂う。その大きさが霊としての『格』をものがたっている。ここへたどり着くまでに彼らが相手にしてきた死霊とはわけが違う。今となっては見ることのない、裾の広がった特徴的な衣装はトジワラと呼ばれていた古代バツー王族の代表的な礼装に違いない。


 続けざまに、その周囲から幾体もの死霊が次々と現れ、たちまち一行を取り囲んだ。

「オイオイ……勘弁しろよォ……」

 ノヤックのボヤき声もいつもの調子でなく切羽詰まったものが感じられる。

 一同はすばやく、倒れたボッツの体を庇うようにして集まり、守備体勢をとった。

「ひぃぃぃぃっ!」

 それまでは勇敢な台詞を吐き続けていたエスラン・ロキモンドだったが、ここへきて剣を放り出して尻餅をつき、震えだした。

「ちっ」と、マルケロが慌ててその首根っこを掴んで皆のところへ引きずってきた。

 エスランが怖気づいたのは、死霊アクトマニカの放つ極度な悪気に当てられたためだった。意識を強く保っていないと、みながエスランと同じような恐慌状態に陥りそうな恐るべき威圧感だった。

「ボッツ、大丈夫?」

 ジューフリスの呼びかけに、足元で倒れていたボッツは、苦悶の表情で、

「う……あ、ああ……なん……とか」

 と、彼は蒼白な顔をわずかにジューフリスに向けた。


 不気味な肢体を持つとりまき(・・・・)の死霊たちが、じりじりと詰め寄ってきた。



 状況はかなり不利だった。死霊アクトマニカの殴打に倒れたボッツと、怯えて役立たずと化したエスランを庇いながらこれだけの数の死霊を斃すのは無理だ。とくにこのアクトマニカについては、おそらく鎮めることも、まして斃すことなど絶対に不可能だとジューフリスは悟った。


「みんな! あたしが何とかくい止める! だからボッツとロキモンドを連れて逃げて!」


 突然のジューフリスの宣言にマルケロもノヤックも信じられないという顔をした。何せ団員の誰もが、今までにいちどもジューフリスが戦闘するところを見たことがないのである。その彼女がいま、皆の盾になろうとしているのだ。


 カウネは即座に反応して、

「あんた、戦闘力ないじゃないのさ!」

 と、アクトマニカと対峙するジューフリスの前に立ちふさがった。


「大……丈夫……カウネ。避けてて……危ない……から……」

「ジュー?」

 カウネが不安そうに振り返る。ジューフリスの額には油汗が浮いている。

「何をしてるの?」

「早く、いいから……」


 そう言うとジューフリスは掌を上にして体の前に突き出した。

 そこにはいつの間にか取り出した、金属の直方体が載っている。

 ロキモンド邸の接見室で彼女が手にしていた、あの筐だった。


「何を……」

 カウネが問う。

「いいから! 早く!」

 ジューフリスは苦しそうな表情をしている。

 声もやっと絞り出しているような有様だ。


 だが、ジューフリスの目に宿る光は、確信的な何かを湛えてカウネを圧倒した。

 カウネはゆっくり頷いて引き下がると、大音声で号令した。


「退路開けぇっ!!!」


「オウッ!」


 全員が応じる。マルケロがロキモンドを、ノヤックは携えていた灯りを他の者に渡すと自分はボッツを伴って、後退をはじめる。覆いかぶさるように邪魔をする死霊の一体を薙ぎ払って、カウネが退路を確保、そこを一点突破して一行は広間の出口を目指した。


 一方、ジューフリスは墓碑の前で立ち止まったまま、いぜんアクトマニカと睨み合っていた。

 彼女が苦しげなのは、全身全霊をかけて掌の上の筐に魔力を注ぎ込んでいたためであった。


「イラギ筐……」


 アクトマニカがついにもろ手を広げる。

 野獣のような鋭い爪が、ジューフリスに向かって振り下ろされようとしている。


「展開……」


 ボッツが落としたカンテラの灯がジューフリスの足元で燃え尽きた。

 広間の出口で、カウネは完全に闇と化した室内を一瞬振り返って、目を瞠った。


 ひとつの光が、ジューフリスの手元から放たれていた。

 それはすぐさま、驚くべき勢いで膨れ上がった。

 いや、膨れ上がった――というのは適切ではない。

 小さく折りたたまれた紙がつぎつぎ開くようにして、大きな何かへと変化していった。

 そのたびに、内部から魔法反応の眩しい光が発生しているのだ。


 やがてそれは、自ら発光する、巨大な鳥へと変貌を遂げた。

 子供がよく遊ぶ折紙の鳥、その形へと。


「な……んだい……ありゃ……」


 追いすがってくる死霊どもを払いのけながら、ノヤックが驚きの声をあげた。


 ジューフリスの手を離れてはばたいた巨鳥は、ぐるぐると豪快に広間を飛びまわりながら金切声のような轟音を響かせて、死霊どもをつぎつぎと薙いでゆく。そのたびに鳥はいっそう強い光を燃え上がらせる。


 オオオオオオゥ――!


 カウネは、死霊たちが鳥の鋭い羽に分断されて、広間の空気を震わせながら、一体、一体と消滅してゆくさまを見た。そのたびに目も眩むほどの光があちこちで弾け飛んだ。


 やがて、幾重にも光が炸裂する中を、ジューフリスが駆け抜けてきた。


「あんたたちは先に行って!」


 その言葉を残し、カウネは彼女を迎えるため広間へと踵を返す。


「ジュー!」


 伸ばした腕の中に、ジューフリスが飛びこんだ。カウネはジューフリスを抱きとめると、彼女を抱えてもと来た道を懸命に走った。



「ここは……」


 ジューフリスはカウネの腕の中に倒れこんだのを最後に、意識を失っていたのだ。彼女は薄目をあけて、カウネの朧げな輪郭を認めると安堵の溜息を小さくついた。暗すぎて相手の表情まではわからなかった。


「さっきの扉の前だよ」

「そう……」

 ジューフリスは力を振り絞って上半身を起こした。

「大丈夫かい、ジュー?」

「三年もかけて畳んだのに……」

「あの筐かい?」

「うん……」

「先に自分の命の心配をしなよ」

「うん。そうだね。えへへ」

「ばか」

「ボッツは? 無事?」

「あっちで休んでるよ」

 薄暗い光の中に、マルケロたちの姿が見えた。

「ちょっと力を使い過ぎた……」

「いいよ。しばらく休んでな」

「封印を……しないと」

「封印?」

「扉……あの石の扉が開きかけていたせいで、ダントゥーガ一帯が魔物の巣窟になってしまったのよ」

「やっぱり……そうじゃないかと思ってたのよね」

「扉の前へ連れて行って」


 ジューフリスはカウネの手を借りてようやく立ち上がり、扉の前に移動した。

 石の扉はいま物理的には(・・・・・)完全に閉ざされていた。

 最後にこの扉を出たカウネが、取り敢えず閉めたのだった。

 ジューフリスはその扉に触れると、印を結び呪文を唱え、封をした。


「驚いた……あんた魔封じまでできるの?」

「以前、神学課程の先輩からちょっと聞きかじっただけよ。でもここは本来、神官級のひとが定期的にきちんと封印をしなおさないとならない場所だわ。領主――ロキモンドの祖先がそれを怠ったために封印を破って死霊が地上に現れるようになったのよ」

「じゃあ、またダントゥーガに人が住めるようになるってこと?」

「この遺跡をきちんと管理さえすればね」

「一つだけ聞かせて」

「うん?」

「あの霊――アクトマニカの霊は最後どうなったの?」

「たぶんまだあそこにいるんじゃないかなぁ。イラギ筺が突っ込んでいったけど、対消滅まではいってないと思う。しばらく経てばまた復活するわよ」

「大丈夫なの? そんなんで」

「たぶん。あの人はあそこから出てくる気はないよ。そもそもこんなチャチな封印なんかじゃあの人には効かない。この石扉はもともと取り巻きの死霊たちに対する封印だったのよ。あの人だったらこんなもの、気が向けば簡単に壊して出てくる。それにあの人が本気だったら今ごろあたしたちも生きてなんかないわ。でも言ってたじゃない。眠りを妨げるな、みたいなことを。あの人自身はきっとおとなしくしていたいんだわ」

「ふ……あんたにかかりゃ歴史上の女皇王も『あの人』か……」

「何が言いたいのよ」

「別にー」


 そこへボッツの面倒を見ていたマルケロがやってきて、言った。

「やれやれ。お前さんのお陰でまた命拾いした。ありがとうな。大丈夫か?」

「うん」

 団長から素直に礼を言われてジューフリスも照れ臭さを隠しきれず首筋を掻いた。

「ボッツは?」

「心配は要らない。意識はしっかりしているし、本人も大丈夫だと言っている。だがまだ体が思うように動かせないらしい。ジューフリス、動けるようならこっちへ来てもらえないか。今後のことを話したい」

「わかったわ」


 ジューフリスが皆のところへ行くと、ボッツはまだ地面に体を横たえていた。

「どう?」

「ああ、なんとか。死霊にやられたのは初めてだけど、これはかなりきついな。気力をごっそり持って行かれたような……いまだに生きている心地がしない」

「物理的な攻撃というだけではないからね」ジューフリスはボッツの胸の上に手を広げてかざし「気休めだけど」と、賦活の呪文を唱えた。

「ありがとう、少し楽になった」

 ボッツは横たわったまま、虚ろな視線を石扉の方へ向けて、ジューフリスに囁いた。

「アクトマニカが何か言っていたろう? たしか……『エパーバインの残党』とか……あれはどういう意味だろう? わかる?」

「エパーバインは、アクトマニカの実弟よ。バツー正史にも出てくるわ。アクトマニカの次に皇王になった人。エパーバインが皇王になって古代バツー皇国は急速に繁栄したと言われているけど、それまでバツーの政情はとても不安定だったのよ。彼の即位を期に政情は安定して、皇王は国内にその威を知らしめるようになった。その意味ではアクトマニカの死がバツー皇国の転換点だったとも言えるわけ。そのせいかもしれないけど、一説にはエパーバインが謀略をもってアクトマニカを亡きものにしたのでは、という話もある。けれど、それは後世の物語作家が作り出した虚構――というのが通説ね。なぜなら残存しているいろいろな資料には、どれも生前ふたりは仲がよく友好な関係を保っていたとしか書かれていないから」

「だとすると、さっきのあれは……」

「そうね。ひょっとすると後世の人がエパーバインの命令でふたりは友好的だったという法螺話を流布したのかもしれない。史実はエパーバインは実の姉を殺し皇国を奪った反逆者だったかもしれない。もしもそれが本当だとするなら、彼の子孫であるあたしたちはアクトマニカからすれば憎い『残党』なのかもしれないわ」

「『またしても眠りを妨ぐ』というのは……」

「以前もあの部屋まで行った人がいたのかもしれないわね。あの人はもう眠っていたいのよ。あれらの呪いの言葉をアクトマニカが刻ませたのだとしても、もうたぶん生に対する執着心ももうそれほど残っていないんでしょうね。あと千年もすればその念じたいどこかに消えてしまうでしょう。祀るというのはそういうことだから。どういう経緯(いきさつ)かは知らないけど、アルケイニアの人たちから遺跡を引き継いだロキモンド家は管理を放棄するのが少し早すぎたわね」

「俺の気のせいかもしれないけど……アクトマニカに触れられたときに……物凄い後悔と哀しみが体を突き抜けた気がした……」

「興味深いけど、この辺にしておきましょう。今は歴史の考察をしている場合じゃないわ」

「それもそうだな……」


 さきほどから傍らで項垂れたままのエスラン・ロキモンドがジューフリスの言葉を聞いて、短く溜息をついた。彼はあの場で一人だけ剣を捨てて尻込んだ自分の不甲斐なさに忸怩たるものを感じていたのだった。


「誰も責めやしねえよ。正直、俺だってちびりそうだったんだからな」

 と、ぶっきらぼうながら、ノヤックが珍しくエスランにいたわりの言葉をかけた。


「さて……」とマルケロが微笑しつつ話題を転換した。「もう一つの扉を開けたものか迷っているんだが」

「そうね」とジューフリスは短く相槌を打った。

「灯りも一つになっちまった。ここにボッツを置いて行くわけにも行かないし、引くか進むか、決断しなければならん。片方が古代バツーの女皇王だったんだから、こっちの扉も誰かの墓だと考えたほうがよいだろう」

「おそらくは同時代の王族……かなぁ」

「さっきと同じような状況に陥る可能性が高い。このまま引き返した方が良いのでは?」とカウネが提言した。

「依頼はどうするの?」とジューフリス。

「俺たちがやっているのは墓荒らしと一緒だ」とマルケロは肯定とも否定ともつかぬ表情。側でノヤックもウンウンと頷いている。

「やっとわかったの」

「もちろん最初から解っていたさ。引き受けたのは、大人の事情ってやつだ。本当ならここで引き返して装備を整えてから再度臨むべきところだが、おそらくそれもままならんだろう」

「たぶんそれも大人の事情なのね」

 ジューフリスが責めるような口をきく。


 マルケロ・サンターノという男は、ほんらい判断力、統率力を備えた信頼に足る男である。仲間に負傷者を出してしまったこの状況をかんがみれば、すぐさま撤退の決断をして当然なのだが、そのマルケロが今回についてはレゴール・ロキモンドの意向に唯々諾々と従っているのがジューフリスにも判る。レゴールからマルケロが接待を受けたあの席で、何かしら強引なやり取りがあったものと思われる。もしかしたら脅迫めいたことを言われたのかもしれない。あの場でマルケロ一人を団員から引き離して連れていったのには、何かしらの裏があったものとジューフリスは看破していたのだった。


 ふうと大きく息を吐くことが、マルケロの回答だった。

「ここまで踏み込んだんだから、俺は進むべきだと思うぜ。ヤバそうなら途中で引き返せばいい。折角ここまで来たのに何もナシじゃまったくの徒労だ。こいつだって」と、ノヤックはボッツを指して「何のためにこんな目に遭ったのか解らねえ」

「依頼主どのの意見を聞こうか」とマルケロはエスランに顔を向けて、「どうだ?」と問いかけた。

 エスランは逡巡してから、ゆっくりと答えた。

「私も……このまま帰った方がいいという気がする……」

 皆が頷きかけると、エスランは続けた。

「ただ……ダントゥーガを放置して今の状態にしたのはロキモンドだ。将来の辺境伯として私にも責任の一端はあると思っている。だから……というわけではないが、私個人の思いを言わせて貰えるなら、この先に何があるのかを見極めたい。そうすることが私の務めかも知れないと思うのだ。負傷しているボッツ君には申し訳ないが、このままここを去ってしまうと、私はおそらく二度ともうここまでは来られないだろう……」

 その言葉には父親のレゴールとは違う、欲得ではない純粋な彼の望みが感じられた。

 だからボッツも「俺なら大丈夫ですよ」と答えた。

「だがジューフリス、こちらの扉の開け方は、解るのか?」

 マルケロの問いかけに、

「もちろん」

 と、ジューフリスは即答した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ