序
バツー暦二四〇年。この年は国家始まって以来の魔装師の当たり年と言われた。国立最高等魔法学校の生徒たちは卒業をもって国内各地に散ってゆくことになるが、これらの中に数年に一人しか輩出されないとされた特別一級魔装師の国家資格を、すでに学生のうちに取得した者が四名も存在した。
木の葉散りゆく秋の日、校内の大講堂。それまで流れていた荘厳な音楽がやみ、厳粛な静寂が堂を満たした。
最前列に並ぶ卒業生たちは、それら魔装師を含む成績優秀者たちである。いずれも磐のように微動だにしない。ただ立つために、ここにこうして立っている――そんな佇まいであった。
それもその筈、国家級の魔装師になるためには、魔法の才能はもとより、強靱な精神力そして体力が要求されるのだ。
体格の優れたその者たちに混じって、やや緊張した面持ちの、華奢で小柄な人物の姿があった。
「それでは本年度の卒業式……の予行演習……をとりおこなう」
進行役であるアカデメイアの指導教官が告げる。
「首席、ジューフリス・ノイヤー。前へ」
「はい」
凛として呼びかけに答えたのは、まだどこかあどけなさの残る少女であった。
◇
「やっぱ『鮮烈』が総代か……」
列の後方に居並ぶ卒業生たちのうち、一人の男子生徒がふと漏らすと、それを聞いた隣の生徒が小声で囁いた。
「『鮮烈』?」
「知らねえの? ワイス先生がそう呼んでから、みんなもそう呼んでるぜ。けっこう有名な話なんだけどな」
「へえ、そうなの?」
「半年前にはすでに特一を取得していたらしいぜ。希代の天才だそうだ。あれでまだ十七だっていうんだから」
「十七? ならまだ二回生じゃないか。なんで卒業生に混じってんだよ」
「飛び級だとさ」
「飛び級? そりゃ凄えな」
アカデメイアの授業は、国内外に数多存在する魔法学校の中でも特に履修が困難とされている。その難関を飛び級で卒業するなど、前代未聞のことであった。
「魔法の実力の方も相当なものらしい。統括省の専門官が今すぐ第一線で使える実力だと太鼓判を押したそうだからな」
そこで男子生徒は背伸びして、前方を見やった。
「うっへ、すっげ可愛っ」
「顔だけはなぁ……マッキ、お前は『鮮烈』を知らねえから、そう思えるのさ」
マッキと呼ばれた相手は目を丸くして、
「どういう意味だよ? マッツ。お前は知ってんのか?」
「知ってるも何も……同じ講座だったんだよ。ワイス先生の」
マッツは苦虫を噛み潰したような顔をして言った。
「ありゃあとんでもねえ女だぞ」
マッツはマッキに向かって言い聞かせるように、そのときの情景を語った。
「あれは学会でのことだった……」
「学会?」
「定期魔法学会。あいつはそこで論文発表をすることになった」
「定期魔法学会って言やあ、それこそワイス先生みたいな偉い学者のセンセーたちが最先端の研究発表とかする所だろ? 学生の出る幕なんかないはずだが」
「そうなんだ。本来はワイス先生の発表枠だったんだが、学会の少し前に講座の課題論文を読んだ先生がえらく感激してな。彼女に発表の機会を設けてやったんだよ」
「大抜擢じゃねえか」
「そして当日……」マッツは勿体をつけて、マッキの目を覗く。「あいつは会場に真っ赤なドレスで現れた」
「おお……気合入ってんな」
「そうじゃねえ」
マッツの否定に、マッキはただ首を傾げる。
「発表がはじまると、あいつは『これからヴィーロの発表会があるので端折ってやりますね』って言い切った。魔法界のお偉いさんたちのいる前で」
「ヴィーロだと?」
「楽器だよ」
「それくらい知っているさ。なんでヴィーロがそこで出てくるかだよ」
「ガキのころから習っていたらしい。たまたま同じ日に発表会があったんだと」
「へえ……」
「ま、ふつうはそっちを蹴ってでも学会に専念するよ……ふつうはな」
「あ、ああ……」
マッキもその言葉に大きく頷く。
「当然ながら会場の空気は最悪さ。その雰囲気の中、持ち時間のきっかり半分で発表したその論文の内容が……」
「うん」
「とにかく物凄くて、終わったら会場は絶賛の嵐さ。結局その論文で彼女は特一を取ったんだ」
「へえ。どう物凄かったんだ?」
「さあ、正直なところ専門的すぎて俺にはさっぱりわからなかった。実は今でもよくわからねえ。なんでも魔法圧縮に関する新技術、いや、新理論ってことらしいが……」
「あっ、それならうちの教授から聞いたことがある。今魔法界で注目を浴びている最新理論だよな。魔法学における数百年来の大転換だとか何とか……」
「最新だろうよ。その学会があったのはついこの前だから」
「あれ彼女が出どころだったのか。なるほど、なんとなくわかったぜ……」
マッキは納得顔で顎を撫でた。
「で、発表を終えると彼女は拍手喝采そっちのけで、ヴィーロを抱えて大慌てで会場を出ていこうとした。その時にワイス先生が苦笑混じりに言ったのさ」
「何て?」
「『君は何というか……鮮烈、だねえ』と」
「なるほど」
「その台詞が語り草となって、以来あいつの綽名が「鮮烈」になったのさ」
「しかしそこまでとんでもない女か? ただの天才我儘娘ってだけじゃねえか」
マッキの言葉に、マッツは指を立てる。
「それだけじゃねえんだ。この話には続きがある」
「それは?」
「その時会場にいたお偉いさんの一人が、ヤツの傍若無人な態度に気分を害されてな」
「誰だいそりゃ」
「国防大臣の補佐官」
「国防……っていや、ケト大臣か? ついこないだ辞職したっていう……」
「その補佐官だ」
「何があった」
「よくは知らないが、陰で何かあったらしい。それで確執が起きたんだよ」
「確執?」
「闇討ちだ」
「『鮮烈』が国防大臣の補佐官を? やっちまったのか?」
「いやいや、逆逆」
「ウッソ。何でさ?」
「さあ。だからよく知らないんだよ。よほど虫の居所が悪くて、生意気なガキにちょっと怖い目見せてやろうってコトだったのかもしれない。これは単なる噂なんだが……補佐官は、ごろつきに金をやって、ある晩……」
「おいおい、穏やかじゃねえな。ケト大臣ていやあ、仮にもこの国の重職に連なる人だろ」
「その補佐官な」
マッツはフッと失笑を返した。
「でもさ、その程度で大人がそんなことするか普通?」
「それだけならやらねえよなあ普通」
「じゃあ……」
「学生相手に闇討ちとは、いくら何でも大袈裟だ。俺の想像では『鮮烈』が以前にも国防大臣に何か別の、大それたことを言ったか、したんじゃないかって」
「いや、待て待て。そうだとすりゃ補佐官だけの独断てのはおかしい。国防省はそりゃあ厳しい統制下にあるらしいからな。大臣だって絶対絡んでるよな?」
マッキの言葉にマッツは小首を傾げて、頷いたとも取れぬ反応を示す。
「さてね。闇討ちの実行犯どもは翌朝、タルカ町の鐘撞き堂につるされていたそうだよ」
「初耳だぞそんな話」
「省が報道機関に対して即座に情報統制をしたからな。知らねえやつは知らねえ。発見されたとき、犯人たちは自分らの罪状から黒幕の名前までべらべらと喋り続けていたんだってよ。その後、三日三晩のあいだ、自分たちがそれまでに請け負ってきた数々の裏仕事についても繰り返し、繰り返し、な……」
「じ、自白魔法か」
マッキはすでに、卒業式の予行演習などどうでもよい体で、マッツの話に聞き入った。
「それで?」
「いや、それ以来その件に関する変化は何もなかった。いや、一つだけあったというか」
「それは?」
「国防大臣の辞職」
「な、なるほど……」
マッキはごくりと固唾をのんだ。
「当然ながらこの件が関係しているんじゃないかと俺たちの間では噂になった」
「ケト大臣の辞職って、そういうことだったのか」
「いやいや、真実は何ひとつわからん。でもそういう事が起きたってのだけは事実だ。鮮烈も、いろいろな人から何を聞かれても自分には関係ないって言い張ってたからな」
「言えるわけねえだろ」
「ないな。以来、ヤツは国防省につけ狙われているともっぱらの噂だ」
「そりゃ……ヤバイな」
「まあ、幸い、今まで表向きにゃ何もないけどね。この件では統括省も裏で動いているらしいから」
「国防省と統括省はバチバチだからな」
「きっと何らかの抑止力が働いているんだろう。てなわけで学園も問題児をとっととおっ払えて一安心なんじゃねえの? 要するに、ヤツには近づかないほうが身のためってことさ」
「しかし、ウチの学校もそんなのをよく総代にできたもんだ」
「それが『鮮烈』の非凡さと、統括省の後押しってことさ」
◇
広大な敷地を持つ国立最高等魔法士校は、学舎や学生寮はもとより、研究施設、大講堂から商業施設、娯楽施設に至るまで、さまざまな施設が集まってひとつの生活圏を形成している。それはひとつの街といってもよい。学生たちは在学期間中、構内から一歩も出ることなく過ごすことも可能である。
「ジュー!」
シャロー・セオドラはアカデメイアの第二学区画にあたる中庭を歩くジューフリスを呼び止めて、駆け寄った。
「あっ、シャロー!」
「見てた。格好良かったよ!」
「うん。ありがとう」
「なんで卒業しちゃうのよー。せめてあともう一年、あたしと一緒に三回生やらない?」
「ムリ!」
「う……」
即答されてシャローは若干身を引いたが、すぐにシャロー自身に向けられた悪意など微塵もないことを悟った。ふたりは無二の親友同士で、互いの性格は知り尽くしている。
「ま、あんたを一つところに留めておくのがムリか……」
シャローはため息をついて肩を落としたが、すぐに気を取り直して、
「ねえ、お昼まだでしょ? 一緒に食べよ」
そう言って手持ちの袋を目の前に差し出す。
「あっ、テッサローのベークじゃない! いいなぁ……」
「んふふー。実は、二人分あるんよ~」
「本当!?」
二人は中庭の芝生に座り込んで昼食を広げた。周囲では昼休みの学生たちが思い思いに昼食を取ったり休憩をしていた。
「しかしあんたも物好きよね」
「ふぁにが?」
薄切り肉を挟んだベークを頬張ったジューフリスは目をぱちくりさせる。
「就職先よ。わたしはてっきり統括省所属の魔装師になるんだと思ってたけどね」
「それで中央の四角い建物の中に一生こもって、戦いに明け暮れるバカどもの装具を作って人生終えるの?」
「そう言っちゃあ身も蓋もないわ……」
「世界を冒険しながら未発見の秘石や魔法を見いだして、あたしだけの新しい魔法体系を作る! それがあたしにとって生きるってことだもの」
「だから旅団か……第七だっけ」
「そう。第七魔装旅団!」
そして彼女は空を仰いだ。
白く鮮やかな雲の峰が、濃い青の空に浮かんでいた。
◇
青空の下、波の穏やかな海を優雅に航行する一隻の帆船。
甲板は磨かれ、整頓されている。
薄暗い船内も同様、清掃が行き届いている。
その一室。扉には下手くそな文字で『船長室』と書かれている。
「いきなりの出航で悪かったな。中央でゆっくり顔合わせする暇もなくて」
「いえ、とんでもありません!」
「いや、それにしても助かった。八方手を尽くして探してたんだが、いっこうになり手がみつからなくてなぁ……」
困り顔でそう言ったのは、船長兼旅団長の男だ。海の男らしく、引き締まった巨体に、日焼けした浅黒い肌。笑ったときに剥き出しになる歯だけが異様に白い。
「はい、よろしくお願いします!」
「前の魔装師が病に罹っちまってな。辞めてしまったんだ。危うく資格剥奪されるところだったんだよ。ホント助かったぜ。えーと……」
「ジューフリス・ノイヤーです!」
「おう。よろしくなジューフリス。俺は団長のマルケロ・サンターノだ。旅団ってのは家みたいなもんだ。いわば団員は家族。俺は団員みんなの親ってわけだ。今日からはお前も、俺のことを親だと思って、何でも頼るといいさ!」
「はい! よろしくお願いします!」
ずっと中央で暮らしてきて、マルケロのような野性味あふれる男には初めて接するということもあって、ジューフリスは緊張に身を強張らせた。そんな彼女を見てマルケロも困りはて、声をいくぶん和らげて言った。
「そんなにカタくならなくっていいからよ……」
「はい、わかりました!」
すると、それまで黙って様子を見ていた女性の旅団員がたまらずにクスクスと笑いを漏らす。
「あたしはカウネ。よろしくねジューフリス。ここには女もいるし、あんたと同じ歳の男もいる。しばらくは慣れないと思うけど、少しずつでいいから、皆と仲良くなっていってね」
「は、はい……」
漆黒の髪のカウネ・ロアーは落ち着いた物腰の大人の女性であった。化粧気はないが肌は醒めるように青白く、眼は切れ長で鋭い。美人だが若いのか年増なのか、年齢の想像がつかない。着衣は男性の団員と同じようなものだが、なぜか彼女の着こなしは優雅に見えた。ともすれば、団長を凌ぐ存在感がある。
「別に男の副団長がいるんだが、今はちょっと野暮用でな……」
マルケロが言いつつ、室内に設えた戸棚から何かを取り出す。
「早速だが、これが前任の魔装師が残した記録やら何やらだ。お前に渡しておく。ゆっくりでいいから、目を通しておいてくれ」
差し出されたのは、何冊にも及ぶ革装丁の分厚い帳面と、魔装を施すさいに使用するいくつかの呪具だった。
「エラン・ルーボウ……」
ジューフリスは帳面の一つを手に取った。
「先代の魔装師の名前だ」
中には細かい字でびっしりと団の魔装に関する記述があった。ちょっとした全集に匹敵するくらい読み応えのありそうな内容である。
「エランはまあ……実力の面ではパッとしない魔装師だったが、こういうことだけは本当に几帳面な女でな。当面はここに書いてある通りにしておけば問題はねえだろう」
「女? 先代の魔装師も女性だったのですか?」
ジューフリスがマルケロを見あげた。
「ああ、そうだよ。何か?」
「いえ、魔装師って、たいがい男の人だと思っていたんですけど」
ジューフリスはこれまでに出会った魔装師の中で女性を知らなかったので、単純にそう思ったのである。今までアカデメイアで自分のことを揶揄をこめて『鮮烈』などと呼んできた同輩・先輩の魔装師たちはみな、無骨でいけすかない男どもだった。ジューフリスが中央の役場で魔装師の職に就くことを嫌ったのも、半ばその現実があったためである。
「まあ……言われてみれば珍しいか。だが、そうだな。俺たちゃ歳や男女の別にはこだわらねえ。そういった意味じゃ、女の魔装師には慣れてるし、お前さんにとっちゃ、やりやすい職場かもな」
マルケロはガハハと大口をあけて笑った。
「はい、頑張ります!」
バツー歴二四〇年。それから約百日の短い間に、ジューフリスは第七魔装旅団において数々の語り草を作ることとなった。