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はい。こちら、婚約者が悪役令嬢として断罪されかかった王子です。

作者: もるもっと

昔書いた短編が出てきたので投稿します。


2023/3/1 日間異世界転生/転移ランキング2位 ありがとうございました。


 気付いたのは唐突だった。

 いや、思い出したのは唐突、というべきなのだろうか。

 どちらでも構わないが、ともかく、俺にとってその『記憶』は青天の霹靂と言うやつだった。


「レティシア嬢! 本当に貴女がユウナ嬢を階段の上から突き落としたのですか?」


「いいえ。わたくし、そんな恐ろしいことしておりませんわ」


「なるほど……しかし、困りましたね。そうなると、ユウナ嬢との話が食い違うことになります。目撃していたというゼフィールの証言もありますし」


「こわいですう……。私、この4年間ずっとレティシア様にいじめられててぇ……。ついに殺されちゃうのかと思いましたぁ……」


「サイラス! この僕が虚偽を申しているとでも言うのか!? この騎士団長の息子である僕が嘘偽りを口にするとでも? 即刻犯人を引き渡していただきたい!」


「いえ、それは出来ません。誰にでも見間違いや勘違いというものはあるのですから、貴方方二人の証言だけを鵜呑みにすることはできませんよ。……アンリ殿下、いかが致しましょう?」


 はい、こちら殿下です。

 このエリンロワ王国第一王子、アンリ・シャルル・エリンロワ・プドゥール王太子殿下とはまさしく俺のこと。

 ここはどこかって?

 この国の貴族の子息令嬢が通う由緒正しき寄宿舎学校の、大広間の、卒業記念パーティー会場の、ど真ん中。そして前世で妹がドハマりしていた乙女ゲーム「王宮の華」の中でもあることをつい数秒前に思い出した。


 何をしてるかって?

 卒業を機に別れる級友たちとの別れを惜しみ……なんて雰囲気はとっくに崩壊したな。

 人の輪が生け垣のようにぽっかりと広場の真ん中を空けたその中央には、今現在、ユウナ男爵令嬢に対しての暴行を行ったという容疑で断罪されている女性がいた。

 つまりヒロインをいじめていた悪役令嬢を学園から追放する最重要イベントの真っ最中というわけだ。


 そして。人々からの疑いや蔑みの視線にも顔色ひとつ変えず涼しい顔をした美しくも麗しいあの女性は誰かって?

 彼女はレティシア・パウラ・ジョンソン公爵令嬢。『王宮の華』において悪役令嬢の位置にいる女性だ。

 この会場のどこにいたってすぐに目に留まるその銀髪は聖堂に描かれた月の女神よりも煌めき艷やかだ。お伽噺にでてくる宝石が大好きな夜の女帝ですら持っていないと断言できるほど深く知的な輝きのアメジストの瞳の持ち主でもある。

 だというのに、たとえどんな有名な芸術家でも彼女が身に纏う流線美を写し取ることは叶わないんだ。彼女という美の存在は人智では及ばない高みへと昇華されている。

 神はきっと、彼女をうっかりこの地上に落としてしまって、今頃神の国へ連れ帰ろうと躍起になって探しているに違いない。

 だから俺は彼女を守らねばならないし、神の国に帰りたいと恋しがる暇を与えないほどに愛し、幸せにしてみせると何度もこの胸と国に誓っているんだ。

 何故なら彼女は俺の愛おしい愛おしい婚約者だからだ。


 すべて思い出したところで……いや、これは一体どういうことだ?

 なぜ俺の女神が断罪の場に立たされている?

 そして本来ならば彼女がいるべき俺の隣でふんぞり返ってるこのちんちくりんな女は誰だ?

 ……って、ああ。これがゲームのヒロインにして今話題のユウナ男爵令嬢とかいう、例の、アレか。そういえば最近俺の級友の周りをちょろちょろしていると報告を受けていたな。俺は会ったこともないはずだ。


 というか、前世の記憶を取り戻してから改めて顔を見ると、前世の俺の妹に似てる気がして若干腹立つ。

 レティシアがお前を突き飛ばしただと? なにすっとぼけた事言ってるんだこの阿呆妹が! と叱りつけたくなる。

 それというのもユウナって名前のせいかもしれないな。妹の名前が優奈だったんだよ。妹がやってたゲームの世界だからなんだろうか? レベル上げ要素もあるこのゲームを、無理やり手伝わされた忌々しい記憶だ。


「王子様ぁ〜。王子様もご覧になりましたよねぇ〜?」


「いえ……残念ながら……。私は見ておりません」


 妹に若干似た顔のちんちくりんが俺を上目遣いで見つめてきて猫なで声をあげてる。

 ……イラッとした。

 アイツがこういう態度を取るときっていうのは大抵俺を陥れようとしている時で、俺が妹からの理不尽な要求を拒否しようものなら、娘LOVEだった親父に問答無用で殴られたもんだ。怒りがムカムカとこみあげてくる。あんのクソ妹……死んでも許さん。


「(いかん、全く状況がわからないぞ)」


 怒りは一旦置いておいて、ちょっと時間を巻き戻し、ここに至るまでに何があったのかを俺目線で簡単に整理してみよう。


 まず俺はレティシアをエスコートして卒業パーティーを楽しんでいたんだ。初年度以降、あまり交流することができなかった級友たちの進路の話とか、これからの夢とか聞いては励ましたり応援したり、まあよくある卒業のイベントをこなしていた。

 すると級友にして騎士団長の息子のゼフィールに『王妃様がお呼びです』との耳打ちを受けて泣く泣く彼女の側を離れたんだ。

 ダンスホールを見渡せる高みに据えられた貴賓席にいらっしゃった母上に渋々ながらお目通りして「お呼びだそうで、なにか御用ですか」と申し上げたところ、母上はキョトンとしていて「呼んでいないわよ。貴方、レティちゃんを放って何やってるの!? さっさと戻りなさい!」と怒られた。

 母上に追い払われた俺は「解せぬ……」と首をひねりながら外回廊を通ってダンスホールの正面の入り口から会場に戻ってきたところで、前方から突如、鳩尾にヒットする勢いで猛然と頭突きをかましてきた奴がいたんだ。

 反射的に身構えてその進行を食い止めようとしたら、屈んで相手の肩を両手でガシッと掴まえてた。すると、あら不思議。

 外野からみれば駆け寄ってきた(頭突きしてきた)彼女を抱きしめたような形になってしまったんだ。なんて最悪なんだ。

 で、あれよあれよという間に「王太子様! 助けて下さい!」だの「レティシア嬢! 今のはなんですか? ユウナ嬢を階段から突き落としたのではありませんか!?」だの「今日という今日は、あなたの罪を明るみにすべきです!」だのがいきなり始まってしまい、現在にいたる。

 もう一度言う。どうしてこうなった???


 俺が混乱の極みに陥っている間にも、話はどんどん進んでいってしまっている。


「アンリ殿下のお手を煩わせるまでもない! もはや問答など不必要。何故なら私が証言するからには彼女の犯行であることは明白だからだ!」


「いえ、ですからね……。現時点でそう悪しざまに"犯行"などと言うべきではないですよ。見たのは君だけじゃないですか。証拠でもあるまいに」


「はっはっは! 何を言うんだサイラス! 証拠ならもちろんあるとも! 他の誰でもなく、僕自身がはっきりとこの目で見たことが証拠さ!」


「……」


 あ、サイラスのやつも、イラッとしたな。笑顔で眼鏡をクイッと中指で押し上げるのはそういう事だ。きっと内心では「うるせえこの脳筋野郎が。頭カチ割って脳みそ取り替えてこい」とか思ってるに違いない。あいつは俺の幼馴染で宰相の息子でもある。将来俺の右腕となる男なだけに頭は切れるし知恵も回る奴なんだが……怒らせると怖い。もうそりゃほんとに怖い。俺はサイラスを怒らせた日には即謝るよスライディング土下座で。(土下座なんて文化はこの世界にはないが)

 しかしそんなサイラスのイライラにも気付かずに、アホなゼフィールは大仰な身振り手振りで自分が目撃したことを語りだした。


 曰く、ユウナ嬢が俺に頭突きをかます直前、会場ではちょっとしたハプニングがあったらしい。サイラスを始めとした誰もがそれに気を取られてしまったようだが、ゼフィールはしっかりとレティシアが階段からユウナ嬢を突き落としたのを見たそうだが──


 いやいや、おかしいだろ?

 さっきのアレは階段から突き落とされたとかではなく、俺に向かって走ってきたじゃないか。

 階段の下から、正面入り口まで結構距離あるぞ?


「そんなにも証拠証拠と仰るならば、良いでしょう。私にも考えがあります。それでは皆さん、レティシア嬢のドレスをご覧ください。先程ユウナ嬢を突き落とした際、彼女が持っていたシャンパンがドレスに掛かったのです。ドレスにはきっと染みが──」


「なんだと!?」


 ここに来て思わず口を挟んでしまった。おいおいちょっと待て、聞き捨てならないぞ。俺の麗しの君のドレスにシャンパン!? しかもそれをこんな公衆の面前で晒しあげるだなんて、ゼフィール、お前はなんて無神経なんだ。女性のドレスの汚れをこれみよがしにあげつらうとは!


「レティ、怪我はなかった? 待ってて、今そちらへ行くから」


「アンリ殿下! まだ私の話の途中ですよ! それに、彼女は断罪の最中です。無闇に近寄っては──」


 うるせえこのやろう! 俺の女神が穢されたなんて黙っていられるか阿呆が! と言いたかったが(おっと口が悪すぎた。いかん、前世の記憶に引っ張られているな)、それどころじゃない。何故か俺にしがみついている頭突き女を乱暴にならないよう努めながらも紳士的に、だが遠慮なく引き剥がし、愛しの婚約者のもとへと走った。


「レティ……ああ……」


 近くに来てみると……なんてことだ。彼女を彩る為に存在していたはずの青いエンパイアドレスに深いシミが……!

 このドレスもそれに合わせた靴も飾りも、今日という日のためにこの国の叡智を結集して作り上げた最高傑作だったのに! あの頭突き女め、転げ落ちる演技をするにしても、わざわざシャンパンを引っ掛けなくてもいいだろうに! このドレスの代金だけでお前の実家の没落寸前男爵家なんて吹っ飛ぶぞ、わかってるのか? 卒業パーティーで一番輝く俺の天使を見たいがためにこの4年間、父上の国政を手伝い学びながら必死に貯めた金だったのに!


 とはいえ、こんなシミ程度で俺の天女の気品さが損なわれることなどないさ。そのドレスの下の白雪のごとく滑らかで柔らかい肌には傷一つついていないと知って安堵したほどだ。それでも繊細で心優しい美姫である彼女にとって、俺から贈られたドレスが汚れてしまったとあれば、気に病んでしまうのも仕方ない。今も不安そうに悲しそうに俺を見つめてきているんだから、すぐにでも安心させなくては。

 彼女を連れてこの場を辞するか?

 いや、駄目だ。未だになんでこうなったのかはサッパリわからないが一度出てしまった紛議は収めないと彼女の悪評に繋がってしまう。根も葉もない噂だろうとなんだろうと彼女を傷つけるものがあってはならないんだ。

 では、こうしよう。


「ごめん。これ、貰うね」


「え……」


 俺は近くの子爵令息が持っていたシャンパンを取り上げた。そしてレティから一歩下がって自ら頭からかぶったのだ。ばしゃり、と冷たい液体が俺の髪や王太子の礼服を濡らした瞬間、会場から音が消えた。

 手に持っていたシャンパングラスを、呆然としたままの子爵令息に「ありがとう。新しいものは給仕から貰ってください」とお返しして、会場など意にも介さず髪からシャンパンの雫が滴らせながら愛おしい婚約者の腰を抱き寄せた。


「ああ、すまない。私のせいで君の麗しいドレスにシミを作ってしまった。許してくれるかい?」


 彼女は驚き呆気にとられたように俺をただただ見つめていた。その大きな瞳にくす、と笑いかけて、俺は周りにいた者達に問いかけた。


「彼女のドレスの染みは、今私がつけてしまった。なあ、そうだろう?」


「は、はい……!」


「レティシア様は変わらずお美しいですわ……!」


「ええ、ええ! 今日は一段と! アンリ殿下の色を身に着けられて、美しくあらせられます!」


 シャンパンのやり取りをした子爵令息を始めとして、周りにいた者たちは口々に賛同し始める。それでいいと頷きつつも、それだけではただのゴリ押しにすぎない。王家に都合の悪いことがあれば隠蔽されるという風潮が広がってしまっては元も子もないのだ。

 だから俺はレティシアの前に跪き手を優しく取った。


「レティシア公爵令嬢。貴女と一緒であれば、どんなことであれ私の心を喜ばすんだ。貴女はいつだって、俺の目には誰よりも輝いて見える。最上で最高の女性だよ。レティが辛いとき、苦しいとき、窮地に立たされた時、隣にいるのはいつも私でありたい」


「あ……」


「貴女のドレスを笑う者がいるなら、私はそれ以上に貴女を笑顔にしてみせるよ」


「……アンリ殿下」


 ちゅ、と優しく手の甲に口づけを落としてから立ち上がって彼女を抱きしめる。そうすれば彼女はいつもの癖で俺の肩に甘えるように頬を寄せてくるんだ。あああ、なんて愛おしい!

 俺らの周りにいた令嬢たちは、きゃあと黄色い歓声をあげた。よしよし、会場は俺たちに注目している。

 俺は彼女の耳元でそっと囁く。


「もしこれで風邪を引いたら、看病してくれるかい?」


「! も、もちろんでございますわ」


「良かった。じゃあせっかくだから気合を入れて風邪を引いてみようかな」


「まあ、殿下ったら……、ふ、ふふ」


 ああ、やっと彼女の笑い声が聞けた!

 さっきまでは転がる鈴のように楽しそうに笑ってくれていたというのに、すまない、俺が貴女のそばを離れてしまったが為に辛い思いをさせてしまった。先程まではきっとそのことを怒っていたのだろう。

 不安げだった瞳が一転して安心の色を浮かべて俺を映す。今は見惚れている場合じゃないと思いつつも、俺は彼女から目が離せなかった。

 そしてまた抱きしめて、流れる銀髪に口付けた。


「私はいつだって貴女の味方だ。さっき、一体何があったのか、話を整理してみようか? 大丈夫、私がそばについているよ」


「はい。……貴方様が、そばにいてくださるのなら……」


「うん。そばにいるよ。何も恐れることはない。レティはいつもどおり、私の可愛い小鳥ちゃんなんだから」


 彼女から短く息を吸い込むような音がした。驚いているのかな? 何に対して驚いているんだろう。俺は割といつもこんな調子でレティシアに愛を囁き続けているから、今更驚くようなことでもないとは思うんだが。

 名残惜しくも抱擁を解いて再び観衆へと視線をやれば、鋭い金切り声が響いた。


「そっ、そんな! 王子様! その性悪女に騙されてはなりません! その女はこの4年間、ずっと私をいじめ抜いてきた悪女でございますのよ!」


「あ゛?」


「え……っ」


 聞き間違いかな。俺の小鳥ちゃんに対して「性悪女」だとかいう耳障りなさえずりが聞こえた気がしたんだが。きっと気のせいなんだろう。何故なら彼女は身も心も、今も昔も変わらず清らかなままなんだから。

 シャンパンの染みがついていない右腕で彼女の腰をしっかりと抱き寄せ、宣言する。


「あなた方が彼女の何を問題にしたとしても私は常に彼女の味方だ。言いたいことがあるなら言えばいい。あなた方の訴えを私は聞こう。しかし虚偽を申した者は……俺の婚約者を貶めるのだから、それ相応の覚悟はあるんだろうな」


 おっと、ついに口調にまでうっかり素が出てしまったぞ。

 いかんいかん、外向きの一人称は「私」で通しているというのに、うっかり「俺」とか言ってしまった。

 ちらりとサイラスに視線を送れば「めっ!」みたい顔をしてる。すまんすまん、今くらい見逃してくれよ。お前だって早くこの茶番を終わらせたいだろうからさ。


「まず、もう一度問うが。レティシア公爵令嬢がそちらのユウナ男爵令嬢を階段から突き飛ばしたというのを目撃した者はゼフィール以外に居ないのか?」


 俺の問いかけにはやはり応えるものがない。するとゼフィールは証言は自分のもののみで十分と胸を張り、頭突き女はまたも金切り声を上げそうになっていたので、俺はサッと手を上げて手のひらを上にして階段の方をさした。


「目撃者が他にいないとなれば……その状況を再現してみてほしい。ゼフィール、君は仔細に至るまで目撃していたのだろう? ならば、レティシアの立ち位置もその突き飛ばし方も容易に再現できるはずだな?」


「も、もちろんです、殿下!」


「ではユウナ嬢にもご足労願えますか? 一体、階段のどの位置からどのようにして突き飛ばされたのでしょうか?」


「そ、それは、ここから……!」


 俺に促されて再現が始まる。曰く、ゼフィールは階段の上から三段目の真ん中に立ち、頭突き女はそこから一段下に立つ。ちなみにこの階段はダンスホールの二階と繋ぐ中階段ということもあって緩やかにカーブしている上に傾斜が急だ。


 その光景とともにゼフィールは「ここからレティシア嬢は両手でユウナ嬢の背中を押しました!」と高々と宣言し、頭突き女はそうだそうだとばかりに頷いている。


「はあ……」


 そのため息をついたのは俺じゃない。

 俺達のそばで見ていたサイラスだ。他にも先程シャンパンのやり取りをした子爵令息も「え……」と呟き、他にも何人かがザワザワとし始めた。うむ、今真っ先に反応した奴らは頭の回転が早いな。有能そうだ。顔を覚えておこう。

 なぜあそこに立っている二人はドヤ顔なのかさっぱりだが、仕方ないから指摘してやろう。


「なるほど。その位置、その場所で相違ないな? 本当に間違いないな?」


「はい!」


「そうですわ!」


「……では、聞くが。ゼフィール、いま君がいる位置から、仮に一段下のユウナ嬢を両手で背中を押そうとしたら、どういう体勢になる?」


「それはもちろん、こう……うわわわ!?」


「きゃあ!」


 ゼフィールは階段の真ん中で身を屈めようとしたばかりにバランスを失ってあわや本当に落下するのでは言うところだった。

 そう、あのユウナ嬢は背が低いのだ。

 俺の身長191センチだとすると、俺より少しだけ視線が下のレティシアは180センチ〜185センチといったところだろう。ゼフィールもちょうどそれと同じくらいだ。

 対して、ユウナ嬢はおそらく150センチあるかないかくらいの小柄な女性なんだ。


 考えてみて欲しい。

 ただでさえ身長差が30センチ以上ある二人が、更に傾斜のきつい急な階段の上下という位置にいて、どうやって『両手を使って』『背中を押す』のか?

 やるとしたらいまゼフィールがやったように屈まなければならないだろうが、階段の真ん中という手すりをつかむこともできない場所でそれをやるのは危険過ぎる。蹴ったほうが早い。

 しかしゼフィールは両手で背中を押したと主張している以上、それはおかしな話だ。

 そしてさらに加えるならば、今日のレティシアはエンパイアラインのスラリとしたドレスを着ているが、ユウナ嬢は前時代的──いや、レトロな──まあいいや。どこの倉庫から引っ張り出してきたのかと言わんばかりの古臭くてダサいパニエ増し増しのやたらとヒラヒラしたピンクのフリフリAラインドレスを着ているのだ。

 あんなドレスを着ている女性の真後ろなんぞ、とても立てるものじゃない。

 ああ、言ってるそばからゼフィールが頭突き女のドレスの裾を踏んでまた金切り声が聞える。もう、なにやってるんだか。


「……つまり、そういう事だ。その位置、その場所から突き落とすなんて無理だ。──ところで、レティ? 君はその時どこにいたのかな?」


「二階の通路におりましたわ。私のドレスにシャンパンをかけられたあと、目の前であの方が消えましたの。もしかして階段から落ちられたのではと驚いて駆け寄りましたわ。──軽快に階段を駆け降りられているだけだったようでしたので、良かったと安心していたのですけれど……」


 わかる。あの身長で階段を駆け降りていったら視界から消えるよ。そりゃ落ちたと思うよな。ああ、シャンパンをぶっかけてきた相手のことすらも心配するなんてやはりレティシアは女神であり心は聖女だ。

 あと、今の話でレティシアはあの頭突き女の名前すら知らないなと確信した。俺と同じように会ったことすらないんだろう。


 だというのに、一体どうしてこんな茶番が起こったんだ?

 そもそもあいつらの目的はなんだ?


 ううん、そうか、わかったぞ! これは罠にちがいない。

 ゼフィールにとって、このユウナとかいう女はどうでもいいんだろう。奴の狙いはやはり麗しき国宝でもあるレティシアだ。

 王子と婚約破棄されれば世間体も悪かろうて。普通の貴族なら王家の反感を恐れて、婚約破棄をされた悪女など婚約しないだろう。

 だがしかし! だがしかしだ! だからこそ絶好の狙い目とも言える!

 そうでもしないと王太子の婚約者である公爵令嬢なんぞにこいつらが求婚はおろか、アプローチすら出来ようはずがない!


 お前、好きな子の悪評流して貶めるとか最低過ぎるだろう!? 一体どの面下げて結婚して下さいとかいうんだ? 信じられないほどクズだな!! 絶対許せん!


 だが、今はまだ、まだだめだ。このトンチキな奴らを追い詰めるにはまだ足りない。奴らは「この4年間ずっといじめられていた」と主張している。それを覆さねば俺の女神への風評被害は完全に拭えたとは言えないだろう。

 俺の至宝にはいっぺんの曇りすら許さない。


 チラリ、と上を見上げると貴賓席に座っている王妃である母上は『やっておしまい!』とばかりに俺を睨みつけるし、父上に関しては既に官僚や文官を呼びつけて何やら手配をしている。あー、今夜、いくつの家が取り潰しになり、何人が家から勘当されるんだろうな。いやあ、大変だなこりゃ。


「なるほどね。今夜の件についてはどうやら、2人の"勘違い"の可能性があるわけだね。ではそれは一旦置いておくとして、君たちが言うこの4年間にレティシアから受けたといういじめの方はどう言う事なのかな?」


「! そ、そうです! その話を聞いてください! 証言者ならこちらに……」


 そう言われて呼ばれてきた証人の2人も、まあ、色々ツッコミどころ満載だったわけで?

 なるほど、証言はしっかりしてる。否。しっかりし過ぎている。

 『○月△日の午後1時12分に、レティシア様が学校の廊下で「貴女の品位を疑いますわ」と仰ってから扇子でユウナ様のお顔を打たれました』とかいう証言、細かすぎないか? なんで3ヶ月前のことをそんなはっきり覚えているんだ? しかも何故そんなにも時間が正確なんだ? 時計なんて高級品は普通持ってないだろう。一部の上位貴族くらいで、伯爵家の三男が持つようなものではない。


「私もその場を見ておりました。……王太子の婚約者という立場を利用して悪逆の限りを尽くすとは……とんだ悪女だな」


 おいこらテメェ!(おっと、また口が悪過ぎた) お前の顔と名前は覚えてるぞ。お前は騎士団への入団を希望したが入団試験に落ちて後がない子爵家の六男坊主だったな? ほぉぉう、騎士団長の息子であるゼフィールに媚び売って騎士団にねじ込んで貰おうって魂胆か。たかだか子爵家の家督継承権ド底辺の分際で王太子の婚約者である公爵令嬢に向かって『悪女』だと? お前はいまのうちに剣の稽古よりクワで畑を耕す練習をすることだな。

 三男と六男のふたりは、勘当決定だ。


「君たち。その証言に相違はないね?」


 ペラペラとよく喋っていた証言者という伯爵令息と、子爵家の六男坊は途端に黙る。おいおい、さっきまでの勢いはどうした。


「相違、ないね?」


「は、はい……」


「あの、えっと……はい」


「ふむ、なるほどなるほど。ちなみに心当たりはあるかな、レティ?」


 俺は肩を抱いたままだった愛おしい君に微笑みかけると、レティシアは落ち着いて微笑みを返してくれた。


「いいえ、心当たりはありませんわ。私はそのようなことはしておりません」


「うん、そうだよね。もちろん知ってるよ、私の愛おしいレティ。だって、ねえ?」


「ええ、そうですわね殿下」


 ありえないよね? と、俺達の心は一つだった。ああ、こんなにもレティと以心伝心ができて心が一つになったのは初めてかもしれない。


「なぜなら。そもそも私達が学園に通ったのは、最初の一年だけだったからね」


「えぇ!? そ、そんなはずないわ!」


「残念ながら本当だよ。私達は学園で学ぶべきことはもうすでに学び終わっていたからね。最初の一年は同年代との交流のために学園に通ったが、あとの3年、私は政務の補佐を中心に行っていたしレティシアは王妃教育を受けながら母上について外交の補佐をしていた。証言は王宮の官僚や各国の外交官でどうかな?」


「でっ、でも!イベントのときには来てたし……!」


「学園の公式行事は公務だからね。もちろん補佐に文官が常についていたし、私とレティシアはいつも一緒にいた。もし離れるタイミングがあったとしても、レティシアは常に人目がある場所にいたはずだから、誰にも見つからずにこっそりと一人の生徒だけをいじめるなんて芸当できないと思うよ。私達は公人として常に見られている立場だからね」


 噛み付いてくるように反論しようとした頭突き女だったが、言葉を失ってはくはくと魚のように口を開けていた。ゼフィールは何をこの女から聞いてたが知らないが、真っ青だ。ご愁傷さま。


「そうそう、三ヶ月前といえば、卒業式を間近に控えた我々のために王と王妃の計らいで我々は少し早いハネムーンへ出かけていた頃だ。卒業したあとはすぐに結婚式や公式行事が続くからね。いやあほんと、楽しかったよねレティ」


「ええ……殿下。わたくし、本当に夢のような時間を過ごせましたわ」


「うん、また行こうね。今度は結婚して子供ができてからでもいいかもしれない。家族でたくさん綺麗な景色を見に行こう。色んな国の文化にも触れて、私達の国に良い未来を導くために学んでいこう」


「はい、殿下。……わたくし、お支えいたします」


「ありがとう。愛しているよ、可愛いレティ」


 ちゅ、と頬に口づけを落とせば会場はワァッ!と盛り上がった。もはや虚言をのたまっていたお家取り潰し必至の男爵家の令嬢のこととか、勘当が決まったも同然の令息たちのことなんか誰も見向きもしない。

 俺達は皆に祝福されながら会場をあとにした。このあとはきっと、喜劇を見た雀の囁きによって面白おかしく脚色されて、けれど俺達に不都合がないように情報は統制されて、この日の出来事は語られていくことだろう。


 さあ、これで俺達の話はおしまいだ。

 断罪されて国を追い出されるような可哀想な悪役令嬢はいなかったし、婚約者以外の女にうつつを抜かす馬鹿な王太子もいなかった。めでたしめでたしだ。

 結局のところ、あのヒロインが本当に前世の俺の妹だったのかとか、転生者だったのかとか、そんなことはどうでもいいんだ。ゲームの中の世界であろうとここが俺の現実であり、守っていくべき家族はこの腕の中にあるんだから。


 後の歴史家曰く、第21代目のアンリ王とレティシア妃はとても仲睦まじく、3人の男子と2人の姫を設け、稀に見る善政を敷いたという。上下水道の整備や教育に力を入れ、国王家族で度々外交へと出かけては素晴らしい成果を得て帰国したという。

 また、結婚式の直前に行われた学園の卒業パーティーでもサプライズとして参列者を楽しませる小咄すらも用意した、と。


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[一言] このネタを小咄として記載した部下はセンスいいな~!! この二人の国王と王妃なら部下ものびのびと仕事してそう~。
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