第9話 暗殺者ギルドのニンジャさん。
神に祈る。
顔を洗う。
さして代わり映えのないグラントタイムスに目を通し、賞金首と不明者のチェックをする。終われば丸めて屑籠へ。
これまでの朝の日課だ。
ここに、新たに朝食が加わった。俺は作らないが、リサが毎朝作ってくれる。大体は簡素なものだが、ああ、それでも最近は身体の重さが少し緩和された気がする。
どうやら朝食ってのは、人体に必要なもんだったらしい。
談笑しながら、そいつを二人して食べる。
リサがうちにきてから、二週間が経過していた。
勘違いしちまいそうだ。己がまともな人間であると。それくらい穏やかな暮らしだったんだ。まあ、金は相変わらずなかったけどな。
昼は分かれて行動する。
リサは仕事探しと買い物に、俺は賞金首を捜しに。暗殺業はやっぱ無理だ。リサには知られたくないし、俺も俺で顔に出ちまいそうで。最悪、冒険者ギルドに登録してモンスター退治でも請け負えば、食い扶持くらいは稼げるだろう。
つってもモンスターってのは人体とはまるで違う肉体構造をしているから、俺の暗殺術が通用するかは未知の領域ではあるんだが。
ま、大体は頸部の血管を断ってやりゃあ、すぐにおとなしくなる。生物だからな。
次々賞金首に遭えるのは、決まってリサがともにいるときばかりだ。俺ひとりのときに限って、いつも街は平和なんだよな。
紙たばこを吹かしながら、真偽不明の目撃情報を頼りに王都平民街をあてどなく歩く。夜には湧くきらびやかな歓楽街も、明るいうちは静かなもんだ。だからこそ犯罪者が潜んでいることが多いのだが、残念ながらその姿は今日もなかった。
「ツイてないねえ。いらんときにだけ現れやがる」
ま、犯罪者ってのは往々にしてそんなもんだ。自身も含めて。
ため息が出た。
少ない人通りを避けて歓楽街の裏通りを歩き、水路脇の細い通路に飛び降りる。そのまま用水路の隧道へと進み、何度か角を曲がって錆びた鉄扉に到着した。
使い捨てアジトの一つだ。“王都の影”のな。似たようなアジトは、他にも数カ所ある。
鍵を長衣から取り出して、鉄扉を開ける。鉄扉は錆びていても蝶番は軋まない。鉄扉には塩水をかけてわざわざ錆びさせ、蝶番には油を差しているからだ。ここに入る音を、地上の人間には聞かれたくない。
中は暗く、そして狭い。身を隠すことくらいは可能だが、ここにあるのは鍵付きのクローゼットが一つだけだ。中にはナイフと仮面と長衣の予備が入っている。
狭い部屋に入り、油ランプに紙たばこの先から火を移す。
ぼうっと灯りが広がった。鉄扉の下に置いておいた封筒がなくなっているのを確認した俺は、ランプに息を吹きかけてすぐに火を消した。
もう用は済んだ。長居は無用。
暗殺をリサに邪魔された夜の前金を返金したんだ。依頼者はちゃんと回収したようだ。あの後、元標的の男は王都から姿を消したらしいから、儲けはないが面目は保てた。
部屋から出て鍵を掛けた瞬間、首筋に微かな風を感じた俺は頭を下げた。ヒュっと風を切る音がして、頭上の闇を黒い刃が斬り裂いた。
「っと。どちらさん?」
「……」
足音を殺しながら距離を取り、振り返った瞬間には視界の中には誰もいない。
背中へと突き出された刃を、身をよじって躱す。振り返る。またいない。素早いやつだ。俺の死角死角へと回り込んでいる。
「ご同業?」
「……」
下だ。
俺が視線を下げるより早く、しゃがんでいた暗殺者が俺の喉元に黒の刃を走らせる。かろうじてのけぞり、ナイフを持つ手を靴裏で蹴る――直前、一瞬早く身を翻したやつは後退した。
全身真っ黒だ。頭には布きれを巻き付けている。もちろん目は出ているが。身長は低い。男にしては珍しいくらいだ。ちょうどリサと同程度か。
「それとも賞金稼ぎか?」
尾行られてたか。だとしたら、なかなかの手練れだ。水路に降りる段階では、気配はまるでなかった。
とすりゃ、何者か。
騎士なら、ガシャガシャと重くうるさい鎧を着込んでいるし、やつらは正々堂々を信条にしているから何かと名乗りを上げたり、気合いの声を出したりする。
男は質問に応じることなく、再び地を蹴った。
珍しいタイプだ。暗殺者ってのはあまり格闘を好まない。闇から不意を突き、一方的に相手を屠るのがほとんどだ。それに失敗したら躊躇なく逃走する。よほど腕に覚えがあるなら別だが。やはり賞金稼ぎの類だろうか。
正体はわからん。わからんが、アジトにいるところを見られた以上は、殺しておいた方が後のためだ。
が。
――低い……!
身長の低さを活用し、地を這うように鋭く迫って、俺の足へと一閃。
「……ッ」
身をひねりながらの跳躍で完璧に躱したつもりだったが、あり得ないことに防刃繊維の長衣の裾が綺麗に裂けた。それほどの鋭さということだ。加えて、刃の入れ方というものを知っている。当然、あの黒鉄のナイフ自体も特別製なのだろうが。
「ったく!」
俺は着地と同時に振り返り、腰に差したナイフを抜き――かけて、やめた。
男が手元でナイフをくるりと回転させ、だら~りと両腕を下げたからだ。やる気を失ったように。んで、おもむろに頭に巻き付けた布を引っぺがす。
「じゃじゃ~ん」
若い。少女のように小柄で細身。黒髪に黒目はグラント王国じゃ、とんと見ねえタイプの人種だが、俺には見覚えがあった。
そいつが馴れ馴れしく片手を挙げる。
「へいへ~い。ひっさしぶりィ。元気してた、“影”のオッサン? 五年ぶりくらい?」
余裕ぶってはいたけれど、正直、心臓バクバクだったね。
だが、まあ。俺はゆっくりと息を吐いて、前傾姿勢から背筋を戻した。
「……挨拶にしちゃあ、過激すぎだろ。もうちょっとで殺しにかかるとこだ」
カケイだ。本名かどうかは知らん。そう名乗っている男だ。
わかっていることは、グラント王国最大の闇と呼ばれる人物であるということだけ。つまり三億の超高額賞金首、現暗殺者ギルドのマスターだ。
見てくれと態度と頭の中身は軽薄そのものだが、腕は確か。こいつと事を構えるくらいなら、騎士団長と一騎打ちでも繰り広げてた方がまだマシだ。
「あっはっは。俺を殺せたら一生安泰だったね、ヴァンちゃん」
その言葉に俺は顔をしかめる。
「なぁ~んでおまえが、いま名乗ってる俺の名を知ってんの」
「ヤダなぁ~、そんなんお互い様っしょや」
「おめえの名前は一年中タイムスに載ってんだよッ。グラント王国内で知らんやつがいるかッ」
ヘラヘラヘラヘラ。
ギルドが旧だった頃から、不思議ちゃんで得体の知れんやつだった。
曰く。暗殺者ではなく、忍ぶ者とかいう職業らしい。それが何なのか、俺にゃさっぱりわからんが。
「で、用件は? “影”の殺害依頼でも請けたか?」
「ないない。ダチトモに会いにきただけだし。まあでもついでに忠告かな」
「忠告? 俺に?」
カケイが、元々細い目をさらに細めた。
もはやどこ見てんのかさっぱりわかんねえ。感情が読めなさすぎる。
「ヴァンちゃんさ、自分チに、かあいい女の子連れ込んでるよね」
ひょっ!?
あまりに意外な言葉に、冷や汗が滲んだ。
「ぅ……。……あや、つ、連れ込んだんじゃなくて、あれは、その~、そういうアレじゃねえっつーか何つーか……」
「ロリコン?」
「ろり……? なんだそりゃ?」
時々、こいつは俺の知らん言葉を使う。
「変態の一種で、主に小児性愛者のことだよ」
「ち、ち、違わッ!! そ、そ、そういうんじゃないんだからぁぁっ!!」
かつてないほど、声が裏返ってしまった。
「わおっ。ヴァンちゃんツンデレ乙女みたぁ~い」
「つんで……る……?」
「好きな子に対していつも素直になれなくって、ついつい冷たい言葉や暴言を吐いてしまって、後で後悔しちゃう乙女のことだよ」
なんだ、そのかわいいやつは。
……俺か。俺だな。きもいわ。
「なんだよ、おまえ! わざわざそんなことで俺をからかいにきたのか!? からかわれんのは最近もう間に合ってんだよ! 帰れ! かーえーれ! かーえーれ!」
「ええ、そういうの傷つくからやめてね。それよりさ。――あの子、危ないよぉ~?」
リサの顔を思い起こした瞬間、ざわっ、と背筋が凍った。
脳が一瞬で回転する。ここでカケイを最速で殺せたとしても、現状どこにいるかもわからんリサを守りにいくのは不可能。暗殺者ギルドが動いているなら、もう手遅れだ。
……殺すか。
「……」
「あ。ヤバ。その目、怖い怖い怖い。そんな目で見ないでよ、ヴァンちゃん」
言葉とは裏腹に、カケイは余裕の表情で肩をすくめた。
俺は殺気を込めて言葉を紡ぐ。
「誰からの依頼かは知らんが、あいつに手ぇ出すな」
「あれ? あれれ~? マジなん? ゾッコンラブ?」
「そ、そ、そういうんじゃないっつったでしょォ!!」
「必死じゃん。いちいち乙女っぽいし」
「だからそうじゃなくて。あいつは俺の~…………。…………なんだ……?」
「ハハ、俺に尋ねないでよ」
カケイが両腕を広げた。
「安心して。暗殺者ギルドは手を出さないよぉ。だって子供の殺しを引き請けたら、王都で一番怖ぁ~い暗殺者にマーキングされちゃうじゃ~ん。ましてや、あの子は特にね」
「どの口で抜かしやがる」
少し言葉が途切れた。
短い沈黙の中で、カケイがほんの一瞬、複雑な表情を見せる。
だがすぐにニヤけ面を戻した。
「うちは標的に関しちゃ善悪問わずだけど、割に合わない仕事は請けない主義なんだ。信じてよ。ヴァンちゃんを敵に回したら、夜眠れなくなっちゃう」
まったく信用はできないが、ここで暴れてもどちらかが死ぬだけだ。可能性としては俺の方が高い。持久力ないから。カケイはまだ二十代後半ってとこだ。
とりあえず先を促す。
「……暗殺者ギルドに、リサに関する依頼がきたのか?」
「へえ、リサちんか。顔と同じで、かあいい名前だね」
名を教えたのは、どうせ“リサ”も偽名だからだ。
カケイは続ける。それを裏付けるように。
「ま、俺の知ってる彼女の名前とは、ちょ~っと違うみたいだけど」
リサの本名か。気になるが、いまは重要じゃあない。
「こたえろ。簡潔にだ」
「イエスだよ、ヴァンちゃん。ギルドに依頼がきた。期限内に誘拐、もしくは期限切れの場合には殺害だ。あの子ねえ、ヤバいのに狙われてるよぉ?」
「それは、おまえらか?」
カケイが律儀に簡潔に応える。
「ノーだ。うちは断った。俺はヴァンちゃんを敵に回すような、バカなことはしないってぇ。先代マスターみたいな怖い死に方は勘弁だからねえ。それに俺たちダチトモじゃん? ソウルメイツじゃん? オー、心の友よ! 暗殺者ギルドに戻っておいでよ! 大歓迎するよ!」
「断固としてお断りだ」
さっき俺に何したかもう忘れたのか、この野郎。
避けなきゃ死ぬような挨拶を友達にするなと言いたい。ナイフをくるくる回して手遊びしてるし。あいつ絶対、ナイフを舐めたりするタイプだ。ああ、ナイフじゃなくて改良クナイっていうんだっけか。あいつのは。
「そんなこと言わないで。二人でおもしろおかしく生きようよ。俺とヴァンちゃんが組めば、ガディ・イスパルを暗殺してグラント王国を乗っ取るのも夢じゃないっしょ。それに、リサちんもギルドで囲えて安心安全ってね」
「嫌だねェ。それよりさっさと話を進めろ。リサは誰に狙われてるんだ?」
カケイが女のような細い肩をすくめる。
「残念。仲間になってくんないなら、そこは教えらんないな」
「……」
「怖いね、その顔。じゃ、ヒントだけだ。俺が元いた世界――ってのは正しくないか。ん~。国って言った方が正確かな」
自らの顔を指さし、カケイは言葉を続けた。
「黒髪黒目だらけの国だ。そこじゃ、こんなことを大真面目に言ったって笑われるだけなんだけどさあ」
くるり、くるりと指先でクナイを回して、もったいつけやがる。
「前置きが長いんだよ! 早く言え!」
カケイが道化の笑みを消した。
俺にクナイの切っ先を向けて、大真面目な顔でこうつぶやく。
「ヴァンちゃんがず~っと前から信仰してる、“神さま”っていうヤバいやつ、かもね。……おっと、あらら……」
カケイの手からクナイが落ちた。カランと音を立てて、水路脇の通路に転がる。
それに一瞬視線を取られた俺だったが、すぐにカケイへと視線を戻した。だがそのときにはもう、そこに小さな忍ぶ者の姿はなくなっていた。
「何だっつんだ、まったく……」
クナイを拾おうと視線を落とすと、今度は転がっていたクナイがまるで何かに引っ張られるかのように、隧道の奥へと凄まじい勢いで滑って消えていった。
どうやら鉄糸が括り付けられていたようだ。俺の長衣の材質と同じ糸だろう。
旧暗殺者ギルドだった頃から、すでに得体の知れんやつだった。自称、異世界からやってきたユーシャとか抜かしてたか。凄まじい体術と無数の暗器、さらに未知の毒を生成する技術は、互いがギルドに在籍していた頃から群を抜いていた。
もしあいつが旧ギルドマスターの側についていたら、俺のマスター暗殺は失敗に終わっていただろう。まあ、やつが俺の所業を見て見ぬふりをしたのは、ギルドそのものを自らの手中にするためだったのだろうが。
「ああ、くそ!」
頭を振る。
時間が惜しい。いまからカケイを捜してもおそらく無駄だ。追いかけてもどうせ見つからない。俺がいま捜すべきは。
長衣を翻し、俺は走り出した。
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