第8話 からかうととてもおもしろい。
朝起きて、神に祈りを捧げる。
時間は短めだ。殺しもできていないから、懺悔のために教会に足繁く通うこともなくなった。自身の中の信仰が、ほんの少し薄らいだ気がした。その分、リサに割く時間が増えたんだ。
リサがクロフト邸に住み始めてから、五日が経過していた。
それでも神さまとやらに顔を忘れられないよう、俺はたまに教会へ赴くのだが、どこにでもついてきたがるリサが、教会にだけはついてこようとはしない。
おそらく教会こそが、彼女のルーツに近いのだろう。
服を買い与えて以降、すっかり着なくなってしまったあの白い修道服は、舞台衣装ではなかったのかもしれない。だが依然として、白の修道服の出所は不明だ。
リサを強引に教会へと連れていくのは簡単だが、家出なんかは往々にして繰り返すものだ。あの危機感のなさでは、次は俺ではない別のやつのところに転がり込もうとするだろう。そいつは大いに心配だ。それと同時に、少しだけおもしろくない。
加えて、彼女はヴァン・クロフトの仮面のことを知っている。もしも俺が騎士団に彼女のことを突き出せば、彼女は俺の仮面のことを騎士に話すと脅してきた。
こうなってくると、互いのためにこの奇妙な共同生活を続けるしかない。
……のだというのに、俺はこの生活を楽しみ始めていた。
だからしばらくともにいるつもりで、彼女に尋ねた。
「リサ、おまえ、誕生日はいつだ?」
肉包みの野菜をフォークで口元まで持っていっていた手を、リサが止めた。肉と野菜の調理は彼女に任せ、ソースは俺が作ったバターと果実酒をベースにキノコを炒めたものだ。
遅めの夕食だった。
夜の風が窓を押し、静かに揺らしている。
「……なんで?」
「設定なんだろ。記憶喪失」
「うん。ふぉうらよ」
素直になった。最初から素直だったか。俺を好きだと言ったこと以外は。
口に肉を入れて、うまそうに食べている。
「おいひ~! ひやわへ~!」
「安い幸福だなあ」
あきれたように言うと、べ~っとリサが舌を出した。
「いいじゃん。その方が人生楽しめるもん」
「……ああ、そうか。そうだな。違いねえ」
彼女の何気ない言葉に、いつも気づかされる。
フォークに刺して口に運ぶ。
ああ、うまい。
肉は軟らかく、野菜はまだ歯ごたえが残っている。遅れて、ソースの香りが一気に口の中に広がった。
「こりゃ確かに幸せだ」
「でっしょー?」
一人だと簡素な食事ばかりになってしまっていたが、他人が近くにいるとちゃんと作らなければと思ってしまう。
野菜を巻くのは、リサのアイデアだ。これがひとりだったら、まあ面倒でやらなかっただろう。
「うまいな」
「うんっ」
油ランプの香りも、いまはバターで上書きされている。
「で、誕生日はよ? もうすぐなんだろ?」
「ヴァンの誕生日は?」
「俺のはもう過ぎたよ。年末あたりだ」
「そうなんだ」
リサはパンをちぎって口に運んでる。
「おい」
「はい」
「なんでだよ」
「なにが~?」
あからさまに誤魔化そうとしてやがるな。
皿に残ったバターソースをちぎったパンにつけて口に運びつつ、俺は尋ねた。
「……まさかおまえ、年齢を誤魔化してたりするのか? 実は三十代とか……」
「そんなわけないじゃん! ヴァンと違ってピチピチしてますぅ!」
まるで俺がシナシナしてるみたいじゃないか。
「冗談に決まってるだろ。見りゃわかるよ。誤魔化してるとしたら十五でさえサバ読みで、実は十代前半ってとこだ」
「それもありませ~ん。大体こんなにムチムチに育ってる十歳とかいるわけないでしょ」
俺は彼女の頭の天辺からテーブル上にはみ出している胸のあたりまで、視線を行き来させた。
「…………育ってないから言ってんだが……」
「真顔でなにっ!?」
「なんでもないですハイ」
じゃあどういう理由で自分の誕生日を隠すんだか。
「正体に繋がるから言いたくねえってことなら安心していい。そんなもんもう別に探ってないから。俺もそこまで暇じゃない」
これは本当だ。
昨日今日とリサが稼ぎ口を探してのことか、昼に出歩いているのは知っている。そうまでして帰りたくないなら、好きにすりゃいいとも思ってる。クロフト邸にいられるのは自立するまで、という約束だけは守ろうとしているらしいからな。
おかげさまで昨日、ケチな詐欺商人を賞金稼ぎのヴァン・クロフトとして捕まえることができた。おかげで今月分くらいは安泰だ。
来月からは……まあ、また考えるさ。
「う~……そういうんでもないんだけど……」
少し迷った様子で、リサが口を開いた。
「プレゼントでもくれるつもりなの?」
「ふぅ。余計な世話だったか。副業で小銭が入ったからって話だったんだ。気にすんな」
まだ具体的に何を渡すとか決めてはいなかったが。迷惑そうだし、引き下がるか。
リサがものすごい勢いで首を左右に振った。絹糸のような髪が激しく揺れる。
「ううん。違う。すごく嬉しい。嬉しくて泣きそう」
「だったら――」
「でも、たぶん、その日は、いい日にならない……。えっと、ヴァンには、いい日になるかもしんないけど、わたしには……」
少しうつむいて、ため息をつく。
顔色が目に見えて変わる。青白く。
「誕生日、きらい……。こなければ、いいのに……」
「……」
まずったか。
どうやら彼女は過去の誕生日に、何かよくないことが起きてしまっていたようだ。いま俺はリサの“よくない過去”に触れてしまったのかもしれない。
「いや、いいんだ。こんなオッサンにむりやり聞き出されるのも気分的によくないだろうしな」
「そういうんじゃないから!」
悲痛な声だった。
俺は面食らう。リサはすぐに謝ってきた。
「ご、ごめん。大声出しちゃった。でも、本当にそういうんじゃないから。あまりその日のことを考えたくないだけだから」
「わかった。わかったよ。別に怒ってないって」
リサが怯えたような顔で、向かいの席から俺を見上げる。
「嫌いにならない……?」
「そんなことでいちいち嫌ってたらキリがないだろ」
「ほんと……?」
「あのなあ、考えてもみろ。誕生日を教えてくれないこと以上にひどいことを、俺はリサから散々言われてるんだぞ」
「あ、ほんとだ」
自覚あったのか。俺が涙目だわ。
神に祈るときのように、両手の指を組み合わせて。
「こんなわたしですが、嫌わないでね?」
「大丈夫だ」
「ほんとに?」
「ああ。今日仕事でちょっとした小銭が入ったのはさっき言ったよな。それで、おまえが当分の間いまの生活を続けていく上で、何か足りないものがまだあるんじゃないかって思って、それを知りたかっただけだ」
探るような視線を向けられている。見透かされそうで恐ろしいね。
俺は心を読まれないように、意図して視線を皿へと戻した。サラダにフォークを刺して口へと運ぶ。
「この前の服や用品は、遠慮して最低限のものしか言ってないだろ、おまえ。んで、誕生日のプレゼントなら、こっちとしても渡しやすいっつーか、話を切り出しやすいって思ったんだ。だから尋ねてみた」
半分は本当で、半分は――嘘かもな。
与えたくなった。何かを。どうやら俺はずいぶんとこの小娘を気に入っているらしい。自分で考えているよりもずっとだ。
家族ってのは、こういうもんなのかもしれない。
自分が嫌になるね。つくづくだ。なんで暗殺者なんてやってんだ。
「そ……っか。うん。じゃあ、嫌いじゃないってことだよね……?」
「嫌ってたらとっくに追い出してる。俺はそこまでお人好しじゃあない」
よほど不安に思ったのか、鼻にかかった声で、すがるようにリサが言った。
「……じゃあ、好きって言って……?」
「好――」
フォークに刺さった二口目のサラダを皿に戻して、俺は野菜からリサへと視線を戻す。
テーブルに両肘をついて顎をのせ、こっちを見てニヤニヤしてやがった。俺は目を閉じて頭を冷静に戻してから、唇をねじ曲げる。
「この焼きトマトのチーズサラダは好きだ」
「……ああん、正気に戻っちゃった?」
「おまえなあ」
俺は脱力して、椅子の背もたれに背を預けた。
「どこらへんから、俺をからかってた?」
「全部本気っ」
「へいへい、そーですかい」
リサが両手を組んで、う~んと伸びをする。
「あ~あ、早く大人になりたかったな」
「はっはっは。どうせ嫌でもなるんだ。何も急ぐこたぁないだろ」
「ヴァン」
俺は残ったサラダを一気に口に突っ込んで咀嚼した。
「んー?」
「欲しいものはないよ。お買い物のときに、露店の串焼きが食べたいなってくらい」
「買い食い?」
「うん」
財布は預けている。つっても、もちろん全財産じゃあない。その日その日に必要な分だけ渡して、買い物を任せてるんだ。このお値段で買えるだけ買ってきてねーってふうにな。
だからてっきり買い食いくらいは勝手にしているもんだと思ってた。
バカ正直だなあ、こいつ。
「次からおまえの尺度で適当に買い食いしていいぞ」
「やった!」
「ただし、うちにゃ余裕はないから常識的な範囲内で頼む」
しばらく考えて、リサが真顔で尋ねてきた。
「常識って宗教用語だっけ?」
「極めて一般的に普及している用語だが!?」
割と切実だ。そこそこ儲かる暗殺業の方は休業中だからな。賞金稼ぎは、運良く賞金首に巡り会えないと、そもそも金銭の発生自体がない。
リサが真剣なまなざしで俺に尋ねてきた。
「じゃあ貝の串焼きは!? 露店で甘ダレが焦げていつもすっごいいい匂いしてるの! ヒモのところとかコリコリして最高においしいの!」
「……もう食ってんじゃねえか」
「違うよ。食べたくて食べたくてじ~っと見てたら、露店のおじさんが商品にならない部分を分けてくれただけだもん! あげるからあっち行ってくれって」
そういうのマジでやめて……。
「貝串くらいなら別にいいけど、オッサンみたいな趣味してんな、おまえ。酒は飲むなよ」
「我慢する」
「我慢する!?」
見回り騎士に見られたらどうするつもりだ。
「おまえ、わかってんのか!? グラント王国の法律では――」
「冗談だよ」
「そうか。冗談か。ちくしょうめ。はははは」
「うふふ」
こんなことで飛び跳ねて喜んでる姿を見てると、やはりこれまでどんな暮らしをしてきたのかが気になる。まるでスラムの民のようだ。
だがまあ、そのうち自分から話してくれることだろう。
……まだこのときは、そう思っていた。
俺はもっと彼女の言葉について、深く考えるべきだったんだ。
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