第7話 恋バナとか好きなんだぁ。
喪失感がすごい。
こんな日に限ってだ。こんなどうしようもない日に限って、俺は街中で数名の賞金首を発見することができた。
最初に見つけた女盗賊団レッドバルーンの幹部ほどの金額ではないにしろ、数十万程度のやつは何度か見かけた。
ケチな詐欺師からコソ泥、露出症の変態まで。
そのたびに俺はハンカチーフを噛む思いで、やつらを見送った。なんせ暗殺は悪人のみと仕事を選んで引き受けている俺の懐事情は、いまやかなりの風通しとなっちまっているからだ。
「ヴァン、今日はありがとね」
「ん? ああ」
ちなみに高額賞金首は殺してしまっても賞金の出るものが多いが、低額の賞金首は生かして捕らえることが前提となる。両者の線引きは、捕らえた際に死罪が適用される人物であるか否かだ。
俺にとっては手慣れている方法をとりやすい前者がやりやすいが、冷静になってみりゃ、いずれにしてもリサを連れている限り手は出せそうにない。
彼女を人質にでも取られてしまっては元も子もないからだ。身代金なんて家でも売らなきゃ払えないし、それでなくとも恨みを買って、その矛先がリサに向けられる可能性も低くはない。暗殺者としても賞金稼ぎとしてもだ。
なぁ~んでこんな俺が王都第二位の高額賞金首に設定されちまってるんだよ、まったく。世間を吹く風は、いつだって俺だけに冷たいんだ。
とはいえまあ、ひと月くらいは食える程度の貯蓄はまだある。問題は、リサがいつまでうちにいるのかだ。
安い賞金首でも一匹捕まえりゃ、来月も無事に生きられたんだが。女盗賊を街中で発見するような奇跡は、もう二度と起こらんだろうな。
両手に女物の服の入ったファンシーな袋をぶら下げながら、俺は泣きそうな思いでぼやいた。
「……高え買い物だったなあ……」
「ごめんね、ヴァン。お仕事見つけたら、絶対に返すからね」
「あ、いや。気にすんな。そういう意味じゃないんだ」
買った服が高かったんじゃない。逃した賞金首が高かっただけだ。
当然説明するわけにもいかず。いっそ暗殺者ではなく、賞金稼ぎとでも名乗るべきか。
そもそも、リサが買い物の際、俺に気を遣ってくれていたことには気づいている。
もしかしたら「服の好みを俺に合わせる」と言ったのは、値段も込みでのことだったのかもしれないと、いまになって気がついた。
ぽんこつに見えて、案外頭がいいのか。
そらあな、リサが文無しなことくらいはわかってたよ。修道服だけで、ポーチの一つも持ってなかったからな。期待はしてなかった。
「そうだっ、今晩カラダで――」
「――返すってのはナシだ。そいつが可能なのは最短で三年後からだ」
「くぅ~。もうちょっとで誕生日を迎えて大人な年齢になるんですがっ」
「俺の好みの問題。理想は五年だな」
「くぅ……」
さて、服と女物の生活用品は仕入れた。仕立屋が女性専門店だったことで、大体のものは揃ったようだ。
「お昼と夕飯はどうしよ?」
「材料が地下の食料庫にある。それを使う」
これ以上は無駄遣いできねえ。はぁ~情けない。
買ってやったポーチを腰に装着して、リサが意外そうな声を出した。
「へ~! ヴァンって、お料理できるの?」
「産まれてこの方、外食する余裕のない人生続きでな」
「作ってくれる人は? いない?」
「慈善事業でなら頼みたいね」
「そうじゃなくって、恋人とか。いたこともない?」
ほう。恋バナか。俺に。
くっくっく。
何を隠そう、他人の恋バナを聞くのは三匹の賞金首より好きだ。だが、正直言って自分のことについては語ることなど何もない。
旧暗殺者ギルドにいた頃は、短期間をともに暮らした女もいたが、あれを恋人と呼ぶのは違う。もっと歪んだ関係だった。ふたりとも組織の暗殺者だった身だ。二度と会うこたぁない。その方がいい。互いにな。
だがそんな事情を誰彼かまわず都度都度説明できるわけもないから、こういう場合、俺はいつも渋い感じで濁すことにしている。
なぜなら俺は、大人の男だからだ。
マッチで紙たばこに火をつけて、紫煙を吐いた。まあ、ファンシーな紙袋ふたつ両手にぶら下げてる時点で、あまり格好などつかんわけだが。
「さあな。忘れた」
「ふ~ん。しらばっくれるんだ」
聞き返したい。おまえはどうなのかと。繰り返し言おう。他人の恋バナは好きだ。自分のがまるっきりない分、せめて他人のを聞いてキュンキュンしたい。この乞食根性たるや我ながらみっともない。
だからといって、俺からリサのを聞いてしまったら、こいつは「へ~、ヴァンてば、異性としてのわたしに興味を持ってくれてるんだ~。ふ~ん。うふふ」などと勘違いしかねない。それは癪だ。
こういう場合、黙ってりゃそのうち自分から語り出すんだ。これが年の功ってやつよ。見てな。
リサが目を細めて、口を開く。俺の予想通りにな。
「ヴァンはモテなかったんだねえ」
まだ俺の話をしとんのかい! もういいでしょうが、俺のことは!
あと、ちょいちょい俺のことバカにすんのやめてさしあげろ! 泣きたくなるだろ!
「…………俺のことは別にいいだろ」
「あれ? あれれ~? 俺のことは別にいいってことは、ヴァンってば、もしかしてわたしのを聞きたいのかな? それって異性として興味持ってるってことぉ?」
なんっでわかるの!? ちょっと鋭すぎない!?
だがここで弱みを見せねえのが、大人の男ってもんだ。
俺は余裕を見せつけるように、ニヒルに笑う。
「かっ、ミルクのニオイも抜けてないようなお子様ごときが、なぁ~にを言ってんだって感じだな」
「でも残念。わたしはいま記憶喪失設定だから、お話できませ~ん」
そうだった。てかさあ。
「自分で設定とか言うんだな」
「うんっ」
楽しそうに笑ったリサが、紙袋を持った俺の左腕に両腕を絡めた。それだけに飽き足らず、上腕に頬を寄せる。
かわいい。かわいい、が。
これが三年後のリサだったら喜ばしい限りだが、残念ながらいまはまだ喜びよりも世間の目の方が気になってしまう。
違いますよ、みなさん。年の差すげえけど、俺は変態じゃないです。
「でも、あるよ」
「何が? 胸ならこの程度はあるうちに入らんぞ。押しつけても無駄だ」
ムッとした表情で睨まれてしまった。
「好きな人はいたよって話だよ。ず~っと小さな頃だけど」
「ほう。興味はねえが、話したきゃ話せばいい。聞くのはタダだからな。興味はねえが」
よしきた。恋バナが始まる。ワクワクが止まらん。酒が欲しくなるね。
まだ自宅までは距離がある。ご近所さんに見られることもないだろう。
俺はあえてそのまま歩き出す。腕組みのままだ。
さあ話せ。やれ話せ。キュンキュンする準備はもうできている。
「いつ頃だ?」
「もう十年近く前かなあ」
五歳かよ。女子はませてんなあ。それじゃさすがにキュもできねえわ。
十年前。その頃の俺は、まだ組織にいたっけか。殺して。殺して。殺して。たまに殺されかけて。また殺して。疲れて。失望して。その循環から抜け出すために、俺は旧暗殺者ギルドのマスターを殺したんだ。
頭を振って思考を払う。
くだらねえことを思い出すよりは、恋バナ聞いてた方が楽しい。
「へえ、どんなやつだった?」
「気になる?」
「全然」
そこは大人の男ですから。
「じゃあ話は終わりっ」
「……やっぱちょっと気になる」
「へへ~? なぁ~んでぇかなぁ~?」
しまった。これじゃまるで俺がリサの恋愛遍歴を探ってるみたいじゃないか。他意は本当にないんだが。もう情緒も矜持もグチャグチャだぜ。へっ。
ん~、とリサが小さくうなった。
どうやら思い出そうとしているらしい。
「ちょ~っと悪い人。……だったように思う。悪人、なのかな~」
「はっはっ、ガキだな。それくらいの女の子ってのは、足が速かったり、悪ガキだったりする男の子に惹かれるもんだ」
かわいらしいもんじゃあないか。
「そうなのかな?」
「そんなもんだ。おままごとだな」
「でもその人、そんなに悪い人じゃなかったように思う。実際に助けてもらったことあったし」
かっ、チョロい女だ。
俺は皮肉な笑みで言ってやる。
「あれだろ? 普段悪いことばっかしてるやつが、たま~にいいことをしたら印象が一変しちまう現象。やめとけやめとけ。そんなんに騙されんな」
俺がいい例だ。
散々両手を血に染めておいて、ガキだけは殺さねえ。この一線を越えないからといって、暗殺者が善人であるはずがないんだ。生きるため、金のために殺す時点で、俺は利己的だ。今も昔も変わらずな。
だから俺は赦しを乞う。殺したやつらじゃなく、適当に誰彼かまわず赦してくださるらしい、神さまっていうヤバいやつにだ。
「普段からいいことしてるやつは、いつもいいやつだ。そういうやつを捜した方がいい。これは人生の先達としての忠告だ。そいつはたぶん今頃、ろくでもねえ人生を歩んでると思うぜ」
ヘラヘラしながらそう言ってからリサの顔を見た俺は、ぎょっとした。口を曲げて目尻を吊り上げ、怒りに満ちた表情で俺を睨んでいたんだ。
「……その人の悪口言わないで。そんなこと言うならヴァンにはもう話さない」
絡めていた腕を乱暴に抜いたリサが言い捨て、先にスタスタと歩き出す。
「わ、悪かったよ。道わかんないんだろ。待ってく――ああぁ!」
小走りで追いかけようとしたら、紙袋の底が抜けた。こんなときに限ってだ。
リサは怒ってしまったらしく、振り向きもしない。帰り道もまだ覚えてないくせにだ。どうやらリサにとっては、その人の悪口は禁句だったようだ。
「ああ、もう~……」
俺は石畳に散らばった女物の服や下着を慌ててかき集めた。なんだなんだと買い物客らの視線を集め、そのうち何人かは拾うのを手伝おうとしてくれたものの。
「あら、大変ね。拾うのお手伝いしましょうか?」
「ああ、こりゃすみませんね。助かります」
「あら? え……と……?」
若い女性用の下着を拾って、俺とそれを見比べた女性が、若干引いたような苦々しい笑みを浮かべながら、そそくさと立ち去っていく。
「あ、おほほほほ。用事を思い出しました。ご、ごめんなさいね」
「お~い、誤解ですよ~……」
女装癖とかないからね!? ほら、無精髭とか生えてるしッ!! 何だったらすね毛もいっぱいスクスクと育ってますからッ!!
言えるか、こんなこと。
「も~! ヴァンのバカ! こんなところでわたしの――まき散らさないでよぉ!」
「リサァ~~~」
戻ってきてくれたリサが天使に見えたね。
リサは慌てて俺からもう片方の無事な紙袋を奪い取ると、その中から服を出して、下着や用品だけを詰め込んだ。見られたくないものだけを、紙袋に詰めた形だ。
「はい、ヴァンは服を重ねて持って。わたしは紙袋」
「お、おお」
帰り道、俺は両腕いっぱいの服を重ねて抱え、下着や用品の入った紙袋一つを持ったリサの隣を歩く。
気まずい。でも。
俺が謝ろうとして口を開いた瞬間、一瞬早くリサが遠慮がちにつぶやいた。
「なんか……その……。ごめんね、ヴァン。もう怒ってないからね? 泣かないでね?」
「お、おう。泣きそうだったけど、ぎりぎり泣いてないから」
「涙いっぱい溜まってたよ? 顔真っ赤っかだったし」
マジでか。恥ずかしい。
「ばっか。こぼしてないうちは泣いたうちに入らないんだぜ。グラント王国の法律ではそう決まってんだ」
「そうなんだ。細かいんだね、法律って」
「てか、こっちこそ、知らないくせに無神経なこと言って悪かった。からかったわけじゃないんだ」
ただ、リサの言った悪ガキと自分を、愚かにも重ねてしまっただけで。どしようもない本物の悪党の分際でだ。
その一言は、どうにか呑み込む。
「うん。大丈夫。もう怒ってない。帰ったら、ごはん作るね」
「手伝うよ」
お互いに顔を見合わせて、少し笑った。
その笑顔を見て、赦されたのだと理解した瞬間、俺は心が軽くなった。
だから自覚したんだ。自分で考えているよりもずっと、この少女といる状態を楽しめているんだってことに。
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